真紅が光る栄誉



「大会中君のバディを務める、エリアス・モランだ」



 よろしく!と手を振って歩いてくるスーツを着こなした男性を視界に捉えると、急いで椅子から立ち上がった。差し出された手を取って挨拶を交わせば、緊張で張り詰めた背筋に更に力が入る。



「ご指導のほどよくっ、よろしくお願いします」
「あぁ、俺の方こそよろしく頼むよ。困ったことがあったらいつでも聞いてくれ」



 優しい笑顔を向けてもらい、少しだけ、本当に少しだけ力が抜けた。


 ストリンガー代表枠に決まってから2週間が経過していた。今日はやっとストリンガーチームと合流し、顔合わせや当日までの説明を受けている。
チームは6名の精鋭達が集まり、大会本番ではフランスのみだけでなく、ドイツ・アメリカ・オーストラリアの4カ国から其々集結する手筈となっている。そして、今回は体験という形ではあるが各々の国から2名ずつ私と同じ立場の中・高生も参加してくる。合計30名余りで参加選手のストリングスを支えていくことになる。

 今回参加する私たち2人は主に見学や外回りの雑務を任されることが殆どになり、実際にストリング調整をする際は必ずバディが付くことになっている。本番で使用するラケットの調整ができるかは、その時々によって異なるらしい。流石にストリング経験があるといっても大会本番用のラケットを張ることは難しいだろうなと思う。
しかし、選手側の希望または同意があれば例外も認められるという。私の場合、選考エントリーの段階で一応出場選手2名を担当する旨を予め伝えているため、これに適応されることを説明された。一安心。

 諸々の説明を受け他のチームメンバーとも挨拶を交わせば、「緊張するよな!わかる!俺も若い時はそんな感じだった」「エリアスは図体がでかいからビビらせるなよ!」「な、違いますよ!…え違うよな?」「ちょっと!貴重なレディに寄って集らない!何かあったらなんでも相談してね」などなど先程の説明時にあった緊張感は何処はやら。ストリンガーチームにはチームワークが大切と言っていたが、それを体現している光景に段々と緊張がほぐれていった。



「この後はフランス代表選手との顔合わせだ。各自、さっき配った選手データにしっかり目を通しておくこと!時間までは自由にしてくれて構わないからな」



 一時解散となり、私たちは建物内の説明のためエリアスさんたちに着いて行くことになった。
道中、選手名簿とデータを眺めながら一緒に参加の男子とどの選手が注目かなどを話していれば、見覚えのあるデータに手が止まる。



「あれ、この人…」
「あ、エースの王子様じゃん。すごいよな、この人。U-14公式試合の最速記録、また更新したんだって」



 選考の時に渡されたデータの人、と思い返していればなんとも仰々しい渾名が飛んできた。フランステニス界ではそこそこ有名人らしい、というのを彼の説明から察する。話を聞く感じ、結構クセが強そうなテニスしそうだなと思いつつ、なら尚更どうして受かったんだろうという気持ちになる。
偶々越前くんと同じテンションを扱う人だったんだろうか…そうだったとしたら完全に運で受かったことになるんだけど…。やっぱりへこむ。



「まずはここ、ストリングルームから説明するぞ」



 目的地に着いたのだろう。考えれば考えるほど気持ちが落ちそうになる自分に喝を入れるような、エリアスさんの言葉が響く。
 もう通過したのなら、後は前進するのみ。
誰に何を言われようと、私はあの人のためにここで技術を磨くことだけに集中しよう。改めてそう決心した。









 館内を案内された後、休憩も早々に時間になった。大広間の扉を開けて中に入ればストリングチームや医療班など様々なスタッフが集まっており、舞台側前方には選手たちが集まってきている最中だった。見慣れた顔がちらほら目につくのを眺めていれば、選手たちの最後に主将のカミュと監督が姿をみせる。

 カミュの挨拶から始まった顔合わせは懇親会も兼ねているのだろう。堅苦しいものではなく、挨拶が終われば各々が食事をしながら団欒の時間が設けられた。
 私たちもそれに倣い、チームの後ろにくっ付きながらスタッフや選手と交流していれば、後ろから名前を呼ばれた。ふわり、と甘いイリスが鼻を掠める。



