1,ゼロサム(1)



 ピッ。通話を切った少年が、こちらを見た。
 ニッコリ笑い、片手のスマホを軽く振る。

「確定。あと2時間41分28秒後に、世界は消滅する」

 ポーン。ついでとばかりに、彼はスマホを放った。
 ゴミを捨てるように、地上3階のこの屋上から。

「は」

 あまりに自然すぎて、反応が遅れた。声だけが飛び出す。が、当然、重力に従うスマホを引き止めるような力はない。
 音もなく、金網の向こうへ銀色の通信機器は落ちていった。

「……ちょっと」
「ん?」

 なんにもなくなった片手をポッケに突っ込み、相手が首を傾げる。
 何事もなかったかみたく、けろっとした顔だ。雲雀は未だ信じられない思いで、事実を確認する。

「スマホ、」

 それ以上、何と言うべきかわからなくなった。言葉を切り、フェンスをちらっと見る。
 ああ、と相手が目を開く。つられたようにフェンスを見て、肩をすくめられた。

「スマホ、落ちたな」

 ……おちたな?
 今のは、落としたというんじゃないか。故意に。
 言いたかったが、何となく飲み込んだ。フェンスから2歩分、距離を置いて笑う少年の顔が、少しだけ悲しそうに見えて。



 碧。並盛中学2年、クラスはB組。成績優秀、運動万能。
 ただし、素行が悪い。耳を飾るいくつものピアスを眺め、雲雀は息を吐いた。
 知っている。何度、取り締まったことか。

「おっしゃー、やってやった!てかやったー!」

 ぎょっとする。あまりに急な歓声だった。碧がニッカリ笑って、両手を思いっきり上に上げている。
 いわゆる万歳、というヤツだろう。まもなく3年に上がる中学生がするにしては、頭が悪そうなポーズだったが。

「1回やってみたかったんだよねぇ」

 余韻の残る語尾の切り方。ふっと、目線が落ちるように流し目で見られる。
 雲雀は真顔を保った。さっき、バンザイをしてはしゃぎまくっていた人間とは思えないような切り替え方。
 色気すら感じる影ある表情だ。碧は、こっちが素に近い。

「……何が。バンザイ?」
「何でだよ。スマホぶっ壊しに決まってんだろ」

 ふわぁ。そこであくびをし、相手は髪を耳にかけなおした。
 もう興味の無さそうな顔。ぽいっと投げ捨てたスマホ並みに、この少年は話題も捨てる。しょっちゅうだ。

「人との繋がりを全部切ってみたいと思ってた。すっげぇ快感」
「群れるからそうなる」
「群れなきゃ社会は成立しないからしょうがないだろ」

 ま、それもあと数時間だけど。
 にんまり、得意げに笑った碧を無表情に一瞥した。社会なんて微塵も意識していなさそうな男が、コミュニケーションの成立について語っている。
 なんてちぐはぐで無意味だろう。

「スマホ捨てる意味、あったかい?」
「あったろ。キョウヤも捨てたら?」

 ゴミ捨てたら?みたいな軽さで言ってくれる。フェンスに肩を預けた碧を横目に、ポケットから自分の携帯を取り出した。

「え、嘘。お前、ガラケー?このご時勢に?」
「別に、連絡取るためだけの物じゃないでしょ。これは」

 腰が抜けたみたいな声が聞こえる。それを無視して、雲雀は適当に文字を打った。

「ハイ。これ」
「は?何」

 ずい。画面を相手に差し出す。碧は眉を寄せ、警戒する野良猫みたいな足取りで近付いてきた。

「さっきの君」

 『 \(^o^)/ 』とだけ表示されたメール画面を見、白い首が高速で横を向いた。

「ぶはっ、はっ、はッまっ……待って、マジで腹がっ、腹がいてぇ……」
「こういうこともできるでしょ」
「エッ待ってマジ無理、キョウヤの発想ホント無理ッ……!」

 ひとしきり腹を抱えて笑ったあと、碧が涙を拭って立ち上がった。
 ふふ、と笑いの名残が残る唇をひくつかせ、鮮やかに微笑む。

「キョウヤ、お前、お笑い芸人目指せたよ。世界が今日で終わるなんて、本当に惜しい」
「ていうか、屋上からゴミ落とさないで。並中を汚すな」
「んでもって人のスマホをゴミ呼ばわり」

