4,人生で2番目に苦手な相手とディナーを


 己の人生で会いたくなかった男・NO.2が目の前にいる。

「よお!昴、元気してたか?」

 片手を上げてヒラヒラ。「ヘイタクシー!」みたいなノリだ。昴はたまに、この男はイタリアじゃなくてアメリカが出身なんじゃないかと思う。
 大抵の仕草が陽気に見える人間・ディーノ。半廃墟の黒曜ランドに、この大人は全く合わない。今知った。

「元気してたよ。たった今、跳ね馬が現れるまでは」
「あ、このキャンディやるよ!お土産代わり」

 にこにこ顔でポケットからコロン。ずいぶんカラフルな包装紙だ。
 日本では、西方の中年女性は皆、こうして甘味を配り歩くと聞いたが本当だろうか。本当なら、ディーノは彼女らと同精神ということになる。
 何それウケる。アメリカから日本の西。国籍ブレッブレだ。

「お願いだから空気読んで帰って……」

 ブレッブレなのは自分の思考だ。
 深く深く息を吐き出し、昴はこめかみを手で押さえる。それから、顔を上げた。

 見慣れたおんぼれ黒曜ランド。の、まだまともな部屋。自分が座る、すり切れた革製のソファ。暗い室内。割れた窓ガラスから夕日の生き残りが細く射し込んでいる。
 そして、部屋の真ん中に太陽みたいな笑顔の男。

 ダメだ。寝たい。投げやりに昴はそう思った。




「……で、なんでファミレスなの」
「なんでって、」

 ディーノが目をぱちくりさせた。色鮮やかなメニュー表の横に、同じくらい華やかな顔が並んでいる。
 相変わらず綺麗な顔だ。やはり、こういう明るい店内の方が似合う。

「お前が黒曜ランドじゃイヤだって言ったんじゃん。昴」
「嫌とは言ってない。ただ、そのうち骸が帰ってくるから」

 いらいらしながら答えた。足を組みかえる。

 席に着くまで、いや着いてからも、ディーノは一度もドジを踏んでいない。部下がどこかで見ているのだろう。
 いなけりゃ腹くらい刺してやったのに。ため息をつき、メニュー表を雑に閉じる。

「あっちょっ、お前、何も頼まないのかよ」
「金無い」

 そっけなくあしらう。察しろ。できれば4文字以下で会話をしたい、思春期のいたいけな少年ゴコロを。

「オレの奢り」

 にっこり言い切られる。大輪の花が咲いたような笑みに、近くの女性客がチラチラ視線を送るのがわかった。
 腹の立つイケメンだ。ここでウインクなんてしないあたり、ディーノはきちんとわきまえている。鼻につくほどキザじゃないのだ。

「嫌だ。借りを作るなんて」
「オレが無理して押しかけたしな。迷惑分だと思ってくれ」

 肘をつき、顎をのせる。行儀が悪いとわかっていて、そのまま睨んだ。

「女を口説く時もそんな感じなのか?」
「まさか」

 ディーノが苦笑した。

「女はお前と違って、すぐなびいてくれる」

 面喰らった。そういう返答が来るとは。
 フェミニストみたいな顔をして、意外と粗雑な物言いをする。

「自信満々だねぇ」

 嫌味たっぷりに言ってやった。何を考えて黒曜ランドまでやってきたのか知らないが、精々、無駄足だったと早いとこ思い知ればいい。

「そりゃまあな。多少の自信が無けりゃ、ボスなんて務まらない」
「思い込みかもよ?自信じゃなくて」
「思い込みって大事だぜ。自分を強くしてくれる」

 ディーノが不意に右手を挙げた。何するんだ、と見ていれば、そのまま店員に呼びかける。
 心底、驚いた。普通に注文できるのか。ファミレスなんて来たこと無さそうなのに。
 テーブル脇の呼び出しボタンは、見事なスルーを喰らっていたが。
 
