8,ゼロサム(8)



「隼人って僕の事、特別キレイなペルシャ猫くらいに思ってるでしょ」

 昼休み。空き教室で、思い切って尋ねる。2人で昼食を取るのが、いつの間にか恒例になっていた。
 自分が「獄寺クン」でも「獄寺」でもなく、「隼人」と呼ぶようになったように。

「あ?」

 質問が突飛すぎたのだろう。むせ返った獄寺が、睨むようにこちらを見た。機嫌を取りなすため、愛想良く笑って顔を覗き込む。
 獄寺は自分を邪見にしなかった。甘えたがりの子犬みたくじゃれても引っ付いてもからかっても、キレたり怒ったりしない。
 自分だったら耐えられない。多分、相手の喉元を突いてサヨナラさせている。

「高級で物珍しいネコ。可愛くて人に囲まれて、知名度の高い」
「よくそこまで自分を褒めちぎれるな」

 優越感。最初はそれだけだと思っていた。
 クラスどころか学校中の的である自分が、べたべたひっつくのは獄寺にだけだ。当然、やっかまれるが羨まれもする。
 モデルを彼女に持つ男と同じだ。つまり、人に羨望の眼差しを向けられるポジションにつけたことが、自分を受け入れている理由だと思っていた。

「事実デスカラ」

 ニッコリ笑い、碧お手製の卵焼きに手を付ける。
 多分、違う。優越感というには、何かが足りないと思っていた。だからきっと、そこに足されるのは好意だ。
 人に愛情を向けられるのは慣れている。ちょっと猫を被っていれば、他人はすぐ熱に浮かされた視線を送ってきた。
 本性は見せたと思っていたけれど、獄寺だって人の子だ。むしろ、ボンゴレに所属しているからこそ、多少の人格破綻は気にしないのかもしれない。
 だとしたら、残念だ。

「どこかだよ。見た目は認めてやるけど性格最悪だろ」

 水をかけられたように、目が冴える。
 箸から卵焼きが落ち、弁当箱に転がった。だが、たった今、宙の心に核反応並みの衝撃を与えた当の本人は、うまくめくれないサンドイッチの包装紙に四苦八苦している。
 じわじわ、おかしくなった。胸のあたりから、温かい何かがこみ上げてくるように唇が緩む。
 
「……ホント、良い性格してるよね。隼人って」

 見抜かれていた。とは。

「え、つかなんだその顔。こわ」

 やっと顔を上げた獄寺が、途端にぎょっと身を引く。一緒に昼食をとるような仲なのに、まるで妖怪と距離を取るような動作だ。

「そういうとこ、好きだなぁ」

 自然と口に出せば、途端に咳き込む声が響く。

「げほっ、ごほっ、あ、ああ?!」
「あ、もちろん碧の次にね。期待させてゴメン」

 ね、と両手を合わせ、ついでに首も傾ける。わかっていてやったポーズに、向かいの同級生は渋茶を流し込まれたような顔をした。

「何が期待だよバカが。このブラコン」
「だって隼人、僕の事好きでしょ」

 獄寺はサンドイッチを落としもしなかった。
 ふうん?みたいな顔で、じっとこちらを見てくる。眉だけがつうっと上がって、まるで店先に並べる野菜の艶を調べているような瞳だった。
 動揺や困惑といった感情が薄い。けれど驚いているのはわかったから、ごまかすように笑みを浮かべた。

「綺麗で細くて、可愛くてあざとくて。こんな美少年に引っ付かれて、好きにならなかったらもう不能だよ」
「後半、言ってることが最低だって気付いてるか?」

 いつも通りにツッコみ、サンドイッチにかぶりつく相手。
 生まれのせいか環境のせいか、獄寺はやはり予想外に強い。ヒバリのように、文字通り鋼のハートで感情が見えないタイプとは違う。わかりやすいのにわからなくなる。
 だから、困るのだ。わからないのは怖い。わかれば捨てないでと腕に縋れるし、逆にもういいよと突き落とすこともできる。けれど、わからなければ動けない。
 唇を舐めた。

「……隼人が1番最初に見つけてくれたカツアゲの時、」

 なら、試すか。
 どこまで受け入れてくれるのか、あるいは、ここで一線引かれるか。 

「本当は、殴られるんじゃなくて犯されるトコだったんだ」

 獄寺の顔が、爆風を浴びたように固まった。不良みたいなナリをして、この少年は意外とおキレイなのだ。そこそこの正義感とある程度の倫理観をしっかり持っている。
 自分が持っていない不要物を。

