8,猫可愛がりは、できない


 応接室で、沢田綱吉に任務完了報告。それも、雲雀恭弥の目の前で。
 文にするだけで気が滅入る。悩みは文字にすれば気が晴れる、なんて言い出したのはどこの心理学者だろう。八つ当たりついでに串刺しにしたい。

「最悪な状況ですね。どう考えても」
「テメェ、10代目を前にしてそれかよ!」
「ご、獄寺君、落ち着いて……」

 ついでに、喚く番犬付き。
 骸はため息をついた。それはもう、深々と。
 この空間で笑っていられるのは、神か仏か雲雀恭弥くらいなものだ。自室に4人もの「群れ」がいるのに、彼は非常に機嫌がいい。

「君が沢田綱吉の言う事を聞いてるとか。面白いね」
「悪意ある解釈はやめてくれません?対価があるから、『頼み』を引き受けてやってるだけです」

 デスクの上、ふんぞり返る悪魔が笑う。半月形に唇を引き上げ、にやり、に近い笑い方で。
 目の毒どころか頭の毒だ。精神汚染だ。息を吐き、向かいのソファへ視線を戻す。

「あ、あの、ありがとう、骸」

 ぺこ。どもりながら、沢田綱吉が頭を下げる。
 鼻を鳴らした。机に数枚の紙切れを放り、口を開く。

「礼を言う時は土下座がスタンダードだと習いませんでした?床に這いつくばるところから始めてください」
「え、オレ、それ初耳だけど?!」
「騙されないでください10代目、お得意の口から出まかせです!」

 おののく沢田。身構える獄寺。
 なんだろう。もちろん出まかせなのだが、ここまでリアクションがあると逆にたじろぐ。

「君達、人間らしくて安心しますね」
「えっ何?!何の話?!」

 向かいの少年が白目をむいた。なんだか、馬鹿馬鹿しくなってくる。
 ついこの前、金髪の男と同じようなポーズで渡り合ったためか、余計に。
 
「おいテメェ、それ10代目をバカにしてんのか」

 獄寺が睨んでくる。沢田が座るソファの隣、律儀に立つ姿はすでに立派な番犬だ。
 多分、改名した方がいい。右腕じゃなくて、猛犬とかに。

「他に何があるんです?」
「テッメェ!」

 ギラギラと殺気立つ視線を、わざと真顔で受け止めた。それから、挑戦的に口元をつり上げる。

「やりますか?獄寺隼人」

 ちょうどいい。憂さ晴らしだ。
 ディーノとの一戦から、数日経った。のに、未だ昴と上手く話せずにいる。時間を置いてじわじわ効いてくる、毒のような効果だった。
 一度、ストレスを解消しておきたい。八つ当たりであろうと、何であろうと。

「上等だ、果たしてやるよ」

 食い付いた。すっと目を細める獄寺に、気分が高揚する。

「お、落ち着いて獄寺君!」
「もっとやっていいよ、獄寺隼人。今日は許す」
「君は黙っててくれませんかねぇ、雲雀恭弥」

 慌てる一名、野次を飛ばす一名。
 ソファに背中から倒れ込むかと思った。気が削がれる。横を睨めば、すっかりくつろいだ黒猫みたいな雲雀の顔が目に入った。
 今日は野次馬根性がとびきり酷い。凶暴なチシャ猫みたいな雰囲気だ。

「ちなみに、ノッてきたら僕も混ざるから」
「飛び入り参加は認めません」
「エッ待って、なんかサッカーみたいなノリで話進んでますけど、コレ殺し合いですよね?!」

 ツッコミ役は可哀想だ。まともな感性を持つがゆえに、白目をむいて正論を言わなければならない。沢田綱吉を見ていると、つくづくそう思う。

「お許しください、10代目。男にはやらなきゃなんねー時があるんです」
「ご、獄寺君まで?!待ってってば!」

 表情を引き締める獄寺。唯一のツッコミ候補は消えたので、実質、これで沢田はひとりだ。可哀想に。

「大丈夫です、孤独は人を強くしますから」
「だから何の話?!」

 お前は話を飛ばしすぎ!と半泣きのツッコミ担当は無視する。デスクの方へ向き直った。優雅に行方の展開を眺める、最低な傍観者へ。
 
「大体、なんで君は許可したんですか。雲雀恭弥」
「何を?」
「応接室での任務報告を」
「赤ん坊に頼まれた」

 ああ、なるほど。骸は諦めた。
 1+1は2である。つまり、そういうことだ。

「許可を出した事、後悔しないでくださいね。今からここは滅茶苦茶になりますから」
「傷ひとつでも付けたら、君付けで請求書回すよ」
「……だ、そうです、獄寺隼人。調子に乗って爆破しすぎないでくださいよ」