 けらけら笑う顔。インストールされているみたく、碧は様々な笑い方をする。

「ていうか、弟は」
「ん?」

 微妙に固まる瞳孔。それを認めて、今のは時間稼ぎの「ん」だな、と思った。

「宙。君の、双子の弟」

 宙。目の前でスマホを投げた少年の弟。並中2年C組。
 この男が、誰より大事にする存在。

「……だーいじょうぶでしょ。獄寺がいるし」
「へえ」

 驚いた。それでいいんだ。
 物珍しそうな視線がバレたのか、碧はにっこり笑った。

「ていうか、実はついさっき」
「さっき?」
「物陰で獄寺とちゅーしてるの見ちゃって」
「ワォ」

 心底、感心の声が出た。
 そこで獄寺を殴らなかったあたり、このブラコンも成長している。

「だから、もういいかなって」

 風が吹き抜けていった。涼やかな、秋直前の風。
 さらわれた横髪の間から、光るピアスが見える。黒い宝石が並んだ、十字架のピアスだ。
 碧の趣味が雲雀にはわからない。祈る神なんていないだろうに、十字架なんて。

「珍しい。諦めが良いね」

 逡巡は1秒だった。流す事に決める。
 もういいかな。その声音に、何かを手放したような気配を感じて。
 大事にしていた花を手折るように。可愛がっていたペットの首輪を外すように。
 初めて聞く種類の声だった。この少年は、自分が捨てたくないものは絶対放さないタイプの人間だから。

「諦めが早いね、じゃなくて良いね、のあたりに悪意を感じる」

 くっくっ、と笑う顔。
 いらなくなったらすぐ捨てる性格を表したかのごとく、この少年は品はないけれど頭は良い。行儀は捨てているが知性は手放していないのだ。

「転校早々、弟の肩に触ったってクラスメイトを殴ったのは誰だったかな」
「さぁ〜?」

 とぼけ顔。トンファーで1発殴ったが、あっさり避けられた。
 それ以上、追うつもりはない。得物を下ろして、雲雀は相手を眺めた。

「どうして、僕を呼んだの」

 応接室にいた自分を引っ張り出したのは、碧だ。
 今から正確な情報が入るんだよ。残り時間。世界の余命の。
 だから何だと思った。腕を引っ張られて屋上に連れ出される理由にはならない。
 けれど、雲雀が拒まなかったのも事実だった。

「あと、数時間で世界が終わるんだよ。君の大好きな弟も、全部消える」

 正しくは、世界が「消滅」するのだ。別世界の白蘭が、この世界の「白蘭」を連れだした事で。
 止められなかったオレたちは、この世界ごと消滅する。
 ごめんね、と泣きそうな顔で言った沢田綱吉を殴ったのは、記憶に新しい。

