鳥居の向こうには

※パロ。太宰が人外(狐)



がやがやと鳥居を隔てた向こう側で参道に沿って立ち並ぶ露店と、人々が楽しそうに行き交う様子が見える。
私は今、休暇を利用して都心から離れた実家に帰省していた。その実家のすぐ近くに昔からある神社の前で私は立ち尽くしている。
今日その神社では縁日が行われているらしく、神社の境内は賑わった様子を見せていた。屋台で目当ての物を購う人、射的に勤しむ二人連れ、お面を購って貰って喜ぶ子どもの姿など、様々な様子が見て取れた。
偶々帰って来たこのタイミングで行事が行われているなんて幸運だったな。昔から縁日やお祭りといった催物は好きだった。いつもとは違う非日常感のような特別な時間を味わえるからだ。
すっかり大人となってしまった今では少々子どもっぽいかと思われるかもしれない。だが態々揶揄う人などいないだろうし、と鳥居を潜って境内に足を踏み入れた。喧騒がより近くなる。その瞬間はまるで別世界に迷い込んだような、そんな気分にさせられた。
此処に来るのは子どもの時以来だ。見た事がある筈なのに初めて来たような不思議な心地になる。
境内を眺めるように見渡しながら参道を歩く。子どもの頃はよくこの神社で夜になるまで遊んでいたのをよく覚えている。そこまで大きくはないこの神社は縁日やお祭りといった行事が無ければその雰囲気や喧騒が嘘のように消え失せ、人通りも少なくなり静かで厳かな雰囲気が漂う様子を見せる場所だった。
然し、今になって思えば遊具も何も無いのに何でそんな日が沈む頃までずっと遊べていたのだろうか。子どもの体力はお化けみたいなところもあるし、遊び盛りだったからかもしれない。朧げになってしまった記憶を呼び覚ましながら懐かしさを堪能するようにゆっくりと歩を進める。

「おや、珍しい客人だね」

少し進んだ処で唐突に男の人に声を掛けられた。声のする方は前方から。つい、と周囲の景色から焦点を前方にずらすと、参道の真ん中で深い静かな色の着流しに身を包んだ、焦げ茶の蓬髪が印象的な長身の男性が佇んでいた。
縁日に遊びに来た人だろうか。言葉の感じからして地元の人かもしれない。普段顔を見せない私が気になって声を掛けてきたのだろう。戸惑いながらも対応する。

「え、えぇ、まぁ……今こっちに帰って来ていて」
「帰省中、という訳かい。成る程ね。道理で」
「あの、貴方は……?」
「ああ、突然すまなかったね。私は太宰治。ずっと此処に住んでいてね、今日はこの通り行事が行われるから顔を出しに来たんだ」

矢っ張り地元の人だったか。でも私にとっては見慣れない人だった。一目見て判った事だが彼―――太宰さんは顔立ちが非常に整っている。そんな人がこんな片田舎で話題にされてもおかしくない筈が無いのに、私は彼の事を微塵も知らなかった。私がそういう事に無頓着だっただけか、私が上京してから住み始めた人なのだろうか。

「それにしても今日は一段と賑わっているね。普段ならもう少し人も少なくて道も通りやすかったりするのだけれど」
「ああ、そういえばそうですね……慥かに昔こんなに賑わってたかな……」

記憶の片隅に眠っている幼少期の記憶を引っ張りだし、記憶の糸を手繰る。太宰さんの云う通り、この神社の縁日やお祭りでここまでの盛り上がりを見せるのは珍しい気がする。都会とか別の場所からこっちに転居してきた人が増えたのかもしれない。

「ああ……成る程そういう……ふふ」
「……?何か?」
「いいや、何でもないよ。そうだ、見た処君は一人だろう?善ければ私に此処を案内させてはくれないかい」
「え?でもそんな、案内して貰う程のものでは……」
「こう云っては何だけれど私も一人で来ていてね。少し寂しく感じていたんだ。そこで偶然君がやって来た。……如何だい、云い方は悪いけれど私の暇潰しに付き合ってはくれないかな」
「は、はぁ……そういう事なら……」

