44,さいあいと言葉を打つ

 獄寺の部屋から出てくる背中を見つけた。声をかけたのは反射で、その袖を引いたのは計算だ。

「レイ!」
「うわ、山本」
「おま、その顔デカい虫見つけた時とおんなじ」
「まあ気分的には似たようなもんだし……」
「ひっでー!」

 つか、袖引くなよ。慣れた女がナンパを断るような手つきで、するっと指先を振り払われた。
 別に傷付きはしない。むしろ、気分が高揚する。
 もっと昔のレイだったら、袖を捕まえる前に振り払われていただろう。

「……なんで笑ってんの?」
「んー?や、レイも柔らかくなったなあって思って」
「山本の思考回路、独特だよな」
「褒めてくれんの?」
「褒め言葉に聞こえたの?」

 質問に質問返し。そういう男だ。
 綺麗な見目と、他人の心をほっとゆるませる愛想。未来人が丹精込めたAIの如く、誰より人を気遣い、求められる言葉を察せる人間。なのに、なぜか自分には、そのスキルの全てが力を発揮しなくなる。
 それが嬉しいと言ったら、また「思考回路が独特」と失笑されてしまうのだろうか。

「なに、ついてくる気?」
「ちょっとお喋りしようぜ、レイ」
「えぇ」

 廊下を歩くレイの隣へ並ぶ。「オレとお前の仲じゃん」と肩を組めば、「どんな仲だよ」とつれなく返された。

「俺、今から雲雀のとこ行くんだけど」
「だいじょーぶ大丈夫、その前に退散すっから」

 上半身に絡むような体勢で歩く。こちらが預けた体の重み分、レイの歩みが鈍った。


 昔も、よくこうして誰かとつれだって歩いた気がする。まだ何も知らなかった中学の頃、ツナたちを教室へ連れ込んだ日々。何の気なしに肩を組み、ずるずると互いに引きずり引きずられる。
 今より浅く、カラフルな感情だけを抱え生きていけた頃の話。

「……何?」
「なに、って?」
「なんか、黙ってるから。山本が」
「オレ、意外と寡黙な奴だって言われるぞ」


 誰かを想うこと。好意を売ることで自我を確立する浅ましさ。手を伸ばす前に振り払う排他性。
 その裏を成す、幼く切実な求愛本能。
 獄寺が惹かれ、骸が軽蔑し、ツナが慈しみ、ヒバリが手を取った、このレイという人間のうちがわだ。
 

「山本が寡黙?」

 レイが口元を曲げるみたく笑う。

「そのとーりだろ?」
「お前が寡黙なら俺は無口でクールだよ」
「まじで?じゃあ2人でいる時くらいよく喋っとこうぜ」

 鼻先が触れ合うほどの近さ。組まれたままの肩が、引き離されることはない。
 彼とこれほどの距離間を築けたのには奇跡に近い。実際、奇跡だろう。雲雀恭弥という奇跡の賜物。

「山本ってさぁ」

 女子高生みたいなノリで、レイが軽く言い放つ。

「根っからのポジティブだよな」
「知ってるか?人間はみんなネガの2倍、ポジな感情を抱いて生きてるらしいぞ」
「まじで?けっこう人類ってお気楽なんだな」

 どういう言い草だ。
 思わず吹き出せば、「うわ、唾飛ばすなよ。殴るぞ」といやそうな顔をされた。しっしっ、と猫を払うみたいなジェスチャー付きで。肩を組んで廊下を歩いているわりに、器用な奴。

「レイもさぁ」
「ん?」
「お気楽じゃないけど、けっこう天然だと思う。オレ」
 
 1、2、3秒。
 至近距離で、固まった瞳孔にひたと見据えられた。

「……エッ、なにその目」
「ド天然ベスト・オブ・ザ・キングに言われたくない」
「褒めてくれてんの?」
「褒めてるように聞こえんのか?」

 デジャブ。
 このやりとり、確かにさっきもやった。
 
「……なに笑ってんの」
「いーや」

 レイが眉を寄せる。突如、反復横跳びを開始した人間を見るような眼差しに、それでも緩む頬を抑えきれなかった。


 同じような会話。一度描いた線をなぞるような応酬。
 それらを楽しんでできるのは、互いの間合いがわかりきっているからだ。雪が水が溶けるように、筆に絵の具が馴染むように。

