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36時間目
目の前にいる殺し屋の悪魔のような一言に、花澄の脳内がぐわんぐわんと揺れ動く。
そして次に頭に浮かんだのは、喉を斬られ、首元を真っ赤に染め上げたクラスメイト赤羽業の姿だった。

―ダメだ、それだけはダメだ。

想像しただけで、ブルリ、と背筋に霜が降りた心地がする。


「……お願いします。カルマには、手を出さないで」


小さく、だが明確な意思を持って告げられた少女の一言に、死神はにこりと口角を上げて見せた。


「君の気持ちはよく分かったよ。それじゃあ、今日から花澄ちゃんは僕の生徒だ」


パチン、と彼が指を鳴らすと、花澄の両手を封じていた鎖は音を立てて地面に転がり落ちた。
彼女は痺れた両腕を気遣ってゆっくりと腕を下ろし、赤くなってしまった手首をもう片方の手で擦る。


「ああ、そうだ。分かっているとは思うけど、僕に歯向かったら、その瞬間に彼を殺すから、そのつもりでいてね」

「……」


花澄はそれに返答せず、代わりに死神をキッと睨み付ける。
彼はどこ吹く風といった様子でくるりと踵を返し、「君への仕事はまた後で指示を出すよ」と言ってその場を去って行った。
死神が姿を消すと、花澄は部屋の隅から隅までぐるりと見回し、今自分が置かれている状況について整理を始める。

この部屋に鍵はついていない。
でも、今逃げるのは多分、得策ではない。
人質にとられているのは自分の命ではなく、クラスメイトであるカルマの命だからだ。
死神も、それを判っているからこそ、鍵のかかっていない部屋に自分を閉じ込めたのだろう。

花澄は次に、部屋の中にあるモニターに視線を向ける。
そこには倉庫のような場所や地下道のような場所など、いくつかの空間が映し出されていており、その映像の中の1つには、拘束されているイリーナの姿があった。

―もしかして、この地下のどこかに殺せんせーをおびき寄せるのかな。

花澄がそう考えていると、映像の中の倉庫の扉がガラリと開き、そこから3年E組の暗殺者アサシン達がぞろぞろと入って来る。


「みんな……来ちゃダメ……!」


彼女の願いも虚しく、3年E組のクラスメイト達は、地下にある檻の中に閉じ込められてしまう。
だが彼らは壁を爆破で破壊し、牢屋からの脱出に成功した。
ほっと安堵の息を吐いたのも束の間、死神はE組の生徒達に対し、どこからでも殺しにおいでと挑戦を突き付ける。


『……ねえ』


その時、派手な赤髪の少年―赤羽業が口を開いた。


『……さっきから花澄の姿が見えないんだけど。どこにいんの?』


山吹色の双眸がスッと細められ、カメラに向かって真っ直ぐにカルマの視線が向けられる。
おそらく死神が監視カメラを見ていると想像しての行動なのだろうが、この映像は、モニター室にいる花澄にも見えている訳で。


「カルマ、カルマ……!」


―私は、ここにいるよ。

彼女はぎゅっと唇を噛み締めながら、画面に映るカルマの頬に指を滑らせた。


『……若山花澄は、既に僕の手の内にある』

『⁉』


その時、一切の邪気を感じさせない死神のその言葉が聞こえて来て、E組の生徒達は息を呑む。


『……おいてめー、アイツに何した?』


低い声で寺坂が唸ると、クスクス、と死神は忍び笑いを返してみせた。


『心配しなくても、花澄ちゃんは無事に生きてるよ。ただ……もう二度と、君達と会うことはないと思うけどね』

『!』

『そんな……!』

『てっめぇ……!』


E組の生徒達が、絶望と怒りを露わにしてカメラを睨みつけている。


「……皆、待ってて」


―私は負けない、絶対に。

帰るんだ、皆のところに。
私の居場所3年E組に。

決意を固めた花澄がモニターに背を向けたと同時に、部屋の扉が外側から開いた。


「やあ花澄ちゃん、調子はどうだい?」

「……死神」


ニコニコと笑みを浮かべながら入って来たその男を見て、彼女は小さく舌打ちをする。


「さっきのアレ、どうだった?このゲームのオープニングセレモニーにピッタリの演出だっただろ?」

「最低最悪の気分ですよ。……皆のあんな哀しそうな顔、見たくなかった」

「その皆を裏切って僕の生徒になっている君の方こそ、最低最悪だと思うけどね」

「っ、」


死神の容赦のない一言が、グサリと彼女の心に突き刺さる。
強く噛み締めた唇にはうっすらと血が滲み、鉄っぽい味が口の中に広がった。
死神はそんな彼女をつまらなそうに見遣ると、はあ、と大きく溜息を吐く。


