01
==橘桔平の場合==
「ぅあー…」
社内のカフェブースでうなだれる。ここのカフェモカはお気に入りだけど、今はそれを楽しんでいる余裕はない。
昨日の母からの電話以降、どうするべきかと考えをめぐらせたけれど、当然解決策など思いつくはずもなく。週末まで時間もない。こうなったら開き直って母に本当の事を言ってしまおうかとも思ったけれど、それはそれでお見合い案件が加速するだけだろう。 今日何度目か分からないため息を深くつくと、隣の席に誰かが座った。
「おいおい、大丈夫か?さっきからため息ばかりついているぞ」
「橘課長…」
隣に座ったのは自分の課の課長の橘課長だった。若くして異例の昇進を果たしたと、課の中でも伝説扱いされている人だ。優しくて頼れて、上司からも部下からも信頼されている人だ。勿論私も信頼しているし、尊敬している。
「何か仕事で問題でもあったか?確かお前に頼んでいた案件、いくつかあっただろう」
「あ、いえ!仕事は問題ないです!お預かりしてる案件も今のところ順調ですし」
「仕事は、か…他に何か心配事でもあるのか?プライベートの事を聞かれるのが嫌なら無理には聞かないが…」
「いや、あの…」
心配そうに私の顔を覗き込んでくる橘課長。自分の間抜けから来る悩みを打ち明けていいものか迷ったけれど、誰かに聞いてもらいたいと思っていたのもあるし、立花課長なら誰かに言いふらすなんて事もしないだろうと、打ち明けてみる事にした。
「実は…」
親から恋人について聞かれた事。いないなら見合いをしたらどうかと言われたこと。慌てて嘘をついて、週末に『恋人』を連れて行かなければならなくなった事。 橘課長は私が話し終わるまで頷きながら聞いてくれた。
「…というわけなんです」
「それは、なんというか…お前も墓穴掘ってるなぁ」
「うう…それは重々承知していると言いますか…」
苦笑しながらそう言われると、ますます落ち込んでしまう。身から出たさびだ、やはり諦めるべきか…
「それで?どうするつもりだったんだ?」
「それが全然思いつかなくて…いっその事母に嘘だと言えればいいんですが、それでお見合い話を進められるのも怖くて…誰かに恋人のフリをしてもらうしかないですかね…」
それが一番手っ取り早いのは分かっていたけど、適任を選び損ねていた。大学時代の同期は皆恋人か奥さんが居るし、会社の人にはこんな話できないと思っていたから橘課長以外には言っていない。
もしかしたら課の人なら、誰かしら協力してくれるかもしれない…
「俺がやろう」
「えっ!?」
「ここで聞いたのも何かの縁だろう。他のやつにまでこんな話したら、一気に広まるぞ」
「う、それはちょっと…」
「幸いと言っていいのかわからんが、俺には配偶者も恋人も居ない。お前がいいのなら、協力する」
ブラックコーヒーを啜りながら、こちらをちらりと見つめてくる。そう言ってくれるのはありがたいけれど、課長にそんな事をさせていいものだろうか…
「折角のお休みを私なんかのせいで無駄にしてしまうのでは…」
「無駄なんかじゃないさ。可愛い部下を助けることが出来るなら、お安い御用だ」
「でも…」
「そう深く考えるな。お前は誰かに助けて欲しい。俺はお前を助けたい。それで十分成立してるだろう?」
な? と首を傾げた橘課長が、優しく微笑んだ。なんだろう、いつもの笑い方と違うせいか、何だか恥ずかしくなってきた。 課長がここまで言ってくれているのだから、甘えてしまおうか…
「本当に、いいんですか…?」
「疑り深いな、大丈夫だ。心配するな」
「じゃ、じゃあ…お願いします」
椅子に座ったまま橘課長に向き直り、深々と礼をすると、くつくつと笑う声が聞こえた。
「おう。任せろ。あとで詳しいことは連絡するからな」
「はい、よろしくお願いします」
「ああ、それから…」
席を立った橘課長が、耳元に近づいて来て…
「俺の事を『桔平』と呼べるように、練習しておけよ?」
「!!」
「はははっ、じゃあ、また後でな」
ぽん、と頭に軽く触れて、ひらひらと手を振りながらカフェブースから出て行った。耳が熱いし胸も苦しい。橘課長ってあんなに百戦錬磨な雰囲気かもし出していたっけ…?
「…もしかして、人選間違った?」
ぽつりと呟いた言葉は、誰に聞かれる事なく消えていった
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