やさしい純情の殺し方

アルバイト終わりに先輩に駅まで送ってもらった。好きという気持ちはまだ芽生えていなくても、恋人と呼べる人と話して帰る。それだけで特別な時間であった。アルバイトのラスト業務を終えて、社員に挨拶を済まして二人で駅まで歩いた。付き合うようになってナマエは変に意識してしまって、接し方が少しぎこちなくなったけれど、先輩は「ゆっくりでいいよ」と言ってくれた。駅で先輩と別れてしばらくするとスマホが鳴り、"気をつけて帰ってね。家についたら連絡ください"と入ったメッセージに電車の中でほくそ笑んだ。
ナマエは幸せだった。その優しさに、この人のことを好きになれるかもしれないと、そんな予感を抱いた夜であった。


恋の片鱗を感じた帰路の途中。地元の駅へ降りたナマエは改札でエースと出くわした。

「よお」
「…お疲れ」

大学で少々気まずい別れ方をしたので、まだ怒っているという意思表示のためナマエは短く挨拶をした。先輩とのやり取りで緩んだ頬を戻して、素っ気ない態度を取るもエースは気にするそぶりもみせず、当たり前のようにナマエの横を歩く。家が隣同士であるから避けようもなかった。

「この後時間あるか?」
「もうすぐ日が変わるじゃない」
「んだよ、明日の講義昼からだろ?」
「そうだけどさ…」
「酒買ったから一緒に飲まねェ?」

エースは片手にもった、コンビニの袋をホラっと見せた。透けてみえるのは、新作のカクテルでCMをみたナマエが一度は嗜みたいと思っていたものだ。こんなもので、釣られないんだからと顔をプイっと背ければ、「悪かった」とエースが謝罪の言葉をもらしたので、思わず足をとめた。エースをみればしおらしい態度で、肩を落としている。

「彼氏のことは急だったから、驚いちまって」
「…」
「一番先に言わなきゃいけなかったな。おめでとう」

しょげた様子をみると、まるでこちらが虐めているみたいに感じて罪悪感がわいてくる。エースはさながら飼い主に捨てられた大型犬のようだ。
ナマエも、いつまでも些細なことで不機嫌を装うほど子どもではなかった。それに幼いころから冒険ごっこを通して築いてきた関係だ。謝罪があれば、相手を許すというのが冒険隊の掟だった。このさっぱりとした掟があったからこそ、エースたちとの関係をずっと続けて来られたとも言える。

「…一本だけだよ?」

ナマエが許すという意を込めて言えば、エースはコロッと表情を変えて「よし!」と嬉しそうに笑ったのだった。今しがたの反省の態度はどこにいったか、エースはもう話題を変えて先を歩いていく。やれやれ仕方ないな、と溜息をついてナマエは彼の後を歩いた。些細な喧嘩だけれど、翌日に繰り越さなくてよかったと思った。


そして、エースの家にお邪魔して、彼の部屋で深夜番組を見ながらスナック菓子をアテにして酒を飲む。二人きり、男の部屋で、夜に年頃の男女が酒を飲む。下心のある相手であれば、艶めいた雰囲気になることもあるかもしれない。しかし確固とした幼馴染という腐れ縁の二人にとっては、あまりに慣れたことで、ナマエは微塵もそんなものを感じたことはなかった。この夜もしかり。物心ついたころから、何度もお邪魔しているエースの部屋。エースより、どこに何があるか把握している部屋である。いつも通り、ラグの上に座って、ローテーブルで酒を嗜む。
ただ、この夜は「彼氏とはどうだ?」と尋ねられて、ついつい有頂天になって話してしまった。一本だけと言っていた酒も進んでしまって二本、三本と開いていく。酒が回り、滑らかになった舌は喋りすぎてしまう。
先輩のかっこいいと思うところ、今日の帰り道で先輩が言ってくれた優しい言葉、彼をどうやら好きになれそうだということ。講義終わりに喧嘩したことなど忘れて、黙って時折相槌を打つエースに話した。

「そうだ、帰ったら先輩に連絡しなきゃいけなかった!」

一方的にひとしきり話した後、ナマエは先輩からのメッセージを思い出して慌ててスマホを手に取った。"無事に着きました"とタップして送信する。先輩からどんな返事が返ってくるのかと想像すると心拍数が上がって、頬が溶けそうだ。おやすみと連絡がくるだろうか、デートの約束が来るかもしれないと自然と口角が上がっていく。
しかしそのナマエの思惑を打ち消すように、部屋の灯りが突如落ちたのだった。

「何っ…」

テレビの電源も落とされ、スマホの灯りだけが頼りであった。慌ててスマホの光源を灯そうとするが手首を取られて、それもできない。

「エース…?」

この部屋にいるのは彼しかいないのに、彼らしくない行動に思わず尋ねてしまった。エースならば、これが偶発的に起こったことならば、まず、「大丈夫か?」と第一声、声をかけてくれるはずだ。スマホの僅かな灯りでは、彼の首元を映すだけで、その表情を見ることはできなかった。省エネモードのスマホはすぐに暗転してしまう。まさかサプライズだろうかと、先輩とのやりとりと酒で浮かれた脳は楽観的にしか働かない。

「エース?」

もう一度名前を呼べば、スマホを取り上げられ、両手が伸びてナマエの頬を通り後頭部を掴まれた。酒を摂取したからか、ナマエの頬がそもそも酒気を帯びていたからか、彼の手は酷く熱く感じた。二度目の問いかけにも、エースは何も答えない。ただただ、酒臭く妙に熱っぽい息づかいが聞こえるだけである。

「…エースってば」

こんな体勢は頭突きをお見舞いするときにしかとらないもので、ナマエはいよいよ怪訝を含ませて問いかけた。
しかし返ってきたのは、頭突きでもなく、ナマエの言葉を遮る同意のない口づけであった。三度目の問いかけに、ナマエの唇に標準を定めたかのように、あの大きく笑う、少しカサついた唇が重ねられたのだ。
初めてのキスに、ナマエは自分がキスをされているのだと直ぐに気が付くことができなかった。酔いも覚めて、リアルに感じる温度にいやだっ、と歯を食いしばった時には、舌で唇を舐め上げられた。その感触に驚いて、僅かに口を開けば、その隙間を逃すまいと舌を差し込まれる。

「んっ、んんっっ…!」

胸を押し返すが、舌を絡め取られて背中に疼きが駆け上がって、力が抜けていく。頭に回った手は力強くナマエを捕え、息をする暇も与えてくれない。

どうして、どうして、どうして…!?
エースなら、こんなことしないハズだ。エースなら…。エースならっ!
壊れたおもちゃのように頭の中で何度も繰り返し、涙が滲んできた。
暗闇でまだ顔は、はっきりと見えないが、ナマエはこの男が、エースでないことを願った。
エースで間違いないことは、誰よりもわかってしまうのに。
彼と過ごした月日の長さが恨めしかった。
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