01-05
01
奇矯 (ききょう)
言行などが普通の人とひどく変わっている・こと(さま)。
メグミちゃんは、誰かと恋をしたり、または情欲にふけるなんてことはできない。俺のことを愛してると言うのはそれでも本当で、恋愛感情がないだけの友愛とか家族愛とか、そういったものでしかない。
メグミちゃんは、女も男も好きにはならない。アイドルや俳優を見ても、興味を抱くこともない。けれど、女の子にはなりたいのだそうだ。メグミちゃんは、女も男も好きにはならないけれど、可愛いものは好きで、柔らかい体に確かな憧れを持っている。けれど自分を男だとわかっているし、別に手術をしてまで女の子になろうとは思わないらしい。
メグミちゃんは、俺の最愛の人だ。俺はメグミちゃんを愛しているし、メグミちゃんも俺を愛しているけれど、そこに恋だとか情欲だとかそんなものはない。俺たちは幼馴染であり、親友であり、相棒であり、居場所だ。
世間一般の言葉を借りるなら、メグミちゃんはオカマというやつだ。小さい頃からそうだった。それに関して、メグミちゃんは自分が異端の目で見られているということを自覚している。けれど、メグミちゃんはもうその目には慣れてしまっていて、大して揺らぐことはない。
だけどたまに、メグミちゃんは俺に言う。
「ねえ、レイ、なんでアタシといてくれるの?」
メグミちゃんがそれを言う時は、打ちのめされた時だ。異端の目で見られるだけではなく、暴言を吐かれた時だ。
本当に幼い頃、まだメグミちゃんの異端というものを俺が真には理解していなかった頃。よく女の子たちが言っていた。
なんでレイくんはあのこといっしょにいるの、あのこはちがうのに。
それと同じようなことを言われたんだろう。
「メグミちゃんが一番だからだよ」
「ありがとう、でもね、そうじゃないの、そうじゃないのよレイ」
「なあに?」
「アタシは違うでしょ、違うのに、どうして?」
確かに、メグミちゃんは違う。でもそれは、きっとみんな同じ。
「俺も人と違うよ」
「でもそれは大した違いじゃないでしょう?」
「どれだけ違うかじゃなくて、どう違うかが大事なんだと思うよ」
「どう違うか?」
「そう、どう違うかで考えたら、みんな同じだよ、みんな一緒じゃないから、みんな同じ」
俺もメグミちゃんも、違っている。けれどメグミちゃんを肯定する人も否定する人も、みんな違ってる。
でもさ、違うからって爪弾きにするなら、違うからって厭うなら、お前らみんな一人で生きていきなよ。メグミちゃんがだめなんだったら、手の形すら顔すら細胞すら違う誰かと生きていけるわけないよ。
「だから俺は、メグミちゃんがいいんだよ」
だから、お前らみんな、一人で死んでいきなよ。
02
束縛 (そくばく)
1 しばること。捕らえること。
2 行動に制限を加えて自由を奪うこと。
私の中には冷蔵庫がある。それは誰かに覗かれることもなく、暴かれることもなく、私だけが開ける冷蔵庫。けれど周りの温度差に苦しんだり、中身も知らない誰かに踏みにじられることはある。一番の売りは、自動製氷ができること。よくないのは、いくつもいくつも部屋があること。
私の中には冷蔵庫がある。たまに電力が足りなくなって庫内温度が上がったり、または電力過多になって庫内温度が下がったりする。私の場合は冷蔵庫だけど人によっては形が違って、エレベーターだったり、ただ四角いだけの部屋だったり、水槽だったり、冷たいベッドだったり、さまざまだ。
私の中には冷蔵庫がある。いくつもある部屋の中には色々なものが冷やされていて、誰かからすればいらないものも含まれているんだろう。
冷蔵庫の中には、もうひとりの私がいる。
たまには私だって、もうひとりの私に会いに行く。冷たく保たれた私に会いに行く。いくつもの部屋の中から選んだお土産を持っていくのだけど、いつも要らないと言われた。もうひとりの私は、製氷機の中の氷だけ食べて生きている。私の中で死体より冷たくなって、氷みたいに冷たい息を吐いて生きている。
冷蔵庫の中には、もうひとりの私がいる。
たまには私だって、もうひとりの私に会いに行く。氷を頬張る彼女はいつも放してと言う。氷の牢獄だって、冷たい地獄の底だって。
でも待ってよ、あなたを放ったら私はどうなるの。
冷蔵庫の中には、もうひとりの私がいる。
今こうして考えている私と、もうひとりの私、どっちが本物なのかって聞かれたら、どっちもって返すしかない。だからそう、私もそう、冷たい地獄の底にいる。氷の牢獄にいる。
私たち、いくつもで出来上がったひとつ。
