アルファの中にも、力の優劣は存在する。ある程度の力しかない者、より強い力を持つもの。より強い力を持つものは、下位のアルファの番契約を上書き出来るという。最も、上書きが出来るのはよっぽどの力の差が無いと不可能であり、現実的ではないと言われている。
けれど、力の差に関係なく契約の上書きが出来る場合がある。契約が薄まっている場合に限り、同格以上であれば、番契約を上書き出来るのだ。
契約が薄まるとは、番契約を結んだ後も契約の更新・・・つまり、項を噛む行為が為されない場合に起こる。契約が薄まる期間については、アルファ側の力によって異なる。力が強いアルファなら、数年は契約の更新をせずとも契約が薄まる事はない。けれど、力の弱いアルファなら、適度に項を噛み契約を刻みつけ無ければあっという間に契約が薄まるという。
番契約とは、ある意味マーキングにも似ている。要は、縄張りと同じで、己の力の誇示し続けなければ、より強きものに奪われるのだ。
ザァザァと雨が降る中、凛華は家路を急いでいた。
――すっかり遅くなっちゃった
急な残業に同僚からの食事の誘いも重なり、既に深夜と言って良い時間帯だ。
土砂降りの雨は、暫く止みそうにない。雪に変わるとの予報はなかったが、吐く息は白く、長い間外に居れば風邪をひいてしまいそうだ。
早く家に帰って温まろう。そう思っていた凛華の耳に、バチャッという水音が届いた。
思わず暗がりに目を向ければ、うずくまる人影が見えた。思わず、凛華はその人影に駆け寄った。
「大丈夫ですか?!」
「・・・っ・・・くっ・・・」
近づいてみれば、倒れているのは一人の男だった。全身黒い服に、銀の長髪が映える中々のイケメンだ。けれど、それよりも凛華の目を引いたのは、男が浮かべる苦悶の表情。そして、わき腹辺りを押さえる男の手を濡らす、赤い液体だ。
「!?血が・・・!」
救急車、警察も・・・・!!
慌てて携帯を探そうとする凛華だったが、その腕を、倒れていた男が掴んだ。
「警察は、やめろ・・・」
「でも、血が・・・!」
「俺に、構うな・・・」
凛華の手を払うと、男は立ち上がろうとする。けれど、足に力が入っていないのは一目瞭然だ。
明らかに怪しい、恐らく堅気ではないだろう男。このまま関わらないのが一番なのだろう。けれど、凛華の決断は早かった。
「こっちです」
「!何を・・・」
凛華は男の腕を掴むと、そのまま、支える様に肩を貸した。
「私の家、この近くですから。せめて雨が止むまで・・・雨宿りして行ってください」
凛華の視線の強さに、決して譲らない意思を感じ取ったのだろう。男は諦めた様に溜息をついた、
「・・・勝手にしろ」
その言葉を了承と受け取って、凛華は歩き始めた。そのまま、何とか凛華の家まで辿り着いた二人だったが、体力の限界だったのだろう。男は家について早々に倒れ込み、意識を失ってしまった。
玄関ではなく客間で倒れたのは、不幸中の幸いだった。意識の無い男を運ぶ力など、凛華にはない。何とか男の濡れた服を拭き、素人手当になるが、わき腹の傷に応急手当を施す。取りあえず血を拭き、ケガの部分にガーゼを当てておく。本当なら濡れた服も着替えさせたかったのだが、長身の男から服を剥ぎ取る力も、そんな男に合うサイズの服も無い。
それでも、あのまま外に居るよりはマシだろうと、凛華は己を納得させ、寒くないようにと暖房を強めた。
元々、凛華には拾い癖があった。
犬や猫は勿論、フェレットやタヌキにカラスといった、ありとあらゆる動物を拾った事があるのだ。勿論、人間を拾ったのはこれが初めてだが。
けれど、拾ったものは仕方ない。それも明らかに堅気ではない雰囲気がするが、あれで死なれでもしたら自分の目覚めも悪い。そう思いながら、凛華もまた最低限の片づけをすると眠りについた。
――翌朝
「・・・全く、呑気な女だ」
「はは・・・よく言われます」
いつの間に起きたのか、凛華が目覚めるよりも先に男は起きていた。どうやら、体力も回復しているらしい。怪我をしていた筈なのに、凄まじい回復力だ。
思わず、しげしげと男を見上げる。
昨日も思ったが、随分と身長が高い。容姿端麗だが、まるで研ぎ澄まされたナイフのような冷たい雰囲気に、けれど目を離せない圧倒的な存在感がある男だ。
と、そこまで考えて凛華ははっとした。
「ちょっと失礼します」
