3,Dirty ceremony


 神聖な儀式みたいだ。唇を離す度、ヴィーは復唱するように言った。
 それは、今回も例外ではなかった。顎から手を放し、獄寺が顔を上げた瞬間に、アルトに近い高さの声が響く。

「儀式みたいだ」

 見下ろす。自分より遥かに背の低い、黒髪の少年を。
 昼下がりの自室、カーテンのひかれた部屋の隅で行うには安っぽい儀式だ。そんな感じのことをそっけなく返せば、彼はあやすように微笑んだ。安心したようにも見える。気のせいかもしれない。
 骸なんかは堂々としたものだったが、獄寺は未だ、この少年にキスマークひとつ付けたことが無い。全員が共有するというのが暗黙のルールだったが、共有のレベルに限りは無い。だからつまり、それこそ本人が主張する通り、決まりの無い遊女のように好き勝手してもかまわないワケだ。
 だが、獄寺は。

「なんでキス以上しないの?」
 真面目な顔で問われても困る。獄寺は、ひとつ、ため息をつくと視線を逸らした。
「別に、しなくてもてめぇが死ぬワケじゃねーだろ。ヴィー」
「俺、魅力ない?」
 こてん、と首をかたむけられる。あざとい。絶対ワザとだ。
 この少年は、自分の武器をちゃんと知っている。
「魅力ない相手とキスするほど、オレは暇人じゃねーよ」
「ふふ」
 ヴィーが急に笑う。そのまま、ぼすんとソファに腰掛けた。
 花が咲くような笑い方に、年相応の幼さを見る。奇妙なものだ。
 どれだけ男を知っていても、その顔立ちから無垢の色は完全に消えはしない。まるで、神が最後の加護を与えたように、この少年には僅かな暖かさが残っている。
 ろうそくの火みたいな、微かなあどけなさ。子どもと大人の中間地点、その時期にしか見られない妖艶さだ。だから多分、多くの人間がひきつけられるのだろう。
 人は、消えゆくものや儚いものに惹かれやすいから。

「良かった。魅力が無い俺には、意味がないから」

 眉をひそめる。ソファに座る相手の隣へ、獄寺は並ぶように腰を下ろした。
「そういうこと言うんじゃねぇよ」
「光らない蛍なんて、ただの虫だよ。それと同じでしょ」
 さらっと言ってくれる。ため息をついた。
「お前は人間だろ。ヴィー」
「まあ確かに、虫では無いけど」
「馬鹿、んな物騒な虫がいてたまるか」
「ぶっそう?」
 ヴィーが怪訝な顔になった。無表情に見つめ返して、口を開く。

「この前の、骸のヤローとの任務だよ」
 仕留めたんだろ。標的。

 言うかどうか。迷ったが、結局告げた。
 どうせ、気にするのは自分だけだ。この少年にとっては、昨日の朝食を思い出すみたいな感覚でしかないだろう。


 完全な男娼とは違う。ヴィーは、銃の扱い方も人間の急所も知っている。
 今のところ、任務に連れていくのは10代目と骸しかいないが、この少年は立派に役に立っているらしい。おそらく、ボスあたりはいつかやめさせたいのだ。彼が、体を使うことを。
 獄寺は尊重したいと思っている。ボンゴレ10代目の意向を。
 それが正しいとも思う。15歳と言えば、自分が中学生の頃だ。その歳の少年が、オモチャのような扱いを平然と受け入れていることは、異常だ。もっと端的に言えば、不健康なのだ。


「ああ、ホテルか」
 朝食?そういやトーストだったっけ。みたいなノリでヴィーが言う。
 顎に手を当てたその横顔は、本気でどうでもよさそうだった。
「一発で仕留めたんだろ」
「なに獄寺、褒めてくれるの?」
「ああ。優秀だな」
 ヴィーが心臓を掴まれたような顔をした。弾かれたように、ガン見される。
「んだよ」
「……獄寺って」
 ふっと、雪が解けるように黒い瞳が柔らかく緩む。
「兄みたいだ」
「あ?」
 聞き返したのは反射だった。ヴィーがもたれてくる。すっかり懐いた飼い犬が、主人に頭を預けるような仕草で。
「俺には兄弟がいた記憶は無いから、想像だけど」
 温かい温度が、黒いスーツ越しにつたわってくる。人肌の温かさだ。
「優しい。から好きだよ、獄寺」
 ああそう。呟いた声は、我ながら上出来なほどそっけなかった。

 理性が感情を淘汰できたら、どれほど楽だろう。
 いつの間にか他者に尊敬の念を抱くように、気が付けば武器が身体に馴染むように、感覚が選ぶものはいつも曖昧だ。人間の心がデータ化できるようなものならば、もっと人類は生きやすかっただろうに。
 実際は、振り回されてばかりだ。本能とか、感性とか、気持ちだとかいうものに。

「……顔上げろ、ヴィー」
「え?」
 驚いたように見上げる顔に、いつも心臓が殴られたように跳ねる。
 全身が熱くなるのは不本意だ。そんな内心を押し殺すように、指先で細い顎をすくう。
 唇が重なる寸前、ヴィーはほぼ必ず目を閉じる。卑怯だ。こういう状況に慣れている。
 舌を差しこんで、緩く口内を揺さぶった。その唇ごと、飲み込むような思いで。

「……儀式みたいだ」

 唇を離せば、黒い瞳を細く開けて呟いた。首筋に他人の赤い痕を付けた少年が。
「儀式は、何のために行うと思う」
 静かに訊ねた。粉雪が積もっていくのをただ眺めているみたいな、そんな気分で。
「エッ」
 ヴィーが素で真顔になる。
 鳩が豆鉄砲を食らったような顔。間違っても、たった今キスを交わした人間のする表情じゃない。色気ゼロだ。
「う、うーん……」
 珍しい、苦悩の表情。本気で考えあぐねているらしい。
「んー……何かを、召喚するため、とか」
「それは本の読みすぎだ」
 笑う。気の抜けるような声が出た。
 昼下がりの自室。ぼんやりとした明るさで射し込む日光。
 カーテンをひいたのはわざとだ。呼びつけた時点で、獄寺自身が閉めた。まだ明るい午後の空から、世界を遮断するように。
 何かを召喚するように。なるほど、そうなのかもしれない。
 自分は何かを呼びよせたいのだろう。この少年をここに閉じ込める災厄とか、あるいは自分の葛藤を消し去る神とか。

「建前を作りたいからだ」

 鼻をつままれたような顔。そんな顔も可愛らしくて、獄寺はもう一度顎をすくった。


 ボスの意思を。不健康だから。
 全部、建前だ。だって本当は、こんなにも犯してしまいたい。
 今すぐソファに押し倒して、ぐちゃぐちゃに泣かせて、もうやめてと叫ばれるまで。
 刻み込まれた本能だ。食事や睡眠と同じで、この少年が欲しい。そう思う。

 どうして、好きだという思いは理性じゃなくて感情が作るのだろう。仕事を選ぶように、自分の損得だけで冷静に見定められるものならば、獄寺は絶対にこの少年を選んだりしなかった。
 細い手足を揺さぶって。その腰を引っ掴んで。首と言わず、ありとあらゆる肌に口付けて。
 飢えた獣のように凶暴な欲求を、いつまで押さえていられるのか。獄寺にはわからない。自分を兄だと呼んでくれるその信頼を、失いたくはないのに。

「……たてまえ」
 なぞるように、ヴィーが繰り返した。その頬を両手で包んで、口を開く。

「そう。建前」

 これは、儀式だ。
 感情が理性を凌駕しませんようにと祈る、そのための。

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