短編
落ちて、溺れて、融けてゆく

※海賊パロ

草木も眠る丑三つ時の港町。
喧しい鐘の音が突如として街の静寂を破り、住民全員に非常事態を告げ始めた。
私は慌てて身体を起こし、窓の外を見遣る。


「敵襲だ!」

「逃げろ!ヤツらが来る!」


すると、臆病そうな顔つきの衛兵達が、そう叫びながらこの屋敷の中に入って来るのが見えた。
直後、轟音と共に街の麓に火だるまが投下され、辺り一面が真っ赤な炎に包まれる。
私は取り急ぎマジカルペンを手にすると、真っ直ぐにお嬢様の部屋へと向かった。


「お嬢様!ご無事ですか!」


ドンドンドン!と盛大に音を鳴らしながら、主であるお嬢様の部屋の扉を叩く。
すると中からガチャリと扉が開いて、青白い顔をしたお嬢様が姿を現した。


「私は無事よ、なまえ。それより、一体全体何が起こっているというの?」

「私にも詳細は分かりかねますが、どうやら街が襲撃されたようで……とにかく、一刻も早く此処を離れましょう。お嬢様のことは、私がお守り致します」


そう、私は、お嬢様専属のお世話係であり、且つ、いざという時にお嬢様をお守りする眷属なのだ。
普段はメイドとしてお嬢様に仕え、非常事態が起きた時は、敵と闘いながらお嬢様を護衛する。
これが、この町で唯一の魔法士である私に与えられた仕事だった。
私は震えるお嬢様に布を被せ、彼女の肩を抱きながら階段を駆け下りる。
幸いこの屋敷は小高い丘の上にあるため、未だここまで被害は及んでいないようだった。
だが、町の様子を見るに、敵が此処に辿り着くのも時間の問題だろう。
ヤツらが一体誰なのか、何の目的があってこの平和な港町を襲ってきたのかは定かではないが―このお嬢様のことは、命に代えてもお守りしなくては。


「ッ、危ない!」


階段を駆け下りる最中、咄嗟に危険を感じ取った私は、お嬢様を抱え込んでその場に伏せた。
直後、階段脇の窓ガラスが割れるド派手な音と共に、何者かが屋敷の中に転がり込んでくる。
その人物はクルリと空中で一回転すると、ふわり、と猫のように優雅に着地した。
そして、その人の顔がゆっくりと持ち上がり―ピタリ、と視線がカチ合う。

ニタァ、と、ブルーグレーの瞳が不気味に揺れ動いた。


「!!」


その笑みに異様な寒気を覚えた私は、お嬢様を上の階に突き飛ばしてから魔法で炎の境界線を作り出す。


「お嬢様、逃げてください!早く!」

「で、でもなまえは!?」

「大丈夫、直ぐに追いかけます。だから―」


だからお願い。
早く逃げて。

私は無理やり口角を上げて一瞬だけお嬢様を見遣ると、すぐに敵に向き直り、マジカルペンを構えた。
腰に剣を差し、ところどころに貝殻や珊瑚の飾りが付いたコートや帽子を身に纏うその姿は―


「海、賊……?」

「シシッ、その通りッス」


震える声でそう呟いた私に、敵のその男は肩を揺らしながら小さく笑った。


「何で、どうして海賊が……?貴方達みたいな野蛮な連中が求めるようなお宝、この町にはない筈でしょう?」

「確かにそうッスね。金銀財宝の類はこの街にはない。でもね、おねーさん。お宝は別に、金銀財宝だけとは限らないんスよ?例えば……そう、おねーさんが必死になって守ってる、この町の総督の一人娘の命……とかね」

「!」


彼の物言いに、私は思わず息を呑んだ。
コイツらの狙いはお嬢様か。
そう悟った瞬間、私は相手の男をキッと睨み付ける。


「……どうやら、やる気満々、って感じッスね」


彼は愉快そうにそう言うと、鋭い牙を光らせて襲い掛かって来た。
私はすんでのところで身を捩ってそれを避けると、男に向かって炎の魔法を放つ。


「おっと、危ない危ない」


そんなことを言いつつも顔に全く焦りは見られなくて、余裕綽々な彼の態度に腹が立った私は、怒涛の勢いで魔法を繰り出していく。


「あーあ、良いんスか?そんなに闇雲に魔法なんか使っちゃって……っと」


攻撃の数を増やしても、全く歯が立たない。

何で……どうして一撃も当たらないの?

