赤い糸の絞殺

展望ラウンジで私は1人立ち尽くしていた。
鍵の機能を使ってやって来たこのループでは今回の乗員数は15人。その中に潜伏するグノーシアは3人。役職も全て有りという混沌としたループだったが、辛くも今回のループは私───グノーシアの勝利で終える事が出来た。
他のグノーシアは全員コールドスリープされたので船内に残るグノーシアは私しかいない。勝利の喜びを分かち合う仲間もいない。
静寂が酷く寂しかったが、きっとこれまで通りもう少し時間が経てば次のループが始まるだろう。この寂しさも今だけだ。
展望ラウンジから見える星々を見上げ、その瞬間を待つ。しかし中々その時は来ない。疑問に思い始めたところで背後のドアが開く音がした。

「よう、お疲れ」

驚きを隠さずに振り向けばそこには沙明が立っていた。いつものような軽薄な笑みは無く、珍しく真面目な表情をしている。
そういえば、最後まで残った乗員は沙明だった。相変わらずのステルス値の高さで議論で注目されづらい彼は終盤まで生き残ってる事が多い。
私も彼は他の乗員よりも脅威になりにくいだろうという事で他を優先して消していった為、あまり気にも留めていなかった。それでもこの船はもうグノーシアのものだ。どうせループするのなら最後の乗員を消すのは流石に気が引ける。彼には悪いが格納庫に入ってもらうとしよう。そう思ってネタばらしをしようと口を開きかけた時だった。

「お前が最後のグノーシアだったんだな」

そう言って沙明は私の横に並んで来た。生き残る為なら何でもするが信条の彼の事だ。てっきり罵詈雑言浴びせてきたり悔しそうな顔をしたりするものだと思っていたが、横から覗き見た彼の表情は意外にも穏やかだった。諦めとも違う。

「……うん、そうだよ」
「やっぱりな。お前に従っといて良かったわ」
「どういう事?」
「俺、AC主義者だからよ」

沙明のカミングアウトに目を瞬かせる。
そういえば議論中にも私の意見にやたら大袈裟に乗っかってきたり同意を求めたりしてきたな、と今になって思い出す。とは言っても今までのループでよく見てきた光景だからあまり気にならなかった。

「寝ても覚めてもグノーシアに消されたいっつー欲望がずっと頭からこびりついて離れねぇんだわ。でも俺からしたらグノーシアが誰かわかんねぇワケ。なのにたった数時間でグノーシア見つけて加担しなきゃならねぇんだぜ?絶対無理だろって思ってたんだけどよ」

その心情は痛い程わかる。自分もこれまでのループでAC主義者として議論に参加した事があるが、手探りで誰が騙りなのかを見つけ出すのは苦労した。
加えてグノーシアも誰がAC主義者かわからない。味方であるはずのグノーシアにAC主義者が襲撃されるケースも往々にしてあるからAC主義者として議論に参加する場合はなかなか難しい。
沙明はコメットやレムナンのように直感が鋭いとは決して言えない為、誰かの騙りに気付く事はほとんど無いのだが、もしかして私の嘘に気付いたのだろうか。

「お前、議論を誘導しようと前に出たがりだったろ。何となくだったけどアタリだったってワケだ」
「あ……あはは……」

途中から疑われ出した仲間を庇おうとして注目を浴びた事があったから、それで目星がついたのだろう。最終的にはごめんと思いつつ仲間に投票した為翌日から追及される事は少なくなったが。
今回のループでの議論を振り返りつつ沙明の言葉に耳を傾ける。

「なぁ、グノーシアっつーのはどうやって人間を消すんだ?」
「私も説明は難しいんだけど、空間転移時にグノーシア汚染者はグノースと接続されて、その間は時間が止まるの。だからその間に消す……って感じかな」
「成る程な。だから1人ずつしか消せねぇのか」
「うん。……でも見ていて気持ちの良いものじゃないよ」
「人間を消すのがグノーシアの本望なんだろ?の割に気乗りしねぇみてーだな」
「そこは人によるんじゃないかな」
「そんなもんか」

