24,オトギリソウ

 医務室は、相性の悪い人間との出会いの場なのだろうか。

「レイ!ここで会ったが三年目、極限に言いたい事があるぞ!」
「……。」

 絶句した。初めてオバケを見た子供のような気持ちで。
 目の前には笹川了平がいる。なぜか、ファイティングポーズの。

「……それを言うなら、3年目じゃなくて百年目、です」
「む、そうか!まあ大体同じだろう!」

 全然違う。

「笹川センパイ、何しにココへ」

 相変わらず、コメントに困る人だ。
 右手を背中に回しながら、思う。掴んだ包帯が見えないよう、さりげなく。

「ウワサを聞いてな!」

 にかっと笑う顔。良い笑顔だ。
 テレビでも眺めている気分で、一歩後ろに退く。

「噂?」

 おうむ返しに尋ね返す。
 扉に近いのは笹川だ。医務室の奥側にいる自分は分が悪い。

「レイは、ケガをするとオレではなく医務室を頼るというウワサを聞いたのだ」

 走れば逃げられるか。一瞬の目測で、計算する。

「それ、噂じゃないですよ」
「おお、そうなのか?」

 いける。グッ、とつま先に力を込めた。
 喉が鳴る。視線を逸らさなかったのはワザとだ。笹川の目が見開く。勘付かれたか。

「ほんとうなんで」

 だが、遅い。
 言い切る前に、床を蹴った。

▽▲

「待て待て!」

 バッ。
 鼻先。黒い影が、疾風のごとく唐突に、

「!」

 思うより先に、本能が反射でブレーキをかける。靴底が悲鳴と砂埃をあげた。黒板を引っ掻くにも似た高音を。
 
「っ、」あ、

 止まれない。

「!、レイッ」

 どさり。とっさに目をつぶっていたが、予想していた衝撃は来なかった。その代わり、体が温かい感触に受け止められている。
 大きな羽毛布団のような、衝撃緩和剤に。

「極限に危なかったな!」
「……笹川センパイ」

 真夏日のごとく朗らかな声。たった今、成人男性を受け止めた人間の発言とは思えない。
 目を開ける。床に崩れ落ちたかっこうの自分。を、膝にのせ、陽気な笑みで見下ろす笹川。
 複雑だ。非常にコメントしづらい体勢だ。

「まったく、急にドアめがけて突進する奴があるか!」

 ぷんすこ、みたいな顔でお説教される。表情と発言がアンバランスだ。ジョークか本気かも解りかねる。
 ドアめがけて突進て。サイか?

「おかげで止められないかと思ったぞ」
「俺は止めて欲しく無かったんですが」
「お、そうだったのか。まあ間に合って安心したぞ」

 はしゃぐ幼児を抱き止めたような対応。反応に困る。
 ここにいるのは幼児とその父などではなく、ベッドシーンが似合うイイ大人なのだから。

「お前が大ケガをしたら、さすがに晴の炎でも治せんからな!」

 表情を保とうと努力する。真冬に半袖で走る人間とぶち当たってしまったような。これは、そういう戸惑いに近い。

「……俺に、炎を使う必要はないですよ」

 呟くように言う。途端、こちらを覗き込む顔が曇った。

「極限にわからん。なぜだ?」
「包帯や絆創膏があるんで」
「だが、オレがいる時はオレを頼ればいい」
「いやそんな、使えるものは使え的な精神は、ちょっと」
「何を遠慮しているのだ」