「……ま、その話はもう良いや。僕は別に君を苛めたくてここに来た訳じゃない。君に初仕事を頼みに来ただけだからね」

「仕事?」

「うん」


死神はそう言って頷くと、小型のインカムを彼女に手渡した。


「花澄ちゃんは、ここでモニターを見ながら、E組の皆の動きを監視して、どこに誰がいるかを僕に教えて欲しいんだ。……できるよね?」

「……カルマの命が懸かっている以上、私に拒否する権利なんてない」

「そういうこと。それじゃ、よろしく」


死神はポンと花澄の肩を叩き、この部屋を去ろうとする。


「待って」


その背中に、彼女は凛とした声で呼びかけた。


「念のために伺います。……皆のこと、殺しませんよね?」

「……もちろん。君が僕との約束さえ守ってくれるのなら、僕は誰も手にかけるつもりは無いよ」


その言葉の真意を確かめるべく、互いにじっと見つめ合う。
先に折れたのは花澄だった。


「……分かりました。貴方の殺し屋としての腕を信じます」

「あはは。信頼するのは、あくまで『殺し屋としての才能』ってとこだけか」


―やっぱり、君を弟子に選んで良かったよ。

死神はそう言い残し、今度こそモニタールームを去って行く。
花澄は彼が出て行った扉の方をじっと睨み付けていたが、暫くしてから諦めたようにインカムを耳に装着した。
改めて監視映像に目を遣ると、どうやらE組のメンバーは、戦闘班、救出班、情報収集班の3グループに分かれて行動をすることに決めたようだ。


『花澄ちゃん、聞こえる?』


その時、ザザザッ、というノイズ音と共に、耳元から死神の声が聞こえてきた。
彼女がそれを肯定すると、死神はE組が何グループに分かれて行動をしているのかと尋ねてくる。
花澄がそれに対し数字だけを答えると、『なるほどね……』と死神は呟き、ほんの一瞬黙り込んだ。


『3グループってことなら、その構成は……戦闘班、救出班、情報収集班ってとこかな?それだけ分かればもう充分だ。ありがとう』


そして再びノイズ音が聞こえ、それきり死神からの連絡は途絶えてしまう。

―たったアレだけの情報で、一体どこが『充分』なの?

彼女は訝しげに画面を見つめていたが、その数分後、死神のその言葉の意味を理解した。
彼は戦闘班のメンバーを見つけるや否や、彼等をあっという間に全滅させてしまったからだ。
あのカルマや渚ですら全く歯が立たなかったのだ、残りのメンバーだけでは勝てる可能性は著しく低い。
実際、寺坂やイトナ率いる情報収集班は、降伏の道を選んでいたようだった。
そして救出班のメンバーは、イリーナを見つけることに成功するも、助けようとした途端に彼女の裏切りが発覚し、全員薬で眠らされてしまう。


「そんな……」


大人は……否、プロの殺し屋は、こんなにも恐ろしいものなのか。
モニター越しに一部始終を見守っていた花澄は、プロとE組生徒達との圧倒的な力の差を見せつけられ、絶望の淵に立たされていた。
そして、囚われた3年E組の生徒達は、先ほどとは別の牢屋の中に閉じ込められてしまう。


「皆……」


―結局、私は何も出来なかった。

全員の手首に枷が付けられていくのを不甲斐無い気持ちで眺めていた花澄は、ふととあるモニターを見て異変に気が付く。
同じ頃、檻の間から監視映像を眺めていた赤羽業もそれに気が付いたようで、死神に向かって声をかけていた。


「……なぜわかった?」


モニターに目をやった死神は、僅かに目を見開いてポツリと呟く。
彼等が目にしたもの―それは、この建物の外の映像に映り込んでいる、烏間惟臣と殺せんせーの姿だった。



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