9,ゼロサムゲーム



 目に見えないものは信じない。
 そういう主義なわけでなく、これは瞑の経験談だ。



「だからつまり何て?」
「だからつまり、目に見える形でお前の現状を教えてあげてんだよ」

 なあ、白蘭。
 立派なデスクチェアーに座る相手の後頭部に、銃をつきつけたまま瞑は笑った。

「現状かあ」

 のんびり、おやつタイムと変わらない声が聞こえる。まるで、瞑が持っているのは銃じゃなくてケーキの皿だ、とばかりの気楽さだ。

「時間は午後2時、仕事はひと段落。あとはボンゴレにまた奇襲をかける、って予定かな」

 ボンゴレ。10世代に渡る大手マフィア。その勢力は、徐々に削られつつある。
 沢田綱吉も死んだ今、ミルフィオーレが攻めるには絶好のチャンスだ。と、入江正一の報告を受けたのはほんの数日前だ。
 だが、今はボンゴレなんてどうでもいい。

「その前にやることがあんだろ?」
「何が?瞑チャンをどかすとか?」

 ホラ、早くその銃下ろしてよ。いつもの戯れとなんら変わりない声で、歌うみたくいさめられる。それが強がりじゃないとわかって、ますます苛立った。

「白蘭」
「なあに?キスのおねだり?」
「ぶっ殺すぞ」
「目に見えるどころか、言葉でも現状をハッキリさせるのやめてくれないかなぁ」

 なんだ。わかってるじゃないか、現状。
 銃を持つ手が下りないよう、指から適度に力を抜く。何事も、力を入れすぎると碌な事が無い。
 常に自然体でのらりくらりと敵をいなす、この男が良い例だ。

「ノック無しで僕の部屋に入ってきたかと思えばコレだもんね。瞑チャンの考えてることってホントさっぱり」
「俺はミステリアスでクールだからな。お前みたいなちゃらんぽらんに見透かされてたまるか」
「ゴメン、何言ってるかもさっぱり」

 あと1センチ、自分の指が動けば発砲できる。
 そんな状況とは思えないほど、互いが互いにいつも通りだった。

「この世界に連れて来た時は、あんなに縮こまって可愛かったのに」
「人の黒歴史を掘り返すな」
「もうあの時みたいに、僕の手に縋ってくれないワケ?」

 白蘭の顔は見えない。自分がその後頭部に銃を突き付けているからだ。
 けれど、その顔が笑ったのはわかった。随分長く、一緒にいたから。



 不思議の国のなんちゃら、というお話がある。よく宙が読んでいた代物だ。
 白蘭の足元にドサッと落ちた瞬間、気分はまさにアレだった。それも、全身が茹るような激痛と絶叫のオプション付きで。

『あ、良かった。成功だ』

 熱湯の底に沈められたような痛みにもだえる自分を見下ろし、ニッコリ笑った冷血漢の第一声だった。



「あの時の君、可愛かったねぇ。茹でられたパスタみたいで」
「ホント死んでくれねぇかな」

 できれば、世界一苦しい死に方で。

「喜んでよ。世界を渡って無事でいた人間なんて、きっと君が初めてだよ?」
「何をどう喜ぶんだよ。そんなハジメテいらねーわ」
「チェリー卒業より名誉的なのに」
「初めてだけにか。ハジメテ繋がりだな。クッソ面白くねぇな」
「ノリノリじゃん」

 今度は声付きで笑われる。今すぐ引き鉄引いてやろうか、と瞑は心からの殺意を抱いた。
 白蘭に「この世界」へ連れてこられたのは、5、6年前のことだ。元いた世界から強引に移動させられ、数カ月寝込む激痛と全身の色素を失うというオマケ付きで。
 毎夜、悪夢を見てはうなされた。側にいた白蘭に手を伸ばし、ぎゅっと握られる事で、再び眠りに付けた日々。
 多分、この世界でもっとも安らかな時だった。

「ノリノリついでにお前の魂胆、見抜いてやるよ」
「へぇ。最近できた高級デパートのマシュマロ食べたいなー、とか?」
「ボンゴレ襲う前に、他のパラレルワールドに足突っ込むつもりだろ?」

