45,誓言

 風が気持ちいいから屋上がいい。
 そう言われて、二つ返事で了承した。


「ココ、風強すぎない?」
「君が行きたいって言った」

 呆れた。伸びをするレイを横目に、なびく前髪をかきあげる。
 アジトの屋上はフェンスが無い。誰も上ることを想定していないからだ。

「うーん、書庫にいた時は心地いいって思ったんだけどな」
「書庫と屋上じゃ高さが全く違う。風は高所ほど強くなる。わかったかい?」
「馬鹿を見る目はやめろ」

 じっと目を見て説いてやれば、笑いながら手を振られた。
 手で遮れば視線は避けられるとでも思っているのだろうか。よくわからない。

「気持ちいいことは共有したいじゃん?」

 スラックスの腰に指を引っかけたレイが、流し目でこちらを見る。
 たじろぐ。相手の色気にではなく、どきりと跳ねた己の心臓に。

「……何それ。お誘い?」
「おさそい?」

 きょとん。目を瞬かれた。息を詰めるほどの色気が霧散する。
 幼児みたいな無垢な目に、一瞬で悟ってため息が出た。
 ……こいつ、今のが無自覚か。

「俺はただ、雲雀にもこの風を味わって欲しいなって」

 レイが空を見上げる。強風にもまれ、暴れる前髪を耳にかけながら。
 綺麗な人間だ。あらわになった首筋を、日光が白く照らしている。

「この暴風を?」
「うん。雲雀と共有したかったんだ」

 見つめる。空の彼方を見据えているレイの横顔を。
 共有したいという思い。この男に欠けていた分かち合いの精神だ。

「……なんで?」
「なんで、って?」
「僕は、別に強風が好きだとかいった覚えはないけど」
「屋上は好きだったんだろ?」
「並盛のはね。ここはフェンスも無いし、危険だ」
「ああ、確かにな」

 レイが振り返る。その目が細く笑っていた。

「でも、書庫でこんなに気持ちいいなら、屋上はもっと最高なんじゃないかって」
「……。」
「そしたら、雲雀と来たくなったんだ」

 そこで、僕を選ぶのか。
 口にはしなかった。嬉しいと顔に出すほど、自分は愚直な人間では無い。沢田あたりなら、喜びをあらわにするのだろうが。

「不思議だな」

 そう言って笑うレイは、どこか吹っ切れたようにも見えた。

「何が」
「こんな単純な事を、誰かにも知って欲しいと思うだなんて」
「そう?」
「うん。こんなどうでもいいこと、それでも雲雀と共有したかったんだ」

 レイに近付く。笑った彼の頬を撫でた。
 キスの前触れのつもりだったのだが、相手はくすぐったそうに指を押しのける。

「なに?雲雀」
「触ってるだけ」
「お前、すごい顔してるよ」
「どんな顔」
「カワイイかお」

 ハートマーク付きで言い切られた。20歳なのに、ぶりっ子が似合うなんてとんでもない。
 
「ふうん」

 唐突に抱きしめれば、レイがびくっと跳ねた。
 温かい。風にさらされてもなお、日なたの猫みたいな温かさだ。

「……な、なに?」
「抱きしめるのに理由がいるのかい?」
「え、いや、……ううん」

 ゆっくり、レイの体から力が抜けていく。
 ぎこちなく背中に手が回された。壊れ物を抱くみたく、おどおどした力加減。

 別に楽しいことだけじゃなくていい。他人と共有したがるのは。
 悲しいことも苦しいことも。もっと嬉しくなるようなことも。そうして、満たされない部分に注ぎ続ければいい。
 穴のあいたコップへ水を入れるように、それが根本的に解消されずとも。人は皆、そうやって生きていくのだから。

「……腕、痛い。雲雀」
「君が脆弱なのが悪い」
「えッ、もしかして俺の筋肉と骨に責任転嫁してる?」
「もっと僕を感じなよ。レイ」

 負の感情が人を生かす。彼はそう言った。確かにそうだ。マイナスの力は強い。
 けれど、それを維持するのは疲れるから。

「……何、その発言。やべー奴だぞお前」
「やばい発言だと思ったの?僕は別にそれでもいいけど」
「えっ何を……ちょっ待っ、どこに、手入れんな馬鹿!」

 君が信じたい愛とか信頼とか。そういうものも、確かに君を生かすのだと。
 それが、君を抱きしめる自分の腕から伝わればいい。今すぐでなくとも、いつかは。

「君、ほんと薄っぺらいね」
「おっまえは、手が冷たい!白蘭より冷たいっての馬鹿」
「……白蘭?」
「エッ顔怖、引くわ」

 レイが引きずる過去は変えられない。それが真実で、当然だ。だから、今からを変えていくしかない。
 その「今から」に、自分を選ぶならそれでいい。

「何、あの男にも触らせたの?」
「『にも』って何だにもって。人を最低野郎みたいな言い方すんな」
「触らせた部分を剥ぐとかどう?」
「何が?!お前、今何の話してる?!」
「それは冗談だけど」
「お前って冗談とか言えたんだ……」
「だから、今から上書きさせて」

 いつも通りの調子。いつもより近い距離。
 いつもみたいでいつも通りじゃない会話に、笑みが漏れていた。


「好きだよ、レイ。この先もずっと、君だけが」


 赤くなる頬を眺める。目を伏せた彼に、もう一度囁いた。
 こうして、少しずつ何かが変わっていけばいい。誰も気付かないぐらいゆっくりと。砂糖が溶けるみたいに、やわらかく。

「……ひ、雲雀サン」
 レイはぎゅっと目をつぶっていた。
「何」
「キャ、キャパオーバー……」
「急にロースペックになったね。魔性の処女ビッチの癖に」
「ましょッ?!ちょっと無理、情報量過多」
「君だって同じ事言ってただろう」

 お前が、お前だけが特別だった。雲雀。

「言ってない、言ったヤツ誰だよそれ恥ずかしすぎるだろ」
「君だよ」
「いやもうホント無理無理無理、できれば記憶から抹消して欲しい」

 ますます、赤い顔が下がっていく。こっちの首元に顔をうずめて、見えるのはほぼつむじだけだ。

「君は愛される人間だよ」
「きゅ……急に、雲雀がディーノみたいなコトバを」
「面倒だけど」
「端的な暴言。お前はやっぱり雲雀だ」
「だから、大丈夫」

 ぽん。頭に手をのせる。

「君が望むまで、一緒にいてあげる」

 これは、誓いだ。君は気付かないだろうけど。
 おもむろに頭が上がった。驚いて手を止めれば、むっとした目が見上げてくる。

「……何」
「ふざけんな。俺が一緒にいてやるんだよ」

 笑った。
 馬鹿だな。胸を満たす温かさに、そう思う。

「その意気だよ」

 顔を傾けて、その唇に口付けた。


 愛や情なんて定義できない。
 だから、こうやって一緒にいたいと思うことに意味があるんじゃないのか。

 そう告げれば、「感情主義者め」と可愛く無い事を言った唇で噛みつかれた。

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