12,幕間

「あなた、変」
 前々から思っていたことを言えば、相手は驚いたように目を丸くした。

「そう直球に言われたのは、初かな」
 微笑するレイは、その腕に辞書3冊分くらいの書類を抱えていた。
 同じ速度で隣を歩きながら、ふと、付け加える。
「……でも、王子みたい」
「どっちだよ」
 やや乱れた口調。そっちの方が好感が持てる。
「こうして、私の書類を運んでくれてる」
「廊下に書類ぶちまけちゃったのは、俺のせいだろ」
「ぶつかると思わなかった。曲がり角で」
「俺も」

 アジトの長い廊下を、2人で歩く。空の両手はやけに軽い。
 実際、王子みたいだと思ったのだ。しりもちをついた自分に、慌てて手を差し伸べた顔を見て。

「骸に怒られなきゃいいけど」
「?その書類は、ボスの案件」
「いや、よくも私のクロームに、って。怒りそうじゃん、あいつ」
「骸様は、そんなことで怒らない」
「そういや」
 レイが横目でこちらを見た。
「なんで、様付けするの。骸のこと」
「え……」

 なんで。言われて、しばし考え込む。

「わからない。……ただ、大切な人だから」
 王子と見まがう顔が、どこか痛むように軋んだ。
「……どのくらい?」
「え?」
「どのくらい、大切?」
 聞かれた言葉の意味を、しばし考えた。廊下に、コツコツと足音だけが響く。

「……大切さに、度合いや量って、あるの?」

 純粋な疑問だった。どのくらい?
 骸や犬、千種にボス。そこに、差を付けようと考えた事は無い。
 レイは、目を見開いた。

「……そうか」
 
 そうか。
 たった3文字が、なぜか離縁の言葉のように重く聞こえた。
「そうだな。……クロームにとって、骸はとても大切なんだな」
 その問いには、即答できた。
「うん」
「そっか」
 レイが前を向く。水平線を見るような目付きで。

「良かったな」
「え」
「骸は、クロームにとって、親のような存在なんだ」

 遠く、遠くを見る目。ここではない、遥か彼方を。
 王子と呼ぶに値する涼しい顔が、少しだけ幼くなる。花畑を眺める幼子みたく。

 やっぱり、変だ。横顔を見ながら、思った。
 自分を見ずに、良かったなと返した人。誰に向かって、良かったなと言ったのだろう。
 それはまるで、羨むようにも聞こえた。

「……寂しいの?」

 レイは、小さく笑った。
「クロームって、唐突だな」
「気を悪くしたなら、ごめんなさい」
「あと、フォロー上手」
 フォロー上手?
 初めて言われた。
「骸の近くにいるのに、骸と全然違うんだな」
 斜め上から見下ろす目は、優しい。誰かに似てると思って、ふっと思い当たった。
 ボスだ。ボスが自分を見る目に、よく似てる。
「骸様のこと、嫌いなの?」
「最近は好きだの嫌いだの、よく聞かれるなあ」
 首をかしげる。そうなのか。

「寂しいよ」

 見上げる。
 横を歩く青年は、こちらを見て微笑んでいた。
「……あなたも、唐突だと思う」
「そういう、ハッキリ言うところは骸に似てる」
 手を伸ばした。黒いスーツの裾を、きゅっと掴む。
「ん?」
「1番寂しかった時に、骸様は私に憑依した」
「えっ」
 レイがぎょっとする。
「いや、俺は憑依されたくはないんだけど」
 なぜだか、笑った。おかしく思う。どうしてそういう考えになるのか。
 変だ、この人。やっぱり。
「違う。寂しい時は、手を繋ぐの」
「え……」
「でも、今、あなたは両手が塞がってる。だから」
 だから、裾を掴んだ。手を繋ぐように、強く。

「この廊下が終わるまで、掴んでる」

 親のように大切な人が、教えてくれた。
 両親に見捨てられた自分にだって、仲間は作る事が出来る。助けてくれる人がいる。守りたい居場所が生まれる。
 犬と千種と骸が帰ってくる、黒曜ランドを大事にしたいと思ったように。
 
「……やっぱり、クロームって骸に似てる」
 口ずさむように寂しいのだと言った男は、気が抜けた声で笑った。
「そう、かな」
「うん。唐突によくわからない事を言う」
「……けなしてる?」
「うん。だから」
 即答加減に驚く。抗議するように、横を見た。

「だから、ちょっとの間だけ、繋いでいて」

 ぎゅうっと、手に力を込める。強く、引きちぎるような勢いで。
 そうすればきっと、この人にも掴まれているとわかるだろう。手を繋ぐのと同じくらい、はっきりと。
 笑わない横顔は、やはりどこか遠くを見ていた。もう届かないものを眺めて、静かに泣き惜しむように。
 ああ、そうか。不意に、思い当たった。

 この人は、寂しいんじゃなく悲しいんだ。
 大切な物を大切だと思えない、自分の事が。


「で、これはツナの部屋に持って行けばいいんだよね?」
「あ、待って、ダメ」
「え、ぐおっ」
 レイが、蛙みたいな声でつんのめる。しまった、裾を強く引っ張りすぎた。
「だめ。事前連絡、忘れてた」
「事前連絡?」
「今日、重要な会議があるから、部屋に来る前には連絡入れてって、ボスが……」
「へぇ?」
 すうっと、レイの目が細くなった。
 固まる。自分が蛙になった気分だった。蛇に睨まれた蛙。
「何ソレ。俺、聞いてないなぁ」
「ダメ、レイ。ボスが重要って言うくらいだから、」
「その重要な会議って、何?」
「え?」
 霧のように、ジワリと何かが広がる。書類を抱える、目の前の男から。

「ツナに関係することなんでしょ?教えてよ、クローム」

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