まるで軟派みたいだな、と思ったけれど断る理由も特に思い浮かばず彼の提案に乗ってしまった。まぁこの時間だけの付き合いだろうし、折角だし私も縁日を思いっきり楽しもう。
行こうか、と促され太宰さんの後を着いて行く。不思議な人だなぁと太宰さんの背を見つめていると視界の端にとある屋台のれんが目に飛び込んできた。

「あ、りんご飴」
「あれが欲しいのかい?」
「そういう訳では無いんですけど……でも子どもの頃から好きで。こういう場所に寄っちゃうとついつい購ってしまうんですよね」

嬉々として屋台に近付いて並べられたりんご飴を品定めする。どれも透明な包紙越しに赤く艶々と輝いていて美味しそうだ。でも普通の大きさの林檎は食べるのが大変そうだ、と思い姫林檎の大きさのものに目を付け、これくださいと店主に云い、代金と引き換えに目当ての飴を手に取りお礼云ってその場を離れて太宰さんの許へ戻る。包紙を剥がせば夕方の陽射しに照らされ艶々とりんご飴は輝いている。それが途轍もなく美味しそうに見えて衝動のままパリ、と齧った。

「わ、これ凄く美味しい……」
「他にも色んな大きさのものがあったけど、それで善かったのかい?」
「善いんです。子どもの頃調子に乗って普通の大きさのものを購って貰ったんですけど、食べるのに苦労して……」

そこまで話してあれ?と小首を傾げる。私、両親にりんご飴を購って貰った事なんてあったっけ?飴を食べた記憶はある。けれどそれを渡してくれたのは誰だったか……思い出せない。
でも他に当て嵌まる人物がいないので矢張り母か父が購ってくれたんだろう。何故そこの記憶が朧げなのか判らないが、そうでも考えないと辻褄が合わない。
それにしてもこのりんご飴、とても美味しい。そのまま食していると飴の部分から果実の部分に到達ししゃく、と小気味良い音が耳に入った。歩を進める太宰さんに着いて行きながらもしゃくしゃくとりんご飴を齧る。
それに夢中になりすぎていた所為か、歩いていた処で何かにぶつかりそうになり慌てて立ち止まった。すかさず顔を上げれば太宰さんが其処で静止していた。
何だ何だ、と太宰さんの横から覗き込むように彼と同じ方向を見渡す。目の前の拝殿へ続く参道が人でごった返していた。こんな小さな神社でここまでの賑わいを見せるなんて、と内心驚嘆する。私が子どもの頃はこんな感じではなかった筈だが……。
そう思っていると、りんご飴を持っていない方の手を突如何かに握られた。吃驚して其方を見やると私の手は太宰さんの手と繋がっていた。否、繋がされたと云うべきか。
突然の行動に目を白黒させていると太宰さんは柔らかな表情で私を見下ろして云った。

「この人混みで逸れると危い。私の傍から離れてはいけないよ」
「は、はい」

そのまま手を引かれて彼の半歩後ろを歩く形になり、計らずも参道の真ん中を歩く。
ふと、その時過ぎったのは参道の真ん中を通って善いのは神様だけ、という誰かから聞いたような、はたまたインターネットから仕入れたような真偽の程も定かでない豆知識だった。本来なら気にする処なのかもしれないけれどこの人混みでは仕方ないか、と思い大人しく彼に着いて行く。太宰さんはすいすいと人混みをものともせず拝殿へ向かって歩いて行く。すごい、まるで人の方から太宰さんを避けているみたいに誰にもぶつからない。
拝殿が迫るにつれ屋台の数も少なくなり人も疎らになっていった。あれだけの喧騒が嘘のように拝殿の周囲は静まり返っている。

「流石に此処まで来ると人も少なくなりますね……凄い人混みだったなぁ……」
「そうだね。此処の景色だけはいつもと変わらない。寧ろその事に安心感を覚えるよ。此処は、私にとっても特に思い入れのある場所なんだ」

