2.変な人






矢っ張り太宰君は変な人だ。

今日もお昼過ぎに教室にやって来た太宰君は、全身びしょ濡れで私の隣の席に腰掛けた。
曰く、川に飛び込んで入水自殺を図ろうとしたらしい。
つい2、3日前まで凍死自殺をしかけて入院していたのに、今日も彼は相変わらずだ。

太宰君は如何してそんなに死にたがっているのだろう。
私は彼に、ちゃんと生きていて欲しいのに。

……あれ?私、今何でこんな風に思ったんだろう。
太宰君とは唯の級友で、太宰君が死んでしまったらそりゃ確かに同じクラスの仲間としては悲しいけれど、彼に感情移入する程の情は抱いていない筈なのに。
ぼんやりと彼の顔を見詰めながら思考に耽っていると、突然むくりと頭を上げた太宰君が私の方に躰を向けた。


「ねェ、先刻から如何かしたの?ひょっとして、私の顔に何かついているのかい?」

「あ、えっと……。太宰君は、如何してそんなに死にたがっているの?」


動揺して咄嗟に吐き出した言葉に、私自身が驚いて仕舞う。
こんな事、本人に聞く心算は無かったのに。
そして案の定私からの質問に驚いた様子の太宰君は、ぱちぱちと鳶色の瞳を瞬かせてから小さく呟いた。


「……こんな色褪せた世界で呼吸をしていても詰まらないからさ」

「え?」

「……なんてね!自殺は私の日課だから、止めるに止められないのさ!」


茶目っ気溢れる表情でそう云った太宰君だったが、私はそれを笑い飛ばせそうには無かった。
彼が一瞬見せた表情が、仕草が―暗闇で手を伸ばして扶けを求める幼子のそれと同じように見えたのだ。


「……なまえ?何で泣いてるの?」


あれ、本当だ。
私、泣いてる。
如何して?
如何して私の瞳から、涙が零れているんだろう。

突然泣き出した私を見て狼狽した様子の太宰君は、ポケットからハンケチを取り出すと私の方に無言で差し出す。
でも、先刻まで川の中にいた太宰君が持っていたハンケチは当然彼と同じようにびしょ濡れで、彼は珍しく困ったような顔つきで私を見つめておろおろしていた。
それが可笑しくて、私は思わずクスクスと笑みを零して仕舞う。


「有難う、太宰君。もう大丈夫だよ」


そう告げると、太宰君はほっと安堵の溜息を零して、「君を傷つけるような事を云って御免ね」と謝って来た。
別に大丈夫。私は傷ついてなんかいない。
そう思うのに何故か胸がチクチクと痛んで、私はそれを誤魔化すかのように曖昧に頷いて微笑み返したのだった。


☆★☆


「おい太宰!寝るな起きろ!」


今日の5限は数学だ。
太宰君は今日も相変わらず教科書で顔を隠して眠りこけていて、遂に堪忍袋の緒が切れた国木田先生が太宰君にそう怒鳴りつけた。


「んん〜……?国木田先生?如何したの、顔が怖いよ?」

「だーれーの!所為だと思っているのだ此の唐変木!今は授業中だぞ!早く起きんか!」

「えええ……だって私、眠いんだもの。少し寝かせて呉れ給えよくにきーだ先生」


反省の色を見せずにあっさりとそう言い放った太宰君は、ワナワナと震える国木田先生を差し置いて再び机に突っ伏して眠り始める。
……不憫だ。不憫過ぎる。
私は心の中で国木田先生に合掌した。
国木田先生は大袈裟な溜息を吐き、太宰君の席までゆっくりと近づいて来る。
そして、片手にしていた数学の教科書を棒状に丸めて、大きく息を吸い込んだ。


「起きろと云っているだろうが此の包帯無駄遣い装置ィィィィイイイイ!!」


太宰君の耳に向かって大音量でそう怒鳴りつける国木田先生。
唐突な爆音に対処しきれなかった太宰君は、椅子から鮮やかに転がり落ちてその場で尻餅を着いた。
訳も判らず唖然としている彼を見て、国木田先生は満足気にふぅと息を吐く。


「……よし、起きたな」


授業を再開するぞ、と云って教壇に戻った国木田先生は、心なしか晴れ晴れとした表情をしているように見えた。

凄い。あの太宰君を完全に覚醒させるなんて……。
国木田先生は一体何者なのだろう。


「……あの、太宰君大丈夫?」


一先ず隣の太宰君に声を掛けると、彼は面白くなさそうな顔をし乍ら「大丈夫」と素っ気なく答えた。


「してやられたよ。真逆国木田先生があんなに容赦無いなんて」

「凄かったね……。国木田先生、一体何者なの?」

「唯の数学教師だよ。後は生徒会の顧問も担当しているかな」

「へぇ……そうなんだ」

「因みに私、生徒会の書記係だよ」

「は?」


生徒会?太宰君が?

普段の彼からは想像も出来ないような言葉が飛び出て来て、私は思わず素っ頓狂な声を上げて仕舞う。


「おいみょうじ!授業中は喋るな!」


もっと詳しく話を聞きたかったものの、国木田先生に一喝された私は、それ以上言及出来ずに黙って授業に集中する他なかった。


……本当に、太宰君は謎多き人だ。


(2018.06.14)





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