置かれた場所で咲きなさい。
そういう言葉がある。
「だから、俺はこのままでいい」
向かいの席で、男がニッコリ笑う。両手で頬杖をついて。
女子高生みたいな仕草だ。平気で人の脇腹を刺せるクセに、この男はこういう仕草をする。鼓動と同じくらいの頻度で。
「何頼むの?」
無視して聞いた。メニューを開く。
ズラッと並んだ料理の写真に、目まいがした。ハンバーグやサラダの色というよりも、その枠や土台のパステルカラーが問題だ。目がチカチカする。春先の並盛商店街みたいな色合い。
メニュー表を作ったデザイナーは誰だ。人選ミスも甚だしい。
理不尽だろうと殺意が湧く。今、自分は非常に機嫌が悪いのだ。主に、向かいに座る男のせいで。
「雲雀とファミレスって死ぬほど似合わないねぇ」
「そっくりそのままお返しするよ」
目もくれず返す。メニュー表から視線を外す気は1ミリたりと無い。
僅かな視界の隙間から、ニッコリ笑う相手の顔が見えた。雑誌のモデルみたいにお綺麗な笑顔。
昼下がりのファミリーレストラン。空席だらけの店内。四人掛けを占領するスーツ姿の男が2人。両手で頬を挟んでニコニコする同僚。
ゴミみたいな光景だった。
「何、雲雀。俺の顔に惚れちゃった?」
ゴミじゃなかった。チリだ。引き合いに出したゴミが可哀想だった。
「何か言った?」腹立ち紛れにメニューを投げる。
「ハーイ俺ランチのAセットサラダ付きで!」
ナイフのごとく迫るソレを、紙一重で避けつつ、相手はワンブレスで言い切った。
反射神経が良い奴だ。ついでに運も良い。
「ちょっちょっ、まじシャレになんねーって」
バチッ。厚紙で出来たメニュー表が、見事に壁へ激突した。思いっきりビンタでもかましたような音に、客の何人かが振り返る。
「雲雀、俺のキレイな顔に傷でも付いたらどーしてくれんの」
大真面目な顔で詰め寄られた。近年、稀に見る真剣さだ。
呆れる。隠しもせずにため息をついた。
「そういうこと、よく自分で言えるね」
「事実は事実として受け入れないと」
「与えられた境遇は受け入れなさい、置かれた場所で咲きなさい、かい?」
「あれ」
初めて、相手は嬉しそうに笑った。
「聞いてくれてたんだ。俺の言葉」
口を閉ざす。何も言わずに、子供みたいに笑う顔を、ただ眺めた。
雲雀恭弥は殺し屋だ。
望んでこの職に就いたワケではないが、気が付けばマフィアになっていた。
不満はない。あったなら、今こうして午後1時のファミレスに腰を下ろしていないだろうし、数刻前、60階建ての超高層ビルの屋上にいたりしない。
怯える目標にトンファーを振り下ろす事も、グチャグチャになった標的の血とコンクリの灰色のコントラストを眺める事にも、慣れた。
もう慣れた。
つまり、殺し屋なのだ。雲雀恭弥は。
美意識だとか美的観念だとかは、紙より薄い。けれど、向かい側でへにゃりと笑う男の顔は、なんとなく綺麗に見えた。
綺麗だと、思った。
「……不思議なものだね」
「ん?なんか言ったか?」
「君は、見た目だけはすこぶる良い」
「エッ、俺、今雲雀に褒め……褒められ……?」
どんな女にも男にも、外見で心が動く事は無かった。それなのに、目の前の不愉快甚だしい男の見た目を、好ましく思う。
モデルみたいな顔と、すらりとした体つき。特注で仕立てたスーツは関係ない。薄いペラペラの安物スーツを着ていたって、おそらく、雑誌の一面みたいに映えるのだろう。
綺麗だ。中身はどうあれ、そこは認める。神が、気紛れに手間かけ作ったような外見の青年。
「不思議だって言ったんだ。君みたいなヤツが、数時間前には笑顔でグサグサやってるんだから」
「ちょっ、声デカいって。……っていうか、雲雀ってやっぱナイフ嫌いなの?」
「は?あ、僕Bセット。一緒に頼んで」
流れるように自分の分も押し付ける。相手は、嫌な顔ひとつしなかった。
「だって、俺がナイフ使うたびに不機嫌になんじゃん。ええっと、Bセットだっけ」
拾い上げていたメニュー表が、手から滑り落ちた。とっさに言葉を見失う。
「……そう、Bセット。ハンバーグのやつね。間違えないでよ」
気付かれていた。のか。
「おっけ」
タッチパネル式の小型通信機を、細い指先がぎこちなく押し、スライドさせた。各テーブルに備え付きのそれは、向かいの男にとって扱い慣れないものらしい。時折、困ったように人差し指が空を掻いた。
やはり、不思議だ。数時間前には、指先ひとつでナイフを弄んでいたクセに。
「……はー、注文完了。ってか、雲雀、お前ハンバーグセットとか正気?」
「サラダ付きとかフザけた注文してる奴にだけは言われたくない」
「天下の守護者サマがハンバーグとか……」
「何が言いたいの?」
「めっちゃウケる」
紙ナプキンを投げつけてやった。
置かれた場所で咲きなさい。
その言葉がこれほど似合わない男を、雲雀は他に知らない。
「ていうか、いちマフィアが昼間っからファミレスいる時点で不思議も何も……」
「お腹減ったって言ったのは君」
「ええっ、コレもしかして、全責任イコール俺?!」
「机叩くな、馬鹿。子どもじゃあるまいし」
テレビ映えしそうな見てくれと、笑い慣れした愛想の良さ。
かと思えば、子供のようになりふり構わない笑顔も見せる。あと、年不相応な仕草。
「そう言いつつ付き合ってくれるんだから、雲雀もお腹減ってたんだろ?」
「そこは、そう言いつつ付き合ってくれてる僕は優しいねって言いなよ」
標的には、笑顔で近付く。会話の途中でひと刺しするのだ。
毒の塗った刃を押し込む、随分と古典的な手法。
「雲雀に優しさかあ……」
「梅に鶯とか言うからね。よく似合ってるだろう?」
「物騒とか不穏だったらよくお似合いなんだけど」
会話のボリュームは気にする律儀さと、メニューや紙ナプキンを投げる事は咎めない奔放さ。
奇妙だ。全部、奇妙なのだ。
「次はフォーク投げるよ」
「ハイ物騒!いやまじ待って待てまてマテウェイト!」
両手をブンブン振る、向かいの顔を眺めた。
精巧に作られた人形のような顔、それに不釣り合いな滑稽じみた仕草。器用な手先を持ちながら、炎は使わずナイフを用いる。
要するに、全てちぐはぐなのだ。
置かれた場所で咲けというには土壌がいびつな、与えられた境遇を受け入れるには欠けているものが多すぎるような。
それはおそらく、歪み、とも言う。
――レイ。
通称『ボンゴレの犬』。霧属性・年齢不詳・武器はナイフ。
それが、雲雀の知るこの男の全てだった。