「手近な相手を捕まえるとか、君らしくな」

 パンッ。

「キョウヤ」

 真剣な目が見つめていた。合わせられた両手の向こう、真っ正面から視線をぶつけられてたじろぐ。

「学校案内して」
「……は?」
「転校してきた初日みたいに。いいだろ」
「え、ちょっと待って、君、僕の話聞いて――」

 た、と言い切る前に、腕を引きずられて屋上から連れ出されていた。



「……で、ココが校長室」
「君が案内してちゃ、意味ないでしょ」
「転校3日目にして呼び出し喰らったの覚えてるわ。ピアスで」

 聞いてないな。よくわかったので口をつぐんだ。
 雲雀の腕を掴み、碧は次々と部屋を巡っていく。半年前、自分が案内した順番の通りに。

「そりゃそうでしょ。僕も何度も言った、ピアスやめろって」
「アイデンティティを取り上げないでよお」

 ふざけた声。ぎゅっ、と腕に体が密着して、その感覚に心臓が跳ねる。
 人肌の柔らかさだ。こんな碌でもない人間でも、皮膚がくっつけば柔らかいし温かい。

「そんな安っぽいアイデンティティなら、自我崩壊した方が良くない?」
「ほんと怖い事サラッと言うよな、キョウヤって……」

 校長室は空っぽだった。ここだけじゃない、どこの部屋も教室も同じ。
 世界が間もなく終わるからじゃない。今日は日曜、学校が休みだからだ。

「ていうか、増えたね」

 何の躊躇いもなく、主のいない校長室に踏み入る後ろ姿へ言う。

「何が。俺のアイデンティティ?」
「君、人格増えてたの?知らなかった」

 ひと呼吸分の間も与えず返せば、碧が吹いた。

「ボケにボケ重ねてくるのは反則!」
「そっちが始めたんでしょ」
「ピアスの話なら、肯定」

 肯定。つまり、増やしたのか。やはり。

「なんで?いっそ耳削りたいとかそういう話?」
「どんな猟奇的趣味だよ、俺」

 ガラッ。引出しを物色しつつ、碧がふふっと笑う。

「別に。1回あけると抵抗無くなるんだよね」
「似合ってないよ。やめた方がいい」

 本当は、一度やめろとキツく止めたかった。
 一度だけでいい。自分の言葉でピアスをやめる彼を見たかった。
 もう遅いが。

「見て見てキョウヤ、」
「なに、って、ちょっと」

 上ずった声がした方を見て、ぎょっとした。本日2度目の驚愕。
 ただ、今度はどちらかというと頬が引き攣るような驚きだった。ぎょっ、というよりげっ、に近い。

「らくがき」

 碧がピースを決める。プリクラではしゃぐ女子生徒みたいなポーズ。
 マジックが挟まった指の上、歴代校長の顔写真に、見るも無残なペンの花が咲いていた。

「……うわ」
「渾身の出来に声も出ないか」
「引いた」
「俺の美術の才能に?」

 どこまでもポジティブ。けっこうなことだ。
 ため息を漏らした雲雀の前で、全校長の顔が品のない落書きに埋まっていく。小学生みたいな悪行を終えた同級生は、スッキリした顔でからから笑った。

「1回、やってみたかったんだ」

 反省のはの字も無い顔。世界の終焉に向けて、人間としてのモラルも捨ててるんじゃないだろうな、この男。

「……やってみたいことが多いね」
「どうせ世界終わるなら、やりたいことやっておかなきゃ損だろ」

 マジックが空を飛ぶ。カシャン、と大した音も立てず、投げられた油性ペンは校長室の隅に消えた。

「あとやっておきたいこと、何かある?」
「そうだなぁ」

 目を細め、碧が笑った。虹を見つけた子供みたいに。

「図書室の本、全部やぶろう。キョウヤ」



「君が考えることって、なんでこんなにえげつないの?」
「参加してるキョウヤが言えた義理じゃないだろ」

 部屋を埋め尽くすように舞う紙切れに、色覚を奪われた気分がした。上下左右、全てが白い。
 宣言通り、図書室中の全ての本が破られていく。そのページの根っこから、何枚も何枚も。

「結婚式みたいだな」
 
 碧が周りを見つめて呟く。ちょうど、棚の1つが空になった時だった。指先がそろそろ痛い。

「結婚式、やったことあるの?」
「やったことあったら大問題だろ。俺いくつよ」

 紙の破片が頭に乗る。それが呪いの札でもあるかのように振り落とし、くっくっ、と碧は喉を鳴らした。

「俺が参加するのは、宙の結婚式が最初で最後って決めてるからな」

 歌うような声。扱う語彙は乱雑なわりに、碧は淀みない響きで言葉を紡ぐ。
 だから、なんだかんだ人に好かれるのだろう。

「残念だったね。それももう叶わないよ」
 今日で世界は終わるのだから。
「あと数時間以内に、俺が宙の手を取って教会に飛び込めばセーフじゃない?」
「弟の意向を無視してる時点でアウト」
「まず血縁者だからダメってツッコミは?」
「君、本気になったら戸籍から変えるタイプだろ」