「ここ、端から端まで」
「ハイストップ」

 ディーノが、メニュー表の全面に指を滑らす。その頭をはたいて止めたのは反射だった。



 引き気味で店員が去っていく。子犬が尻尾を巻いて逃げ出すような駆け足に、災難だったな、とその背中を見送った。

「例えば、俺は顔が良いって考えは、口説く時の自信になるだろ」

 この男、話の流れとか空気を読むとかホントに知らないな。

「……は?何のこと?」
「思い込みは自分を強くするって話」

 だろうなとは思った。ディーノはニコニコしながらこちらを見ている。

「例えば」

 仕方なしにうながした。見えていた落とし穴へ足を進めているような気分。
 だから、嫌いだ。天然でドジで腹黒で策士。この男の手にかかれば、容姿も言葉も武器も、相手を屈服させる道具になる。いともたやすく。

「オレはイケメンだって考えは、女を口説く時の自信になる」
「うぬぼれじゃん」

 バッサリ切ればウインクされた。

「自信があれば、口説く時に声が震えない」
「経験の問題じゃない?場数踏めばなれるでしょ」

 そっけなく返す。目をそらし、水の入ったグラスをあおる。
 今のところ、ディーノの考えは全く読めない。来週の天気ばりに。
 ホント、何を思って会いに来たんだ。ヒマとか言ったら笑ってやる。

「あの人が好きだ、ってのも思い込みだ」

 むせた。見事に。

「……あ?」
 咳込み、口元を押さえながら凝視する。髪と同色の目が、ニコッと一直線を作った。

「恋も口説きも、思い込みから始まる」
「ちょっ、ちょっと待って」

 さすがに唐突すぎる。焦って伸ばした手が、紙ナプキンを容器ごとはじいた。木製のそれは、あっさりテーブルから落ちていく。

「う、わっ」
「っと、ナイスキャッチ」

 とっさに手を伸ばす。同じく、反射で動いたディーノの手が重なった。
 ぎゅっ。容器を掴んだ左手ごと、ディーノの右手に握られる。

「……オイ」
 反射で睨んだ。

「ワリ」

 事故だ。ニコニコ言い切る顔面に、一発決めたくなった。
 確かに偶然の事故だろう。ディーノが物の重力まで操ることができたら、それはもう人間じゃない。
 だが、事故なら事故で早く手を放せ。心の底から、昴は思った。きゅう、と強く握られた感覚に、うっと息を飲む。

「他者との関わりなんて、みんなそんなモンだ」

 やっと手を解放した男が言う。やたら温かい左手を膝にこすりつけ、罪作りな奴、と思った。こうやって女をはめていくに違いない。
 ゼロの距離間というのは、人の感情を簡単に揺さぶる。この前学習したばかりだ。

「コミュニケーションは思い込みから始まる、と?」
「そうそう」

 晴れやかに笑われた。笑顔に種類ってあるんだな、とその顔を見て学ぶ。

「やっぱ頭いいな、お前って。話してて楽しい」
「俺は楽しくない」
「素直なとこも好きだぜ」
「やっぱスッゴイタノシー」
「そうか、オレと同じだな。嬉しい」

 ……純粋に殺意が湧く。なんだこのやり取り。

「あの人、挨拶返してくれそうだな、と思うから声をかける。こう言えばこの人は笑うだろう、と思うからジョークを選ぶ。思い込みだ」

 くるん。おもむろにディーノが人差し指を回した。
 何だ、今の。言葉を選びつつ、慎重に返す。

「思い込み、っていうか、ただの予想じゃね?」
「お前ならそう返してくるだろう、って思い込んでた」

 くっくっ、と笑われる。
 昴は顔をしかめた。煙に巻かれる、とはこういうことを言うのだろう。腹の立つ男だ。マフィアのボスだけあって、本当に口がよく回る。この金髪は。

