14,嵐は唐突に来たりて(下)

「……まーた腕、上げたなぁ」

 白蘭が、ナイフを引っこ抜く。その先から数本、パラパラと白髪が落ちた。
「……バカ言ってる場合ですか?」
 ため息をつく。戦闘をひとつ終えた直後みたいな疲労感があった。
 扉が、荒々しく閉まる。突風にあおられたかのごとく。レイという名の突風に。

「ゴメンねぇ。ソファに、穴あけちゃった」

 ニッコリ、白蘭が笑う。その右耳の真横に、三日月のような切れ目がパックリ口を開けていた。

「……10代目」
「うん。追い掛けて」
 耳元で囁かれる。優秀な右腕は、頷くと部屋を出て行った。

「あーあ。このソファ、いくら?」
 指にナイフを引っかけて、白蘭はどうでもよさげに言う。ヒュンヒュン、とナイフは踊るように回った。
「なんで、とどめ刺したんですか?」
 全てを無視して尋ねる。ソファに腰掛けたまま、相手は微妙に目を細めた。睨みともとれる眼光だ。

「綱吉クンだってわかってんじゃん」
「何が」
「超メンドーでしょ。あの子」

 超メンドー。
 それが本心なら、低レベルな口ゲンカはできないだろう。

「可愛がってたんですか?」
「今の綱吉クンと、同じくらいにはね」
 白髪の男が身を起こした。腰までの高さしかないローテーブルに片肘をつき、頬をのせる。


「カワイイでしょ?僕が5年、手塩にかけて育てたノアチャンは」


 頬杖をついて微笑む相手は、ミルフィオーレをまとめる総指揮官の顔をしていた。
 充分な煽りだ。わざわざ、嫌だと言った呼び方まで使って。

「可愛いですよ。おかげさまで、今ではオレの忠実な犬です」

 一瞬、相手の目がぎらりと光った。殺気。
 空気が張り詰める。風船が限界まで膨らむように、ギリギリと。

「……あーあ」
 緊張を解いたのは、相手だった。空気がふわっと緩む。雪解けのように、瞬間的に。
 白蘭は、そのままふっと目を伏せた。持っているおもちゃ全てに飽きてしまった子供みたいな顔だ。
「……どうしたんですか」
 反射で胸元の銃に伸びていた手を、下ろす。
 少しだけ、本気で殺られるかと思った。

「あの子は何年か前、僕のアジトの近くで倒れてるのを拾ったの。血塗れでさぁ」

 えらく唐突だ。急な昔話に、素で面食らう。
「絶対死んでると思ったんだけどね。キレーな顔だってザクロが騒ぐから、気まぐれに手当てしてみたんけど、ホント可愛い顔してて」
 白蘭が、懐かしむように小さく笑った。童話を語るような顔付きで。
「気まぐれだよ。ぜーんぶ、気まぐれ。銃が下手だからナイフ持たせたのも、ハイクっていう文化を教え込んだのも」
「……楽しそう」ぽろっと呟いていた。
「楽しかったよ。弟ってこんな感じかなって」

 知っている。唐突に、理解した。
 白蘭も、知っている。レイの孤独と歪みを。
 自分が親なら、彼は兄だ。血縁者のような慈しみで、レイを更生させようとした。
 それが。

「好きって言ったら逃げちゃった」

 白蘭を見つめる。視線の先で、相手は割れた皿を見るように苦笑していた。もう戻らないね、みたいな。
「ダメだよねぇ。弟に対して、抱きたいって思う兄はいないんだから」
「……随分、直接的な」
「おんなじでしょ?」

 当然のように投げかけられた問いに、口元を緩めた。

「まさか。レイは可愛い子供ですよ」
「喰えないなあ」
 白蘭が笑った。「すっかりマフィアっぽくなっちゃって」と付け加えられる。
「……オレは、マフィアですよ」
「どうかなあ。まあ僕は、消えられる前にベッタベタに依存させる予定だったんだけどね」
 猛毒の飴を飲まされたような気持ちになった。発言がぶっ飛んでいる。
 無言で見つめ返していれば、相手は不意に立ち上がった。


「まあ、綱吉クンは、逃げられる前に殺しちゃうよね」

 ……は。
 反駁する前に、白蘭はこちらに背を向けていた。

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