出逢い

「律ー、ちょっと用があんだけど」

出会い頭に五条さんに呼び止められた。いつものように軽い調子の声色だったが、表情はそうは見えなかった。それだけでわかってしまった。あの五条さんがいつもの調子を崩す程の出来事があったのだと。けれどそれに容易く触れてはいけない気がした。だから私は「はい、何でしょう」と普段通りの返事をした。

「今から人に会いに行くんだけどさ、相手小学生だし何かあった時の保険に着いてきて」
「えっ?」

想定していなかった言葉に目を見開いた。五条さんが小学生相手に用……?そこはかとなく漂う犯罪臭に思わず眉を少し顰めてしまった。五条さんも私の顔を見るなり微妙な表情をした。

「今変な想像しただろ」
「えっ、まぁ……いや、そんな事ないです……」
「どっちだよ。……ちょっと色々あってさ、禪院の血を引いたガキに会いに行くんだよ」
「禪院家の……?まぁ、私で良いなら着いて行きますけど……一応聞きますけど五条さん本当に」
「手ェ出したとかそういうんじゃねーから。相手男だし。だからその微妙な顔ヤメロ」

行くぞ、と言うなり五条さんは踵を返して私に背を向けて歩き出した。慌てて彼の後に着いて行く。
会いに行く相手は禪院家の子。五条さんなら確かに禪院家に用があってもおかしくはないけれど、なぜ急に?それに小学生の男の子なら私よりも夏油さんの方が───
そう思ってハッと口を噤んだ。つい先刻通達されたばかりの内容が脳をぐるぐると駆け巡った。そして五条さんがいつもとは違った様子を見せる理由。私は殊更何も言えなくなった。
私は何が起こったのか詳しくは知らない。ただ五条さんはあの出来事があったからこそこの行動を取ったのだろうと漠然と思った。
五条さんに置いて行かれないように小走りで駆け寄れば五条さんはそれに気づくと少しだけ歩調を緩めてくれた。彼は背が高い上に脚が長いから同じ一歩でも距離に差が出てしまう。粗野な行動が目立つ五条さんだけれど、こういうさり気ない気遣いをしてくれる所は好感が持てた。
歩いている最中も沈黙が続いた。私は気配りが上手い方では無いから、話題転換して少しでも和ませようとか気の利いた行動とか、そういった事は不得手だった。2人分の歩く音しかまともに聞こえない。
どうしよう、と顔も真面に上げられないままただ大人しく彼の横を歩いていれば五条さんが口を開いた。

「……お前はもう少し他人の懐に飛び込むっつーのを覚えた方が良いんじゃねぇの」
「……え?」
「俺に気ぃ遣ってんのバレバレすぎ。お前だって何があったのかくらい知ってんだろ」
「それはそうですけど……でも、だからこそ簡単に触れてはいけないと思って……」
「んなの今更だろ。お前は他人と仲良くなる前に自分から先に線を引きすぎ」
「……それは」
「大方お前の家の事が関係してんだろうけど、そんなんじゃ息詰まるだけだろ。……少しはそういう事くらい忘れても良いんじゃねーの」

……これは、五条さんなりの気遣いなのだろうか。言い方はぶっきらぼうだし彼を見ても視線を合わせてはくれなかったけれど、彼が私を気遣って言ってくれている事は痛い程わかった。何だか擽ったい気持ちになって思わず口角が上がった。

