苦しいのも悲しいのも同じだったら

グノーシア同士は仲間の存在を認知出来る。そして初日のステラの報告ではグノーシア以外の反応は検知されていない。彼女は同じグノーシアでもない。つまり今回コールドスリープに選ばれた彼女は、ただの乗員だった。

初日の夜。他の乗員にとっては疑わしい、だが自分にとっては白が確定している人物のコールドスリープを見届けた後、グノーシアである沙明は偶々近くを通りがかったリツをこれからの議論で利用しようと協力関係を持ちかけた。断られても脅威となるようなら早々に消してしまえばいい。その程度の軽々しい気持ちで声をかけただけだった。

「わかった。これから一緒に頑張ろうね」

二つ返事で了承したリツに思わず拍子抜けした。その時の自分は少々間抜けな顔をしていたようで彼女に少し笑われた。自分で言うのも何だがもう少し警戒心を持てよ。ヘラヘラ笑いやがって。ああでも、くそ、可愛いな。
もし協力関係を持ちかけたのが自分ではなく他のグノーシアだったら、リツは同じようにすぐに承諾したのだろうか。いや、グノーシアでも乗員でも自分以外の男と手を組んだら。そう考えると何だか胸の奥がムカムカしてきた。
だがグノーシア汚染された自分の頭では人間を消滅させたい意識が勝り、その時の感情が何と言う名前なのか考える余裕は無かった。もやもやとした感情を抱えたままリツと別れ、空間転移の際に本能のままリツ以外の乗員を一人消した。

◇◇◇

2日目、3日目と議論を進めていきコールドスリープさせる人物を決めていく。最初は守備よく乗員を凍らせていく事が出来た為このまま制圧できるかと踏んでいたが、仲間のグノーシアもコールドスリープされ始め、遂には残ったグノーシアは沙明1人となった。
中々グノーシア反応が消失しない事で残った乗員の顔には疲労が見え始め、船内は疑心暗鬼に満ちていた。そんな中でもリツは少し疲労を滲ませた顔で沙明に会いに来た。そんなになっているんなら大人しく自室で休んどきゃいいのに。

「お前……いくら何でも無防備すぎだろ。襲われてぇのか?
……それとも協力関係の解消か?別に俺は構わねーけどよ」

幸いにも本物のエンジニアも騙った偽エンジニアも襲撃やコールドスリープによりもういない。沙明は調べられる事も無かった為他の乗員から見ればグレーの状態である。だが途中からやたらセツに敵視され始めたので、恐らくセツには自分の嘘がバレていたかもしれない。ただ嫌われていただけかもしれないが。
そのセツも他のグノーシアの襲撃に遭い、生体反応が消失した。セツとリツも仲が良かったようだから更にそれがリツの疲労に拍車をかけているのだろう。翌日の報告でセツがいないと聞いた時のリツはあからさまには出さなかったが、落ち込んでいるのは見え見えだった。
それに度々リツが沙明を弁護する所為でそろそろラインも疑われ始めていても不思議ではない。今日の投票でも彼女はコールドスリープこそ決まらなかったもののそこそこ票を集めていた。次に凍るのはリツかもな。そうなったらグノーシア側の勝利が近付くだけだ。このままリツを盾にして乗り切ろうか、そう思っていたのに。

「解消?どうして?」
「どうして……って。ほとんどの奴が凍ってんのにまだグノーシアが残ってるんだぜ?お前からしたらもう俺も充分怪しいだろ」
「それは沙明も同じでしょ」
「そうだけどよ。切ろうとは思わねぇワケ?」
「うーん……まぁ、正直……協力しようって言われた時にちょっと疑ってたんだけど」
「……オイオイ。なら何で」
「仮に沙明がグノーシアだったとしても、沙明ならいいかなぁって」

何だそれ。
この船に乗り込んでリツと出会ってから何だか間抜け面ばかり晒している気がする。だがすぐに戸惑いを隠すように無理矢理口角を上げた。何故だかいつものように上手く笑えない。

「……ッハ、そこまで言われちゃあ期待には応えねーとなァ?そんなに俺が欲しかったのかよ。ならリツ様が満足するまでご奉仕させて貰おうじゃねーの」
「もう、そういうのいいから」

今のリツは初日のように可笑しそうに笑うでもなく、ふふっと優しげに小さく笑った。

「沙明なら、いいよ」

何でこいつはこんなに信頼を寄せてくるんだ。そもそも打ち解けているといっても初日から協力関係を持ちかけて来るなんて普通は怪しむだろ。乗員からしたら自分以外の人間が本当の人間かどうかわからないのに。それなのにこいつは何ですぐに了承した?感の良い奴なら残ったグノーシアが誰かも目処がついても可笑しくない状況なのに。
リツはどこか吹っ切れたように笑って沙明に別れを告げる。

「またね」

最後のグノーシアになった沙明は、その日もリツを消す事は出来なかった。


その日、投票によりリツのコールドスリープが決定した。
圧倒的に票を集めた訳ではなく、他の乗員との僅差で彼女が選ばれてしまっただけの事だった。その時の彼女は少し悔しそうな、寂しそうな表情を見せた。彼女は紛れもない乗員なのだから当然の反応だろう。

「お前……勝手に潰れてんじゃねーよ」

彼女にそう別れを告げた。グノーシアとしては都合の良い展開のはずなのに何故だか心が晴れない。利用していただけと言えど、手を組んでいればやはり情が湧くからだろうか。でもそんな軽い気持ちで生まれた感情だとも思えなかった。

「ごめんね沙明。でもありがとう。すごく頼もしかったよ」

そう言った時の彼女の振り切ったような笑顔が脳裏にこびりついて離れない。
「またね」
彼女はそう沙明に別れを告げた。
沙明はスクリーンに映るリツの票数をただぼんやりと見る事しか出来なかった。



結果的に沙明、ひいてはグノーシア側の勝利に終わった。
沙明はコールドスリープ室に立ち入り、リツが眠っているポッドに手を当てる。当然ながら温もりなど感じない。この船の船長であるジョナスならまだしも沙明にこのポッドを開ける事は出来ない。開けた所でどうとなる訳でもないが、彼女に触れたくて仕方なかった。
ポッドの表面からは無機質な冷たさしか感じられない。だがポッドの中はこれよりもずっと冷たい。

「……ハッ、んだよこれ。せっかく勝ったっつーのによ……何も嬉しくねぇ」

勝利したというのに達成感や喜びなど何も無い。勝利を祝う気にもなれなかった。祝う相手も誰もいないが。
それにリツと出会ってから感じていたこの感情は何なんだ。グノーシアの本能にも負けないくらい鬩ぎ合うこの感情は何だ。こんな気持ちになったのは初めてだ。ここにリツがいたら何かわかったのだろうか。
だが仮にリツが生き残って2人きりになったとしても、グノーシアの勝利は変わらないしグノーシアの人間を消したいという本能からは逃れられない。そうなったら沙明は結局リツを消すしかない。だとしてもここに彼女がいたら何か教えてくれただろうか、とは考えずにはいられなかった。

「リツ」

声をかける。コールドスリープ室に自分の声が響いただけで当然ながら返事は無い。
同じ陣営ならこんな思いをせずに済んだだろうか。例えお互い人間じゃなかったとしても彼女と感情を共有できただろうか。その時は勝利を分かち合う事も出来ただろう。いつも通り軽口を叩いて揶揄っても彼女は自分の相手をしてくれただろう。何でもいい。彼女と同じが良かった。

「……冷てぇ、な……」

自嘲してしまうくらい程、弱々しい男の声が室に残響した。

eclipsissimo