 密やかな笑声。
 冷たい感触を感じているはずの白髪は、震えることすらしなかった。

「……だとしても、瞑チャンには関係ないよねぇ?」

 銃を握りしめる。
 馬鹿め。関係、大アリだ。

「もう1人の自分を連れてくるの、やめろ」

 はっきり言い放てば、また笑う気配がした。
 この男は、笑う以外にコミュニケーションが取れないのだろうか。そうなら、深刻なコミュ障だ。赤子からやり直した方が良い。
 そうしたら、自分がキッチリ真っ当に育ててやるから。

「なんでわかったの、とか、先に正チャンに言えば良かったのに、とかはまあ言うだけにしておくね」
「そうしてくれ」
「そこまで見抜いてるならさ、」
「あん?」
「じゃあ、一緒に名前考えてくれない?」

 幼少期の訓練に感謝した。今、銃を暴発させなかったのは奇跡に近い。

「……ワリィな、俺はお前のせいで教育が中学止まりなんだ。難しい言葉はわからねぇ」
「おんなじ『白蘭』じゃツマンナイでしょ。だからって、名無しは可哀想だし」

 やばい。何がやばいって、白蘭お得意の「他人の話を無視して喋る」という悪いクセが全力発揮されている。

「……つまり、『別世界から連れて来た自分』に付ける名前を、」
「うん」
「俺にも考えてくれ、と?」
「大正解」

 ぱあっと輝いた顔が見えた気がした。いや、絶対に輝いた。

「死ねよこのサイコパス。俺の話、ひと文字たりとも聞いてねぇだろ」
「そんなに双子チャンが大事?」

 ひくり。喉元が引き攣る。
 息を呑んだ自分が見えたわけでもないだろうに、白蘭は静かに嗤った。

「パラレルワールドに置いてきた、君の弟の双子チャン」



 家は有名なマフィアだった。
 父は突然死んだ。有能で自己犠牲を省みない人で、理想のボスだったと部下が口を揃えて惜しんでいた。
 自分が10になるかならないかの頃で、幼い双子を抱えた母が溶けるように泣いていたのを覚えている。綺麗だったが元々心が不安定だった母親は、そのまま病死した。
 残されたのは年端もいかない自分と、それ以上に幼い双子の弟だけだった。



「まあ、僕がそこで君を連行しちゃったから、君のおうちの家系図からは今、君の存在は抹消されてるだろうけど」

 落書きしたらクレヨン折れちゃった、ごめんね。みたいな軽さで言ってくれる。本当に碌でもない。1回、頭に風穴が空けば、その歪みに歪んだ倫理観も直るだろうか。

「誰ひとり覚えてないだろうね君の事〜って言われた時は、マジでぶっ殺そうかと思った」
「でも安いもんだよ。君の記憶も消えるか廃人同様になるか、それくらいは覚悟してたのに」

 声音が軽すぎてうっかり引き鉄を引きそうだ。人の命を何だと思っているんだろうか、とこれまで何百回も思った疑問がまた浮かぶ。

「"コッチの世界の君"をあらかじめ消しといた僕のおかげだよ。君が元いた世界は、君という存在が消えただけですんだ。世界自体には、何の損傷もなく」
「待て待って待って、何かフッツーに暴露したけど俺初耳」
「用意周到な僕に感謝してね!」
「エッもうわかんない、わかんねえよ、感謝ってなに?人としてのモラルとかねぇの?」
「でも、今度はこっちの世界の僕を消すわけにはいかないし」

 スーパーに林檎が無かったからって、本屋に行くわけにはいかないし。
 白蘭の声はその程度の調子だ。いつもと同じ、至って自然な体勢で、

「!!」
「だから、」

 だから、反応が遅れた。
 ぐるっとイスごと回転した白蘭に突き飛ばされる。衝撃が胸に走った。引っ張られるように仰向けに倒れる。
 電車に轢かれかけた時と同じ感覚だった。爆笑する白蘭に、「ゴメンゴメン、ちょっと押しただけだったんだけど」と、腕を掴まれたあの瞬間と。
 ふざけんな同じ目に遭わせてやる、と公共のホームで取っ組み合いをしたのは、もう何年前の事だろうか。