 横目で忠告する。銀髪の不良は、生真面目な顔で顎を引いた。

「安心しろよ、オレはそこまで考え無しじゃねぇ」
「じゃあ、始めましょうか」
「っ待って待って待てってホント、何かすごいカッコよく言ってるけどコレ無茶苦茶ヤバイ流れだよね?!」

 哀れなツッコミ役の声は、爆音と打撃音とで見事に黙殺された。



「で、どうして君と一緒に追い出される羽目に」
「そんなのコッチが聞きてぇよ」

 獄寺がチッと舌打ちをする。行儀がなっていない。
 並盛中学の廊下を並んで歩く相手としては、限りなく最悪だ。

「10代目が『責任をとる』つって自ら応接室に残ったんだ。『授業に戻れ』って命を受けたら、そりゃお側にいたくても、教室に向かうしかねぇだろ」
「責任をとる、ねぇ」

 脳裏に応接室の惨状が浮かぶ。
 簡潔に言えば、途中で沢田綱吉も飛び入り参加した。結果、残ったのは無残な応接室である。本人曰く「オレは止めたかっただけ!」らしいが。
 あとは言うまでもない、というヤツだ。ぼろぼろの衣服が全てを物語っている。

「沢田綱吉も、だんだんたくましくなっていきますね」
「10代目はお強いからな」

 胸を張る獄寺。まるで我が事のようだ。

「この僕にボンゴレの任務を押し付けてくるあたりとか、特に」
「でも、引き受けたんだろ」

 横を見る。まっすぐこちらを覗き込む目と、目が合った。

「……得るものがあるからですよ」

 反対側へ首を回す。空っぽの教室が視界に入った。
 今は体育の時間なのだろうか。誰も座っていない教室は、水の入っていない水槽と同じで、本来の役割を果たしていないように見える。
 本当なら、自分も授業中だった。黒曜で。今頃、昴がしれっと幻術でごまかしているだろうが。

「得るもの、か」

 興味が全く無い、という声。獄寺隼人は、普通の人間より興味の幅がガクッと狭い。そんな気がする。

「守護者としての信頼、とかか?」
「寝ぼけたこと言ってるとぶっ飛ばしますよ」

 ノンブレスで言い切る。
 自分の興味と期待の範囲内で喋らないで欲しい。誰が信頼だ。黒曜ランドの神出鬼没なヤモリ並みに不要だ。

「じゃあなんだよ」
「報酬です。それ以外に何か?」
「つまんねぇヤツ」
「世は金ですよ。信頼なんて目に見えない物、犬にでも食わせておけばいい」

 ああでも、この犬はそれが欲しいんだっけ。
 横を歩く銀髪が、きらきら光る。昼下がりの日光が、廊下の窓ガラスから射し込んでいた。
 いつかの金髪を彷彿とさせる色合いだ。そういえば、と今更思い出す。この男も、生まれながらのマフィアだった。

「目に見えないものも大事だろ。考え方がせめぇ」
「考え方が狭いんじゃなく、価値観の違いです」

 ヤモリは家を守るってとこから来てるらしいよ。
 数週間前の話だ。壁をつたうヤモリを前に、全身を震わせる昴へ向かって千種が言った言葉。家を守ってくれるんだって。
 知るか、と言い放った昴の顔は清々しかった。顔中の筋肉が強張ったような表情で、『俺にとっては、カエルに似てるただの化け物だ』と断言し、犬を爆笑させたのは未だ忘れられない。
 ちなみにその後、犬は炎の幻術で沈められた。口は禍の元、である。 

「君から見れば信頼もひとつの報酬なのでしょうが、僕にとってはただのゴミです」
「ゴミって、おい」

 あれと同じだ。
 ヤモリを家の守り人ではなく、「カエルの化け物」と言い切った昴。サイコロを別の面から見れば数が違うように、価値観の差とはそのまま、物の見方のズレでもある。