「小さい頃からそうだったからね。わかってるんだ」
「……何が」

 呻くような問い。ニッコリ、最上級の笑顔で告げる。

「つまり、僕は性別問わずモテる」

 獄寺は無言だった。宙の目に答えが書いてあるかのように、じっと見つめてくる。 
 ふざけた結論はごまかしだった。最後まで本性を貫いてしまえば良かったのに、と思って、貫けるほど自分は強くなくなったのか、と自覚する。
 碧以外の他人なんて、今までどうでもよかったのに。

「……お前は、品の良いペルシャ猫なんかじゃねーよ」

 沈黙ののち、獄寺がきっぱり言う。
 やっと口を開いたかと思えば、これだ。静かな罵倒。獄寺もけっこう、口が悪い。

「群がる人間の喉をいつかっ切ろうか考えてる、性根の腐ったトラ猫だ」
「ひっどいなぁ。そこまで言う?」
「人の気持ちを決めつけにかかるヤツの性根が腐ってないワケねぇよ」

 ほらまた。よくわからない言い回し。
 ガタン。いきなり、物音が響いた。派手にスライドする椅子を、目で追う。その間に、立ち上がった獄寺に顎を掴まれていた。
 予告なしの接触に、嫌悪感は湧かなかった。ただ、言われた言葉が呑み込めていない。

「……決めつけてる?」
「ああ」

 獄寺の顔が近付く。そこで初めてぎょっとした。自分が息を呑んだ音が異常に大きく聞こえて、それにも焦る。慌てて、静止の声を喉から絞り出した。

「はや、」
「オレはお前の人形みてぇな見た目じゃなくて、その真っ黒に濁った趣味ワリー性格の方を好きになったんだよバーカ!!」

 鼓膜を震わすような大声。
 ぽかん、と見上げた宙の鼻先で、獄寺はじわじわ真っ赤になっていった。そのまま、至近距離で見つめ合う。両方とも固まっていた。
 スパーン!とドアが開き、鬼のような形相の碧が飛び込んでくるまでは。 



「隼人ってどんどん黒歴史作ってくよね!」

 辿り着いた校舎裏で声をかければ、今の今まで自分の腕を引っ掴み、校舎を縦横無尽に走り回っていた相手が壁に突っ込んだ。頭から。

「製造原が何言ってんだよ……」

 またすごい音したな。校舎の壁に埋まりたいといわんばかりの恰好を眺め、脳細胞は大丈夫だろうか、と妙な方向で心配になる。遠くで、始業のチャイムが鳴っていた。

「うわ」顔を上げ、獄寺が呻く。
「チャイム鳴った……これはサボリだな」
「ええ、遅刻でもいいから教室戻ろうよ」
「今戻ったら、絶対どっかで兄貴と鉢合わせすっぞ。賭けてもいい」
「また校内スクランブルエッグは嫌だなぁ」
「別にお前は戻ればいいだろ」

 雨が降ってるなら傘させばいいのに。みたいな調子で言われる。追撃のようにじろっと見下ろしてきた目が、困惑で満ちた。

「……あ?どしたんだよ」

 動かない自分に、獄寺がたじろいだとわかった。わかって、おかしくなる。
 その趣味ワリー性格を好きになったんだよ、か。右腕を見て、その袖にくっきり付いたシワを眺めた。
 碧が炎を宿した拳を振り下ろしてきた時ですら、絶対に離されなかった袖。

「ふふっ」

 小さく笑えば、獄寺が眉を寄せた。またカッター出すんじゃないよな、と言わんばかりに神妙な顔付きをしないで欲しい。そこまで自分は物騒じゃない、なんて言えば、碧は苦笑するだろうか。
 内心そのまま、浮かれた足取りで歩み寄る。

「隼人の隣にいたいから、行かない」

 驚いた顔。それがおかしくて楽しくて、もっとおどかすためにピッタリくっついた。
 人の好意をこんなに嬉しく思ったのは、初めてだった。性格悪いなんて言われたのはもちろん、そこを好きだと大声で断言された事も。

「ずっと隼人って僕の事、可愛いマスコットみたく思ってると勘違いしてた」
「まあ、ハズレではねーけど」
「だから、ビックリした。性格の悪さが好きなんて言われて」
「それは忘れろ!」
「ありがとう、隼人」