そうなのか、と内心独り言ちながら残った手元のりんご飴を食し続ける。だが姫林檎サイズのそれはあっという間に無くなり、手に残ったのは棒だけになってしまった。
美味しかったなぁ、と少し名残惜しそうに棒を見つめる。太宰さんに一言云ってもう一本購って来ようかな、と思い来た道を振り返った処で目に入った光景に瞠目した。

「…………えっ…………?」

先程まで賑わいを見せていた屋台や人々が何処にもいない。あるのは過去に見たのと同じ、誰もいない境内と参道、奥に見える朱い鳥居、そして立ち並ぶ木々だけだった。驚愕に手に持っていた棒がからん、と音を立てて地面に落ちた。
目の前の景色が信じられなくなり目を瞑って頭を振り、もう一度目を開く。然し景色は変わらなかった。先刻まで私が見ていたものは何だったのだ。でも私は慥かに途中の屋台でりんご飴を購って、その後太宰さんに手を引かれて此処までやって来た。只それだけなのに、一体何が。

「真逆君が此処に帰って来るなんてね。眷属達が教えてくれなかったら危うく見逃す処だったよ」
「太宰、さん」
「私は待っていたのだよ。君がまた此処に戻って来るのを。私達のような存在にとって十年二十年くらいの時間なんて大したものではないのだけれど、今回は途轍もなく長く感じたなぁ」
「仰る意味が、よく、」
「昔。君がまだ幼い頃、よくこの境内で遊んでいた事があるだろう?日が沈むその時まで、同じ年頃くらいの男の子と」

そう尋ねられた途端、急に記憶が掘り起こされたかのように過去の憧憬が次々と脳に浮かび上がって来た。
慥かに私は幼い頃、暇を持て余すとよくこの神社に入って境内で何かしら遊びを見つけてよく遊んでいた。それを鮮明に覚えている。そして、そうだ。私と同じ歳くらいの男の子がいつもこの神社に行けば居て、いつも一緒に遊んでいた。
急に呼び覚まされた記憶に動揺を隠せない。そして何故、太宰さんがそれを知っているのだろう。否、若しかして、真逆。

「貴方は若しかして、あの時の、」
「そうだよ。嗚呼、やっと思い出してくれたね。時間がかかったみたいだけれど、嬉しいよ」

私の問いかけに太宰さんは満足げな柔らかな表情を浮かべた。
右目に包帯をした、焦げ茶の蓬髪が印象的な男の子。この神社で私はよくその子と一緒に遊んでいた。けれど真逆今目の前に立っている太宰さんが、その男の子だったなんて。
でも何故なのか。感動的な再会とも云える展開なのに嬉しさとか喜びとか、そういった感情が一切浮かんでこない。寧ろ得体のしれないものを前にして怯えているかのように足が竦んで動けない。理由が判らないが、あの時の男の子と今目の前にいる太宰さんが同一人物とは思えないくらいに私の記憶の中の男の子と目の前に居る彼とでは雰囲気が異なって見えていた。

「ふふ、これで漸くあの時の約束が果たせるね」

―――約束?そんなもの、太宰さんとした事があったっけ、と戸惑いを露にする私に太宰さんは続ける。繋がれた手が冷や汗をかく。

「……おや、真逆これも忘れてしまったのかい?君はあの時、慥かに私と約束した。『大人になったら私のお嫁さんになる』と。君は私の問いかけに頷いた筈だよ」

至近距離に迫られ、繋がれていない方の太宰さんの手で頬を包まれる。ひやりとしたその手にぞくっと薄ら寒いものが背筋に這うのを感じて思わず後退り、繋がった手を払い退けた。
異様な空気が漂う。此処に来る時はすぐ後ろの参道では屋台が軒を連ねて、それに賑わう人の往来で喧騒が鳴り止まなかったというのに今は何も聞こえない。音が無いと錯覚する程に静寂に包まれており、それが不気味で怖ろしくて思わず自分の体を抱き締めた。