「カミュ!」
「やぁ、エナ。息災でしたか?」
「久しぶりです。元気だったよ」
「それはなにより。夏は忙しそうでしたから、心配していました」



 呼びかけに振り返ると、綺麗な金髪がさらりとゆれる男がグラスを片手に佇んでいた。L・カミュ・ド・シャルパンティエ、私がこの場にいるきっかけを作った張本人である。
手紙をもらってから顔を合わせるのはこれが最初だった。もし試験に合格しなければ合わせる顔がなかったので、正直言えば少し緊張していたが、会ってしまえばそんなことは一切気にしていない様子。全くの杞憂だったらしい。



「手紙、ありがとうございました。まさかカミュたちが出てる代で同行できるとは思ってなかったから、ちょっと感動してます」
「ふふ。そのチャンスを掴み取ったのはエナの実力だということは忘れないで。思う存分体感してくるといいよ」
「うん、そのつもり。それに今年ってプロの選手も出てくるんですよね?専属もついてくるらしいし、本当に楽しみにしてるんです。もちろん2人のサポートはしっかりやるつもりだけど」
「それは僥倖ですね。私も彼女も、彼も。

今大会はエナにとっても有意義なものとなるだろうね。頼りにしているよ」



 そう言って、今年もよろしく、と手を取りながら改めて挨拶を交わす。ふふ、と嬉しそうにこちらに視線を投げるカミュを見ていれば、「俺たちも混ぜてくれ」とトリスタンさんとティモテさんの声が届いた。



「エナ、選考パスおめでとう。よく頑張ったな!」
「ありがとうございます…この間は見苦しいところを、すみません」
「謝らないで…エナなら大丈夫だと思ってた。大会もよろしく」
「はい!」



 声をかけてくれたお2人としばらく話し込んでいると、ストリングチームも途中から話に合流して気づけば軽いラケット座談会のようになっていた。
 この人たち本当にテニスが大好きなんだなぁ、ということが会話から滲み出ていて心がほぐれるのを感じつつ、何か飲み物をと少し輪から外れる。

 緊張からかそれとも話しすぎか、パサついた口を潤そうと炭酸水を探して中央テーブルで手を彷徨わせる。目的のものを見つけ、グラスを取って元の場所に戻ろうと後ろを振り向いたその時、背後にいた人に思いきりぶつかってしまった。お互いに背を向けていたこともあり、気がつくのが遅れる。そしてぶつかった衝撃でよろめいた身体をなんとか倒れない様、右手を伸ばしたのがいけなかった。反射的に動いた右手が、グラスから離れるのを眺めることしかできず、私は来る衝撃に目を晒した。



「…………あれ?」



 ガシャン、というこの場にそぐわない音が響くかと思ったが、耳に届くのは談笑の声だけ。ゆっくり首を動かしてみると、私が落とした筈のグラスを片手に怪訝な顔をした青年と目が合う。



「落としたぞ。——全く、この王子にぶつかってくるとは無礼な」
「ぇ……あ、すみません。前をみていなくて」
「まぁいい。グレゴワール」
「はい、王子」
 


 ぶつかってしまったその人は、落としかけたグラスをそばに居た執事っぽい人へ渡してしまった。その動作を呆気に取られながら見ていたのが気に障ったのか、彼は「どこかぶつけたのか」と再度怪訝な顔を向けてくる。
そんな中私は、彼の常人にはありえない反射神経と身体の使い方に開いた口が塞がっていなかった。



「この王子が聞いているんだ。なにか応えないか」
「…ぁっ、ごめんなさい。どこもぶつけていません。貴方もお怪我はありませんか?」



 我に返って改めて彼に視界の焦点を当てる。特徴的な赤い髪にフランス代表ジャージを身に纏い、フリルのついたインナーを着こなした彼は、しゅわしゅわと音を立てるグラスをこちらへ突き出していた。
 どこかで見覚えのある風貌に首を傾げながらも、新しく用意してくれたグラスを受け取る。



「それにしてもasiatique…珍しいな。どこの出身だ?」
「えっと、、日本です。日本人」
「japonaisか…桜が美しい国だな。それでジャポネーズがどうしてここに?大会スタッフか?」
「ええ、そうです。ストリングスタッフとして同行します、エナ・カンザキといいます」



