#85

大学生活は、中々楽しい。


必修科目では炭治カ達と一緒にいられるし、自分で興味ある講義を選択しているので、勉強もそれなりに楽しんでいる。

ダンスについても、継続している。"大学生はチャラいから!なまえちゃんは絶対女の子だけのサークルに入ってよね!?"‥と、善逸に言われていたのだが、女子だけのサークルが無く。皆に渋い顔をされつつ入った、普通のダンスサークルも‥練習自体は中々楽しい。

確かに初日から男女共に名前で呼んでくる、未成年なのに飲み会に誘ってくる(行ったら飲まされるらしい)、ボディタッチが何か多い、デートバンバン誘ってくる‥このサークル特有のノリがあまり好きでは無かったが。

ちなみに上記の飲み会に関しては、煉獄だけでなく‥炭治カ達からも、絶対に行くなと釘をさされたし、異論は無いので行っていない。それで特段不自由も無かった。


「どうしたのよ、なまえ。渋い顔して」
だが、なまえには1つだけ悩みがあった。
煉獄の事である。


煉獄とは、なまえの希望で、毎晩少しだけ電話をしている。連絡先も交換して貰えてはいるが、憧れの煉獄に気軽にメッセージなど送れないからだ。我ながらチキンだが‥正直、声が聞けるだけでも、心の底から幸せだった。

デートも、何回も行った。食事だけの事が多いが、ドライブ、買い物、水族館、映画、演劇‥‥彼は週末も部活や学会やらで忙しくしていたが、それでもこの1年半、隙間を縫ってなまえに時間を作ってくれた。その全てが楽しくて、幸せだった。‥‥‥だが。


「はぁ?彼氏が手を出してこないぃ?」
学食で向かいに座った友人が、呆れたような声を出す。

「で、付き合ったのいつ?」
「高校卒業した直後‥」
「1年以上前じゃん!」

あちゃー‥、と‥友人は顔をしかめた。

そう、煉獄とは‥はっきり言うと、ホワイトデーの時以上の行為には、進めていない。手も繋いでくれるし、抱き締めてもくれる。たまに‥‥触れるだけのキスをしてくれるが、そこから先は全く無い。自宅に呼ばれた事も無ければ、なまえが招いても何やかんや交わされてしまう。

なまえもいまだに煉獄にドキドキしてしまって、自分からは手も握れない位だ‥どうにかなりたいと思っているわけではない。だけど!

「彼氏さん、社会人なんだよね‥私が子供に見えてるのかも‥」
「うーん‥」

本日のAランチ、生姜焼を箸でつまむ。生姜焼は、家庭によって焼く前に片栗粉を付ける派と、付けない派があるが‥ここの学食は、前者らしい。ぷるぷるとした食感が美味しい!

「‥私って、女として魅力無いのかなぁ‥」
「それはない。胸あるし、ナイスバディよ」
胸は好みあるから!おじさんか!

わざわざ箸を止めてまで胸を凝視し出した彼女にチョップする。

‥在学中は、触れたい、みたいな事言ってくれてたのになぁ‥。
なまえはため息をついた。あの聖人君子みたいな煉獄が、男女のあれやそれやに興味があるようにも‥見えないから、厄介だ。彼は心の繋がりを大切にするタイプなのだろうか。そうと割りきれれば、そういうプラトニックな関係でも構わない。煉獄といられるのなら。






「君の誕生日だが!」
その夜の電話で、煉獄が切り出したのは、なまえの20歳の誕生日であった。
平日なので、夕飯に連れていってくれるらしい。昨年の誕生日は、美味しいイタリアンに連れていってくれた事を思い出す。あまりの美味しさに、ゴ●ゴみたいな顔で咀嚼していたら笑われたんだった。

「今年は‥私の家にいらっしゃいませんか?」
「え?」

え?って言ったの初めて聞いた可愛い!!‥じゃなくて!

予想外だったらしい煉獄は、しかし‥と、言葉を濁した。

「私、お酒を飲んでみたいんです」
「‥‥‥‥」


沈黙の後、そうか‥という、低い呟きが聞こえた。以前から煉獄には、初めて飲酒する時は、心配だから俺がいる時に‥と、念を押されていた。

自宅が一番安全だ。これなら煉獄も、流石に来てくれるだろう。これで断られたら、もう家が臭かったとかそんな理由しか思いつかない。泣くわ。

「大学が午前までしか無いので、夕飯作って待ってます!」

何か買っていく、という煉獄を何とか押しきり、約束を取り付ける。何かを期待しているわけではない。ただ誰にも邪魔されない空間で、煉獄の気持ちを知りたかった。






「よし、できた」

誕生日当日。隅々まで磨き上げられた自宅で、なまえは満足げに腕を組んだ。

本日のメニューはブイヤベースだ。日本人にはあまり馴染みが無いかもしれないが、トマトベースの魚介スープで、意外と簡単に作れる上とても美味しい。有名店でパン・ド・カンパーニュを購入し、ルッコラ入りのミモザサラダも作った。
誕生日の主役が何をしているんだと我ながら思ったが、憧れの煉獄を自宅にお招きするのだ。本当はシェフでも呼びたいところである。

