「ナイフと三叉槍って、引っこ抜く感触は同じなんですかね」
ふと、骸は問いかけた。リンゴとナシって甘さは同じですかね、と聞くレベルの軽さで。
「……は?」
隣で、ヒューズが1本飛んだような声がした。その隣、さらに奥の席で、戸惑ったように男が首を傾ける。
「ん?引っこ抜くって、何がかね?レオナルド君」
「ええ、ただ、」
「いえ大した事ではありません」
凄い勢いで遮られた。ノンブレスかつ滑らかな滑舌で。
隣を見る。バチッと目が合った。この世の憎悪を収集したような瞳と。
凄い光景だった。大理石の石像みたく美しい青年が、怨霊のような目付きで睨みつけている。自分を。
お洒落なバーのカウンターには、おおよそふさわしくない形相だ。ワイングラスよりもリボルバーが似合いそうな表情で、青年が唇を動かす。
ダ・マ・ッ・テ・ロ。
骸はニッコリ微笑んで、ワイングラスをゆるっと揺らした。
最高に愉快だった。この青年の機嫌を損ねるのは。
「何だい、気になるじゃないか。老人は置いてけぼりかい?」
悪気なく突っ込んでくる初老の男。骸を睨み付けていたレイの口元が、物の見事に引き攣った。生ゴミの袋を間違って開けてしまったような顔だ。
「いえ、本当に大したことではなく……」
「そう濁されると、余計気になるのが人間の性なんだよ。好奇心という奴だ」
レイの笑みが微妙に歪む。その唇が、蛇のように素早く動くのを骸は見た。
「好奇心猫をも殺すって知ってるか」
「?レイ君、何か言ったかい?」
「いえ、何にも」
いや今、絶対暴言吐いたでしょう。
骸は喉で笑いを堪えた。グラスを傾け、穏やかな気持ちでワインを味わう。
レイとしては、骸のうかつな発言などさっさと流したかったのだろう。当然だ。
カウンターの1番奥に座るこの初老の男が、今回、刺し殺す標的とあっては。
「ところで、さっきレオナルド君は、何を引っこ抜くって言ったんだい?」
追い打ちだ。骸はますます喉に力を込めた。この老人も大概しつこい。
無意識で隣の青年の沸点を試しているあたり、なかなかの標的だ。無知とは、時に恐ろしい武器である。
「……レ、レオナルドは、」
さて、どうごまかす。ボンゴレ屈指の暗殺者。
発端が自分だということは、遥か彼方にうっちゃっている。
「……だ、ダイコンとニンジンの引っこ抜く感触は同じですかね、と」
吹くかと思った。
「……だ、ダイコンと、ニンジン?」
「ハイ、そうです」
やけくそみたいに答えるレイ。その左の席でまばたきする男。
骸はギリギリで気道を死守した。危うく呼吸困難に陥るとこだ。
「ダイコンと、ニンジンか……」
ドン引きだろう。自分だったら、呟く前にイスを蹴ってバーを去っているところだ。ごまかし方に無理がありすぎる。
レイは水平線を見る目付きをしていた。端的に言って絶望顔だ。
「ほう……社長室で晩年過ごしてきた私には、その、あまり聞きなれない質問だが……」
当然だろう。
裏社会で過ごしてきた骸でも、あまり聞きなれない言葉である。
「……ふふ、まあ、妻ならわかっただろうね」
急展開。
レイが、目の前の男に後光を見たような表情になった。
「あ、あの……奥様は、農家の出身で?」
「いや、家庭菜園に目覚めてね」
大進展。
なんだ。この話の方向性はどこだ。どこが終着点だ。起承転結なら結はどこだ。
「か、家庭菜園で大根とニンジン、ですか」
レイは少なからず困惑している。目の前で突如、一発芸を見せられたような顔だ。
社長の奥方が、大根とニンジンを引っこ抜く。なかなか見ない、破壊力のある光景だ。
「ああ。妻はオレンジと白が好きでね」
なかなか聞かない、破壊力のある動機だ。
「そ、そうですか」
「すまない、妙な事を聞かせてしまって」
そういう問題か?
「その妻も、もう数年前に他界してしまったがね」
急に、話が湿り気を帯びる。骸は舐めるようにワインを飲んだ。
この標的の話に、興味は無い。その生い立ちも人生も、どうでもいい。
今回ついてきたのは、この案件がレイの担当だと、たまたま知ったからだ。
「……そうでしたか」
「ああ、そんな暗い顔にならないおくれ」
ちらり、横目で見る。標的の方を見るレイの横顔は、確かに暗く沈んでいた。
「だから、今日は君たちのように若い子と飲めて、久々に楽しいんだ」
鼻で笑い飛ばすところだ。名も知らない標的ではなく、その隣で微笑むレイの方を。寂しがり屋の社長さん、隣はとんだペテン師ですよ、と。
彼の暗い表情もいたわるような微笑みも、すべては演技なのだから。
「それはよかったです。俺としても、光栄だ」
「行きつけのバーで、初対面の相手とこんなふうにカウンターで飲めるとは」
男は笑う。全てを偶然と思って疑わない表情で。
必然を伴わない偶然など、存在しないというのに。
「……あれ、何か付いていますよ。マルシェさん」
レイが、静かに身を乗り出した。滑らかにグラスを置き、男の頬へ左手を伸ばす。
「おや、そうかい?」
マルシェ。
今、初めて標的の名前を知った。
「ええ、取りますね。目元に、何か砂のようなものが」
成人を越した青年が、白髪交じりの男に顔を近づける。
骸は顔を前に固定した。視界の端、レイがしなやかに動くのがわかる。
相変わらず、高貴な猫のような動作だ。滑らかで自然。かつ優美。
「ふふ、君は綺麗な顔をしているね。レイ君」
男が笑う声が聞こえた。幼児のように無垢な笑い方。
呆れたものだ。初対面の男に口づけのような距離で迫られて、出てくる言葉が「綺麗」。
「そうですか?よく言われるんですが」
レイの声に艶が混じった。口調が砕ける。
「さぞ、女性にもモテるのだろう」
男の声も優しくなる。柔らかいだけだった声音が、初めて色付いた。
呆れたものだ。
「ふふ、否定はしません」
「妬けるねえ」
妬ける。何に。どっちに。
女に取り囲れるレイにか。それとも、取り囲む女に。
「特に、目が綺麗だ。面白い色をしている」
「そうやって、マルシェさんは何人も落としてきたんですか?」
「おやおや」
呆れたものだ。だが、理解はしている。
石像のような整った見目と、ほどよい距離感を保つ話し方。
人を惑わすには適切すぎる。彼には、そういう部分がある。
骸は、それをよく知っている。痛いほどに。
「ああ。死んだ妻も昔、同じくらい綺麗でね、私はよく言ったも」ドッ。
ワイングラスの最後の一滴まで、飲み干す。それから、骸は横を見た。
「綺麗なバラには棘がある。知らなかったんですかねぇ」
レイが、こちらを見る。その左肩に、もたれかかるようにして男が頭を預けていた。
「俺、バラは嫌いだからヒガンバナとかがいいな」
斜め45度からの返答。骸は無言で肩をすくめた。
妻によく言ったという言葉を言い終えないまま、標的は心臓をひと突きされ、事切れていた。