まるで軽業師のような彼の身のこなしに、私の焦燥感だけが募っていく。
早くコイツを倒して、お嬢様の元に戻らなければならないというのに。
追い詰められた私が、ほんの瞬きの間だけ、集中力を切らしたその瞬間。


「!!」


いつの間にか、目と鼻の先にまで距離を詰められていた。
まずい、と思って後ろに身を引こうとしたと同時に、腹部を重い痛みが襲う。
ああ、刺されたのか、と気が付いたのは、後頭部を鈍い痛みが遅い、天井と向かい合ってからのことだった。
生温い液体が身体を滑り落ち、床を伝って流れていく。
刺された部分に触れてみると、掌全体がべっとりと鉄臭い赤に染まっていた。


「ッ、あ゛、ぅ」


起き上がろうとお腹に力を入れると、身体の芯からどっと嫌な汗が噴き出して来る。
それでも、ここでこの男に負ける訳にはいかない。
うつ伏せに寝転がり、腕力だけでなんとか立ち上がった私は、よろめきながらも再び魔法を放ってみせた。


「シシッ、ボロボロになってら」


歯を剥き出して笑ったその男は、よっこらしょ、と言いながら、私を肩に担ぎ上げる。

何で、どうして殺さないの。

渾身の力でバタバタと脚を揺らすも、彼は小柄な割に意外と逞しい身体つきだからなのか、びくともしない。


「……はな、して」


掠れたその呟き声を合図に、男は割れたガラス窓からふわりと外に飛び出した。

―お嬢様、すみません。

いつも無邪気に微笑んでいる主の顔を思い浮かべて、じわり、と目に涙が滲む。
それが零れ落ちないようにと必死に堪えて落ち着いた頃、私を担いでいる男がピタリと動きを止めた。


「レオナさーん、お疲れ様ッス。例の女、連れて来たッスよ〜」


気だるげな言葉と共に、思いの外優しく地面に降ろされる。
潮風が頬を擽り、月が煌々と辺り一面を照らしていた。
恐らく、ここは船の上だ。
何故だかよく分からないが、私はどうやら、町を襲った海賊どもの根城に招待されてしまったらしい。
その時、奥の方から眼帯を点けた褐色肌の男が姿を現した。
エメラルドグリーンの瞳が、じっとこちらを見下ろしている。
圧倒的強者のオーラを感じさせるその男を前にして、私はゴクリと生唾を吞み込んだ。
きっと、この男が『レオナさん』なのだろう。
彼は私の腹部の傷に目を遣ると、この船まで連れて来た青年に「急所は外してあるんだろうな?」と尋ねかけた。


