から揚げと恋心・後(橘桔平)
「あれ…?」
橘さんが作ってくれた美味しいお昼を頂いて、午後も賑やかに勉強会が出来た。分からないところを色々と教えてもらったり教えたりしながら、じっくり復習できてよかった。
夕方になるとちらほらと帰っていって、日が暮れる前には私と杏と橘さんの3人になった。一緒に暮らしているおじいさん達は別でお夕飯を取るらしいので、3人で支度をしながら橘さん特製の肉じゃがを頂いた。薄味なのにとっても美味しくて、思わずおかわりしてしまった。杏が面白そうに笑うから恥ずかしくなったけれど、橘さんが嬉しそうに頭をわしわしとなでてくれて、また頬が熱くなった。
それからお風呂を使わせてもらって、ひとごこち。遠慮せずにゆっくり浸かってきてね?って杏が言ってくれたから、お言葉に甘えてじっくり入らせてもらった。火照る頬をぱたぱたと扇ぎながらリビングに戻ると、誰もいない。お風呂に入るまでは、杏がテレビを見ていたはずなのだけど…
杏の部屋にも行ってみたけど戻っていなかった。杏の部屋で寝ることになっていたけれど、本人がいないのではどうしようもない。
「…橘さんなら、分かるかな?」
隣の部屋に居るだろう彼を思い浮かべ、思わず独り言を呟いた。勝手にうろうろするわけにもいかない。一度聞いてみたほうがいいだろう。そっと杏の部屋の扉を閉め、隣の部屋の扉を、そっとノックした。小さな返事が返ってくる。
「…どうした?」
「あ、あの、杏が…見当たらなくて…」
そっと開かれた扉。部屋着姿の橘さんが、優しげに笑って見下ろしてきた。その目線も何だか久しぶりで、くすぐったい。
「杏?あいつならさっき外出したぞ。彼氏が近くに来てるとか言って…お前にもメッセージ入れておくと言っていたが、来てなかったのか?」
「え!?」
橘さんからの思わぬ返答に大きな声が出てしまった。慌てて寝間着のポケットを触るけど、そこに携帯は入ってない。
「…部屋に置きっぱなしにしてました…」
「…成程、確認できてなかったのか」
どうしよう、彼氏に会いにって事は、暫く戻ってこないのかな?杏が居ないのにお部屋に居させてもらうのは何か違う気がするし…
そんな事を考えていたら、目の前の扉が大きく開かれた。
「とりあえず、入るか?廊下じゃ冷えるだろ」
優しい声でそう言われる。確かに少し足が冷えてきたし、一人で居るより心強い。
「…いいんですか?お邪魔になっちゃうんじゃ…」
「丁度勉強も一区切りついたところだ。気にするな」
「…それなら、おじゃまします…」
流石に申し訳なくて、小さな声でそう言えば、また頭をポンと撫でられ、お部屋に通された。促されるままにベットを背もたれにするように座ると、すぐ近くに橘さんも座った。腕が触れ合いそうな距離に、胸がばくはつしそうになる。じっと髪を見つめた橘さんが、ぽつりと呟いた。
「…やっぱりな。髪が半乾きだぞ。風邪を引く」
「わっ」
さっき頭に触れられたときに気付いたんだろう。首に掛けたままだったタオルを取られ、頭に乗せられわしわしと乾かし始めた。やりやすいように向き合う様に座りなおすと、楽しそうに笑う声が聞こえた気がした。
心地いい力加減にうとうとしそうになった所で、そっとタオルが外された。くしゃくしゃだった髪を、手櫛でそうっと梳かしてくれた。
「…うん、こんなもんだろ。次からはちゃんと乾かせよ?」
「はーい」
橘さんの大きな手が、するすると私の髪を撫でていく。それが何だか心地よくて、目を軽く瞑った。
橘さんはどうしてしまったのだろう。突然距離を置いたかと思ったら、また元の通りに…ううん、前よりもずっと近い距離で触れてくるようになって。嬉しいけれど…正直、不安。いつまた距離を置かれるかも分からないし、橘さんが何を思って私に触るのかも分からないから。妹みたいに思われてるのか、それとも…
「どうした?」
ずっと無言の私を不思議に思ったのか、橘さんが声を掛けてきた。そっと目を開くと、思ったよりも近い距離に橘さんがいて、呼吸が止まるかと思った。ゆっくり呼吸をしてから、口を開いた。
「…橘さんは…」
「ん?」
「なんで、最近冷たかったんですか?」
言った瞬間後悔した。もう少し遠まわしな言い方だって出来たのに、直球剛速球を投げたような気がする。
目を見開いて驚いた橘さんが、じわじわと苦笑いしはじめた。髪に触れていた手が一度下ろされる。
「…やっぱり、わかるよな」
「…それは、もう。分かりやすかったですし、それに…」
「それに?」
「…寂しかった、ので」
床についていた手の指に、そっと触れる。逞しくて温かな指を、軽く握り締めると指先がぴくりと反応した。
