短編いつかの12月24日
池袋の夜は、慌ただしい。
寒空の下、街は煌びやかな装飾で彩られていた。大小様々なクリスマスツリーやイルミネーションが、夜の池袋を明るく照らしている。
来良学園からの帰り道、池袋駅東口に佇む一際大きなクリスマスツリーを眺めながら、みょうじなまえは無意識にため息をついていた。
ふと足を止めると、目の前には来良学園の制服を着た数人のカップルが並んで歩いている。
はしゃぐ彼らの姿を目にして、少女はわずかに目を伏せた。
「……今年も、か」
ポツリ、と独り言が漏れる。
彼女にとって、季節のイベントは幸せの象徴ではない。
それどころか、思い出すだけで胸が締め付けられるような出来事の象徴だった。
「……クリスマスなんて、大っ嫌い」
なまえは吐き捨てるようにそう呟くと、足早に新宿のマンションへと向かった。
♂♀
考えることを放棄したなまえは、帰宅するや否やそのままベッドに倒れ込んだ。
―なんだか、身体が重い気がする。
試しに熱を測ってみると、38.7℃。
完全に発熱している。
少女は何度目かの溜息を吐くと、何も考えたくないと言わんばかりに毛布に包まって目を閉じた。
……ところが数十分後、スマートフォンが震える音が静寂を突き破る。
画面に表示された名前―『折原臨也』を見て、彼女は思わず顔をしかめた。
「出たくないなぁ……」
そう独りごちるも、仮にも彼は上司だ。
内心で舌打ちをしながらも、なまえは通話ボタンを押した。
「やあ、なまえちゃん。元気そうだね」
相変わらずの軽薄な声に、なまえはますます苛立ちを覚える。
「……何の用ですか?」
彼女が感情を極限まで押し殺してそう尋ねると、画面越しでも電話の相手が苦笑いを浮かべたのが分かった。
「あはは、今日も絶好調に冷たいなぁ。……まあいいや。すぐに事務所に来て欲しいんだけど」
「ごめんなさい今日は無理です」
「何で?なんか予定でもあった?」
「……体調が、ちょっと良くなくて」
小さな声でそう答えるも、電話の向こうの臨也は意に介さない様子だ。
「へえ、体調悪いの?じゃあ俺がそっちに行こうか?」
「来なくていいです寧ろ来ないでください」
なまえは即答したが、その返答を聞いてか聞かずか、電話はとっくに切れていた。
「……ムカつく」
―最後まで聞けよ、人の話を。
呟いた直後、部屋のドアをノックする音が鳴り響いた。
まさか、と思いながらドアスコープを覗き見ると、予想通りの人物の姿が目に入る。
前にも似たようなことがあったな、と肩を竦めた後、なまえはガチャリとドアを開けた。
「……来るなって言いましたよね、私」
「そうなの?気づかなかった。体調悪いって言うから心配でさ」
臨也は軽い調子でそう言いながら、強引に部屋へと上がり込む。
なまえはその背中にすかさず呼びかけた。
「本当は、大して心配なんかしてないですよね?」
「君は俺のことを何だと思ってるの?流石の俺でも、部下が風邪を引いてたら心配くらいするよ」
「……嘘吐き。どうせコレも、人間観察の一種としか思ってない癖に」
「まあ人間観察の一種という点に関しては否定はしないけどね」
彼はそう言いながら我が物顔でソファに腰を下ろし、部屋の様子を見回す。
以前彼女の部屋を訪れた時と全くといって良いほど変わらない風景に、臨也は面白がるような笑みを浮かべた。
「なまえちゃんって、インテリアとかあんまりこだわらないタイプなの?」
「揶揄いに来ただけなら帰ってください」
「あはは、そう怒んないでよ」
臨也はキッチンの棚から勝手にグラスを取り出すと、水を注いでなまえに差し出した。
その手際の良さに、彼女は無言でそれを受け取る。
「薬、ちゃんと飲んだ?」
「……まだ、ですけど」
「それなら早く飲んで横になりなよ。放っておくと悪化するよ」
臨也の飄々とした口調が気に障るが、体調が悪い今は強く言い返す気力も湧かない。
なまえは素直に薬を飲んで水を飲み干すと、ゆっくりとベッドに横たわった。
臨也はその隣にしゃがみ込み、じっと少女を見つめる。
その視線に耐えきれず、なまえは寝返りを打って彼に背を向けた。
「ああ、ごめんごめん。今何を考えてるのか気になって、つい見過ぎちゃった」
「……」
「体調崩すとさ、急に思い出さない?楽しかった頃の思い出とか、人に優しくされたこととか」
ビクリ、と、少女が思わず肩を揺らす。
臨也の言葉で、不意に思い出してしまったのだ。
楽しかった『あの頃』を。
戻りたくても戻れない、あの日々の思い出を。
「……もう、帰って」
記憶の宝石箱の蓋を半ば無理やり閉じて、彼女はやっとの思いでそう呟く。
何だか無性に涙が溢れそうになって、なまえは溢れる感情を抑え込むように固く目を閉じた。
臨也はそんな彼女の様子を見ながら徐ろに口を開く。
「……逃げたって何も変わらないよ。最も、君の言葉を借りるなら『そんなの俺には関係ない』けどね」
皮肉っぽい口調とは裏腹に、なまえの頭をポンポンと撫で付ける手つきは思いの外優しくて。
その感触に、彼女は思わず息を呑んだ。
「熱、少し下がったみたいだね」
「……もう、放っておいて」
「はいはい、お大事に」
臨也は手を引き、立ち上がった。
立ち去る背中を、なまえはそっと盗み見る。
彼が本当に何を考えているのか、自分に対して何を望んでいるのか、全く分からなかった。
♂♀
臨也が去った後、なまえは一人になった部屋で、ぼんやりと天井を見上げていた。
額に残る彼の手の冷たさが、妙に記憶に残る。
なまえの脳裏には、彼の意味深な笑みが焼き付いていた。
恐らく彼は、自分が抱えている過去について全てを知っている。それでも、なまえにはそれを問い詰める勇気はない。
本当は、もうずっと前から気がついていた。
自分が彼に対して抱えているもの……それは、苦手意識だけではなく、依存に似た感情だ。
臨也が自分のことを誰よりも理解しているように振る舞うこと、それが何よりも不快であることは確かだ。
でも、彼から過去の話を突き付けられる度に、自分には折原臨也しかいないのだと、その事実を突きつけられているような気がして。
ー彼のことが、ただ『嫌い』だと、そう思えたら良かったのに。
胸の奥がほんの少しだけ温かくなる感覚に気がつかない振りをして、なまえはゆっくりと目を閉じた。
この感覚が何を意味するのか、自分でもまだ分からない。
イベントごとは嫌いだ。
でも、1人きりで毛布に包まっていた時よりも、今は少しだけ気持ちが凪いでいた。
それが、悪いことではないと思える程度には。