花を持つ手で呼んでほしい

「最近、禪院の血を引く子と仲良くしているそうだね」

暫く顔を合わせておらずに済んでいた当主に突然呼び出されたかと思えば、開口一番にそう言われて血の気が引いた。
正座した膝の上で握る拳に冷や汗が湧くのを感じた。私は誰かを贔屓にしているつもりは無い。術師として、生徒のサポート役として高専で働いているだけだ。しかし、当主の言葉にはとんと覚えがありすぎた。
彼が言っている禪院の血を引く子は伏黒くんのことを指している。そして私は、伏黒くんと呪いにも近い約束をしている。それを懇意にしていると捉えられているというのか。いつ、どこで、誰にそれを見られた?

「……高専生の補佐として皆平等に接し職務を果たしているまでです。そこに血筋は関係ございません」
「うん、それもそうだね。でもそれはあくまで指導役としての話だ。術師として考えると家柄とか血筋とか密接に関わってくるよね。僕達がそうであるように」

その言葉に私は何も言えなくなった。
九石の家は、当然だが九石の血を引く者だけで構成されている。それは今だけの話ではない。昔からずっと"そう"なのだ。
九石の血を引く者は皆、強い呪力を持って生まれてくる。何故なら先祖が大きな誓いと共にそういう縛りを九石の血にかけたからだ。だからその血を絶やさない為に、より純粋なものにする為にこの家は近親相姦を繰り返して繁栄し、今に至っている。
だから私を産んでくれた母と父がお互いどういう関係だったのか、私は知りたくも無かった。その前に2人はいなくなってしまったけれど、子供ながらに私はこの家が異常であるということにはすぐ気付いた。
九石の人間は自分達の辿って来た歴史が御三家のように正統なものではないことを重々承知している。だからそれを隠す為に、この家から逃れようとする者達を全て斬り捨てている。それは私も例外ではなかった。
何人も兄弟と呼べる子達を殺してきた。この家から逃げさせようとしてくれた姉さんや兄さんも全員殺された。そして私も口封じの為に、せっかく生まれてきた子供たちを殺し、今まで仲の良かった人達も殺してきた。
だから私は、当主の、兄の言っていることがその資格も無い癖に痛い程に理解できてしまう。

「九石の血は純粋なものであるべきだ。でも相手が御三家の人間なら話はまた別になるのかな」
「……」
「苗字は違うらしいけど、相伝の術式持ちなんだって?凄いじゃないか。その子との間に子供が生まれてきたらどんな呪力と術式を持って来るのかな?九石としても初の試みかもしれないから楽しみだね」
「……」
「でも残念だなぁ。律は僕の為に功績を上げてくれていると思ってたのに、結局外の人間が良いのかい?」
「……」
「んー……。……嗚呼、そうだ!何も一夫一妻に拘る必要は無いよね」
「……え、?」

先程までとは打って変わり、当主の言っていることが全く理解できなかった。話の脈略が掴めない。
それに私は当主ひいては兄の為に生きてきた訳じゃない。だというのに、この人は自分の為に私が頑張ってきたのだと思っている。その事実が何より怖くて、気持ちが悪くて仕方が無い。

「その禪院の子と僕の子、両方産めば良いじゃないか。どっちかが駄目でも保険にもなるし、良案じゃないかい?」

吐きそうだ。

◇◇◇

その後どうやってその場をやり過ごしたのかを覚えていない。でもこうやって五体満足で廊下を歩けているのだから、適当に相槌を打つなりして当主の機嫌を損なうこと無く終わらせることができたのだろう。でも答え次第によっては今以上の地獄になりそうだ。でも頭がくらくらして何も考えたくないのだ。
一刻も早くこの場を去りたくて急ぎ足で歩いていると、廊下の向こうから妙齢の女性が2人、こちらを見るなり近寄ってきた。どちらの顔にも見覚えがあった。私が可愛がっている九石の子供達の母親だ。
2人はこそこそ話をするかのように着物の袖で口元を隠して喋りかけてくる。しかし目が笑っていて、私にとっては良い話ではないのだろうということは容易に想像がついた。

「律さん、禪院の子と懇意にしてるんですって?」
「私知ってるわ。伏黒さんと言うのでしょう?もう家中その話題で持ちきりよ」

私は足を止めずに歩き続けた。それでもこの家は広いから出口まで遠い。
女達2人はそこまでついてくるつもりなのか、私の後ろから離れなかった。耳を塞ぎたい。聞きたくない。