 背中に腕が回す。息を呑む音に、一瞬だけ後ろめたくなる。
 なぜかはわからなかった。高揚感はあるのに、胸が微妙に軋む。吸った空気が重くなったように。

「僕も、思った事をそのまま言っちゃう隼人のひねくれた性格が好きだよ」
「色々余計だぞ、気付いてるか?」

 注文多いなあ。煙草の匂いのするシャツに鼻先をうずめて、言葉を紡いだ。

「すきだよ」

 これが、好きだということなのか。だとしたら、奇妙だと思った。
 心臓が痛くて、煙草の香りがもっと欲しくて、このままずっとこうしていたい。まるで、いつか碧と2人で寄り添いあったベッドのように。
 このまま、ひとつになれたなら。


『碧を壊すよ。このままだと』

 じゃあ、この人なら壊れずにすむだろうか。
 だって獄寺は碧じゃない。碧に似ているけれど、例え壊れたって碧ではないから大丈夫。
 でも、獄寺が壊れることを考えると泣きたくなって、やめた。



「今日で世界が終わるとか、」

 ジュッ。煙草の火を踏んで消し、獄寺が言う。

「全然、実感湧かねーな」
「ね」

 ざっくばらんに流す。
 校舎裏は、いつの間にか2人の場所に変わっていた。あの日感じた胸の軋みが、どんどん痛みへと変わっていったように。
 始めは病気なんじゃないかと思ったが、それが獄寺と一緒にいる時にひどくなるとわかった。特に、頭を撫でられたり、抱きしめられたり、キスされたりすると。
 
「ちょっお前、それ碧にもらったヤツだろ」

 腕時計を外していれば、珍しくかなり焦った声で止められた。
 頼むから、落ち着いて待っていて欲しい。こっちは兄の贈り物を捨てるという、人生初の行為に全力投球中なのだ。対応しきれない。

「うん」

 顔を上げた。ばちっと目が合い、反射で笑顔を作る。
 そんな心配そうな顔、しなくてもいいのに。

「ねえ、最近、碧が僕と隼人の邪魔をしなくなったって気付いてた?」

 黒い革製のバンドを外す。
 碧は腕時計をしない。身につけるもの全てをお揃いにしていた幼少期が、遥か昔のように思えた。

「は?……いや、そんな時あったか?」

 獄寺が顔をしかめる。絶対無いだろ、とすでに目が答えていた。
 鈍いな。その鈍感さをかわいいと思った。碧という存在は、獄寺にとってただの邪魔者なのだ。自分にとってのヒバリみたいなものだろうか。
 自分の後ろから射し込む夕陽で、見上げる先の銀髪が眩しい。

「あったよ」

 碧が、自分から離れていく。
 成長した小鳥が巣から飛び立つように。あの風紀委員長に腕を引かれて。
 ……違うか。巣から飛び立てないよう、その足に枷を嵌めたのは自分だった。

「よく応接室にいるみたいだしね」
「どうせヒバリと殺し合いしてんだろ」
「だといいなぁ。さすがにえっちしてたら僕も立ち直れないよ」

 鈍さマックスの恋人が、ひっくり返らんばかりにむせた。

「隼人ぉ、そんなにビックリしなくてもいいじゃん」

 げほげほ咳き込む背中をさすり、込み上げてくる笑いに身を委ねる。ほんと、八つ当たりしがいがあるというか、変に初心で可愛いというか。

「おっ……おま、……いや、待てムリ……タイム」

 試合中の審判みたいな身振りでタイムを要求される。当然、無視した。

「きっと相思相愛だよ。あの2人」

 この世の終わりみたいな顔で咳き込まれる。いや、実際、世界は終わるんだけど。

「隼人は良い意味で鈍いよ」
「いや、待て……気ぃ合うな、とは思ってた、けど、冗談だろ?」

 あのレベルで「気が合うな」って。
 碧に「獄寺ってお前以外の事ホンット疎いよな」と言われたのを思い出す。

「冗談の方がいい?」
「いや、わかった、いい。もう何も言うな」

 やっと立て直した獄寺が、ふと眉をつり上げた。

「ていうか、お前もわかっててよく許したな」
「いつもなら絶対妨害してるよ」

 何言ってるの、と即答する。口元を引き攣らせた相手に、ニッコリ笑いかけた。笑いかけ、ああダメだ、と気付いて顔を上げる。
 上手く笑顔が作れない。ずっと、上手にやってきたのに。