「……五条さんがずかずかと行きすぎなんです」
「……あ?律のクセに言いやがったな」
「えぇっ……五条さんから始めた話題なのに……」

そう不満を口に出せば隣から少しだけ機嫌の良さそうな笑い声が聞こえた。

◇◇◇

歩いて電車に揺られてやってきた都心から離れた住宅街。そこで五条さんが呼び止めたのは彼が言っていた通りの黒髪の小学生の男の子だった。
道中五条さんから聞いた話によれば、あの子は禪院家の血を引いてはいるが今は立場としては完全に蚊帳の外らしい。しかし彼の父親との間に起こった出来事でそういう訳にもいかなくなったとの事。詳しい事は時間切れで聞けなかったが、何やら複雑な事情がありそうだった。
五条さんと男の子───伏黒恵くんというらしい───が話している間、私は2人の会話を傍観しながら聞いていた。禪院家に行きたいか、という五条さんの問いに伏黒くんは険しい顔を見せた。彼にはお姉さんがいるらしく、どうやら彼女が伏黒くんの行動指針になっているように見えた。
確かに、その選択肢を選ぶ事で唯一の身内が幸せになる事は100%無いと言われたらそういう反応にもなるだろう。お姉さん思いの良い子だ。
「オッケー、後は任せなさい」と五条さんは伏黒くんの頭を押さえつけるように撫でて一言残すと背を向けて行ってしまった。結局私の出番無かったな……と思っていると伏黒くんから「なぁ」と声をかけられて思わず肩が跳ね上がってしまった。

「え、わ、私?」
「アンタしかいないだろ。アンタもさっきの奴の仲間?」
「仲間……じゃなくてあの人は先輩なんだ。それよりもごめんね、急に声かけられてびっくりしたでしょう」
「びっくりはしてない。でも不審者だと思った」
「だ、だよね……ごめんね。でも怪しい人とかじゃないし危害も加えたりしないからそこは安心してほしいな」
「さっきので大体話はわかったからそこは心配してない」
「そ、そう……」

五条さんと伏黒くんの会話を聞いていて思ったが、この子すごく賢い。小学1年生との事だがしっかりしすぎではないだろうか。でもご両親は蒸発してお姉さんと2人で暮らしているらしいから納得できるものがある。
私が小学生の時と全然違う……と自分の過去を振り返って内心涙を流していると伏黒くんが質問をしてきた。

「アンタもアイツと同じなのか?見えるとか持ってるとか言ってたから」
「ああ……うん。見えるし、持ってるよ」
「……でもアンタはアイツとは何か違う気がする」
「え?」
「少なくとも悪い奴じゃないってのは何となくだけど、わかる」

伏黒くんの射干玉の瞳がじっと私を真っ直ぐ見つめて射抜く。視線がかち合うもそこに居た堪れないものを感じて思わず目を逸らしてしまった。
今の行動は不審者以外の何者でもないな、とすぐ後悔したが伏黒くんの眼差しは私には居心地が少し悪かった。そういえば五条さんは……と来た道を振り返れば離れた場所で五条さんがこちらを見て待っていた。
私も戻らなきゃ、と一歩を踏み出せばくん、と制服の袖が引っ張られた。驚いて反射的に振り返れば、伏黒くんが袖を掴んでいる。彼は未だ私を射抜いたまま口を開いた。

「……また、会えたりしないのか?」

その言葉にすぐ返答する事が出来なかった。もし次に彼に会う事が出来るとするならば、それは今日と同じ形ではない気がする。そもそも会える保障はどこにも無いし私にも出来ない。だから私は無責任な言葉は言えない。
私は五条さんとは違う。

「……会えたら、また今日みたいに私とお話してくれると嬉しいな」

じゃあね、と袖を掴む小さな手を優しく解いて別れを告げる。視線の先には五条さんが待ち草臥れたように少し不機嫌そうな顔をして柄が悪そうに立っている。思ったより待たせてしまったようだ。
帰り道でぐちぐち言われそうだな、と思いながら小走りで五条さんの元へ向かう。子ども相手に情けない姿を見せてしまったと思うが、何故だか怖くて伏黒くんの方は振り返って見る事が出来なかった。
気まずい気持ちを抱えながらも五条さんの近くまで戻れば、やはり不機嫌そうに見下ろされた。

「遅っせぇ、何話してたの?小学生相手に誑かし?言っておくけど犯罪だからなソレ」
「……いくら五条さんでも言って良い冗談と悪い冗談があると思うんです」
「……悪かったって。だからその呪力しまえよ。前にお前から食らったやつ超痛かったんだって」
「無下限呪術ほぼマスターした人に言われたくないです……」

五条さんと他愛無い話をしながら帰路につく。その私の後ろ姿に突き刺さる視線に気付かない振りをしながら。

eclipsissimo