「此処は私の領分だから彼らは易々と入っては来れない。今頃自分の持ち場に戻って宴の準備でもしているんじゃないかな」
「うた……げ……?」
「そう。君が此処に戻って来た、そのお祝いさ」

全くもって彼の云う事が理解できない。私は太宰さんと婚姻の約束などした記憶なんて無い。何より今私が立っているこの神社の様相が不気味以外の何物でもなく、今すぐにでも此処を去ってしまいたかった。太宰さんの口に浮かぶ妖しい笑みを見ていよいよ恐怖を隠せなくなった私は来た道を引き返そうと踵を返した。

「無駄だよ。君はもう元居た場所へは戻れない」

ザァッ、と突如一陣の風が吹き抜けた。それに思わず瞑った目を開けると、この先に在る筈の鳥居が何処にも無く、参道が途中で闇に包まれていた。またもや移り変わった景色に恐怖を覚え、引き攣った声が出そうになるのを両手で抑えた。
怖ろしくなり思わず後退ると、背後からふわ、と何かに包まれた。深く静かな色合いの袖を纏った腕が私を逃すまいと私の体に回される。両手がかたかたと震え出す。

「君が帰るべき道は彼方ではないよ。さぁ、今こそ約束を果たす時だ」

ぎゅう、と背後から強く抱き締められる。その瞬間に感じる筈の人の体温が全く感じられず思わず身震いした。そのまま太宰さんの人差し指でつつ、と唇をなぞられる。

「何より君は此方の世界の食べ物を、それも二度も口へ運んでしまった。神話でもよくあるだろう?冥界の食べ物を口にしてしまったものは二度と現世に戻る事は出来ない、と」

此方は冥界では無いから厳密には違うけれどね、と太宰さんは続ける。

「二、度…?」
「幼い頃にも食べたじゃないか。先程まで君が食べていたものと同じものを。今の君と同じように、美味しそうに、私の目の前で」

太宰さんの言葉が引き金になったかのように過去の記憶が呼び起こされる。あれは今日と同じ縁日が催された日。其処で幼い私はりんご飴を購って、そして食べた。先刻私が食べていたものより大きいりんご飴を。それを嬉々として咀嚼する私の隣で少年の声が鳴り響く。

―――そんなにそれが気に入ったのかい?
―――うん!迚も美味しいよ!――は食べないの?
―――僕は善いんだ。ああ、ほらちゃんと持たないと落ちてしまうよ

其処まで思い出してズキ、と頭が痛み出した。水底から泡が浮かぶように幼少期の記憶が次々と引き摺り出される。縁日を楽しんではしゃぐ子どもの私と男の子。その時の記憶が脳裏を駆け巡る度に鋭い頭痛が走り思わず顔を顰める。その痛みは強烈なもので遂に耐えきれなくなり頭を抱えて俯いた。

「……ああ、矢張りあの時連れて行くべきだったよ。けれど向こうも性懲りも無く邪魔をしてきてね。お陰様で大人になった君は約束どころか私の事まで忘れているし……」

可哀想に、痛いだろうとすり、と擦り寄るように被さるように一層強く抱き締められ頭を撫でられる。

「でもこれで君は二度と人の世へは戻れない。此処では君の世の俗識は通用しない。これからは私の定めた理、私が作った箱庭の中で夫婦として永遠に共に暮らそう」

私の眷属達もお祝いしてくれているしね、とうっとりと耳元で囁かれる。

「此処に至るまで少し時間がかかってしまったけれど、何、構わないさ。これからは二人だけの世界で共に悠久の時を過ごせるのだから」

顎を掴まれて上を向かされ、妖しい光を宿した瞳と視線がぶつかる。きゅぅ、とその瞳が細められ、私の上を影が覆い被さる。その瞬間最後に見えたのは人間にはある筈の無い獣の耳と、私に絡み付くように体に巻き付いた獣の尾だった。