 挨拶のチャンスと思い、名前を名乗って軽く頭を下げる。向こうも名乗ってくれるかなと期待して目線をあげようとすれば、「Ça alors!」と大声が飛んできて両肩を掴まれる。
突然早口で捲し立てられるフランス語に脳の処理速度が追いつかない。何かを聞かれている?ことだけはわかるが、私の語彙力では理解できなかった。
落ち着いて…と言葉を出そうとしたとき、彼の後ろに金髪が見えて口を閉じる。
 


「王子。手を離してください、エナが怖がっています」
「カミュ!彼女だろう?!ボクのラケットを張ったのは!!」



 カミュが間に入ってくれたことで、彼との距離が少し開く。一体なんなんだ、と今度はカミュに詰め寄っている彼の言葉に耳を傾けてみる。
すると、どうやらラケットの話をしているようで、そこでやっと話しの根幹が見えてきた。



「カミュ、その人」
「ええ。——王子、紹介しますから落ち着いてください。女性にその態度は些か褒められたものではありませんよ」
「っごほん。……そうだな、取り乱した。ボクとしたことが、非礼を詫びよう」



 周りの注目を浴びたこともあり、謝罪してくれた彼がおそらくエースの王子様と呼ばれていた、私が選抜選考の際にテストストリングをした人なのだろう。先ほどの既視感はソレだった。
 そんな彼が私に対してこの反応…どうしよう、嫌な予感しかしない。



「エナ、彼はプランス・ルドヴィック・シャルダール。
youthからの代表選手だよ。聞いた話だと、キミが選抜の時のテスト対象だったようだ」
「やっぱり…試験の時、」
「ボクはプランス・ルドヴィック・シャルダール。プランス王子と呼んでくれたまえ。
——聞きたいことがある、質問をしても?」



 私の言葉を遮るようにして早々に自己紹介を済ませると、こちらのYesを待たずに質問が飛んできた。
少し早口のフランス語をカミュに英語に訳してもらうと、「どうしてデータに書いたテンションでラケットを張らなかったのか」という疑問を投げかけられていて、頭を抱えてしまう。

 まさか「焦りすぎて印象に残っている選手のテンション数で張ってしまいました」と言うわけにもいかない。選手本人にラケットを確認してもらうとは聞いていたが、こんな初対面で早急に文句を言いたくなるほどの出来だったことに肩を落としながら、言葉を探した。



「その、、あの時は焦っていたのもあって……普通にミスです、本当にごめんなさい。あの、打球感覚とかおかしくなってない」



 ですか、と続くはずだった言葉は、「なに?!!あれがミスだと!!?」という声にまたしても遮られてしまった。
 ぎょっとして、何を言っているんだと言わんばかりの顔をする彼—王子さんでいいか—に、首を傾げる。え、文句を言いたかったのでは…と困惑していれば、また怒涛のフランス語に両手を上げた。カミュが王子さんの話を要約してくれる。



「つまるところ、王子はキミが張ったラケットがかなりしっくりきたみたいだ。今まであまりテンション数を変えたことはなかったようだけど、返球の鋭さに安定感が出た、と感じたようだよ」
「え……そっち?」



 てっきり文句を付けられているのかと思ったら、褒められていた。さっきの詰め寄り方はどう見ても怒ってる人のそれでしょう…と思いながらも、少し安心する。テンション数の話はもはや100%運だったが、安定感を感じたということは"張り方"そのものに問題はなかったということだった。それが分かっただけでも、運で受かってしまったという後ろめたさが緩和される。



「カミュのストリングスを担当している者だと聞いて驚いたぞ。——カミュ、いいんだろう?」
「直接言うのであれば。決めるのは彼女ですから」



 カミュを介してのやりとりが鬱陶しくなったのか、早々に私にもわかりやすい話口調に戻った王子さんは、何がよかったのかを懇切丁寧に話してくれた。
きっと彼の評価も合否に関係あったんだろうな…と生々しいことを考えていれば、最初に感じた嫌な予感は的中することになった。



「では。エナ・カンザキ、キミにこの王子のストリングスを担当する栄誉を与えよう」
「…………ん?」



 目の前には自信満々な笑みを浮かべ、さながら本当の王子のような風格でこちらに手を差し伸べる姿があった。





 



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