「……でも、世界が終わるっていうから、許してあげようと思って」

 頭上を見つめた。空なんて興味の欠片もなかったけれど、今、獄寺の顔をまっすぐ見られる気がしない。
 赤と青と橙の混じる、不気味な色合いの空。すみっこの黒が、碧のしていたピアスの石に似ていて、自分がしていた腕時計の色と同じで。
 碧は黒が好きだったのか。不意に、目が覚めるような思いで気付いた。
 雲雀の色だ。すぐに浮かんだ。その誇り高さを表すような、凛とした黒の髪と学ラン。

「今までも許してたんじゃないのか」
「今までのは『見逃し』。今日のは『許し』」
「何がちげぇんだよ」

 獄寺は頭が良いのに、たまに驚くくらい言葉に対してルーズだ。国語はニガテなんだろうか。

「きっと、今日、碧はヒバリさんに告白するよ」

 自分で言った言葉が、自分の胸を刺した気がした。

 碧は自分とは違う。ほんの数分、先に生まれただけなのに。
 一緒に眠り、好きな物を共有し、おんなじ気持ちを分け合った。なのに、生涯を共にする伴侶として、結婚することさえ許されない片割れ。
 双子だから。
 いつまでも一緒にいられないという事実に愕然とし、死んだように椅子に座って一晩空を眺めたのは、碧が長期訓練で屋敷を空けた日だった。
 
「碧はずっと、僕から離れないと思ってた」
「離れてないだろ。磁石みたいにベッタベタして」

 焦ったように被せられる。こういう時、獄寺は異常に敏い。
 その気遣いが愛しくて、痛い。胸が、またきしむ。

「どうかなぁ。磁石っていうより、呪いだったんじゃないかな」

 空から視線を離す。こちらを見つめる銀の瞳へ、覗き込むように視線を合わせた。
 もう、諦めてしまおう。どうせ、今日で最後なら。
 全部ぶちまけてしまったら、この男はどんな反応をするだろうか。


「ずっとずっと、碧は僕のものだった」


 大好きな碧。愛しい兄。
 可哀想な人。哀れで気の毒な。
 あの人は優しくて強くて頭が良くて、だからつまり、自分よりずっと「まとも」だった。
 双子では結婚できないと知って、こんな世界はおかしいと憎悪を抱いた自分とは違い、じゃあ俺はお前の結婚式を見られればいい、と笑ったように。
 ずっとそうだった。碧はいつも自分より先だ。優先事項をすぐ見抜き、髪を切るように不要物を手放す。それが物であれ感情であれ、自分自身であれど。

『碧を壊すよ。このままだと』

 だから、いつか壊すのは、自分の方だと知っていた。

「……今もそうだろ」
「そうであって欲しかったよ」

 違う。もうずっと、碧は自分のものなんかじゃなかった。
 だって碧は、自分の代わりに雲雀を選んだりしない。自分は、雲雀に少しも似ていない。宙は、獄寺を碧の代償として選んだのに。
 碧のそういうところが、素直で、強くて、優しくて、だから殺したくなるほど悔しかった。

「でも、今日で世界は終わるから。だから、最後くらい許してあげる」
「なんだ、その理論」

 本当はとうの昔から、こんな日が来ると知っていた。
 手を放されたのは遠い昔だ。兄はいつも、無自覚に先を行く。

 逃がす気はなかった。

 自分を庇う背中に鎖を。優しく覗き込む目に言葉を。
 大好きな碧。愛しい兄。可哀想な人。哀れで気の毒な、僕の。
 
「来世でも僕と碧は手を繋いで生まれてくるからね。それまではヒバリさんに譲るよ」

 許してあげる。あなたを縛る枷を外すから、自由に飛んでいってね。
 いつかまた、同じ籠で生まれるまでは。


「じゃあそれまで、お前はオレのものでいろよ」


 ため息と腕を上げる音と、それから呆れを含んだ声音。全部が、同時に耳へ届く。
 急に引き寄せられ、驚いた。目をパチクリさせて見上げれば、真っ赤な頬が目に飛び込む。プイ、と横を向き、そっけない表情を取り繕う顔。
 温かい。確かな体温と、煙草の匂いと、ゴツゴツしたアクセサリーの感触に息を止めて、それからやっと、言われた言葉が頭に入ってきた。 

