から揚げと恋心・前(橘桔平)
「兄さん達はデートとかしないの?」
「ん?」
風呂上りのアイスに齧りつきながら杏が問いかける。明日の弁当の下ごしらえをしながら、桔平はリビングで寛ぐ杏に視線をやった。
「来週とか、テスト期間で部活休みにするんでしょ?華とどこかに行って来たら良いじゃない」
「テスト期間はそういう事に使うものじゃないだろ。それに、あいつを誘う理由がない」
ソファーに寝転がった杏が見ていた雑誌の表紙にでかでかと『週末デート特集』と書かれている。何に触発されているのやら…
「えー?彼女誘うのに理由が要るの?」
驚いて目を見開いた杏が桔平を見た。杏の言葉に驚いた桔平も杏を見る。
「彼女って?華の事か?あいつとは付き合ってないが…」
華は後輩でテニス部のマネージャーだ。元々杏と同じクラスで、転校してきたばかりの頃にとても世話になったらしい。杏が風邪を引いて寝込んだときも、心配して見舞いに来るほどだった。
その事もあって桔平とも転校早々から顔見知りであり、テニス部の騒動の時は真っ青な顔で心配してくれていた。
そのときの顔をみて、直感的に彼女をマネージャーにしたいと思った桔平が誘い、新生テニス部のマネージャーとなってもらったのだ。
気配り上手でちょこまかと動く姿が可愛らしい。見てるとついちょっかいを掛けたくなってしまう程に。
わしわしと頭を撫でれば恥ずかしそうに受け止めてくれ、頬をむにりと摘まめばふにゃりと笑う。その度に自分の頬も緩んでいるのを、桔平自信は気付いていない。
…テニス部員はもう慣れっこだが、他の生徒達がたまたま目撃すれば硬直間違いなしなくらいデレデレなのも。
「え…?あれで…?」
驚きで口をぽかんと開けた杏が、キッチンへと移動してきた。ダイニングテーブルの椅子に座り、怪訝な顔をしつつも手を止めない桔平をまじまじと見つめた。
「…華がいると頭撫でにわざわざ近づいてるのに?」
「話があって近寄ったついでだろ」
「ほっぺまで触ってるのに?」
「あいつ柔らかくて面白いからな」
「困ってるとすぐに気付いて走りよるのに?」
「マネージャーが困ってたら助けるのは当然だろ」
「も〜…」
兄のあまりの自覚の無さに杏は思わず唸った。テーブルにつっぷした妹を訝しげに見つめながら、多めに作った金平牛蒡を冷凍処理し始める。
「あんだけだらしない顔晒しておいて、付き合ってないなんてよく言えるわね」
「だらしない顔だと?」
「そうよ。華を見るときはゴクトラ見てるときよりデレっとしてるし幸せそうだもの。最初見たときは驚いたけど、兄さんにもやっと彼女が出来たんだなって思ってたのに」
唇を尖らせた杏がぶつぶつと呟く。自分がそんな顔していた事を知らなかった桔平はラップを持ったまま固まってしまった。
「家にいるときだって華の話になると嬉しそうに笑うし、絶対好きだと思ってたのに…」
華は杏にとって大切な友人だ。彼女もまた桔平に想いを寄せているのに気付いていたし、桔平の態度からすでに交際にまで発展しているものだと思っていた。
妹の自分が根掘り葉掘り聞くのは不味いだろうとあえて聞かないでいたのだが…
なんて考えていたら、兄の声が聞こえなくなった事に気づいた。顔を上げると、見たことが無いほど顔が真っ赤になった桔平がそこに居た。
「え、に、にいさん…?」
「…俺は…」
慌てて立ち上がり近づこうとすると、頭を抱えた桔平が小さな声で呟いた。
「俺は、あいつのことが…好き…なのか…」
漸く自覚した兄に、今度は妹が頭を抱えた。
◇
次の日、桔平と共に家を出た杏は若干不安だった。昨日、自覚した兄は真っ赤な顔のまま高速で弁当の作り置きおかずを冷凍処理し、部屋に戻ってしまったからその後兄の中でどう折り合いがついたのかが分からなかった。
今隣を歩いている兄はいつもと変わらないように見えるが…そろそろ華と合流する地点だ。
「橘さん!杏!おはようございます!」
小柄な体に似合わない大きな荷物を抱えて、華が駆け寄ってきた。マネージャーとして頑張る彼女はタオルだの休憩中のエネルギーだのを家で支度してくるためいつも大きなスポーツバッグを抱えてやってくる。それを毎朝桔平が取り上げ、学校まで一緒に行くのだが…
「おはよう、華!」
「…ああ、おはよう」
「…?」
いつもなら頭をひと撫でして荷物をひょいと持ち上げる桔平が、硬い表情で挨拶を返すだけ。流石の華も違和感を覚えたようだった。
「橘さん?具合でも悪いんですか?」
「いや、そんな事はないが…」
「そうですか?いつもより顔が赤いような…」
マネージャーをやっているだけあって、部員の顔色には敏感のようだ。額に触れようとそっと上げた掌を、桔平は思わず跳ね除けてしまった。