「信頼してんのは黒曜の奴らだけか?」

 不意打ちに、足が止まる。
 数歩先を行った相手は、同じように立ち止まった。

「……アレは信頼というより、利用しやすいので」

 獄寺が唇をゆがめる。目を細くして笑う表情。
 この前も見た。ひとつのファミリーを背負う、美しい顔の男。愛想の良い微笑み方だった。
 ただ、今、目の前で笑う少年はやや違う。他人を嘲笑う用の、わかりやすい顔だ。

「お前、嘘つく時に目を逸らすんだな」
「嘘ですね。そんな癖はありません」
「ああ。カマかけた」

 あっさり認める相手に、眉を寄せる。
 挑発か。そのわりには、遠回しな言い方だ。まるで、本当に言いたい事を押し隠しているような。

「……何のつもりですか?」
「昴も利用する側か?」

 細くなった目に、冷然とした敵意が見えた。
 猫が人間を選り好みするように、人が人を差別する時の目だ。ああなるほど、と納得する。
 この少年は、自分が嫌いで昴は好きらしい。どうやら。

「人間を大きく2つに分けると、」
「裂けて死ぬな」
「物理的ですねぇ」

 どこかで聞いた事のあるフレーズだ。

「とにかく、僕の中では2種類しかない。利用するか、利用されるか」
「だから、昴も利用される方なのか?」
「そうですよ?」

 口端を緩める。肩をすくめたこちらの顔を見、獄寺の目付きがますます剣呑になった。
 これは、もう一戦始まるだろうか。他人事のように眺めていれば、不意に相手は肩を落とした。ふっと、余計な力を抜くように。
 内心、驚いた。殺気のかき消えた獄寺隼人ほど、不気味な存在はない。

「……可哀想にな」

 ぽつり。床へ落ちた言葉に、自分の顔が強張るのがわかった。

「何の話ですか」
「どうして昴も、お前みたいなのがいいんだか」

 心臓を刺すような言葉だった。薄く口を開いたまま、視線を逸らす。
 だが、並中の廊下に良い返答は書いていない。仕方なしに、話を変える事に決めた。

「さっきからやたら昴を気にしてますが、君、あの子と面識ありました?」
「何度か、屋上で喫煙の妨害された」
「最低ですね。未成年のくせに」
「いやお前、サボって他校に来てる昴の方を咎めろよ」

 びしっ、と指を突き付ける獄寺。息が抜けるように笑っていた。
 一理ある。確かに。

「昴は猫が好きなんですよ」
「はあ?」
「自分に似てるので」

 気紛れでしなやか。人を食ったような言葉遣いに、目を引く容姿。逃げたい時はあっさり姿をくらます。
 ただし、ヤモリは大嫌いだが。

「……だからなんだよ」
「猫って高いところが好きでしょう。だから、屋上に行くんです」

 獄寺の顔から、感情が消えた。音もなく水が凍るように、すっと。

「……飼い猫が迷惑かけた、みてぇな言い草だな」
「僕は利用する側なので」
「ペット感覚で余裕しゃくしゃくのとこワリィけど、」
「はい?」
「その飼い猫の首噛んだの、オレだからな」