「そりゃあ勿論!誰がここまで連れて来たと思ってるんスか!」

「ハッ、よく言うぜ。……オラ、褒美だ」


褐色肌の男は牙を光らせて楽しげに笑うと、小柄な男に金貨を差し投げた。
それを受け取った彼は「シシッ、臨時報酬ゲット♪」とご満悦だ。


「おい、もうここに用はねえ。ズラかるぞ」


そして、レオナと呼ばれた男は船員達にそう呼び掛けると、私には目もくれずに踵を返した。


「ッ、待って……!」


私はゆらりと立ち上がり、声を振り絞ってその背中に呼び掛ける。


「貴方達の目的はお嬢様でしょう?どうして私を連れて来たの?」

「……あ?」


彼は眉を顰めてこちらを振り返った。
そして少し逡巡した後、「おいラギー」と銀貨の男に呼び掛ける。


「お前、コイツに何か余計なこと吹き込んだな?」

「やだなあレオナさん。オレは別に嘘は吐いてないッスよ。この娘が勝手に勘違いしてるだけなんで」

「嘘……だって貴方、『お宝は総督の一人娘だ』って言ったじゃない!」


私が叫ぶと、「だーかーら、」とその青年は嘲笑交じりに口を開いた。


「それは『例えば』の話でしょ?オレは『お宝は金銀財宝とは限らない』とは言ったけど、それがアンタの仕えるご主人様だとは断定してないッスよ?」

「そんな……じゃあ、貴方達の言う『お宝』って、一体……?」

「……はあ。ここまで来て分からないんスか?おマヌケさん」


ラギーと呼ばれた男は呆れた様子で肩を竦めると、スゥ、とブルーグレーの瞳を細めて人差し指をこちらに向かって突き付ける。


「アンタのことッスよ、おねーさん。この町唯一の魔法士かつ眷属の、ね」


頭の中が真っ白になった。
コイツらの目的は私?何故?
……一体、何を企んでいるの?
とにかく……早く、今すぐここから逃げないと。
そう思った途端、ズリ、と無意識に身体を後ろに引いてしまう。


「……そんな身体で、本気で逃げられると思ってるんスか?」


逃げ出そうとする私の様子を見て、ラギーという青年は低い声でそう呟いた。
自分でも分かっている。
逃げ出すのなんて、きっとほぼ不可能だ。
だから私は、泣き出しそうな顔で笑みを浮かべて―自分のマジカルペンで腹部の傷を深く抉った。


「ッ、バカ―」


誰もが息を呑んだ瞬間、私はマジカルペンの向きを変え、一陣の突風を巻き起こす。
風を受けて怯む船員を背に、私は船の縁のところに足を掛けた。
このまま海に飛び込んでしまえば、私の勝ちだ。
落ちるタイミングで、呼び寄せの呪文で自分用の空飛ぶ箒を手配すれば、私は自由を得ることができる。
だが、この時の私は、自分の計画を実行することばかりに気を取られすぎていた。


「Boo!」


突如、上から降ってきたその声に、つい反応が遅れてしまう。
顔を上げて後ろを振り向くと、私を連れて来た男が、こちらの視界を覆い尽くさんばかりの勢いで目の前に迫って来ていた。
恐らく、マストの上からこちらに向かって飛び降りたのだろう。
辛うじて身を捻り、捕まるのは避けられたものの―大きく体勢を崩して甲板に倒れ込んでしまった。


「っ、た……」


転ぶ時に普段は使わない筋肉を使ってしまったためか、身体が悲鳴を上げている。
息をするのも苦しくて、全身の痛みで生理的な涙が滲んだ。
今すぐにでも起き上がりたいのに、身体が言う事を聞いてくれない。
そうこうしているうちに足音が近づいて来て、大きな月を覆い隠すように、上からズイ、と覗き込まれた。


「あーあ、呆気ないの。もうゲームオーバーッスか?」

「……」

「残念だなァ、もう少し遊び甲斐があると思ったのに。……まあ仕方ないッスよね。眷属って言っても、平和ボケしてるアンタとオレとじゃ、実戦経験が違うんでしょうし」

「……だま、ッて、くだ……」

「何とでも。オレがアンタに勝ったっていう事実に変わりはないんでね」


―分かったら、さっさと観念して下さいね、子猫ちゃん。


そう言いながら伸びて来た男のその手を、私は勢いよく振り払った。
そして、最後の切り札とでも言うべき魔法の呪文を詠唱する。


「ユニーク魔法、『カリュプソーの誘惑』」


私のユニーク魔法は、3分間だけ、自分が指定した範囲のモノの存在自体を透明に変えるというものだ。
持続時間が短く、1度使ってしまうと暫くは使えなくなってしまうため、戦闘には不向きな能力だが、この魔法は見た目だけではなく存在そのものすら透明化することができるため、隠密行動には適したものになっている。
この目の前の男からしてみれば、唐突に私がいなくなったように見えるため、瞬間移動でもしたのかと錯覚するのだろう。