「だから、ゴメンね。瞑チャンの世界、壊しちゃうけど」

 ドッ、と胸に重みがくる。ただでさえ倒れた余波であちこち痛いのに、余計な体重をかけられてうめいた。
 目を開ける。馬乗りになった白蘭が、口元だけで笑っていた。

「……なら、殺す」
「やめなよ、銃も無いのにさぁ」

 ほんとだ。片手は空っぽだった。
 突き飛ばされた衝撃で、どこかに飛んでいってしまったらしい。最悪だ。

「悪いとは思ってるんだよ?僕も」
「罪悪感もざの字も知らねぇくせに、よく言うわ」
「だって瞑チャンの世界だもん」

 眉を下げ、への字口。
 可愛いと思ってんのか。成人男子が。

「僕、瞑チャンの双子に会いたかったなぁ。きっと可愛いだろうね」
「やめろ。手ぇ出したら末代まで祟り殺す」
「今、いくつなの?」
「……14、とか。俺より10歳、下だったから」
「うっわ、カワイイ〜!」

 ペットショップではしゃぐ女子高生にそっくりだ。それでいいのか、いちマフィアのボス。
 体はピクリとも動かなかった。精々、右手を上げるくらいしかできない。
 さすがだ。唇が苦く歪む。絶妙な体重の乗せ具合、首を押さえる冷たい手。ひょうひょうとした態度で、白蘭はアッサリ他人を手にかける。
 そういうことができる相手だ。この幾年か、手取り足取りミルフィオーレの作法を教え込まれながら知った。
 きっとこの男は、顔色ひとつ変えずに自分を殺せる。

「大丈夫だよ。痛みは無いから」

 見下ろす淡色の目。
 それは、消える世界の人々の話だろうか。それとも、今から殺す自分への。

「信用できねぇ」
「処女喪失に比べたら、きっとゼーンゼン」
「経験したことねぇのによく言えるわ〜」
「他人に組み敷かれる趣味無いもん」
「ホント誰か掘ってくれコイツ……」

 ニコッと笑ってサラッと言う。組み敷いた本人を前にして。
 体が動くなら張り手とかしたい。赤い平手の痕でも付けば、中身の最低さに顔が追い付くだろう。

「ボンゴレを消す一手として、お前が『別の世界の自分』を連れだせば、『その世界の人間』が死ぬんだぞ」
「そうだね」

 世間話レベルで同意が軽い。晴れ続きだから植物枯れるね、とか話してるワケじゃねーんだよコッチは。

「何をしたって言うんだ、お前が消す世界の住人が」
「ふふっ」

 白蘭が肩を震わせる。唐突な動きだ。
 口をつぐむ。嫌な予感がした。何て言ったって、コイツはかなり頭が良い。

「やめなよ。みっともない」
「は?」
「君は双子チャンを救いたいだけでしょ?それを世界規模に持ってくなんて片腹痛い」

 いつからヒーロー思考になったの?
 歌うように紡ぐ口調が、自分のちゃちな偽善を切り捨てる。唇を噛み締め、瞑は視線を横に向けた。
 そうだな。そういう奴だよ、俺もアンタも。



 母が死ぬと、双子の結びつきは以前よりいっそう酷くなった。
 特に、宙の方だ。人形みたく美しいあどけなさを持つ宙は、心まで母親によく似て不安定だった。

『キモ。ありえねー。お前ら磁石のSとMなの?』

 笑って言い放つ。宙は、不服そうに目を細めた。
 蛇を思わせる瞳孔の動きだ。獲物を威圧する目の動き。こういうところは、おそらく有能な父に似たのだろう。
 宙は美しく不安定だったが、人を従える力があった。だから、母のように簡単には崩れない。
 それを幸せだなとも思ったし、哀れだとも思った。