「…そうか」
「はい」
ゆっくりと、橘さんが私の肩辺りに顔を埋めた。くすぐったくて、身体がびくりとはねる。そのまま触れていなかったほうの手で腰をつかまれ、抱きしめられた。
「そうか…寂しかったか」
「…はい」
「…俺もだ。自分で離れたはずなのに、お前の事ばかり考えてた」
首に橘さんの息が当たってぞくりと背中が震えた。今、橘さんはどんな顔をしているのだろう。
「華、俺は…」
そっと顔を上げて、しっかりと目を見つめてきた。今まで見たことが無いくらい真剣な表情に、熱をもっているような瞳に、吸い込まれそうだった。
「俺は、お前が好きだ」
橘さんの言葉に、胸が跳ねる。期待してなかったわけじゃない。私が橘さんのことを先輩として以上に想っているように、橘さんもそうであって欲しいと、何度願っただろうか。
「恥ずかしいことに、杏に指摘されるまで気付かなかったんだ。自覚しだすと、お前に話しかけることすら出来なくなった…こういうことに慣れてないんだ」
うっすらと頬が赤く染まっている。困ったように笑った橘さんが、腰を掴んでいた手で頭を撫ではじめた。
「嘘だ…」
「嘘をついてどうする」
「だって、付き合っていないのにしょっちゅう頭は撫でてくるし、ほっぺ突かれるし…誰にでもそうなのかと思ってました」
スキンシップが多いだけで、私のことは何とも思っていないんだって。そう思ってしまうくらい、橘さんは触れては来るけどそれ以外は何も無くて。自分が自惚れているだけだって、ずっと思っていた。
「…こうやって触るのも、触りたいと思うのも、お前が初めてだ。 …人を好きになったのも、な」
笑っていいぞ
苦笑しながら言われた言葉に、今度は私が驚いた。
「はつこい、ですか…?」
「そういう事になるな」
橘さんの、初恋。それが私で、いいんだろうか。考えたってもう遅いけれど。
胸の中がいっぱいになって、目から涙が零れだしてしまった。
「華…」
「ごめ、なさ…悲しいとかじゃ、なくて…!」
頭をなでていた手が瞼に触れる。悲しくなんか無い。寧ろ嬉しい。初めて好きになった人が私だといってくれたことが。好きだといってくれた事が。
そっと、瞼に熱いものが触れた。指先とは違う、柔らかなものが。それが橘さんの唇だと分かるまで、そんなに時間はかからなかった。驚きで涙は止まり、目を見開いて橘さんを見つめれば、嬉しそうに笑う彼がそこにいて。
「それは…嬉しいからだ、って事で、いいか」
俺の指先を強く握り締めたままなのも、泣きながら頬が赤くなるのも。
「俺の事が好きだからだって、思ってもいいか」
頬に触れる手が妙に熱い。外す事のできない視線は、不安そうに揺らいでいるように見えた。
「…すきです」
頬にある手に自分の手を重ねた。言葉にした途端、とまらなくなってしまう。
「すき、すきです。ずっと好きだったんです。触ってもらえるのも嬉しかったんです。距離を置かれたとき、もうずっとこのままなのかもしれないって怖かったんです」
「華」
「だから、今日触れてくれたのが嬉しかったんです。こうやって、すきだって、言ってくれた事が…」
言葉を続けようとしていた口を、口で塞がれた。重ねていた手はぎゅうと握り締められて。胸もぎゅうと苦しくなった。
暫くそのままキスされて、そっと離れた橘さんは、物凄く嬉しそうだった。
「…十分わかった。俺も好きだ。 …ずっと、好きだった。妹が増えた気分でいたのに、いつの間にか頭から離れなくなってた。お前に迷惑かけてるんじゃないかって、距離を置いた頃には遅かった。華に触りたくて、傍に居たくて仕方がなかった」
だから、離れるのを諦めた。
「今日、お前が美味そうに食べる顔見て、もう無理だとわかった。お前を諦めるのも、このまま後輩として接する事も。だから…ちゃんと気持ちを伝えようと、決めてた。 …お前に先手取られたけどな」
意地悪に笑う顔は、いつもの橘さんで。絡め取られた右手に、ぎゅうと力が入った。
「…華、俺と付き合ってくれるか」
おでこ同士がぶつかって、そっと囁かれた。くすぐったくて、嬉しくて。私も橘さんの手を握り締めた。
「よろこんで…!」
また泣きそうになるのを堪えてそう応えた。安心したようにため息を吐くのが聞こえた。
「むぞらしか…」
そう小さく呟いて、そのままゆっくりと抱きしめられた。何度も頬をなでられて、もう一度唇が近づいてきた。恥ずかしくて逃げ出したくなるのを堪えて、私はそうっと瞼を閉じた。
END
(ただいまー!)
(杏…!)
(間が悪いぞ…)
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