「……へえ?まだ抵抗する元気があるんだ?」


ブルーグレーの瞳を爛々と輝かせたその人は、鋭い犬歯を光らせて悪辣に笑った。


「頑張って逃げるんスよ?オレ達海賊に奪い尽くされたくなければね!」


男はそう言い放つと、れろり、と唇を一舐めしてから呪文を唱える。


「そら、『愚者の行進ラフ・ウィズ・ミー』!」
「ッ⁉」


次の瞬間、私の身体の自由が効かなくなった。
そして、どういう訳か、男の方に向かって歩み寄ってしまう。


「や……やだ……何で……?」


どうして、だって、私の姿は見えていない筈なのに。


「……はい、オレの勝ち。今度こそリタイアっすね、おねーさん」


3分後、彼の前で立ち尽くしている私は、まるで写し鏡のように、彼と全く同じポージングをさせられていた。
男がパチンと指を鳴らすと、操られていたような身体の感覚が、ドッと自分に跳ね返ってくる。
咄嗟のことで力が入らなくて、私はドサリとその場に尻餅を着いた。
絶望に打ちひしがれて涙も出ない私を見下ろして、「シシシッ」と、彼は楽しそうに笑う。


「やぁーっとつかまえた。奪われちゃいましたね、おねーさん」


「……」


呆然としている私に、男はズイ、と顔を寄せて来る。


「あ、『どうして?』って顔してる。どうしてオレが、アンタの居場所がすぐに分かったのか知りたいんですよね?」


彼は得意げな顔でにっこりと笑みを浮かべると、「簡単な事っスよ」と言って話を続けた。


「さっきのアレ、アンタのユニーク魔法ッスよね?オレ達アンタのこと本気で奪いに来たんで、そういう情報も筒抜けなんですよ」

「で……でも、私、自分の存在ごと消していた筈で―」

「その通り。だからオレ、こんなこともあろうかと思って、ちゃーんと下拵えをしておいたんス」


そう言いながら男がマジカルペンを一振りすると、私の肩に掌の形をしたペンキのようなものがべっとりと付着しているのが見えた。


「これ、魔法道具の蛍光ペンキね。使用者が魔法で色を自由に変えられて、透明にもなる優れモノなんですよ。さっきアンタのこと抱き上げたときに、こっそり付けさせてもらいました。アンタのユニーク魔法って、存在自体を消す事はできるけど、その範囲は自分が指定した部分だけなんでしょ?そんな訳で、こっそりつけられたペンキに気が付かなかったアンタは、ユニーク魔法を使っても、ペンキの存在を消すことはできなかった。だからオレは、この手形ペンキを辿ってアンタのことをすぐに見つけられた、ってワケ」

「……私の身体を操っていたのも、貴方なの?」

「そ。オレのユニーク魔法、
愚者の行進ラフ・ウィズ・ミー』は、対象となる相手にオレと同じ行動をさせることができる魔法なんでね」


そう言い放った彼は、「さて」と息を吐き出して私の目の前にしゃがみ込む。


「ね、おねーさん。オレ達の船には、『自分で獲った獲物は、自分のモノにしても良い』って掟があるんスよ」


―だから、もう良いッスよね?

私がその言葉の意味を理解する前に、男は私の首元に咬み付いていた。


「あぁぁッッ!?ゃ、だ、……ヒッ⁉」


そのままべろりと首筋を舐められて、私は情けない悲鳴を上げることしかできない。
そんな私の様子を見て恍惚した笑みを浮かべた彼は、「かわいい」としきりに連呼しながらその場に私を押し倒した。


「んじゃ、早速……いただきます」


嗚呼。
落ちて、溺れて、融けてゆく。

此処は海、荒くれ男どもが犇めく海賊船。
波音に吞まれながら、甘美なる痛みに身を任せて耽溺する私を眺めて、青白いお月様がせせら笑っているような気がした。

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