『それを言うなら、SとNだと思うけど』
『物知りかよ。どこで知ったんだ、そんな知識』
『碧が教えてくれた』

 碧は年齢に全く見合わず頭が良い。
 小学生の教科書は全て読破してるよと教えられ、思わず笑った。

『マジかよ。いよいよバケモノだなアイツ』

 双子は自分に懐かなかった。互いで互いを土台にし、支え合って生きている。
 賢明だ。年がら年中、マフィア絡みで忙しい兄なんか、頼るべきじゃない。

『お前、1回、碧以外にも目を向けてみれば?』
『どういうこと?』

 こてん。首を傾げる仕草に、やっと年相応の幼さを見る。

『碧を壊すよ。そのままだと、お前』

 軽く膝を折り、頭を撫でた。宙は平均身長よりずっと背が低い。
 ぽんぽん、と軽く叩けば、また目を細められる。今度は日向ぼっこする猫のように、ふにゃっとした顔だった。

『……うーん、じゃあ死ぬ前に考えてみるね。瞑』
『待て待て、死ぬ前って死ぬまで碧以外は見ねーつもりか』

 宙は、ニッコリ笑って無言を貫いた。



 手を差し伸べることはしなかった。
 自分はそれほど暇じゃない。家族に情があるわけでもない。
 それでも、レンガ壁のように互いの隙間を互いで埋めようとする弟たちが、心配じゃなかったと言えばウソになる。
 生きていて欲しくないと言えば、嘘になる。



「唯一の肉親だもんね。でも、大丈夫」
「……何が」
「瞑チャンには僕がいるじゃん」

 首を絞める格好で見下ろす男が、タチの悪い彼女みたいなセリフを口にする。

「お前、俺の肉親だったの?」
「遠くの親戚より近くの他人、って言うでしょ?」

 渾身のボケは無視と来た。ムカつくヤツ。

「人のファーストキスから処女から奪ってったヤローに他人扱いされてもねぇ〜」
「好きだよ」

 息が止まった。
 ホームに突き落とされた時より、ずっと強い衝撃で殴られた気がした。波が引くようにゆっくり冷えていく頭で、真上の男を見つめる。

「だから、近くの恋人にしてよ。瞑チャン」

 目に見えないものは信じない。
 だから宙は碧にくっついたのだろうし、母は父の名を呼んで動かなくなったのだろう。行動は言葉より雄弁だ。
 愛や信頼なんて目で捉えられないものは、特に。

「そうすれば、君は元いた世界への未練を捨てて、僕の側にいてくれる?」

 白蘭は真顔だった。
 嘘くさい笑みも、軽薄そうな目付きも無い。首を押さえる手から、微かな震えが伝わる。
 それが笑いを堪えているんじゃないのはわかった。

「……お前」
「ずっと好きだった。君を選んだのは偶然じゃなくて、必然だよ」

 いくつもの世界を潰し、トゥリニセッテを無理やり揃え、人を羽虫のように踏んで進む男が、伊達男のような言葉を紡ぐ。
 じわり。冷たい沼底にはまっていくみたく、足元から何かが這い上がってくる。数年前、湿地帯で底なし沼に落とされた感覚とよく似ていた。もちろん、落としたのは白蘭だ。
 ただ、これは泥じゃない。もっと冷たく重たい、何かだ。

「"僕の世界の君"も、"僕の世界の双子チャン"にご執心でね。だから、"双子チャン"を消しちゃった」
「……その、邪魔な電柱だから撤去します、みたいな流れやめろ」

 いよいよ人間としての理性を疑う。

「ちゃんと"僕の世界の君"の記憶も消したんだよ。"双子チャン"に関わる記憶は、ぜーんぶ」
「ちゃ……ちゃんとって何?それ必須事項か?要る手順か?」
「なのに、"僕の世界の君"は"双子チャン"を完全に忘れてくれなかった」

 色素の薄い瞳は、氷柱のようだった。
 「他人の話を無視して喋る」癖を発揮しながら、その顔は遠い過去を懐かしむようにぼんやりしている。
 誰かを深く惜しむ顔だ。見覚えがある。
 父が死んだ後、窓際に座る母がよく浮かべていた表情。

「だから、ミスなんて起こらないよう、準備を整えて君を連れて来たのに」

 準備。
 『"コッチの世界の君"をあらかじめ消しといた』という発言が、頭によぎる。

「なのに、もう君を覚えてすらいない弟たちに、どうして執着するの?」

 ……ああ。
 見つめる目から純粋な疑問を読み取って、全身の力を抜く。足先から上ってきていた冷たさは、いまや頭まで飲み込んでいた。
 なんだ。自分の目に映らないところで、この男はこんなに動いていたのか。