私をつくるいくつも、どこにも自由なんかなくて、たった数ミリの言葉にもひしゃげてしまう冷蔵庫の中、死体より冷たくなってる。
私たち、いくつもで出来上がったひとつ。
冷蔵庫の中の私は、私のいちばんの友達で、私の歪んだ冷蔵庫が作り上げた氷の怪物。仄暗い淀みでできた氷を食べ続けて、どんどんその体を冷やしていく。ヒビが入った体は、あと少しでも衝撃が加われば砕けてしまうから、後にも先にも動けない。でも食べ続けるの。どす黒い歪みでできた氷を。そしてどんどん冷えていく。ずっとキスをしてるから、私も冷たくなっていく。もう数ミリの傷で壊れてしまうから、動かないように冷気の鎖で縛っている。
私たち、いくつもで出来上がったひとつ。
崩れてしまうから、動けない。もう、どこにも行けやしない。
03
懶惰 (らんだ)
なまけおこたること・さま。
「どうしてわからないの」
たしかに、彼女が好きだった。
だから俺は、それが伝わるように色々なことをした。デートに誘って、手をつないで、キスをして、抱いて、ピロートークを楽しんで、もちろん思いだって口に出した。何度も。
でも、わからない。俺が何をわかっていないかもわからないし、わからないことでなぜ彼女が怒るのかもわからない。
「なんで、怒ってんの?」
「それもわからないの!?」
俺が、せめて理由を理解してから謝罪なり反論なり出来るようにと質問をすると、彼女はそれすら腹立たしいようで声を荒げてまた俺に聞いた。
だって、わからない。
「…あなたって、いつもそう」
「そうって…」
わからないけれど、この先彼女がどんなようなことを言うのかはなんとなく知っている。
もう何遍も、何遍も、聞かされたことだ。
「わからないわからないってそればっかり」
「だってわからないから…」
「違う、わかろうとしてないの」
それの何がいけないのか、何度も何度も似たような問答をしてきたけどわからない。
だって、俺と彼女は他人だから。
「結局、あなたって私のこと好きって言うけど、私のことなんて興味ないんだね」
「…そうじゃないだろ」
「だって、わからないってそればっかり、でも言うだけで理解しようともしない」
たしかに、彼女が好きだ。
でも俺は、わからない。
「理解されようと思うなら、ちゃんと言えよ」
「なにもかも言わないとわからないの?ねえ、たしかに私たち人間だから、言葉は重要よ、でもそればっかりじゃだめになる」
「そもそも、理解なんてできないよ」
「どうして?」
俺たち、別の人間だから。
だから本当に本当の意味で理解なんかできっこないんだ。だから俺はわからないままでいい。わかりたくない。
わかられたくない。
「だって俺と君は、違う人間だろ」
「…何それ」
「他人同士、完全に理解し合うなんて無理だろ…だから俺は」
「ねえ、なんでそういうこと言うの、そうじゃないでしょ、完全に理解し合えないなんてわかってるわ、でも、それでも寄り添いたいから理解したいと思うんでしょ、そうじゃなきゃ誰といたって、誰ともいなくたって同じじゃない…」
彼女は泣きそうだ。それがなんでなのかもわからない。
「でも、でもそれじゃあ意味ないだろ」
「違う、違う、それでも意味はあるのよ、わかろうとするから優しくなれるのよ、あなたの言ってることって、結局ただの怠慢でしかない」
「期待して、裏切られるのはつらい」
「…何言ってるの、そんなの誰だって一緒、私だってつらい、でも寄り添わなくちゃ生きていけないでしょ、私たち」
彼女は、泣いている。
「…俺は、君が好きだよ」
「知ってるわ」
俺はわかられたくなかったから、わかろうとしなかった。わかろうとしなければ、わかろうとしてこないと思ったから。
俺は彼女が怖い。
俺はわかられたくないのに、わかろうとしてくるから。
「ねえ、わかられたくないってごまかさないで、期待するのにつかれたの、わかるわ、でもごまかさないで」
ひとつだけわかった。
「わかってほしくないなんて言わないで、わかってほしかったから、わかられたくないんでしょう」
俺も泣いてる。
04
貧弱 (ひんじゃく)
1 みすぼらしいこと。弱々しいこと。また,そのさま。
2 内容がなく,必要なものを十分に備えていない・こと(さま)。
「みんなみんなね、たたかっているんだよ、だってね、この世は敵だらけ、勝たなくちゃ生きられないじゃない…貧相と、貪欲と、瓦礫と、曇天と、孤独と、猜疑と、醜悪とたたかって、そして最後にはきっとね、負けちゃうの」
母は、妹が生まれず死んだ時ひどく落ち込み、しばらく普通の生活を送れないほどだった。それが回復してきた頃に父を事故で亡くし、あの目でぼくによく言い聞かせるようになった。この世の全てと戦い続けろ、つまりは死ぬなということだ。
