#90

"部活に顔出さない?"

そうなまえへ連絡をしてきたのは、キメ学ダンス部の同期であった。

そうか、私、OGか‥‥と、バイト先の控室にて、なまえはしみじみと噛み締める。
キメ学ダンス部は、ずっと顧問がいない。代わる代わるOGが指導にくる他は、基本生徒による自主トレが主であった。


1-2年の頃は単位不足が怖く、ギチギチに詰め込んでいた&服屋のバイトで考えが及ばなかったのだが‥確かにそろそろ、隙間を縫って顔を出してもいい頃だ。自分も緒先輩方にお世話になったのだ、後輩に引き継がなければならない。


なまえは快諾すると、ぐっと背伸びをして‥仕事に戻っていった。





「‥‥‥‥」
指導日当日。
懐かしさと緊張で謎に憂鬱になりながら、母校の門をくぐる。‥が。


「何か、居心地悪い‥」
何一つ変わらない、校庭、花壇、校舎、体育館‥‥
‥なのに、そこにいる生徒達は誰一人知らず、なまえを知る者もなく。

当然、どこにも自分の居場所が無かった。
あんなに毎日毎日、我が家の様な感覚で通っていた昇降口や、思い出の桜の木さえも‥今はもう新しい家族と共に生きており。この学校において、自分は異物なのだという妙な恥じらいが込み上げ、なまえは困惑した。


だが。
「みょうじ‥」
「冨岡先生!」

部室棟に行くと、冨岡が待っていてくれた。彼の姿を見た瞬間に、懐かしい気持ちが溢れ出す。元気か、と微笑む体育教師の側に駆け寄ると‥なんだか、自分の存在を許された気がした。

「入校許可証だ」
‥これのせいかな!?


運動服に着替え、冨岡の先導で、うずスペに向かう。初めてのOGは、一応紹介されるらしい。

「!!!」
途中、3年の教室‥蓬組ではない‥の前を通り過ぎた時。
数人の女子生徒に囲まれる、焔色を見た。

(ぐへェ‥)
すぐに見えなくなったが‥内心、殴られたような衝撃を受ける。

‥こんな光景、日常だったではないか。なまえがいた頃も。彼はいつも生徒に囲まれ、時には告白され‥とにかく、凄まじい人気だった。

忘れていた。最近は煉獄と二人で会うことしかなく‥職場での彼に、何が起こっているか知らなかったから‥‥‥知ったところで何が変わるわけでもないけど。


「‥‥‥」
授業後の、騒がしい廊下を歩く。何だか懐かしい雰囲気だ。この時間、炭治カとよく一緒に帰ったものだと、なまえは目を細める。


「あっ冨ピだ!」
「!」

突如後ろから聞こえた女子生徒の声に振り返る。教師は‥無視かい!

「ねぇ冨ピ、何で美女連れて歩いてんの?カノジョ?」
「‥俺は冨ピじゃない」

前に回り込む女子生徒達は、キャッキャと冨岡に話しかける。中高生はまだ大人との接し方が分かっていない子も多く、先生も大変だ。

「否定しないとか!マジでカノジョ?ヤバイじゃん、美男美女カップルじゃね?」
え、ウソ凹む!‥などと盛り上がっている。

楽しそうだけど、一緒に歩いてると彼女になるんだったら私多分炭治カの彼女だわ、回数的に。


「俺じゃない、煉‥‥行くぞみょうじ」
言いかけだけど審議っ!

思わずガバリと教師を見上げる。
涼しい顔でてちてち歩く冨岡は、すまん、と言ったきりこちらを見もしない。

えっ!?嘘!?「れん」ってまさか‥ガチで!?‥などと沸き立つ女子生徒達は、バタバタとどこかへ走っていく。あああどうか分かってませんように!煉獄先生も寝耳に水だ!‥今日来ることは言っていないし。会えないと思っていたから‥





「宜しくお願いします!」
うずスペにて簡単に自己紹介を終えると、ダンス部の面々が礼儀正しく頭を下げる。

何だかとても懐かしい、自分もちょっと前まであちら側だったのだ。

「じゃぁ始めよう!‥ん?」
うずスペの壁は鏡張りになっている。その鏡越しに‥‥‥自分の後ろに、若干のギャラリーができているのを見た。

(何だろう?制服のまま‥)
ダンス部に興味があるのだろうか?この部は女子のみだが、見学者には男子もいる‥

「じゃぁ、曲かけるね!」
内心首を傾げながらも、指導を開始する。指導の仕方なんて分からないが、自分が指摘されていたことや、全体のバランスなど、コメントできることは沢山あった。


「うん、今の凄く良かったよ!」
自分のアドバイスを聞いて成長していく後輩が頼もしい。あぁ、教えるって、とてもやりがいがあるんだなぁ。‥大変なことも沢山あるんだろうが。

ニコニコと指導を続けていると‥
「おわっ!なんじゃこりゃァ‥祭りかよ?」
「!」

宇髄の声が聞こえて、反射的に振り返った。
(ギャラリーめっちゃ増えてる!!!)