 目が合う。こちらの右腕を掴む笹川の手に、力がこもった。抱き止められた時から離れない、ひと回り大きな手のひら。
 ああ。まっすぐな眼差しに、心臓が怯む。

「何がお前を阻んでいるのだ、レイ」

 脳の裏側まで見抜くような目だ。自分が苦手な。

▽▲

「……センパイって、苦手なものあります?」
「ニガテか?」

 ふむ。笹川が視線をさまよわせる。
 この人、本当に大きいな。未だ膝乗りになった状態で、とりとめなく思う。

「勉学は不得手だったな……」
「ああ」

 そんな気はしました。という言葉は引っ込めた。

「ああ、あと」
「あと?」

 笹川がニッ、と笑う。

「敬語を使うお前は苦手だ!」

 息を詰めた。
 だから、多分苦手なのだ。太陽のごとき能天気さと裏腹な、人を真っ直ぐ見据える能力。

「……ボスにだって使いますよ。俺、けっこう礼儀は重んじる方なんです」
「ヒバリには敬語じゃないとウワサを聞いたぞ」

 いくつのウワサをストックしているのか。ボンゴレで井戸端会議とか開催してるわけじゃあるまいし。

「雲雀は別です。悪友なんで」

 そっけなく言い放ったつもりだった。これ以上、相手がこの話題に興味を持たないように。
 だが、なぜか笹川は快活に笑った。

「そうか。お前とヒバリは、悪友なのか」

 ふわり。不意に、頬を触られた。目をしばたく。
 優しい手付きだった。それこそ、子供の頭を撫でるように。

「良かったな」

 何が、とは聞けなかった。
 膝の上にのせた自分を、どこか安堵した目で相手が見下ろしていたからかもしれない。

「お前はさびしい奴かと勘違いしていたぞ。悪かったな!」
「えっ、何?俺、今煽られました?」

 唐突な謝罪についていけない。元凶の謝罪者は笑っているし。

「ひとりぼっちだと思っていてな、すまんかった!」
「もしかして言い換えたつもりですか?」

 だとしたらますますマイナスだ。水が多重の色を含んで澱むように、方向としてはバッドルートである。

「ひとりだから、人を頼るのは嫌いなのだとばかりな」

 頬に添えられていた手が、するりと滑る。
 花びらがよぎっていくような触れ方だった。素直に驚く。
 この人は、こんな接し方もできるのか。

「……別に、嫌いじゃないですよ」

 呟く。同時に、親指が目の下をなぞっていった。
 体温の高い指先だ。涙が零れているのかと錯覚しそうな。

「ならば、これからは極限にオレを頼れ!!」声高らかに胸を張られる。
「エッ」
「なぜそこで詰まる!」
「いや、そこはやっぱりちょっと……」
「む、もしやお前も潔癖症か?!」
「ケッペキショウ?」

 えらく脈絡ない単語が来たな、おい。

「昔、ヒバリがそう言って炎での治癒を拒んだのだ!」
「ぜっったいにウソ」

 潔癖症が返り血浴びて笑ってられるか。

「あいつは苦手なだけなんですよ。人に触られるのが」
「なるほど。お前と似てるな」
「え?」
「人を頼るのが、苦手なだけなのだろう?」

 笑みを繕うのは、上手くいったと思う。
 全ては慣れだ。目を合わせること、笑顔を作ること、他者を適切な距離間に立たせること。
 人を頼るとは、おおよそ離れた行為。

「……そう、かも」
「なら、これから慣れればいいだけだ」

 不意に、頬が熱くなる。思わず、目をつぶった。
 カイロを押し付けられたような唐突さに、体が反射ですくむ。

「よし。治ったぞ」
「え」

 目を開ける。満足げな笹川が、その指先に炎を灯していた。
 鮮やかな黄色。太陽を固めて視認できる色に変えたような、温かみのある色だ。

「綺麗な顔だからな。頬の切り傷など、シャレにならんだろう」
「え、あ、どうも」
「次は腕だ!さあ上着を脱げ!」
「えっちょっ待っ」

 無理やり上着をひんむかれながら、笹川の言葉を反芻していた。
 慣れればいいだけだ。人に頼ること、傷口をさらけ出すこと、素の表情で話すこと。
 多分、笹川は暗に伝えたかったのだ。自分に。人との関わり方を。
 
 難しいことだ。

 それでも伝えようと肩を掴む手のひらが、その姿勢が、自分にはひどくもったいなく、不釣り合いなものに思えて。
 傷口に触れる炎の温かさが、目に染みたように痛んだ。

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