立て続けに不幸が起きて、精神が参ってしまったんだろうことは容易にわかる。身内の人間に言って、それとなく病院に連れて行ってもらえばいい話だろうことも、幼心にわかっていた。
けれど母の気持ちも、痛い程よくわかった。いつも気丈な母だったから尚更。
「うん、そうだよ、負けなかったら死なない、わたしたちは、勝ち続ければ永遠よ、だってそうでしょう、死相は負け犬にこそでるのよ、みんな同じ、最後には負けるの、そうして冷たい石の下、負け犬の歌で安らかに眠りにつくのよ…だからそれまではね、たたかわなくちゃ、あなたはたたかうの、あの子みたいに負けないでね、ずっとずうっと、たたかい続けてね、勝たなくちゃ、そうして必ず、いつかわたしを、いつか、わたしは、あなたを」
絶望に限りなく近い、執念の目。ある意味では、彼女の言う負け犬の目にも見えた。先立たれ先立たれ、そうして出来上がってしまったあの目を、忘れることはないだろう。
「…あなたも、まけるの」
母の、淋しさを、どうにかしてあげたかった。たたかって、勝ち抜いて、どうにかしてやりたかった。
ぼくは、不治の病にかかって、もうじきに死ぬらしい。
大学で倒れて、目を覚ました時には病院に居て、ベッドの脇に座る母はもう宣告を聞いた後だったんだろう、こっくりと項垂れて、ひどく憔悴した様子だった。
ぼくは母のその姿に、もう助からないんだと悟って、開口一番に謝った。
あの項垂れて力ない孤独は、もう二度とどうにもならないのかもしれない。
日に日に痩せ細っていくぼくを、母は箸で骨を掴むような顔で見ていた。ぼくを見ているようで、その実なにも見ていない目。あの子と同じ。
「かあさん」
「まけるのね、あなたも、わたしを…」
「かあさん、ぼくを見てよ」
「けっきょく、あなたも、わたしを」
「ねえ、かあさん」
ぼくを見てよ。
「けっきょく、あなたも、わたしを見送ってはくれないの」
あ、ほら。ほら、あなたの目だって同じ、あの子と同じ、負け犬の目だ。
「かあさん」
「あのことおなじ、まけいぬになるのね」
あ、あ、くるしい。ねえ、ぼくを見てよ。ああ、見ないで。行かないで。ねえ、何を見てるの。恥ずかしい。死にたい。死にたくない。消えたい。見ないで。なにも言わないで。聞いてよ。聞いて。ねえ、行かないで。哀しい。負けたくない。負けたくない、のに。
ねえ、聞いて、聞いてよ。もうだめだよ。勝たなくちゃ、たたかわなくちゃ。でも、もうだめだよ。もうたたかえない。
みないで、ぼくをみないで。ぼくと同じ目。たたかえない目。負け犬の目。ぼくを見て、ちゃんと見て。恥ずかしい可哀想な目。死に逝く吐息を隠せない目。
いやだ。もうたたかえないよ。うごけない。恥ずかしい。見たくない。
見ないで。
「ああ、おいていくのね」
そんなに悲しい目を、ぼくはもうどうにもできない。たったひとつの慰めもできなくなった。孤独にむせぶ負け犬、死に股を開く負け犬。負け犬同士、骨を掴み箸につままれるしかないんだよ。
そんなかなしいぼくの首元は、項垂れたまま頷く余力もない。そんなかなしい孤独を、たったすこしばかりも薄めることなどできないのに。
05
無欲 (むよく)
欲がないこと。あれこれ欲しがらないこと。また,そのさま。
お腹減ったなあ、眠いなあ。
お腹減ったな、なにか食べたいな。なにか、なんでもいいな。誰かと食べる美味しい食事じゃなくていい。ただなにか、空腹を満たすもの。
眠いな、どこか眠れるところはないかな。どこか、どこでもいいな。誰かと眠る幸せな睡眠じゃなくていい。ただどこか、不眠を癒すところ。
誰か私を抱いてくれないかな。誰か、誰でもいいな。愛し合って愛おしいセックスじゃなくていい。ただ誰か、性欲を満たしてくれる人。
それ以外さ、必要ないよ。
可愛い服や愛されるメイク、鮮やかな心。そんなもの、ただ生活を潤滑にするための道具でしかない。
10人中3人には好かれるだろう物を選んで、食べ物を得て、洋服を得て、性感を得る。
幸せとかどうでもいいよ。不自由なく暮らして、そのまま死ねればそれでいい。
いつまでも可愛くいようとか、不死になりたいとか、大切な人を作りたいとか、そんなことどうでもいいよ。無難に生きて、無難に死ねればそれでいい。
ただなにか、ただどこか、ただ誰か。
適当に見繕ってさ、そうしていれば苦しまないでしょう。空っぽって楽でしょう。
だから私、なにもいらない。
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