芸能人でも来たのか!‥位の人だかりができていて、流石にぎょっとする。‥何だ、何が起きている。


「おっみょうじじゃん。相変わらず派手だなお前」
人垣をかき分けて、宇髄が近付いてきた。
いや何一つ派手じゃないです。無地のTシャツに短パンレギンスです。地味な。

「こんにちは先生!この人集りは何でしょうか!」
「いやお前だろ」
何で!?

色素の薄い眉を寄せて、宇髄は呆れた声を出した。青い風船ガムがぷぅ、と膨らむ。


ガヤガヤとフロアを取り囲むギャラリーは、好奇心と悲壮感に溢れ、ただならぬ雰囲気を出している。これはまさか。

「煉獄の彼女を見に来たらしいぜ。どっから漏れたんだろォな。御愁傷さん」
冨ピィィィィィ!!!!!

なまえは心の中で乱心した。ここは煉獄の職場だ。迷惑をかけたくない‥!

17:00のチャイムが鳴る。部活は終わりだ、もう撤収するしかない。今すぐにだ。

「じゃぁ今日の練習はここまでで‥!」
ありがとうございました!‥と、後輩たちが頭を下げる。あぁ、もうちょっとしっかり見てあげたかった。ギャラリーができてから、気が散ってしまって‥


おら、邪魔だ、しっしっ!‥などと、宇髄が道を開けてくれる。その隙間をさっと抜けようとしたが‥


「あのっ‥煉獄先生の彼女って、本当ですか!?」
気の強そうな女子生徒に阻まれ、足を止める。‥その子の後ろには、泣きそうな顔をした女子が‥‥あああ絶対この子先生の事‥!

「‥」
否定するならば、沈黙してはならない。だが否定もおかしいではないか。脳が高速で回転する1秒が、やけに長く感じる。

「煉獄先生と付き合ってるんですか!?」
ぷるぷると震えながら、別の女子達が集まってくる。‥これはファンじゃない、本気のやつだ。謎の罪悪感が冷や汗を呼ぶ。

「おい。先輩困らせてんじゃねェよ。帰れ!」
宇髄が睨みをきかせるが、女子生徒達は怯まない。‥それもそうだろう。恋い焦がれた男の恋人が今、目の前にいるのかもしれないのだから。

「‥この人が彼女だったら、勝ち目無くね?」
どこからか、なまえを囲む彼女たちを揶揄する声も聞こえる。
現場はカオスです。どうぞ。


なまえが圧に負け、じりりと一歩下がった、その時。


「宇髄!急用とは何だ!」
「!」


この喧騒の中、凛とした声に全員が振り向く。

「遅ェわ。こいつ回収してやれ」
「‥‥!」

剣道部の指導の後、急いで駆けつけたのだろう。ジャージ姿の煉獄は、手に竹刀まで握ったままである。あぁ、格好いい。‥などと、現況も忘れて見惚れる自分は中々重症だ。


「よもや!来ていたのか!」
赤い瞳が人混みの中からなまえを捉え、驚いて見開かれる。それはそうだろう。昨夜も電話で話したのに、来るとは一言も聞いていないのだから。


煉獄がつかつかとなまえへ歩み寄る。青い顔をした女子生徒達は、固唾を飲んでその様子を見守った。
「先生、」
なまえはどうしたものかと固まっている。煉獄は、この状況をどうするのだろうか。


「練習は終わりか!夕食をとりにいこう!」
全然気にしてなーーーい!!

なまえは心の中で白目を剥いた。
しかも全然隠す気無い!!