「……馬鹿だな、お前」

 これほど熱烈で過激な愛情を受けているのは、きっとこの世界で自分だけだろう。
 なのに、手放しで喜べない。初恋が成就した女学生みたく、舞い上がることができなかった。いや、実際、初恋なんだけど。
 足元から自分を飲み込むこの冷たさの名前を、やっと思い知る。
 絶望だ。


「家族だからだよ」


 白蘭が目を見開く。
 ズシッ、と重たい感触がして、突き刺さったナイフから血が滴った。衝撃に薄く唇を開けた白蘭の胸と、笑った自分の胸元から。
 諸刃の剣とはよく聞くが、両方に刃が付いた持ち手の無いナイフは、一体何と言うんだろうか。向かい合う互いの胸を刺す、小さいけれど確かな得物。

「……無から有を作る、霧の有幻覚……」
「右手を押さえなかったのはミスだったな」

 うめいた相手に、ニッコリ笑う。ゴフッと揃って咳込んで、飛び出した血の量にまた笑えた。

「しんじゅう、とか、フザけてる。フザけてるよ、瞑チャン……」
「お前と俺はわかり合えない」

 今、ハッキリわかった。コイツと自分は平行線だ。
 だって、白蘭は自分を好きだけど世界も欲しくて、自分は白蘭が好きだけど弟らも大事なのだ。
 無理だ。醜悪なイタチごっこみたいなもので、互いが互いを攻撃するしかない。
 だから、絶望したのだ。

「……まあ、そんなのは最初から知ってたよ」

 多少、血を吐いてスッキリしたのか、白蘭が口を開く。

「だから先に、体の方から仕込んだんじゃん」
「下品だなぁオイ」
「ミルフィオーレとしての生き方を、だよ。曲解しすぎ」
「急にマトモな事を言う」
「まあ、快楽とか気持ちイイこともだけど」
「ろ、ろくでもねぇ〜」

 ぐい。唇を拭われて、目を細めた。
 碌でもなさを煮詰めて形にした男が、初めて見る笑い方をしている。仕方がないねという、何かを諦めた微笑みだ。

「……こんな、悲愴感のカケラも無い心中ってある?」
「お前と俺じゃしょうがねーだろ」

 常に罵ってふざけあって雑な扱いをして。
 品の無さにかけてなら一級品だ。巻き込まれた入江なんかは、よく半泣き顔でぐずっていた。

「好きだよ。白蘭」

 意識が遠くなる。ハッと白蘭が息を呑んで、その顔が最後に見られて良かったと思った。





 目を開ける。
 自分を覗き込む顔は綺麗で血の痕すら無くて、ああコレは幻か、と理解した。
 いつかの回想だ。この世界に来たばかりで寝込む自分を、毎晩見つめる白髪の男。

 ――瞑チャン。

 大事な呪文みたく、そっと呼ぶ声音にほっとする。
 のろのろと手を伸ばせば、ぎゅっと強く握り込まれた。ちゃんとここにいるよ、と告げるように。
 双子がそろって発熱した、あの時の自分もよくやった。うなされる小さな顔に、大丈夫、と無意味な声をかけては手を握って。

 あの2人は、自分のいない世界でちゃんと生きているだろうか。
 互いを縛るように生きる2人が不安で、だからその身に降りかかる余計なものは全て、この身に引き受けていたのに。
 後継者としてのプレッシャーも、マフィアの子供としてしか見ない冷たい周囲の目も。

 ああ、なんだ。気が緩んで、笑みが零れる。
 自分もおんなじだったのか。父への愛ゆえに後を追った母や、身勝手な私情のまま自分を連行した白蘭と。

 幼い双子は自分を奮い立たせるための存在だった。自分の愛は届かなくとも、ただ健やかに育って欲しいと望んだ。

 行動は言葉より雄弁で、ずっと確かな愛情表現だった。

見えない愛を紡ぐ


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