ごそごそとカバンから錠剤を取り出し、飲み干す。
その薬を一瞥し、男はぼそりと呟いた。
「・・・Ωか」
「はい」
男の言葉に、凛華は頷いた。今飲んだのは、Ωのフェロモンを押さえる抑制剤だ。凛華は番持ちだが、フェロモンが全く出ない訳では無い。トラブルを避けるためにも、抑制剤は必要不可欠だ。
そんな凛華に対し、男は大げさに溜息を付いた。
「それなら尚の事、警戒が必要だろう。俺みたいな、どこの誰ともしれん男、それもαをほいほい家に連れ込むもんじゃない」
「あ、やっぱりαでしたか・・・」
男から感じた圧倒的な存在感。それもαだと言われれば納得だ。
「ちっ、抑制剤は持ってないんだがな・・・」
「あ、大丈夫ですよ、きっと。そんなにフェロモンは出ないと思いますし、出ても強くは効かないと思いますから」
「・・・番持ちか?」
それにしては番の姿が見えない事に、男は訝し気に眉を顰めた。
それもそうだろう。普通番契約を結べば、お互いが離れたがらなくなる。それが番契約という物だ。それなのにこの部屋はどう見ても一人暮らし用の部屋であるし、番であるαの気配も香りも感じられない。普通であれば、αは己のΩに執着し、己の物だと誇示する為に番相手に己のフェロモンを纏わせる筈だ。けれど、凛華からα特有の香りは感じ取れない。
その疑問に、凛華は苦笑いしながら答えた。
「えぇ。と言っても、契約してから一度も更新されてないですし、番相手にもう数年も会っても無いんですけどね」
だから、番契約をしていると言っても、実感が沸かないんです。
そう言いながら、凛華は脳裏に己の番相手を思い浮かべた。
――赤井秀一。それが、凛華の番相手である。
赤井と凛華は幼馴染であった。けれど、二人には決定的な違いがあった。
αの家系から生まれた優秀で力の強いαの赤井に対し、凛華はαの家系から生まれたΩであった。
幼い頃から赤井は優秀だった。それに比べΩであった凛華は劣等感を感じていたものだ。それも、凛華の家系はαの家系であり、他の兄妹も皆αであった。αの家に、Ωである凛華の居場所は無かった。そんな時、何時も傍にいてくれたのは赤井だった。
そんな赤井に好意を抱くようになるのに、時間はかからなかった。けれど、赤井は優秀なαで、何れ世界に羽ばたくのは目に見えていた。
何時か自分は置いて行かれるのだろうと。
その予想はある意味正解で、ある意味では間違っていたと知るのは、赤井と凛華が大学を卒業する時の事だ。
アメリカの大学に行っていた赤井がふらりと帰って来たと思ったら、項を噛まれ問答無用で番契約を結ばれたのだ。
驚く凛華に対し、「虫よけだ」と訳の分からない事を言って、赤井はまたアメリカへと帰って行った。
それから、赤井には会っていないし、連絡も取っていない。あれは一体何だったのか。赤井に淡い恋心を抱いていた凛華は、初めこそ番契約を喜んだものだが、連絡の全くない状況に、これは都合よく利用されたのではと思っている。
赤井秀一というのは非常に力の強いαだ。それは、数年前に結ばれた契約がまだ生きていることからも間違いがない。これだけの強さだから、Ωだけでなく、βからの誘いも多いだろう。だからきっとΩのフェロモンに充てられるのに嫌になって。若しくは、番が居るからと断る口実にする為、幼馴染であり気心の知れた自分を番相手に選んだんだろう。そして、何時か本当に赤井に好きな人が出来た時に契約を解除されるのだろう――と、凛華は考えていた。
どちらにしろ、番契約はα側からしか契約も解除も出来ないし、赤井の真意を知ること出来ないのだから、凛華にはどうしようもないのだ。
そこまで回想に耽ってから、へらり、と凛華は笑った。
「まぁ、番契約のお蔭でΩフェロモンをまき散らすこともないですし、相手が居ないからヒートも訪れませんから、楽ですよ?」
「・・・・」
「っと、すみません、初対面の人にこんな話をして」
「いや・・・」
何となく、気まずい空気が流れる。
視線を彷徨わせる男に、凛華はおずおずと切り出した。
「あの、もし言いたく無いなら言わなくてもいいんですけど・・・」
「・・・何だ」
「良かったら、名前教えて貰えませんか?」
凛華の言葉に、男は少し悩んだようだったが、ゆっくりと口を開いた。
「・・・・ジンだ」
それが、凛華と黒づくめの男――・・・ジンとの初めての出会いだった。