目は雄弁に語る。
言葉は無かったが、それで充分だった。シャツの襟から覗く、白い首筋に傷が無いのを確かめ、とりあえず安堵する。
「……連絡」
「れんらく?」
ロボットじみたぎこちなさで返答が来る。レンラク?
「連絡してくれるって。約束した」
無感情に見下ろした。白蘭に何をされたか、に対する答えなのはわかる。だが、意味が分からない。
連絡。メル友じゃあるまいし。いや、それともそういうことなのか。
「あの白髪頭と連絡取る、って」
「うん」
「会話できるの?」
レイの目が、困惑に満ちた。
「……雲雀、お前がヤツをどう認識してるか知らないけど、白蘭も一応人間だから」
「知ってるよ」
さすがに、そこまで自分も人でなしじゃない。
「ただ、綿密に連絡取るほど楽しくないでしょって」
「オブラート」
「話題無いでしょって思ったまでで」
言い換えつつ、考える。この男と、あの白い頭のやり取りを。
「話題無かったら、5年も一緒にいられないっての」
転んだ幼児を引っ張り上げるような、呆れた目。さらっと返してくれる。
チリッと、喉が焼けた。その、至極当然と言わんばかりの口調に、どこか引っかかかる。
「……ブリーチ剤はあのメーカーがベストなんだ、とか、頬のギザギザ模様変えたいんだけど、くらいしか浮かばないんだけど。指切りするほど、何か楽しいトピックある?」
「雲雀サン、あなた前世で白蘭に殺されたの?」
「今日15人消したよ、とか言ってはしゃぐ図なら、まだ浮かぶけど」
「サイコパスかよ」
目を細め、レイが笑う。聖書の一端を飾りそうな美しさ。
「糖尿病」
「は?」
口ずさむように、眼下の美青年が微笑む。
「糖尿病になったら連絡しろって、約束したんだ」
サイコパスだ。
「……何、ミルフィオーレのボスは、近々病気にかかる予定なの?」
「間違いないね。俺の見立てだと、あと数年以内には」
「じゃあ、邪魔者は消えるね」
細い手首に、血管が浮かび上がり始めていた。肌が白いからよく映える。
「邪魔者?」
スキップするような軽快さで、レイが笑った。
敏い男。他者からの好意には疎いくせに、空気の変化にはウサギよりも敏感だ。
「君が心を乱される相手が、これで1人、減るわけだ」
軽い空気には持ち込ませない。
低く囁いた雲雀に、レイが瞳孔を揺らした。押し倒してから二度目の、怯んだ仕草。
「心乱された記憶なんて、無いけど?」
「発言が二転三転してるけど、自覚あるかい?レイ」
セリフをそっくりそのままなぞって返せば、整った顔が嫌そうに動く。
「……嫌な奴」
「愛情の先に肉欲があるワケじゃないよ」
切りつけるように言った。意表を突かれた顔で、レイが目を開く。
答え合わせの時間だ。
片方の手首を放して、頬に手を添える。
反射的に思い出したのだろう。相手が、ぴくっと肩を動かした。
「肉欲は三大欲求の一つだ。人間の本能に基づいた、繁殖するための生理的欲求だよ」
するり、指を滑らす。唇の下を抑えた。
薄い色の唇が、雲雀の指に従ってうっすら開く。
「だから、君の『兄』にしろ『親』にしろ、それは肉欲じゃない」
だって、君は男だから。
クッ、と親指を差し入れた。精巧な人形みたいな男。この暗がりでは、性別すら見誤りそうだ。
綺麗なものは大抵、中性的にできている。天使も悪魔も精霊も神獣も、死神も。
神に性別を意識しないように、尊いものに性欲を抱きたくないのが人間だ。だから多分、この男は、こんな見た目をしていながら経験値が低い。
六道が「美しすぎる」と評した美貌だ。あの時は過剰だと思った発言に、今なら共感できる。
いっそ人間味さえ削り落としたような、破綻のない外見。春先、澄みきった並盛の青空に似た美の要素だ。
「全部、愛情だ」
親指を入れたまま、言い切る。噛まれない事はわかっていた。
レイは無表情だった。感情が滅んだみたいな顔で、口に雲雀の指をくわえている。
愛情に肉欲が伴うのは不思議な事じゃない。
聖書でさえ、父を騙して相姦する娘がいるんだ。同性間に、何の問題がある?
「……でも、君にはわからないんだろうね」
僅かに空いた唇へ、捻じ込むようにそう告げた。
わかる。
雲雀には、わかる。もう、わかってしまっている。
誰かに取られるのが嫌だという感覚、親にしろ兄にしろ唯一無二の存在を切望する思考、愛情を伴う肉欲の、暴力的な衝動。
顔を近付ける。呆けたように動かなかった瞳が、怯えた子猫みたいに素早く瞬いた。
そうだ、首を噛もう。そう思った。
どうせなら、白蘭にされてないことがいい。
「噛むから」
え。眼窩から瞳孔が落ちそうなギリギリまで、レイが目を見開く。
「君も、指噛んでいいよ」
だから、声は抑えててね。
微笑んで、ドクドクと脈打つ手首を握り直した。
口を大きく開く。極上の柔肉を食するように。
それでも。と、雲雀は思う。
それでも。僕なら、愛情だけで止めてあげられるのに。