例の部屋に閉じ込められた!

伏黒くんへの稽古も兼ねて二人で任務に当たった時の事だ。
本来ならこの任務は私一人でも事足りるレベルで人手は必要なかったのだが、五条さんが「律、今度の任務に恵も連れて行ってよ。実践授業ってやつ?」と言ってきたので伏黒くんも着いて来る事になった。あの人は急に突拍子も無い事を言ってきたり、無茶振りするきらいがあるので今回もまたそれか……と思っていたのだが意外や意外、伏黒くんが「よろしくお願いします」と言ってきたものだから驚いてしまった。伏黒くんがちょっと嫌そうな顔をしていたので「実践だったら私じゃなくても良いのでは……?」と冷や汗をかきつつ疑問を呈すれば「足手纏いにはなりませんので」と伏黒くんが言ってきた。彼は優秀だし、私はそれ程強くはない。伏黒くんに経験値を積ませるなら同行するのは私よりも五条さんが適任では、と思ったが五条さんは常に忙しいし丁度良い手合いがいなかったのだろう。わかった、と返事をして伏黒くんを連れて任務へ向かう事になった。嫌そうな顔は五条さんに何か言われたからだろうか。
結果はやはりと言うべきか、私一人でも難なくこなせるレベルの相手でお互い傷一つ無く生還する事が出来た。私どころか伏黒くんでも余裕だったのだから伏黒くんには少々物足りなかっただろう。かと言って危険な任務に連れて行く訳にも行かないので塩梅が難しい。
さて帰ろう、と補助監督の待つ車へ戻ろうとした所でパッと風景が切り替わった。私達は市街地に居たはずだ。なのに今見えるのは辺り一面の真っ白。恐らくこれは結界。まだ生き残りがいたか!

「律さん!」
「ごめん、油断した……!伏黒くん、怪我は!?」
「ありません!くそ、気付けなかった……!」

相手の姿が見えない為、伏黒くんと背中を合わせて出来るだけ死角を少なくする体制を取る。いつ攻撃が来ても良いように臨戦態勢を取る。
……しかし、待てども待てども静寂が木霊するだけで一向に何のアクションも起こらなかった。てっきり何かしら攻撃は来ると思っていたので拍子抜けである。疑問に思って辺りを見渡すと真っ白な空間に一つだけドアのようなものが目に入った。伏黒くんの肩を叩いて注意をこちらに向けさせた後ドアの方を指差す。

「ねぇ、伏黒くん。あれ」
「…………ドア……ですね」
「出れそうじゃない?」
「だとしたら間抜けすぎませんか」
「まぁ、そうだったらラッキーって事で。ひとまずここから出ないと」
「そうですね」

警戒は怠らずにドアへ向かう。「何かあってからじゃ遅いんで」と伏黒くんが率先してドアを触った。これでも何も起こらない。
続いてドアノブに手をかけて回す。しかしガチャガチャと音が鳴るだけでドアノブは回らなかった。ドアを引いたり押したりしても効果無し。やっぱりダメかぁ。そう思っているとはらりと何かが足元に落ちた。
紙だ。さっきまで何も無かったのに。警戒しつつそれを拾うと達筆な字で文字が書かれていた。それを視認した瞬間に私はそれをビリビリと破く。

「律さん、何かあったんですか」
「ううん、何も」
「?でもさっき何か破いて……」
「他にも手段はあるはずだから。最悪私が犠牲になっても伏黒くんはここから出すから。大丈夫。呼べば助けは来るはず」
「は?あんた何言ってーーー」

不穏な様子の私を怪訝に思った伏黒くんの頭上からひらひらと何かが落ちて来る。伏黒くんはそれを難無く捕まえると声に出して読み始めた。

「『1時間ハグしないと出られない部屋』……?」
「さっき破いたのに何で!?」
「ああ、さっきのこれだったんですか」
「冷静だね!?」
「まぁ……慌ててる人がいると尚更冷静になるというか……」
「わかるけども!」

キャリアとしては私の方が圧倒的に長いのに歳下の伏黒くんの方が落ち着いてるって本当にダメダメじゃないか。紙に書かれてある事が本当なのかもわからないし、これが敵の罠という可能性も充分に有り得る。
でも流石にこれは悪ふざけが過ぎる。自分もドアノブ回してみたり伏黒くんに影響が無いよう配慮して試しに呪力を飛ばしてドアを攻撃してみたりしたがドアは開かなかった。外部に連絡を取ろうとスマホを取り出したが圏外だった。伏黒くんは狂乱する私を傍目に見ている。頼りなくて本当にごめん。
冷静さを失っている頭ではろくな解答すら導き出せず、気付けばこんな事を口走っていた。