「えっ」
「ちょっと、兄さん!」
「っ、…すまん」
今までこんな事なかったのに。自分から触れても、華に触れられても平気そうな顔をして、むしろ嬉しそうに笑っていたというのに。やはり昨日の事を引きずってしまっているようだった。
驚いたまま固まってしまった華を申し訳なさそうに見つめた桔平は、 『先に行く』 とだけ言って走っていってしまった。
小さくなっていく背中を見つめながら杏はため息をひとつ吐いた。華は弾かれたてを見つめたまま固まっている。
「…杏ちゃん、どうしよう…」
「華?大丈夫?」
「私、わたし橘さんに嫌われちゃったのかもしれない…」
ぶわりとこみ上げた涙を瞳に浮かべた華を見て、杏は慌てた。
「ない!それはないから!絶対に!兄さんなんか調子悪いのよ!華に気付かれたくなかっただけで!」
「でも…だって…」
「ほら、私達も学校行かないと!ね!?兄さんには後で私が聞いてみるから!」
ほらほら出発!そう言いながら華の背中を押して学校へと向かう。 兄さん、後で覚えておいてよ… そんな事を考えながら。
華は、いつもより重く感じる鞄の紐をぎゅうと握り締めながら、ぱたぱたと学校への道のりを進んだ。
◇
「いい加減にしてよ」
「…」
あの朝から一週間。桔平は相変わらず華と距離を置き、華は寂しそうに遠くから桔平を見つめるようになった。他の部員達も突然の変化に驚き、杏が詳細を教えると、 『まだ付き合ってなかったのか!?』 と杏と同じ反応を見せた。桔平が自覚をした瞬間からこうだと知り、橘さんでもこんな事があるんだな…としみじみしていた。
まぁ、暫くしたら戻るだろう。皆そう思って様子を伺っていたが、1週間経っても変わることはなかった。このままでは二人の距離が離れていくばかり。杏がとうとう痺れを切らし、部屋で勉強をしていた桔平に後ろから話しかけた。
「あんな風な態度をとったら、華が混乱するって分かってるでしょう」
「…」
「…私が、余計な事を言ったせいなのは悪いと思ってるけど…」
「…それは違う」
「え?」
俯いて話していた杏が顔を上げると、椅子に座ったまま振り向いた桔平が、困ったように笑っていた。その顔を見て何故だか安心し、傍にあったベッドに腰掛けた。桔平も椅子を回転させ、杏に向き直った。
「杏が言った事は間違いじゃなかった。自覚が無かっただけで俺は…あいつが好きなんだと分かった」
「じゃあ、なんで…」
「…今まで無意識にやっていた事を、自覚してからもやれるほど、俺は器用じゃない」
桔平が眉間に皺を寄せた。あの日、杏に言われて自覚した後、自室に戻って何度も考えた。本当に自分は彼女が好きなのか。神尾や伊武達と変わらない、可愛い後輩ではないのかと。
考えれば考えるほど、華の可愛らしい笑顔が浮かんで消える。その度に、ばくばくと胸が高鳴るのだ。もういい訳の仕様がないほどに、自分が華に惚れていることが明確になってしまった。
そうなるともう駄目だった。彼女を見ると胸が高鳴るし、微笑まれるだけで顔がほころびそうになるのが分かって唇をかみ締めてしまう。杏が言うようにだらしのない顔で対応していたとしたら、それは酷く間抜けな光景だったろう。そんな姿を見られるのは、今更とはいえ嫌だった。
必要以上に触れていたのだとしたら、華に迷惑を掛けていたかもしれない。そう思うと、触れる事が怖くなった。嫌われでもしたら立ち直れないとまで考えてしまうほどに、自分か彼女にほれ込んでしまっていたのだ。
そうして逃げ出して、こじらせて、後が無いところまできてしまった。
「…ばかね、そんな事ありえないのに」
杏はそこまで聞いて、わざとらしいため息を吐いた。自分の兄は、こうも恋愛に疎かっただろうか。前の学校の時も女子からの人気はあったが彼女がいたような素振りは無く、むしろ女性に興味がなさそうだったが…
「あ」
なるほど、そうか。杏は妙に納得した。今まで好きになる子がいなかったから、兄はこんなにこじれてしまったのかもしれない。これが兄にとって、初恋だったのかもしれない。そう思うと、今までの行動がとたんに可愛らしいものに見えてくる。
杏がくすくすと笑い出したのを、桔平は不思議そうに眺めた。一通り笑った杏が、微笑んで桔平を見上げた。
「華はああみえてしっかりものだから、何も考えずに兄さんと仲良くしていたわけじゃないと思うけど?」
「それは分かってるが…」
「このまま逃げてたって埒明かないでしょ?ちゃんと向き合って、確かめないと」
私に任せといてよ、ね?
自信ありげに微笑んだ杏に、いまいち納得のいかない桔平が苦笑を零した。
続く
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