 ニヤリ。悪魔みたいに碧が歯を見せた。

「よくお分かりで」

 紙吹雪が床に積もっていく。舞っていた破片が全て落ちきった今、動くものは何一つないような気がした。
 まるで、世界中の生き物が死に絶えたように。

「……汝、健やかなる時も病める時も、愛し合い敬い、なぐさめ助け、変わることなく愛することを誓いますか」

 動いた。碧が。
 白い断片に埋もれるように座っていた碧が、立ち上がり、おもむろに雲雀の手を取る。
 驚きはしなかった。動きは見えていたから。
 指先を掴む碧の手を黙って受け入れたのは、自分だ。

「……急だね」
「弟のはもう無理だからなぁ」

 口笛でも吹くように言ってくれる。

「だから、お前も誓えよ。キョウヤ」

 細めた目が笑っている。
 碧は異国の血が混じっているのか、瞳の色が黒よりも紫に近い。青みの強い瞳孔は、伸縮すると奇妙な色彩を帯びた。夜中の海みたいな深い色。
 わりと好きだった。決して口には出さなかったけれど。

「……汝、死が2人を分かつまで、変わることなく愛することを誓いますか」

 呟く。こんなふざけた文句をすらすら言えたのは、奇跡に近い。
 世界がもうすぐ終わるのと同じくらいの奇跡だ。

「なんか俺のより短くね?」
「そもそもコレは神父のセリフで、夫婦が言い合うものじゃない」

 なんで、とはもう聞かなかった。どうして僕に、とは。
 握りしめた指先が熱い。どちらの体温かはわからなかった。

「そっかぁ」

 天気予報、外れたかぁ。ぐらいの顔で、碧が密やかに笑う。
 結局、本は全て破り切らなかった。その前に碧が飽きて、次は理科室に行くと言いだしたからだ。

「君って堪え性ないよね」
「常に流行の最先端を行くからな」

 意味がわからない。



 理科室の鍵は開いていなかった。

「むしろ、今まであいてたのが奇跡」
「見回り役が怠慢だね。今度咬み殺そう」
「もう無理じゃん」

 けたけた笑う悪魔が、次の瞬間ドアを蹴り上げる。
 予告なしの動作。鼓膜に響く轟音が頭にまで響き、思わず睨む。

「……ちょっと、うるさい」
「ハイハイごめんね〜〜」

 碧の右手に、赤い炎が宿る。嵐の炎だ。

「最初っからそうしなよ」
「ていうか、お前怒んないね」
「は?怒ってるよ。耳が痛い」

 指輪から広がる炎が、白い指先をつたう。なぜ嵐なのだろう、と今まで幾度となく思った。己に従い強く生きる彼は、怒涛の激情を担う嵐の紅色とは重ならない。
 碧が膝を折った。無駄のない仕草で鍵の部分に指を押し付ける。

「そうじゃなくて」

 不意に、その顔が振り返った。戸惑いに満ちた目が自分を見上げる。

「並中に乱暴なことするな、って」
「だったら本破りを許可してない」

 何を今更。呆れて見下ろした。
 並中は大事だ。自分の庭のように、今まで大切に慈しんできた。傷付けるものには容赦せず。

「じゃあ、なんで許可してくれたんだ」

 眉を寄せる。見上げる顔は単純に訳がわからないと言いたげで、それだけに不可解だった。

「君がやりたいって言った」

 それだけだ。それ以上もそれ以下もない。
 なのに、なぜ言った本人がそんな事を聞くのか。

「……ふうん」

 碧が不意に視線を外した。誰かに瞼を押されたみたく、不自然な動きで。
 がちゃん。鍵が分解される。黒いパーツは、あっけなく床に転がった。

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