2,殺戮衝動(上)

「ナイフと三叉槍って、引っこ抜く感触は同じなんですかね」
 ふと、骸は問いかけた。リンゴとナシって甘さは同じですかね、と聞くレベルの軽さで。

「……は?」

 隣で、ヒューズが1本飛んだような声がした。その隣、さらに奥の席で、戸惑ったように男が首を傾ける。

「ん?引っこ抜くって、何がかね?レオナルド君」
「ええ、ただ、」
「いえ大した事ではありません」

 凄い勢いで遮られた。ノンブレスかつ滑らかな滑舌で。
 隣を見る。バチッと目が合った。この世の憎悪を収集したような瞳と。
 凄い光景だった。大理石の石像みたく美しい青年が、怨霊のような目付きで睨みつけている。自分を。
 お洒落なバーのカウンターには、おおよそふさわしくない形相だ。ワイングラスよりもリボルバーが似合いそうな表情で、青年が唇を動かす。

 ダ・マ・ッ・テ・ロ。

 骸はニッコリ微笑んで、ワイングラスをゆるっと揺らした。
 最高に愉快だった。この青年の機嫌を損ねるのは。

「何だい、気になるじゃないか。老人は置いてけぼりかい?」

 悪気なく突っ込んでくる初老の男。骸を睨み付けていたレイの口元が、物の見事に引き攣った。生ゴミの袋を間違って開けてしまったような顔だ。

「いえ、本当に大したことではなく……」
「そう濁されると、余計気になるのが人間の性なんだよ。好奇心という奴だ」

 レイの笑みが微妙に歪む。その唇が、蛇のように素早く動くのを骸は見た。

「好奇心猫をも殺すって知ってるか」
「?レイ君、何か言ったかい?」
「いえ、何にも」

 いや今、絶対暴言吐いたでしょう。
 骸は喉で笑いを堪えた。グラスを傾け、穏やかな気持ちでワインを味わう。
 レイとしては、骸のうかつな発言などさっさと流したかったのだろう。当然だ。
 カウンターの1番奥に座るこの初老の男が、今回、刺し殺す標的とあっては。

「ところで、さっきレオナルド君は、何を引っこ抜くって言ったんだい?」

 追い打ちだ。骸はますます喉に力を込めた。この老人も大概しつこい。
 無意識で隣の青年の沸点を試しているあたり、なかなかの標的だ。無知とは、時に恐ろしい武器である。
「……レ、レオナルドは、」
 さて、どうごまかす。ボンゴレ屈指の暗殺者。
 発端が自分だということは、遥か彼方にうっちゃっている。

「……だ、ダイコンとニンジンの引っこ抜く感触は同じですかね、と」

 吹くかと思った。

「……だ、ダイコンと、ニンジン?」
「ハイ、そうです」

 やけくそみたいに答えるレイ。その左の席でまばたきする男。
 骸はギリギリで気道を死守した。危うく呼吸困難に陥るとこだ。

「ダイコンと、ニンジンか……」

 ドン引きだろう。自分だったら、呟く前にイスを蹴ってバーを去っているところだ。ごまかし方に無理がありすぎる。
 レイは水平線を見る目付きをしていた。端的に言って絶望顔だ。

「ほう……社長室で晩年過ごしてきた私には、その、あまり聞きなれない質問だが……」

 当然だろう。
 裏社会で過ごしてきた骸でも、あまり聞きなれない言葉である。

「……ふふ、まあ、妻ならわかっただろうね」

 急展開。
 レイが、目の前の男に後光を見たような表情になった。

「あ、あの……奥様は、農家の出身で?」
「いや、家庭菜園に目覚めてね」

 大進展。
 なんだ。この話の方向性はどこだ。どこが終着点だ。起承転結なら結はどこだ。

「か、家庭菜園で大根とニンジン、ですか」

 レイは少なからず困惑している。目の前で突如、一発芸を見せられたような顔だ。
 社長の奥方が、大根とニンジンを引っこ抜く。なかなか見ない、破壊力のある光景だ。

「ああ。妻はオレンジと白が好きでね」

 なかなか聞かない、破壊力のある動機だ。

「そ、そうですか」
「すまない、妙な事を聞かせてしまって」
 そういう問題か?
「その妻も、もう数年前に他界してしまったがね」

 急に、話が湿り気を帯びる。骸は舐めるようにワインを飲んだ。
 この標的の話に、興味は無い。その生い立ちも人生も、どうでもいい。
 今回ついてきたのは、この案件がレイの担当だと、たまたま知ったからだ。

「……そうでしたか」
「ああ、そんな暗い顔にならないおくれ」

 ちらり、横目で見る。標的の方を見るレイの横顔は、確かに暗く沈んでいた。

「だから、今日は君たちのように若い子と飲めて、久々に楽しいんだ」

 鼻で笑い飛ばすところだ。名も知らない標的ではなく、その隣で微笑むレイの方を。寂しがり屋の社長さん、隣はとんだペテン師ですよ、と。
 彼の暗い表情もいたわるような微笑みも、すべては演技なのだから。

「それはよかったです。俺としても、光栄だ」
「行きつけのバーで、初対面の相手とこんなふうにカウンターで飲めるとは」

 男は笑う。全てを偶然と思って疑わない表情で。
 必然を伴わない偶然など、存在しないというのに。

「……あれ、何か付いていますよ。マルシェさん」

 レイが、静かに身を乗り出した。滑らかにグラスを置き、男の頬へ左手を伸ばす。

「おや、そうかい?」
 マルシェ。
 今、初めて標的の名前を知った。

「ええ、取りますね。目元に、何か砂のようなものが」

 成人を越した青年が、白髪交じりの男に顔を近づける。
 骸は顔を前に固定した。視界の端、レイがしなやかに動くのがわかる。
 相変わらず、高貴な猫のような動作だ。滑らかで自然。かつ優美。

「ふふ、君は綺麗な顔をしているね。レイ君」

 男が笑う声が聞こえた。幼児のように無垢な笑い方。
 呆れたものだ。初対面の男に口づけのような距離で迫られて、出てくる言葉が「綺麗」。

「そうですか?よく言われるんですが」
 レイの声に艶が混じった。口調が砕ける。
「さぞ、女性にもモテるのだろう」
 男の声も優しくなる。柔らかいだけだった声音が、初めて色付いた。
 呆れたものだ。

「ふふ、否定はしません」
「妬けるねえ」

 妬ける。何に。どっちに。
 女に取り囲れるレイにか。それとも、取り囲む女に。

「特に、目が綺麗だ。面白い色をしている」
「そうやって、マルシェさんは何人も落としてきたんですか?」
「おやおや」

 呆れたものだ。だが、理解はしている。
 石像のような整った見目と、ほどよい距離感を保つ話し方。
 人を惑わすには適切すぎる。彼には、そういう部分がある。
 骸は、それをよく知っている。痛いほどに。
「ああ。死んだ妻も昔、同じくらい綺麗でね、私はよく言ったも」ドッ。



 ワイングラスの最後の一滴まで、飲み干す。それから、骸は横を見た。
「綺麗なバラには棘がある。知らなかったんですかねぇ」
 レイが、こちらを見る。その左肩に、もたれかかるようにして男が頭を預けていた。

「俺、バラは嫌いだからヒガンバナとかがいいな」
 斜め45度からの返答。骸は無言で肩をすくめた。

 妻によく言ったという言葉を言い終えないまま、標的は心臓をひと突きされ、事切れていた。

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