1.出逢い






今年も薄桃色の桜がヨコハマ中に咲き誇った。
四月某日、今日は私が通う高校の入学式だ。
真新しい制服に身を包んだ新入生達が顔を少し強張らせて通学路を歩く姿を横目に見つつ、私―みょうじなまえは学校の掲示板の前へと急ぐ。
そう、今日は私達上級生にとっては、待ちに待ったクラス替えの発表の日であった。
背伸びをして掲示板に眼を遣り、自分のクラスとクラスメイトの名前を確認する。
……善かった、昨年仲良くなった友達とは、如何やら今年も同じクラスになったようだ。
私はほっと一息吐くと、一先ず自分の教室へと足を向けた。


☆★☆


教室に着き、同じクラスになれた事を親友と喜んだり、新しく出会った子と挨拶を交わしたりしてから始業式に出席する。
それが終って朝の学活が始まってから初めて、私は自分の隣の席が空いている事に気が付いた。
新学期早々風邪でも引いたのだろうか。
私が不審に思っていると、担任がその空いた席の人物の名前を呼ぶ。


「次、太宰……は、またいないのか……」


担任は明らかにげっそりとした顔をしてから溜息を吐いた。
如何やら担任は、太宰という人物を知っているのだろう。
そして、『また』という事は、私の隣の『太宰』という人は遅刻常習犯なのかも知れない。
私はその時は特に隣の席の人の事は気にも留めずに、退屈な担任からの連絡事項にぼんやりと耳を傾けた。
しかし、私の意識は直ぐに再び隣の席に注がれる事になる。


「なまえ、あの太宰治の隣の席だったの?」


何故なら、朝の学活が終るや否や、親友が興味深そうに私にそう話し掛けて来たからだ。
とは云え私は隣の席の人物について何も知らないので、彼女の質問に訝しげに首を傾げる。


「……あれ、若しかしてアンタ、太宰治を知らない?」

「此の席の人ってそんなに有名人なの?」


私が逆に彼女に尋ね返すと、彼女は「マジか……」とガクリと肩を落としてから私に詰め寄った。


「太宰治ってこの学校じゃ可成りの有名人だよ!?私も詳しい事は知らないけどさ、自殺と入退院ばっかり繰り返してて、今迄何度も留年してるんだって!最近じゃ木で首を吊ってる事も多くて、見掛けたら拝んだりお供えしたりする生徒達も増えてるらしいよ」

「へ、へえ〜……」


決めた。隣の席の彼とは絶対に親しくならないようにしよう。
私はこの時、強く胸に誓ったのだった。


☆★☆


件の人物は午前中には隣に現れなかった。
私はそれに安堵し、ほっと溜息を吐く。
昼休みは親友を含めた友人達と学食で過ごした。
何時もは教室で弁当を食べる事が多いのだが、今日は折角だから新しく出会った子達とも仲良くなるべく、学食で弁当を食べる事にしたのだ。
彼女達との話の最中でも少しだけ太宰治の事が話題になったけれど、その内容は先程私が親友から聞いたものとほぼ同じものだった。
そうこうしているうちに予鈴が鳴り、私達は急いで教室に戻る。
バタバタと自分の机に着席した私は、そこで初めて隣の席が埋まっている事に気が付いた。
その人物は机に顔を突っ伏していて、此方からは一切顔が見えない。
好都合だと思った私は、机の中から本を引っ張り出して来て、それを読んでいる振りをする事で彼から話し掛けられにくいようにした。
だが、それは意味を成しては呉れなかったらしい。


「それ、辻村先生の本かい?面白いよね」


不意に隣の席から柔らかい声が降って来る。
え、嘘、若しかして逆効果?
私が気付かない振りをして本を眺めていると、「私は君に話し掛けているのだけど」と隣の席から苦笑交じりの声が飛んで来た。
流石に初対面の人間をガン無視するのは気が引けて、私はゆっくりと隣を見遣る。
未だに机に突っ伏した儘の彼は、顔だけを此方に向けて柔和な笑みを浮かべつつ流し目で此方を見詰めていた。
暗い茶色の蓬髪は余り手入れがされていないように見えたものの、真っ直ぐ通った鼻筋や薄い唇、鳶色の瞳が完璧に整った顔立ちを構成していて、余りに綺麗な顔立ちに私は思わずまじまじと彼を見詰めて仕舞う。
そして彼もまた、私を見詰めて何度もぱちぱちと目を瞬かせていた。


「あ、あの……私の顔に何かついてますか」


思わずそう尋ねると、「嗚呼、違うのだよ」と云って彼は再び微笑んだ。


「君が余りに綺麗な顔をしているものだから、つい見蕩れて仕舞ってね」


うわー流石、此れ程のイケメンともなると、女の口説き方も一級品だ。
私が思わず仰け反ると、彼ははっとしたような顔つきになって慌てて起き上がった。


「済まない、つい可笑しな事を口走って仕舞ったようだ。今のは忘れて呉れ給え」

「はあ」


私は困ったようにそう答える。
彼が背を起こしてから気が付いた事だが、彼の首や手には白い包帯がぐるぐると巻かれていた。
矢張り彼は噂に違わず自殺未遂を繰り返して来た変人のようだ。
改めて彼には近づかないようにしようと心に決めたその瞬間「あ」と隣で間の抜けた声が聞こえる。


「そう云えば私、未だ教科書を買っていないのだった」


嘘でしょ貴方何のために学校に来たの?

私は内心でそう突っ込みを入れるも、再び彼から顔を逸らして何も聞こえなかった振りをする。
隣からじっと視線が注がれている気がするが、此れは気にしたら私の負けだ。


「なまえー」


遂に彼は私の名前を呼び始めた。
っていうか、あれ?行き成り呼び捨て?
抑も、何で私の名前を知ってるの?


「なまえ〜、なまえってば」


嗚呼もう、執拗(しつこ)いなァ。


「……判ったよ。教科書使う時は一緒に見せてあげる」


私が渋々そう云ってあげると、太宰君は春の陽だまりのようにふんわりと優しく微笑んで「有難う」と私に礼を告げた。

そしてその後の古典の授業で教科書を開くようにと言われ、私は太宰君と机をくっつけて教科書を一緒に見る羽目になったのだけれど、彼は授業開始早々机に顔を突っ伏して寝に入って仕舞い、何の為に教科書を見せているのかと私が呆れ返ったのは云うまでも無い。


(そう云えば、何で私の名前知ってたの?)
(ん?だってほら、制服に名札ついてるじゃない)
(ああ……成る程ね)


始めました。温かく見守っていただけると嬉しいです。
(2018.04.01)





prev  next
ALICE+