クローゼットを開け、綺麗めのシャツワンピースに着替える。自宅デートの作法が分からないが、向こうもスーツの筈だ、一人だけルームウェアというのも何か違う。軽く化粧もして、準備は万端だ。


ピンポーン
来客を知らせるチャイムが鳴り、ドアを開ける。


「こんばんは!煉獄‥さん‥」

扉の前に立つ煉獄は、ケーキの箱と共に、数輪の薔薇の花束を抱えていた。

玄関の照明に真上から照らされた焔色の髪から、燃えるような赤い瞳は美しく輝き、影になった真っ赤な薔薇は彼の引き立て役でしかなく。まるで映画のワンシーンのような彼の美しい立ち姿に、胸が高鳴った。

酒が飲みたい、触れあいたい‥などという邪な考えで安易に彼を自宅に呼びつけてしまった事に、後悔すら覚えてしまう。


「誕生日おめでとう!」
‥と、大好きな微笑みと共に渡された薔薇に、気が動転して指を刺してしまった。無念。



「君も、もう成人か!」
腕を組み、感慨深そうに頷く煉獄を、なまえはそわそわと盗み見る。‥何だか、やはり教師か、最悪兄のような気持ちで自分を見ているのではなかろうか‥などと、一度払拭された浅はかな疑念が再度沸き上がってしまう。いやいや、落ち着け。そんな筈は無い。

「良い匂いだ!」
「香味野菜と魚介が入ってます!」
なまえが皿にもったブイヤベースを、煉獄がテーブルに運んでくれる。アルコール度数の低いカクテルを数本購入してあるが、万が一気分が悪くなった時のために、飲酒はケーキを食べた後にしようと決めていた。


「うむ!うまいな!」

以前肉じゃがを出した時も思ったが、煉獄はお世辞などではなく、本当に美味しいと思ってくれていると‥表情からよく分かる。それが、凄く嬉しい。また元気に食べ進めて行くのに、一つ一つの動作が綺麗で‥育ちの良さが垣間見え、凄い人だなぁと、なまえは感心した。

純和風の家柄に見えたが、ヨーロッパ仕込みのなまえから見ても煉獄のテーブルマナーは美しく、上品だ。
食器を持つ骨張った長い指が綺麗で、あの指がたまになまえの指に絡められると‥ただそれだけで心臓が鷲掴みにされたかの如く、苦しくなる。我ながら、ベタ惚れ過ぎて引く。


「みょうじは料理が上手だ。尊敬する!」
でっへへ!‥‥いや。
‥この"みょうじ"という呼び方も、若干なまえを悩ませている。キスをしてくれる時など‥甘い雰囲気の時は名前で呼んでくれるのだが、普段素で話している時は、みょうじだ。

自分も"煉獄さん"と呼び続けているのだから人のことは言えないが、何だか距離を置かれているような気がして、少しだけ寂しかった。‥いや、贅沢な悩みなんだけれども。


「‥‥‥‥‥」
煉獄が食べ終わった皿を洗うのを、後ろから見つめる。前回も同様に、洗ってくれた。彼は‥彼の人柄から考えれば疑う余地もないが、家事などにも積極的に参加するタイプなのだろう‥‥などと、まるで結婚相手として見てしまう自分が厚かましくて嫌である。

触れてくれない、などの悩みもそうだ。現状なまえはそれについて不満があるわけではないのに、自ら不安材料として引っ張り出してきてしまって、一体煉獄とどうなりたいのだろう。3年間追い続け、やっと振り向いてもらったのだ。今のこの幸せを、全力で噛み締めなければ‥まだスタートラインなのだ、煉獄との関係は。


‥などと思っていたのだが。





煉獄が買ってきてくれたケーキを美味しくいただき、テレビの前のソファに移動する。

「煉獄さん、ビールお好きですか?」
当然彼も飲むだろうと冷蔵庫を開けたところ、車で来たのでと、断られ。

「‥泊まって下さればいいのに‥」
などと、本音を口にしてしまったのだ。

煉獄も目を丸くして驚いていたが、自分でも相当驚いた。私は今、何かとてつもなくはしたない事を口にしたのでは‥などと後悔の念が押し寄せ、扉を開けたまま固まってしまう。

ヒヤリとした冷気が隙間から漏れ出て、肌の露出した部分を冷やしていった。



ピーッピーッ‥
「!」

冷蔵庫の開けっ放しブザーが鳴って、我に返る。慌てて手を伸ばすと、いつの間にか後ろにいた煉獄の腕が代わりに扉を閉めた。


「どうした‥‥‥不安になったか?」
優しい声が降ってきて、ビクリと肩が跳ねた。見上げると、赤い瞳が真っ直ぐにこちらを見ており‥見透かされた、という羞恥心で顔に熱が集まる。

