「……まーた腕、上げたなぁ」
白蘭が、ナイフを引っこ抜く。その先から数本、パラパラと白髪が落ちた。
「……バカ言ってる場合ですか?」
ため息をつく。戦闘をひとつ終えた直後みたいな疲労感があった。
扉が、荒々しく閉まる。突風にあおられたかのごとく。レイという名の突風に。
「ゴメンねぇ。ソファに、穴あけちゃった」
ニッコリ、白蘭が笑う。その右耳の真横に、三日月のような切れ目がパックリ口を開けていた。
「……10代目」
「うん。追い掛けて」
耳元で囁かれる。優秀な右腕は、頷くと部屋を出て行った。
「あーあ。このソファ、いくら?」
指にナイフを引っかけて、白蘭はどうでもよさげに言う。ヒュンヒュン、とナイフは踊るように回った。
「なんで、とどめ刺したんですか?」
全てを無視して尋ねる。ソファに腰掛けたまま、相手は微妙に目を細めた。睨みともとれる眼光だ。
「綱吉クンだってわかってんじゃん」
「何が」
「超メンドーでしょ。あの子」
超メンドー。
それが本心なら、低レベルな口ゲンカはできないだろう。
「可愛がってたんですか?」
「今の綱吉クンと、同じくらいにはね」
白髪の男が身を起こした。腰までの高さしかないローテーブルに片肘をつき、頬をのせる。
「カワイイでしょ?僕が5年、手塩にかけて育てたノアチャンは」
頬杖をついて微笑む相手は、ミルフィオーレをまとめる総指揮官の顔をしていた。
充分な煽りだ。わざわざ、嫌だと言った呼び方まで使って。
「可愛いですよ。おかげさまで、今ではオレの忠実な犬です」
一瞬、相手の目がぎらりと光った。殺気。
空気が張り詰める。風船が限界まで膨らむように、ギリギリと。
「……あーあ」
緊張を解いたのは、相手だった。空気がふわっと緩む。雪解けのように、瞬間的に。
白蘭は、そのままふっと目を伏せた。持っているおもちゃ全てに飽きてしまった子供みたいな顔だ。
「……どうしたんですか」
反射で胸元の銃に伸びていた手を、下ろす。
少しだけ、本気で殺られるかと思った。
「あの子は何年か前、僕のアジトの近くで倒れてるのを拾ったの。血塗れでさぁ」
えらく唐突だ。急な昔話に、素で面食らう。
「絶対死んでると思ったんだけどね。キレーな顔だってザクロが騒ぐから、気まぐれに手当てしてみたんけど、ホント可愛い顔してて」
白蘭が、懐かしむように小さく笑った。童話を語るような顔付きで。
「気まぐれだよ。ぜーんぶ、気まぐれ。銃が下手だからナイフ持たせたのも、ハイクっていう文化を教え込んだのも」
「……楽しそう」ぽろっと呟いていた。
「楽しかったよ。弟ってこんな感じかなって」
知っている。唐突に、理解した。
白蘭も、知っている。レイの孤独と歪みを。
自分が親なら、彼は兄だ。血縁者のような慈しみで、レイを更生させようとした。
それが。
「好きって言ったら逃げちゃった」
白蘭を見つめる。視線の先で、相手は割れた皿を見るように苦笑していた。もう戻らないね、みたいな。
「ダメだよねぇ。弟に対して、抱きたいって思う兄はいないんだから」
「……随分、直接的な」
「おんなじでしょ?」
当然のように投げかけられた問いに、口元を緩めた。
「まさか。レイは可愛い子供ですよ」
「喰えないなあ」
白蘭が笑った。「すっかりマフィアっぽくなっちゃって」と付け加えられる。
「……オレは、マフィアですよ」
「どうかなあ。まあ僕は、消えられる前にベッタベタに依存させる予定だったんだけどね」
猛毒の飴を飲まされたような気持ちになった。発言がぶっ飛んでいる。
無言で見つめ返していれば、相手は不意に立ち上がった。
「まあ、綱吉クンは、逃げられる前に殺しちゃうよね」
……は。
反駁する前に、白蘭はこちらに背を向けていた。