「……とりあえず、本当にハグしてみる?はは、なんちゃって……」

というか彼未成年だし私といくつ歳離れてると思ってるの。もう犯罪である。でも私の術式を持ってしてもびくともしないどころか傷一つ付かないという事は伏黒くんの式神でも同じという事。ともなるとやはり紙に書いてある事を実行するしかないのでは、と最後の選択肢が脳裏にチラついた結果がこれである。
いやいやまさかね、と渇いた笑いを漏らしつつダメ元で提案してみたが、何より伏黒くんが嫌がるだろう。何が悲しくてこんないい歳した大人とハグしなきゃならないのかと。自分で思ってて悲しくなってきたが彼の嫌がる事はしたくない。もしそうなったら別の手段を考えないとな、と然程良くない頭を回転させていれば突然伏黒くんがバッと両腕を広げたので思わず肩が跳ねる程驚いてしまった。

「……どうぞ」

どうぞ、って何が。いつもの彼からは想像もつかない突拍子も無い行動にますます脳が混乱する。え?え?と間抜けな声しか出せないでいると伏黒くんが視線を逸らして気不味そうに言う。

「試してみる価値はあるんじゃないんですか。……俺は構わないので」

確かに力押しが出来ない以上、やってみる価値はあるかもしれないけど。でも伏黒くんは良いのだろうか。そういう関係でもない異性とハグするなんて。

「早くやりましょう。ほら」

私よりも体格の良い彼の腕は広い。スタイルも良いし。やっぱり男の子だなぁ、なんて現実逃避していると急かすように伏黒くんが言う。
そうか。これは外国でよくある挨拶と同じものと考えれば良いんだ。この行為に特別な感情は無い。日本人だって喜びを分かち合いたい時とかにハグするじゃないか。それと同じだ。緊張なんてする必要が無い。
顔が熱い。俯きながらそっと恐る恐る彼の腕の中に入り、そっと腕を控えめに彼の背中に回してみた。やっぱり男の子の背中だ。広い、し思ったよりがっしりしてる。
そんな呑気な事を考えていれば背中に伏黒くんの手が当たって思わず過剰に反応してしまった。いやいや違う、これは挨拶だ。だからうるさく鳴るんじゃない、私の心臓。
というかこんなに近いのだから心臓の鼓動もバレてるんじゃないのか。だったら恥ずかしすぎる。これはただの挨拶。たかが挨拶。必死に自己暗示をかけるが感じる伏黒くんの体温で意識が持っていかれそうだ。というかこの状態が1時間……?もう一層の事意識を本当に手放してしまいたい。
何分、何十分か経ったところでこのまま立っているのも辛いだろうという事で途中から座る事にした。真っ白な空間に真っ黒の制服を着た男女が二人座って抱き合っている。傍から見たらシュールだな。
その頃には最初にあった緊張は解けていて、今や伏黒くんの肩に額を乗せながら「まだかなー」と言えるくらいに慣れていた。彼も「あと30分ですね」と応えてくれるので大分気が楽だ。寧ろ何も会話が無くてもその静寂が心地良いと感じるくらいだった。

「やっと半分だね」
「……そうですね」
「これで効果無かったらどうしよう」
「その時は別の方法試します」
「もしかして、もう何か対策浮かんでる?」
「まぁ、色々考えてはいますけど。多分大丈夫かと」
「すごいなぁ、伏黒くんは。私なんてあっという間に追い越されちゃうんだろうな」
「……それは、無いと思います」
「そうかなぁ。そのうち五条さんとかも追い越したりしてね」
「イメージが湧きません」
「でも本当に頭も良いしセンスはあるし、いつか出来るかもしれないよ」

そう軽口を叩くが割と本気だ。いくら五条さんが最強とは言え、あの人もいつまでも前線にいる訳ではない。いつか代替わりする時代はやって来る。その時に私も生きているかどうか、その時になってみないとわからない。
でも出来たら、伏黒くんの活躍する姿をもっと見ていたいなぁ、なんて。きっと叶いもしないだろうけど夢くらい見ていても良いじゃないか。

「……その前に、あんたが遠すぎるんだよ」

心なしか先程までよりも強く抱き締められた気がした。

 ◻◻◻

それからだらだら喋ったり喋らなかったりしていれば突然ガチャン、とドアの方から音がした。二人揃ってドアの方を見やるが特に何も変化は無い。

「……もしかして、開いた?」
「みたいですね」
「……ん?」

ひらひらと既視感のあるものが傍らに落ちたのでそれを拾うと1時間前に見たのと同じ筆跡でこう書いてあった。

『イイモノ見させていただきました』

「殺そう」
「手伝います」

eclipsissimo