から揚げと恋心・中(橘桔平)
「勉強会?杏の家で?」
「そ!テスト期間中は部活ないでしょ?土曜日うちに皆で集まって勉強会でもしたら良いんじゃないかなって思って。で、華はそのまま泊まっていってよ」
「え、そんなの、迷惑になっちゃうんじゃ…」
「ぜーんぜん!土日ね、両親が一度熊本に戻るのよ。親戚の集まりらしくって。華を泊める事はもう許可貰ってるから、華がいいならお泊まり会しよ?ね?」

 可愛らしく微笑んで、杏が首をかしげた。私が断らないってわかってるみたいに、
自信満々な瞳が輝いている。…そういう所、橘さんにそっくり。

「でも…橘さんも、いるんでしょう?」
「いるわよ。神尾君たちの勉強は兄さんが見るつもりでいるみたい」
「…私が行ったら、橘さん困ってしまうんじゃない?」

 ここ最近、橘さんに避けられているのは分かっていた。いつも触れてくれていた頭や頬に触れてこなくなったこと。話しかければ応えてはくれるけど、ほんの少し距離を置かれること。それと…あったかくて柔らかい微笑みを、見せてくれなくなった事。
 自分の頭を楽しそうに撫で回して、くしゃりと笑う顔が好きだった。ほっぺをむにりとつまんで、優しい眼差しで見つめられるのが好きだった。だけど最近は、触れることはおろか目すらあわせてくれなくなった。
 何か、気に障ることでもしてしまったんだろうか。もしそうならば、なるべく近づかないほうがいいだろう。そう思って、此処最近は必要以上に橘さんの傍に寄らないようにしてしまっていた。

「困らないわよ!是非にって言ってたし、大丈夫!」
「…でも…」

 またこの間の様に拒否されてしまったらどうしよう。気まずそうに目が泳いで、困ったように眉間に皺を寄せられたら…。自分はもう、耐えられないかもしれない。

「華」

 杏の凛とした声が響いた。いつの間にか俯いていた視線を上げると、杏が優しく微笑んでくれていた。

「大丈夫よ。絶対大丈夫。もう華が考えてるような事にはならないはずだから。…信じてみて欲しいの」

 ね? と杏が言った。その言葉で、全てが拭えたわけではないけれど、背中を押されたのは分かった。杏がここまで言ってくれているのだから、自分でも前に進まなきゃいけない。そんな気持ちになった。

「…うん、そうだね。ご迷惑じゃないなら、お泊りしたいな」
「そうこなくっちゃ!」

 杏の顔がぱあっと明るくなった。やっぱり杏には笑顔が似合う。兄そっくりな微笑を見ながら、私も杏に笑い返した。



 土曜日。一泊分の荷物を持って橘家のインターホンを押す。おばあさんたちとも一緒に暮らしているらしいおうちは、この住宅街の中でも比較的大きく見える。
 ぱたぱたとかけてくる音が聞こえ、ガチャリと扉が開かれた。

「いらっしゃい!」
「杏、無用心だよ」
「リビングの窓から来るのが見えたもの」

 私服姿の杏が笑顔で出迎えてくれた。持っていた荷物を持ってくれ、 部屋に置いてくるからリビングで待ってて! と2階に駆け上がっていってしまう。
 既に神尾君たちも来てるんだろう。数足の靴が揃えられて玄関の端に並んでいた。それに倣って自分の靴を揃えて、リビングの扉を開けた。

「おはようございます…」
「お!きたな!待ってたぜ」
「…遅いよ。さっきから神尾がわかんない所だらけで教えるの大変なんだからな…」

 リビングに用意された大き目の机に、各自教科書類を広げて勉強会を始めていた。ぼやきそうになっている伊武君に軽く謝りながら、机の隅っこを借りて座った。キッチンのほうから、橘さんがひょいっと顔をだした。

「来たか、おはよう。今飲み物出すから。何がいい?」

 色々あるぞ、と神尾君たちを指差した。彼らの傍に置かれたコップには、確かにジュースとか烏龍茶とかアイスティーとか、色んなものが注がれていた。多分皆がここに来る前に色々と買ってきたのだろう。

「おはようございます。えーっと…烏龍茶で」
「了解。今出すから」

 にっこり笑ってまたキッチンへと戻っていってしまった。久しぶりの会話に妙に緊張してしまった。
 意識しちゃ駄目、いつも通り、いつも通りに…そんな事を考えながら、自分の教科書やノート類をテーブルに広げた。杏が戻ってきて、橘さんが飲み物を持ってきてくれて自分の場所に座り、改めて勉強会が開始された。



「…ん、もうこんな時間か。腹減ったろ。昼飯作ってくる」

 カリカリとシャーペンの音が重なり、時々教える声がぽつぽつと聞こえて。集中する事2時間。壁に掛けられた時計はもうすぐ12時をさそうとしていた。橘さんが立ち上がり、キッチンのほうへと向かう。

「えっ、いいんですか!?何なら俺達何か手伝います!」
「気にするな。下ごしらえはもう出来ているから、そんなに時間もかからないしな。とりあえず机の上整理して、休憩しとけ」

 笑いながらそう言って、キッチンに行ってしまった橘さん。ばさばさと教科書類を片付け、食事が出来るように整理する。暫くしてキッチンからいい香りが漂ってきた。この香りは…から揚げ、かな? 腹減った〜 なんて声を聞いていると、杏とふと目が合った。にんまり笑った杏が、キッチンを指差した。

「様子、みてくる?華が行ったら喜ぶよきっと」
「え、えぇ…?」

 杏の言葉に動揺してしまう。私が行っても困らせてしまうだけなんじゃないんだろうか…そんな事を考えていたら、杏に、 ほらほら! と促されてキッチンへと押されてしまう。
突然やってきた私に驚きながら、 どうした? と聞いてくる橘さん。てんぷら鍋には大量の鶏肉が油で揚げられている。やっぱりから揚げみたい。

「あ、えっと…なにか、用意するものとかあれば、お手伝いしようかと…」
「ん?そうか…じゃあテーブルの上にある皿、あっちに持って行ってくれるか。…悪いな、本来は杏がやるべき事だろうが…」
「いえ、私がやりたくて来たので…これですね」

 テーブルの上に重ねておいてあったお皿を持ち上げて、一度キッチンから出ようとすると、後から声を掛けられた。振り向くと、橘さんが手招きをして呼んでいる。お皿を持ったまま近づくと、半分に割られたから揚げが、口元に差し出された。

「味見だ」
「え、あ…」

 揚げたてのから揚げは見るからに熱そう。両手はお皿で塞がっているので、そのままふーふーと息を吹きかけた後がぶりとから揚げを口に入れた。

「あふっ」

 案の定熱いから揚げを、はふはふしながら味わった。じわりと広がるうまみに、頬が緩んだ。やっぱり橘さんが作るものはとっても美味しい。

「美味しいです!」

 じっくり味わって、漸く飲み込んでから橘さんを見上げた。目を見開いた橘さんと目が合う。

「橘さん…?」
「あ、いや…なんでもない。美味いならよかった。もうすぐ出来上がるから、そっちで待っててくれ」
「はーい…!」

 呼びかけると、はっとしてからゆっくりと微笑んだ。リビングに行くように促されて、踵を返すと、ぽんと頭をなでられた。いつもの様に、優しく。
驚いて橘さんを振り返れば、甘く優しい微笑が返って来た。突然の変化に頭が混乱しそうになりながら、そっとリビングに戻った。触れられた辺りが、じんわりと熱い気がした。

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