15,答え合わせ

 野生の獣みたいな凶暴さで叩かれた。腕を掴もうとした手を。

「放せよ!」「レイ、」

 パッと距離を取った相手が、フゥーッと毛を逆立てる。睨まれた。
 無視して踏み込む。1歩近付けば、1歩分後退された。何の因果か、この男が逃げ込んだ先はあの医務室だ。

「……落ち着け」
 獄寺は諦めて、声をかけた。足は止める。
「近付くな。っていうか来るな」
「なんで」
「来たら刺す」
 会話が成り立ってない。舌打ちした。
「いーから落ち着け、レイ。らしくもない」
「"らしくもない"?」
 レイが口端を持ち上げて吐き捨てた。
 目がギラギラしている。本当に、野生の獣のようだ。

「じゃあ、どうあれば俺らしいんだ?」

 虚を突かれた。答えられないまま、見つめ返す。
「聞いてたんだろ。ひとりじゃ生きられないくせに他人嫌いな、臆病者の甘えたがり」
「……ああ」
 白蘭が言った言葉だ。レイが、ナイフを投げる1秒前のセリフ。
「合ってんだよ」
「え」
「合ってるから、腹立つんだ。わかってるくせに、見抜いてたっていうのに」
 レイがギリッと歯を噛んだ。手負いの獣が、最後に一矢報いる寸前みたいに。

「そこまでわかってて、なんで助けてくれないんだよ」

 頬を殴り飛ばされるみたく、鼓膜をレイの声が打った。
 吠え叫んでいる。手負いの獣が。傷口を見破られたことに恐怖して。


 欲しいなら求めろ。口で言え。

 そう言ったのは、自分だ。なのに、今この瞬間、絶望している。
 言葉にしても、叶わないものの大きさに。
 
「……失望しただろ。みっともないって」
 ピントが合うように、視線が交わる。殺意に近い鋭さで、レイがこちらを睨んでいた。
「……は」

「大切な物ってなんだ。誰かを愛しく思うってなんだよ。どうして生い立ちも過去も知らない相手の事を、好きだなんて言えるんだ」

 怒鳴るような声だった。狭い医務室に、行き場を失った声がぶつかって反響する。

「……お前」
 脳裏に答えがひらめくように、一瞬で言葉が口をついて出る。

「お前、誰かに執着したこと、無いのか」


 大切な物。誰かを愛しく。他人を好きだと思える心。
 それらは全部、作ろうと思って作ることのできるものじゃない。そんな感情、一度も得ずに生きる者だっているかもしれない。
 けれど、目の前の男はそれを知りたいともがいている。一度蜜の味を知った蟻が、もう一度欲しいと渇望するように。

 ああ。
 目が眩むような感覚だった。月明かりだけの暗い医務室で、足場が崩れたように。
 唐突に、理解した。ボスがこの男を拾った意味を。
 多分、こういう感覚だったんだ。

 手を伸ばす。

「……なに……」
 レイが、目を見開く。
「手を」
「は、」
「手を、取れ」

 たぐいまれな美貌の男が、土砂降りの最中に放り出された幼子のような濡れた目をする。
 この世で、1番美しい光景のように思えた。

「手を」

 この世で、1番誘惑される光景だと、思った。

▽▲


 人間は秘密に惹かれる。灯りに寄る蛾のように。
 自分も同じだ。ただ、灯りでは無く闇に惹かれた。この男の秘められた薄暗さに。
 恋情でも欲情でもない温かさが欲しいのだと、孤児のような望みを育ちきった青年が吐露する。そのアンバランスさを、面倒でも奇異でもなく、哀れだと思った。

 今だ。今、この瞬間、自分が手を伸ばさなければ、この人間は死ぬ。
 自分が手を取らなければ、その手を掴まなければ。

 自分が、この男が望む家族じゃなかったとしても。

▽▲


 傷口を抉るとわかっていて、訊いた。
「……代理のモノで空白を埋め続けるって、どういう気分だ?」
 レイが虚ろに笑った。取られた手は、冷水に浸かっていたように冷たい。

「愛が恋に変わる境目って何?」
「は?」
 質問に質問返し。はぐらかされた事にイラ立つより、質問の中身に戸惑った。
「んだその、恋愛ドラマ見すぎたみたいな問いは」
「獄寺が恋愛ドラマとか言うと、面白いな」
「テメ、」
「『代理のモノで空白を埋め続けるって、どういう気分だ?』」
 言葉に詰まった。
 蒸し返された。このタイミングで。こめかみを殴るように。

「終わらないイタチごっこさ」

 笑った男は、手を振るくらいの軽さで続けた。
 本音だ。それがわかったから、すぐに反応できなかった。
「俺を救ってくれる人は皆、俺を好きだと言ってくれるんだ」
「……それは、喜ばしい事じゃねぇのか」
「そうだね」

 レイは笑っていた。共感者はとうの昔に諦めた。そういう笑い方。


「俺が、大切だと思えたなら」

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