狼狽えるなまえなど気にもとめず、煉獄は手をとると颯爽と歩きだす。
方々から悲鳴が聞こえるが、全く聞いていないようだ。手を引かれながら宇髄へ頭を下げると、彼はにこにこと手を振ってくれた。





互いに着替え、駐車場で落ち合う。

君が学校にいるとは懐かしい!‥などと言いながら助手席を開ける煉獄を‥なまえも懐かしい気持ちで見つめた。


「‥煉獄先生が、恋人なのが‥‥今でも夢みたいです。ずっと遠い存在だったので‥」

運転する端整な横顔を、ちらりと盗み見る。
憧れて憧れて‥一挙手一投足に心が揺さぶられて。目が合うと、周りの音が聞こえなくなるくらい、鼓動が高鳴った。

その煉獄が、自分を側に置いてくれるなんて。
‥毎晩電話しようと、何度デートに行こうと‥‥幸せで堪らない一方、これは夢なんじゃないか、本当はこんな普通の女、飽きられているのではないかなどと、愚かな不安が心に爪を立てるのだ。

(我ながら、ベタ惚れ過ぎる‥)
なまえの心はもはや、煉獄の奴隷だ。無論彼にその様な退廃的な面は存在しない。それでもなまえは、煉獄の表情や言動次第で、一瞬にして天国にも地獄にも堕ちる事が可能であった。


「‥不安か?」
ウィンカーの音が聞こえ、停車した車の中。赤い瞳がこちらを見る。

ドクリと、鼓動が跳ねるのを自覚した。今、その気持ちは隠していた筈だ。それなのに。幸せだとしか、口にしていないのに。


「え‥」
喉の奥から小さく声が漏れた。
‥煉獄は、人の感情の機微に敏感だ。その上結論を出すのが非常に早い。それ故その過程を(故意なのかも知れないが)省くことがあり‥まるで突然に心を読まれたかの如く、驚かされるのだ。


「‥君は、俺に遠慮する癖が抜けないな」
「‥‥‥」

ふわりと、咎めるでもなく‥煉獄が言った台詞を、頭の中で反芻する。
‥遠慮か。
何か、昔同じ事を言われた気がする。

−我が儘を言っていいと言われた
−いつでも家に来ていいと言われた
−敬語でなくていいと言われた

‥だがそのどれも‥先日言った"我が儘"以外は、実践できていない。遠慮している。何故か。

‥煉獄が、今でも尚‥憧れの人だからだ。そして彼には何一つ欠点が無く、思いやりに溢れ‥‥


「‥煉獄さんも、私に遠慮してませんか?」
いつも、なまえの気持ちを優先してくれる。黙って、見守ってくれる。肌を重ねた時でさえ‥なまえを気遣い‥未だに進展していない。


「‥この間の事か?」

思い切り図星を突かれた為、恥ずかしくて顔が紅潮した。今ハンドルを握る骨張った長い指が、自分の体に触れ‥‥無理!‥思い出すだけで、全身が燃えるように熱くなる。


「あれは遠慮というより‥配慮だ!」

だがそんななまえの顔芸を見もせず、正面を向いて車を走らせる煉獄は‥清廉潔白を具現化したような人だ。

煉獄は‥大人だ。優しくて、懐深くて‥そこが彼の長所であるにも関わらず‥不安になる時があるのだ。‥もっと、欲のまま触れて欲しいし、嫉妬もしてほしい、束縛してほしい。


「‥‥‥」
‥我ながら、ダメな男に引っ掛かりそうな思考でうんざりする。だがこんな事を思うのは、世界中でただ一人なのだ。煉獄に、めちゃくちゃに愛されたい。心は彼の虜であるのに、なまじ自由に解放された体が‥居場所を求めて彷徨っているのだ。


「‥私も、煉獄さんに‥心のままに、いてほしいんです」
‥彼はいつかそう言った。俺の事は気にするなと。

「私は、確かに元生徒ですし、先生から見れば未熟かもしれません」
「‥‥‥」

横断歩道を行き交う人々から目を離し、優しい視線がこちらへ注がれる。

「‥でももっと、煉獄さんの好きにしてほしいんです。」
「男のいる飲み会へは行くなとか、今から家に来いとか‥!」

「横暴だな!」
再び視線が正面を向き、彼は口角を上げたままアクセルを踏んだ。


あぁ、完全に引かれた。そういうことが言いたかったんじゃ無いのに‥
己の語彙力に絶望し、「例えが‥!」などと言いながら、なまえは項垂れた。


「‥大丈夫だ、みょうじの言いたい事は分かっている」
優しい声に顔を上げる。‥表情はいつも通りだが、今いつもより少し声が高かった。若干笑われたわこれ‥


飲食店が集まる駅前の駐車場に車を停め、サイドレバーを引いた煉獄が‥何かを思案する。


「‥今度、旅行にでも行こう。時間を気にせず、君と過ごしたい」

そう言って柔らかく微笑む顔があまりに綺麗で。恋情が込み上げて‥声が出なかった。ただ壊れた人形の如く、首を上下に振りまくるなまえに、煉獄がくすくすと笑う。


「さて!夕飯は何が食べたい?」
「とんかつかラーメンです!」

元気な即答に、煉獄は今度こそ笑い出した。




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