「何が言いたい?」
「お前は、自分の思い込みに殺されてる」

 すうっと。ディーノが目を細める。
 気温が数度、下がった気がした。空調整備が完備された店内で。

「……ずいぶん、抽象的な言い回しだな」

 役者になれば?軽口を叩きつつ、思わず目をそらした。
 一瞬で空気を冷やすオーラ。さすがはキャッバローネ10代目、重力は操れずとも、場の気温は御することができるらしい。
 気圧された、という事実に昴は内心で舌打ちした。

「思い込みってのは諸刃の剣だ」

 ディーノが言う。相変わらず愛想は良かったが、細くなった目はそのままだった。
 何が言いたいのかは、やはりわからない。ディーノは昔から読めない会話をするが、ここまでのレベルは初体験だ。

「新手の詐欺みたいな脈絡の無さだけど、大丈夫?」
「脈絡も繋がりもあるぜ。思い込みは、人を強くも弱くもする」

 マフィアのボスが言うと迫力がある。

「お前にしかわからない脈絡で話すのやめてって言ってるんだよ」
「昴は頭良いから大丈夫」

 小学生がクラスメイトを褒めるような言い草だ。温かい笑みがまたムカつく。

「ちょいちょい絡んでるうちに、わかってきたんだよ。お前は頭良いし、ナイフも上手いし、霧の扱いも心得てる」

 だから、もったいない。ディーノはそこで言葉を切った。
 全く嬉しくない。使われてない調度品を見るみたく言われても。

「六道なんて捨てて、オレのとこ来ない?」

 思いっきり咳込んだ。
 今、こいつ、何て?

「……新手の詐欺じゃなくて、雑な宗教勧誘だったか」
「人のファミリーを宗教呼ばわりて」

 ていうか、少しは動揺しろよ。
 ディーノは至極面白がっている様子で笑った。何が楽しい。

「宗教だろ。マフィアなんて」
 口元を紙ナプキンで拭いつつ、相手を睨む。
「どこらへんが?」
「自分たちのやってる行いを、正しいと信じて疑わないところ」

 だから、忌み嫌う。自分も、骸も。

「オレはいつも、自分の行動を疑ってるけどな」
「あれ。偉大なるボス様はいつも自信満々じゃなかったのか?」

 揚げ足を取った。ふんと鼻を鳴らしてやれば、腹の見えない大人はひょうひょうと笑う。

「そりゃ、表面上はな。お前みたいな奴がいると、もっと心も安定するんだけど」
「言葉のチョイスが雑。残念だけど、」

 注文した料理が運ばれてくるのが見えた。それを目で追いながら、適当に流す。

「俺を口説きたいなら、もうちょい頑張れよ」
「なんだ。これが口説きってわかってたのか」

 近付いてきた店員の前で、本日3度目の咳込みを披露するハメになった。



 じゅうじゅう。鉄板の上で、ハンバーグは小気味いい音を立てていた。昴の虚ろな目と反比例するように。

「……まさか、勧誘のためだけにココまで来たのか」
「まさか」
「だよなぁ。まさかいちマフィアのボス様が」
「お前を口説き落とすためだよ。昴」
「もういいです……」

 デジャブ。この会話どっかでやった、と思ったとこでわかった。唇をつり上げて笑う顔が浮かぶ。横暴な風紀委員長のものだ。
 さすが師弟。トークセンスまで似ているとは、伊達じゃない。
 同時に、雲雀に盛られた薬の事も思い出したが諦めた。もう疲れた。あの件はとりあえず保留にしとこう。もう少し、精神的に余裕がある時に。

「だからさ、昴」

 同じく、ハンバーグセットに手を付けるディーノ。
 それなりの地位を飾るマフィアのボスが、ファミレスでチープなディナー。ウケる。そのまま、鉄板爆破しないかな。

「なに」

 どっと疲れた。早く帰りたい。紙ナプキンばりの薄っぺらい返事をして、顔を上げる。
 ディーノは綺麗に笑っていた。今日見た中で、1番華やかな笑顔。

「猛烈な片想いっていうのも、案外違うかもしれないぜ?」

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