「っんだよ笑ってんじゃねーよ!!」

 吹き出せば、途端にデコピンを食らう。地味に痛い。

「にっ……似合わない……隼人にカッコつけ似合わない……」
「世界が終わる前に果たすぞこの野郎」
「せ、世界終わる前に黒歴史更新だね。良かったネ」

 声が震えているとバレたくなくて、わざと大袈裟に茶化した。やっぱりこの人、頭悪いんじゃないかな。
 世界が終わるほんの数時間だけでも、自分の物でいてくれだなんて。それで良いのか。たった、それだけで。

「もう黙れよ」

 噛み付くようにキスされる。不意打ちに反応が遅れた。最近、胸が痛むから、接触は出来る限り避けていたのに。 

「……あのね、」
「黙れっつってんだろ、このバカ」

 空気読め、とすごむ目をしっかり見て、しっかり茶化す。

「ワンラウンド始める前に、もうひとつだけ言わせてよ」
「ワンッ」

 見事な噛みっぷりに笑う。
 まじか。面白すぎでは?

「僕ね、ずっと隼人を利用してたんだ」

 この胸の痛みは、罪悪感だ。今、やっとわかった。
 苦しいのだ、自分は。受け取った分の好意を返せないことが。
 碧の代償として、時には八つ当たりの先矛として。まっすぐに思ってくれる獄寺を利用することに、酸素が足りなくなるような痛みを覚える。
 こんなの、今までは無かった。いつぞや気を引いた男子高生など、もう名前も覚えていないのに、なぜか獄寺だと息が苦しくなる。
 
「知ってるっつのアホ」

 頬に手を添えられた。ガラス細工に触れるような穏やかさ。
 獄寺は、びっくりするくらい優しく笑っていた。

「ん、いや、碧のこともあるけど……昔、言われた事があって」

 耳を噛まれ、ビクッと肩が跳ねる。
 うわ最悪、と思った。今の、絶対バレた。

「むかし?」
「『1回、碧以外にも目を向けてみたら?』って」
「めちゃくちゃマトモなアドバイスじゃねぇか。誰だよその常識人」
「別に、そこはどうでもよくて……ただ、だから隼人にくっついてたんだ」
「へぇ」

 獄寺は聞く気マイナス10パーセントの顔をしていた。会話より制服のボタンを外す方が何百倍も大事です、とばかりに性急な動作で襟元を緩められる。
 ほら、わけがわからない。感情は簡単に読み取れるのに、どうしてそういう反応をされるのか、理解に繋がらないのだ。色を読み取っているのに名前がわからないように。

「へぇって。利用してたんだよ?怒んないの?」
「別に。利用されてたつもりねぇし、お前の性格わりぃのは今に始まった事じゃないだろ」

 そして簡単に、この男は自分の本性を鼻で笑う。

「そっか、隼人は性格悪いの好きだもんね」
「オレがおかしいみたいな方向に持ってくのはやめろ!」

 ああ、そうか。自分は、獄寺隼人のこういうところが好きになったのか。
 胸に頭を預ける。心臓の痛みは、いつの間にかただの拍動に変わっていた。ものすごい早さの拍動に。
 目を閉じれば、祝福のように額へ口付けが降ってくる。

「……ありがとう、隼人」



 さよなら世界。さよなら、碧。
 碧は自分の居場所で、拠り所だった。
 今でもその気持ちは変わらない。碧がいたから今日まで生きていられた。その優しい手を自分に縛り付けることで、独りに狂うことなくいられた。
 できることなら、どうか来世でも双子として。

「お前がオレのものじゃなくなっても、オレはずっとお前が好きだよ。きっと」

 それが愛ってものなのだろうか。脳を溶かすような獄寺の言葉に、ゆっくり考える。
 縛るのでも試すのでもなく、まるで見守るように想い続けることを、この素直で奇想天外な恋人は「愛」と呼ぶ。
 あと数時間の間に、彼は自分にその愛し方を教えてくれるだろうか。

「最終・黒歴史更新だね」

 ふざけて笑う。
 大丈夫、世界が終わるまで、きっと誰も2人の邪魔をしない。遠ざかっていく碧の気配を感じながら、宙は全身の力を抜いた。
 だから、あなたもどうか幸せに。

「テメーはもうちょい照れるとかキスするとか空気読め!!」

 真上から雷が降ってくる。全く、相変わらず注文が多い。
 リクエストにお応えして、と、宙は背伸びをし、そのうるさい唇を塞いでやった。

 

愛し方の形


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