恥ずかしい、と‥冷や汗が出た。煉獄は、相手の機微に敏感だ。なまえが自宅に誘ったのも、泊まればいいと言った事も‥‥恋人になってから、ずっとプラトニックな関係を続けてきた、その事に不満があるからだと‥察してしまったのだろう。


「‥少し、話をしよう」
ちょいちょいと、ソファに招かれ‥大人しく付いていく。顔は燃えていないだろうか。誰かバケツで水をぶっかけてくれと‥混乱した頭でぼんやり考えた。


「‥‥‥‥」
二人がけのソファに座ると、煉獄が‥なまえの手に、自身の手を重ねる。


「俺は、君を大切に思っている」
「‥‥‥」

真剣な表情で見つめられ、なまえは一つ瞬きをした。

「高校という狭い世界しか知らない無垢な君を‥大人の俺が、汚してしまいたくなかった」
「‥‥‥」

「君が大学に入り、大人になり‥君自身の価値基準を構築するまで‥待つつもりだった」


‥それはつまり。
高校という特殊な閉鎖空間がもたらす一過性の感情ではないか。‥なまえがより広い社会を見て、自分の判断で、それでも煉獄がいいのだと、確信するまで‥‥待っていてくれたということか。


「‥先生は、大人ですね‥‥」
なまえは目を伏せる。

サークルの友人が、慣れない酒を飲まされ、気付いたら先輩と一夜を共にしていた‥などと嘆いていたのを思い出した。

大切にする、と言われたあの日の言葉が甦る。煉獄は‥なまえを愛しながらも、大人として、彼女が成熟するのを‥温かく見守ってきてくれたのだ。

「‥‥‥」
それなのに、自分は‥
魅力が無いのかとか、不安だとか‥こんなことを考えている時点で、何と子供なことか。


「‥私、自分が女として魅力が無いのかと‥」
ゲホ‥と、隣の煉獄が何かにむせた。

「ありがとうございます。凄く嬉しいです。‥安心しました」


変なこと言ってごめんなさい、と、煉獄の顔を見る。‥眉を少し寄せた煉獄は、目線を重ねた手に落とし‥首を横に振った。

「俺の方こそ、もっと早く伝えておけば良かった。君がいつも幸せそうだから‥甘えてしまっていたな」

「もし、君が何か思うことがあれば‥遠慮せず、言って欲しい。もっと我が儘を言ってくれていいんだ。」

「!」


優しい微笑みに、ふわふわと‥宙に浮いているかの如く、幸せな気持ちになった。完璧な煉獄に、不平不満も、我が儘も思い付く筈が無かった。それでも‥優しく手を差しのべてくれる彼に、たまらなく満たされた気持ちになる。


「‥それと、誕生日プレゼントだ」
「!!」

プレゼント!!!!!なまえはビシリと固まった。
昨年はリクエストを聞かれた際、恐れ多くて何も思い付かず、考えさせてください!‥と言ったまま、1年が経過していた。

今年は何も聞かれなかった。どうしよう、どうしよう、煉獄から、プレゼント‥。


「ありがとうございます‥」
何故か感動で泣きそうになりながら、渡された箱を開封する。これは、あれだ、箱に書いてあるブランドが、あれだ、やばい高‥いや中身違うかも‥‥と、冷や汗をダラダラかきながら、恐る恐る蓋を開けた。


「ファ!」
‥思わず間抜けな声がでた。

「キーケース!」
あああああ可愛い!格好いい?
柔らかな牛皮のキーケース。パチリと開くと、内側に小さくロゴが入っており、非常に上品なデザインだ。

「ありがとうございます!!私、オートロックのカードも錠も直入れしてて‥」
いつか買わなきゃな、とは思っていたのだが‥!

「うむ、知っている!」
「恥ずかしい!!!」

顔から火が出た。がさつな女と思われていたかもしれない。終わった。辛い。


「‥‥あれ?」
反対側も開くと、既に一つ、鍵が付いているではないか。‥‥‥はて。

「俺の自宅の鍵だ!」
「えぇ!?‥‥ア゛ッ」
動揺してキーケースを落としてしまった。新品のそれが、床に当たりガチャリと音を立てる。


「‥いつでも、来ていいぞ。これから飲み会などあるだろう、遅くなるときは、近い方に帰れるよう‥‥‥‥真っ赤だ!」
穏やかに話す煉獄は、途中でなまえの頬をつつき笑い出す。

真っ赤にもなりますよ!だって、そんな、
「彼女みたい‥‥‥」
「彼女だが!」

混乱して、訳のわからない事を言ってしまった。なのに、煉獄に初めて"彼女"と断言され、えもいわれぬ高揚感に更に顔が火照った。


「うぅ、暑い‥」
キーケースを胸に抱いたまま、空いた手で顔を扇ぐ。

「‥飲んでみるか?」
小さく笑った煉獄が、側にあった紙で同様に、なまえを扇いだ。


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