 衝撃で視界が眩んだのは、初めての経験だった。



「……良かったですね、ココでケンカを売っておいて」
「なんで」
「母校が死に場所になるからですよ。最高でしょう」

 獄寺が口角を上げた。機嫌の良い猫が、喉を鳴らすような顔で。
 その耳元、真横の壁に三叉槍が突き刺さっている。パラ、と砕けた破片が、その肩に当たった。

「オレが死ぬのは、10代目のお傍でだけだ」
「カッコつけはもういいんで、理由を答えてくれません?」
「理由?」

 ふざけている。ぐっと、三叉槍を握る手に力を込めた。
 ここでとぼけるか、普通。

「なんで、昴を、噛んだんですか?」

 一字一句、力を込めて発音する。
 廊下は静まり返っていた。この階の学年が体育で、本当に良かったと思う。おおっぴらに獄寺隼人を殺す事が出来る。

「好きだから」

 声をあげなかった自分は優秀だった。特に声帯とか。

「……は?」
「猫は特に」

 刺してやろうか。本気で思った。そこで区切るか、この男。

「犬猫は好きなんだよ」

 生命の危機真っただ中だというのに、こちらを見据える目は揺らがない。
 本能がマヒしてるんじゃないかと疑いたくなる。ありえないほどの堂々っぷりだ。

「オマケに飼い主はいけ好かねぇし。オレにちょっと懐かせたら、飼い主の鼻明かせるなと思って」
「最低ですね」
「最高だろ」
「その結果が、噛み痕ですか?」

 声が震える。卓越した声帯も、そろそろ限界らしい。
 様々な感情が、喉元まで出かかっている。吐きそうだ。

『ああやって、昴が痛い目を見る』

 突き放した声が蘇る。繕った笑顔で自分を嵌めた、腹黒マフィアの言葉。

「猫だなんて嘘だろ」

 獄寺の目は静かだった。事実を持って他人を制す、情の無い人間の目。
 あの男と同じ、マフィアの素質を持って生きる少年が言い放つ。

「猫は猫だから可愛がれる。ペットのために人の耳元を刺す人間は、そういねーよ」
「……全国の飼い主に謝って下さい」
「犬猫を可愛がれんのは、人語が話せないからだ」

 繋がりがあるのかないのか、微妙な流れの話し方。
 胸を突かれたような呼吸の乱れを感じる。生粋のマフィアだ、と思う。自分の大嫌いな。

「何が言いたいんですか?」
「お前らには言葉がある」

 一瞥する。人間には心臓がある、みたいな口ぶりだったが、獄寺は真剣だった。

「喋れよ、ちゃんと。言葉で表さねーから、面倒な事になる」
「……空気を読む、という日本の良き文化を知りません?」
「目に見えないものは信じないんじゃねぇのか」

 揚げ足。頬が引き攣った。
 というか、この言い草、

「……まさか、君もあの会の一員じゃないでしょうね」
「あ?」

 何の話だよ。獄寺がたじろぐ。
 自分で脈絡を崩すことは躊躇しないくせに、他人に話を逸らされるのはダメなのか。勝手な男。

「『僕と昴を応援するの会』ですよ」
「何だ、そのイカれたネーミング」

 トチ狂ってやがる、と獄寺の目が語っている。引き気味だ。
 感性は多少、コッチの方がマトモらしい。安心した。とは言え、この少年も人の事は言えた義理ではないだろうが。匣兵器とか匣兵器とか匣兵器とか。

「言っておきますが、名付け親は跳ね馬です」
「じゃあ仕方ねぇな」

 仕方ないのか。引き締まった獄寺の顔に、何とも言えない気分になった。
 この男と意見が合ったのは初めてだったが、素直に告げるには利が無さすぎる。告げられても獄寺だって困るだろう。「オッ、初めて意見が一致したな!」なんてはしゃぐようなタイプじゃない。
 それも、壁際に追い詰められたこの状態で。

「……放っておいてくれませんか」

 逃避だ。思考を投げ出して、息を吐く。それから、三叉槍を引き抜いて、体を放した。
 物理的な距離を取る行為は、攻撃の意思が無い事の表れだ。2歩、後ろに下がれば、獄寺が肩をすくめる。

「お前はどうでもいいけど、昴は勝手に向こうから来るしな」
「人が友好的な態度を取ろうとしている時に煽るの、やめてくれません?」
「友好的」

 相手が鼻で笑った。

「てめぇが友好的とか」
「何がおかしいんです。笑いどころ無いでしょう」
「ヒバリが世界平和語るレベルでおかしいっての」

 失礼千万だ。
 顔をしかめれば、獄寺が壁から身を起こす。かと思えば、勝手に廊下を歩き出した。

「ちょっ、どこ行くんですか」
「教室。テメェのせいで授業が終わる」
「いや、完璧に君の自業自得でしょう」
「てめ、どの口が」

 首だけで振り向いた獄寺は、イラッとした顔をしていた。ガンを飛ばされる。

「テメェも帰れよ。黒曜に」
「……最後に、ひとつだけ」

 このまま別れるのは不本意だ。胃が固形物を溜め込むように、心が消化不良を訴えている。

「んだよ」

 立ち止まった獄寺が、じろりと目線を送ってくる。

「二度と、昴を噛まないでくださいね」

 銀髪が、ゆらりと揺れる。
 その下、一瞬だけ目を大きく見開いた獄寺隼人は、すぐに表情を崩した。

「お前がちゃんと首輪付けたら、首はやめてやるよ」
「な、」

 絶句した。
 首輪。首輪って。

「君は拘束プレイ派でしたか……」
「言ったろ?犬猫は好きなんだよ。見た目も好みなら、尚更」
「獄寺隼人!」

 鋭く叫び、前に踏み出す。だが、相手はとっくに角を曲がって消えていた。

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