 あの頃、レイもいれば良かったのに。

 不意に、そう思った。何も思わず肩を組めた、あの中学生の頃に。
 きっと、今ほど遠回りせず、傷を負うこともなく、もっと早くこの距離間を築けたはずだ。幼さゆえの無邪気さで、なんの躊躇いも無く塀を飛び越えるみたいに。


「……レイ」
「何?てかマジでそろそろ雲雀んとこ着くけど」
「タイムスリップとか興味ある?」
「エッ何?いまどっからその話題きた?」

 絶対、思考回路おかしいって。レイがため息をつく。
 空気の色を尋ねられた人間みたいな顔に、にっこり笑いかけた。

「中学がいっしょだったらさ、オレたちもっと早く仲良くなれてたのになって」
「俺は間違いなく互いにフルボッコしてると思う」
「拳で語るってヤツ?最後に友情が芽生えるエンドだよな、特別に熱い感じの」
「ちげーよ、リアルインファイトの殺し合いってことだよ。ぜんぶハッピーエンドに持ってこうとすんな」

 確かにお前はポジティブ思考だよ、山本。
 そう言ったレイが、軽く肩を叩く。それをきっかけにするりと腕が離れて、体温が遠のいた。

「じゃーな」

 ひらり。先ほどの軽口とは釣り合わない優雅さで、レイが手を振る。その目の前には扉があった。
 ああ、ヒバリの部屋か。ずいぶんあっという間だった気がして、その感覚を振り払うようにまばたきを繰り返した。

「……レイ」
「なに?」

 ドアノブに手をかけ、相手が振り返る。その目が竦むように細められることも、耐えるみたく伏せられることもない。ただ、まっすぐにこちらを見る瞳。
 それはきっと、レイにとって忌避すべき眩しい対象ではなくなったからだ。自分が。

「タイムスリップは無理だからさ、その分これからいっしょにいような」

 かつて火を恐れた人間が、その温かさに気付いたみたいに。おそらく、レイは知ったのだろう。
 愛や執着や信頼が身を焼くばかりのものではなくて、自分を包む糧となることを。誰かさんに誘導されて。

「……山本って、」
「ん?」
「ほんと、バカなくらい眩しいよな」
「褒めてくれてんの?」

 愛や恋は知識とは違う。誰かに与えられて、その姿を見て、受け入れるからわかるのだ。
 がちゃり。ドアノブの開く音がして、その隙間から漏れた光に綺麗な顔が照らされる。


「そうだよ」


 レイは笑っていた。
 肩を組んだ中学生が吹き出すみたく、その相好をくしゃりと崩して。




「……人の部屋の前で立ち話するの、やめてくれる?」
「そっちこそ、ノックする前にドア開けんなよ。雲雀」

 びびったじゃんか。そう答えるレイの手首を引き寄せて、雲雀がこちらを見た。
 眼光が鋭い。やや不機嫌さの滲む視線に、山本は大人しく両手を挙げた。

「仲が良いのは結構だけど、僕の前で群れたら咬み殺す」

 誰に向けた警告かは明確だ。おかしくて持ち上がる口角をなんとか下げる。
 ここで笑ったら本気で咬み殺されるだろう。例え、ぽかんと雲雀を見上げるレイの顔が、どれほど面白くても。

「……えっ何?いまその文脈どっから来た?」
「君は黙ってて。レイ」
「ヒーバリ、そんなピリピリしなくても大丈夫だって。オレ、略奪愛とか好きじゃないし」
「どうだか」

 ご機嫌斜めの彼氏が鼻を鳴らす。うっかり笑い出してしまいそうになった。
 あのヒバリが。たった数分の立ち話で、こうも露骨な態度に出すなんて。

「んじゃ、お邪魔虫は退散すっか」

 背を向ける。何事も引き際が肝心だ。
 うなじがぴりつく。じっとりとした視線でも注がれているのだろう。肌を逆なでするその感覚が強ければ強いほど、山本はおかしくてたまらなくなった。


 いつか、レイも知るのだろう。
 誰かを想うあまりの嫉妬や悲しみ、気が狂いそうな苛立ちを。
 たった一人に神経全てを振り回されるような感覚は、けして幸せなものばかりではないはずだ。
 それでも、人間は寄り添い合う。それら負の感情の2倍3倍もある、確かな喜びを分かち合うために。



「……わかる、山本って寝取り系好きそう」
「頼むから大人しく退散させてくれ、レイ」

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