3.試練と迷走


「えっ、と」


どうしよう。冷や汗が止まらない。どうして私はこんな状況に陥っているのだろうか。


「…おはようございます。“みずくさん。”」


私はどういうわけか、登校早々に例のバレー部2年の彼から所謂“壁ドン”を食らっていた。
超至近距離にある彼の顔は、私の記憶の中の彼となんら変わらず無表情。目も笑っていない。彼は顔が異常に整っているわけだから、その迫力は尋常では無かった。
そして何故か下の名前で呼ばれたわけだけれども、うん、なんだか彼の姑っぽさが一層増したような気がする。


「…おはようございます」


しかして挨拶とは、マナーにおいて基本中の基本。ここで変にうろたえてしまっては、姑とPTAを兼業している彼(仮)に不信感を抱かせかねない。
だから私は精一杯の“毅然とした態度”を取り繕ったのだった。


「今日も木兎さんと勉強会、されるんですか?」

「は、はいっ」


そして彼は相変わらず淡々とした口調で、私にそんな質問を投げかけてきたのだった。間髪入れずに返事をすると、その子は目を細めたのだった。こ、こわっ。


「いつもうちの主将を、ありがとうございます。」

「い、いえ」


なんだろう。どういうわけか脅されているような感覚に陥った。
“うちの主将”という言葉がまんま“うちの子”に変換された。つまるところまるで“あの子のバックには常に自分がいるのをお忘れなく”と釘を刺されているような感覚。
完全に私の脳内は、この子を姑兼PTA認定してしまったようだ。


「…ところで、いつも遅くまでされてますけど」

「す、すみません」


たしかに遅いときは22:00を回ったりもする。言ってしまえば私は、ただでさえ部活で疲れている木兎くんをそんな時間まで拘束してしまっている戦犯だ。仮にこの子がそれをよく思っていない可能性だって、十二分にある。だから咄嗟に謝ってしまった。こういうときは謝ってもいいものなのだろうか。


「みずくさんって、帰りはどうしてるんですか?」

「へっ?」

「…ご自宅、近いんですか?」

「えっ、あっ、うん!近い!近いので歩いて帰ってます!」

「一人で、ですか?」

「は、はい、もちろん!」


急な質問内容に戸惑いながらも全てにはっきりと答えると、赤葦くんはにっこりと微笑んだのだった。
イケメンの、爽やかな微笑み。きっとこれは胸キュンの一つでも起こって然るべき状況なのだろうけれども、どういうわけか恐怖しか抱かなかった。血の気がさぁっと引いていくようだった。


「では、今日から俺と一緒に帰りましょう?」

「…えっ」

「…迷惑、でしたか?」


咄嗟の提案に思わず固まってしまうと、赤葦くんは少し小首を傾げてそう尋ねてきた。きっとこれも私に変なフィルターが無ければ、鼻血ものの仕草に見えるのだろう。
しかしてどういうわけか“この俺が待っててあげるんですから、木兎さんをもっと早く帰してあげてくださいね?”という無言の圧力にしか思えなかった。


「め、迷惑だなんて、とんでもないです…!有り難い限り、です」

「そうですか。良かった」

「わ、私も…頑張ります…!」

「?」


さぁどうしようか。私は本格的に彼に監視をされることになってしまったようだ。まさかの帰り道に至るまで。
なるべく、品行方正に過ごさなくては。
そして何よりも木兎くんに、より短時間で理解してもらえるような指導方法を改めて考えなければならない。なんだかいろいろと難易度が高い気がするけれども、ここは乗り掛かった船。将来の為に真っ向から受けてたとうじゃないか。



―――――――


「…………。」


やっぱり、こういうことはよく分からない。
ひとまず今流行りらしい壁ドンなんてものもけしかけてみたものの、なんの意味があるのかはとうとう自分自身でも分からなかった。
それにしても、何故あの人は俺に対して敬語を使っていたのだろう。その分距離を持たれている、ということなのだろうか。うん。いろいろと分からない。
でもまぁ、ひとまずは名前呼びの定着と一緒に帰る約束を取り付けることができたのだから、今回は及第点だろう。


「みずくさんみずくさんみずくさんみずくさんみずくさんみずくさんみずくさん…」

「あ、赤葦さん…?ど、どうしたんスか…!?」


とりあえず自分の中でも彼女の名前呼びを定着させるために、彼女の名前を小声で連呼していると、登校したてらしい尾長に声を掛けられたのだった。


「何か俺にできることがあったら、なんでも言って下さいね…!?」

「?」


何故か尾長は顔を真っ青にしながら涙目でそう言い、俺に向かって頭を下げたのだった。


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