沙明とこうして駄弁っている間にもそろそろループが始まってもおかしくないのに、一向に始まる気配が無い。珍しいな、もしかしてこのループに何か重要な手がかりがあるのだろうか。

「……で、お前も消したヤツらと同じように俺の事も消すのか?」

AC主義者らしからぬ言葉に私は首を傾げた。AC主義者は自らにグノーシアに消される事を望んでいる者達を指す言葉だ。けれど沙明のその言葉は消される事を望んでいないような……。

「沙明がそれを望むのなら、消すよ。沙明は仲間だった訳だし、もうこの船は私達……ううん、私のものだからその必要も無いんだけれどね」
「そっか。ならよ、お前の手でサクッと俺の首絞めて殺してくれね?」

沙明のまさかの言葉に瞠目する。

「グノーシアってのはグノースの触手みてぇなモンだろ?でも俺としてはグノースに接続されたお前よりも、まだ正気が残ってるお前自身の手でヤられる方が断然イイんだわ」

ま、あんま変わんねーかもしんねぇけど。そう言った沙明はいつものような軽い笑みを湛えていた。
夕里子に罵倒されても土下座をやめず何が何でも生き残ろうとする沙明らしからぬ言葉に絶句した。でもAC主義者になった事で心境に変化があったのだろうか。でも自滅を望むような言動をした沙明を、私はこれまでのループで見た事が無い。
予想だにしない言葉に動揺していると「このままじゃ届かねぇか」と沙明は私の目の前でしゃがんでみせた。すぐ手の届く距離に沙明の首がある。

「い、嫌だ」

思わずそう口走っていた。今までグノーシアとして乗員を消す事に対して多少の抵抗感はあったけれど、今の状況はその比ではない。
グノーシアの本能はグノースの端末となり、人間を消し、グノースの元へ送り出す事。人間を殺したいという意味合いではない。
形容し難い雰囲気に呑まれ沙明から後退ろうとする。しかし、それを許さないとでも言うように沙明は私の手首を強く掴むとそのまま自分の首へ誘導させる。抵抗しようにも力が強くて離れられなかった。

「いや、いやだよ沙明、こんな事しなくても私はもう」
「どうやったってお前と同じにはなれねェんだ。だったらよ、一層の事ここで始末しといてくれや」

誘導されるがまま触れた沙明の首から人間の温かさを感じる。どうせ私はもう鍵に導かれるままループしてこの宇宙から立ち去る運命だ。なのに何で最後にこんな事をしなくてはならない?
早くループしたい。セツに会いたい。もっと違う形で沙明にまた会いたい。そう強く懇願しても鍵は作動する気配を見せない。沙明の特記事項は全て開いているというのに。

「……な、頼むよ」

困ったように眉を下げて沙明は笑った。
私は頭が空っぽになった。何も考える事が出来ない。ただ沙明に言われるがまま両手に力を込めて、彼の首を絞めた。

「……アー……ハ、ッ……コッチ、の趣味……は無かった……んだ、けどよ」

私の非力な力では人の首を絞めるなんてそう易々と出来ない。だから力を込めようとすればする程体が前に倒れ込み、遂には沙明に馬乗りする形で彼の首を締め上げた。
沙明は苦しそうに、だがどこか恍惚とした表情でされるがままになっている。
何で、こんな事に。鼻の奥がツンとしたのを感じた瞬間に視界がぐしゃぐしゃに歪んで沙明の顔に雫が落ちる。沙明の顔が見えない。

「堪んねぇ、な」

息も絶え絶えに掠れて微かにしか聞こえなくなった声色で沙明が言う。何故か私は力を緩める事が出来ない。どうか彼が絶えてしまう前に、早く、早く。私をループさせて。
ふっ、と彼の体から力が抜けたのがわかった瞬間、私の視界は暗転した。聞こえないはずの自分の慟哭が聞こえた気がした。

eclipsissimo