「伏黒さんとの間の子なら強い子が生まれそうね。もし娘さんならうちの息子にちょうだい。きっと強い術式を持って生まれてくるわぁ!でも、そうしたら前に娘に産んでもらった子ども達は呪力も少ないから用済み…?ちょっと勿体ないかしら」
「禪院の血といえど殆ど部外者らしいけど、相伝の術式を持っているらしいじゃないの。産まれたらいの一番に教えてね」
「駄目よ、私が先なんだから。でも産むのは1人だけじゃないんでしょう?」
「子供としても一人っ子は寂しいですものねぇ。兄弟はいても困らないわ」

相変わらず倫理の崩壊した会話にいよいよ骨の髄まで毒されそうだ。女共2人は本当に正門までついて来た。その間の会話はもう殆ど覚えていない。覚える必要も無いと切り捨てたのだから当然だった。
家を出る瞬間まで背後で何かを言われていた気もするけど、もうどうでも良かった。家から充分距離を取って、遠くからその姿を眺める。
今はあの家も人も何もかも壊したくて堪らなかった。そしてやはり、私はあの子と関わるべきではなかったのだと思い知って一筋だけ目から雫が溢れた。

◇◇◇

「律さん。今話しかけて良いですか」

伏黒くんから有無を言わさない口調でそう言われ、見下ろされた。彼の瞳は酷く冷たく、まるで私を射殺さんばかりにこちらを睨んでいる。
あの出来事があってから私は明確に伏黒くんを避けることにした。とは言っても話しかけられたらきちんと応対はするし、授業のサポートだって他の皆と平等にしている。けれど、私から話しかけに行くことはまず無くなった。
それを始めて数週間経った今、こうして私は伏黒くんに捕まった。察するのが早すぎではないだろうか。否、彼は聡い子だから私の方が侮っていたのかもしれない。
私の進路を塞ぐように不機嫌そうに立つ彼の顔が見上げられず、俯くしかなかった。

「……駄目だって、言ったら?」
「この後特に予定は無いですよね」
「何でそれを……」
「五条先生から聞きました」
「……」

上司でも先輩でもある彼には私の仕事のスケジュールは筒抜けだ。それがこんな所で仇になるとは。色んな意味で頭を抱えていると、一歩足を出されて距離を詰められた。

「何があったんですか」

彼の言葉は鋭く、叱られているような気分になる。私は悪手を打ってしまったのかもしれない。そう思っていればまた一歩、詰められた。

「……俺は、確かに待つと言いました。でもそれは律さんの覚悟が決まるのを待つという話であって、離れても良いとは一言も言ってません」
「……ご、めん」
「もう一度言います。……何が、あったんですか」

私は数度口を開きかけ、閉じかけを繰り返した。そして意を決して、数週間前に生家であった出来事を、遂に彼に打ち明けた。私の血の歴史、家の歴史、しきたり、倫理や道徳の崩壊した人間達の話。何もかもを。
全てを話しきる頃には私は泣きながらその場に頽れていた。いい歳をした大人が十代半ばの少年の前で泣く光景はさぞかしみっともないだろう。でもそれを見られたとしてもどうでも良かった。そのくらい私の精神は摩耗しきっていたのだから。
論理性も脈略も無いまま辿々しく話す私の言葉を伏黒くんは私と目線を合わすようにしゃがんで聞いてくれていた。話が進む度にぼろぼろと落ちる雫が増えると私の手を握る力が強くなっていく。私の話をきちんと聞いているという相槌の代わりのように。それが嬉しくて益々涙は溢れていった。
最後には私は伏黒くんに抱き締められていた。ぽつぽつと涙が彼の制服を汚していく。けれど私にはもう立つ気力すら無く、縋るように彼の制服を掴んだ。

「……俺だって血は引いてますけど、今は禪院家からは完全な部外者ですし、家のこととか関係無く律さんは律さんだと思います」

ぽつぽつと伏黒くんが話し出す。私は泣きながらただそれに静かに耳を傾けた。

「抱え込みきれない程のものがあるなら迷わずに俺に話すことを約束してください。抱え込んで抱え込みまくって持ちきれなくて潰される前に俺を頼ってください。約束を果たしてくれる前に潰れて良いなんて俺は一言も言ってません」
「……ごめん、なさい」
「……はぁ。……その代わり、律さんは俺ができる限りの幸せを渡すのでそれをまず持ってください。悲しみも苦しみも抱えていいですけど、でもそれは、俺も持ちます。律さんだけに荷物は持たせません」

言葉を選ぶように、でも真っ直ぐに私に伝えようとしてくる彼の言葉に視界が益々潤んだ。私を抱きしめる腕の力が強くなる。
彼はいる。そして私もここにいると示すように。

「次の約束をしましょう。───勝手に俺の前からいなくなろうとしないでください」

これは約束という名を被った呪いだ。
彼の言葉に私はまた一つ涙を流した。

eclipsissimo