4.指導案と地雷
部活終了後。彼女こと“みずくさん”は早速部室へとやってきた。
木兎さんはみずくさんの姿を確認するなり俺に向かってニヤニヤし始めたのだった。いらっとした。元はと言えば元凶はあんたじゃないか。あんたがもう少しまともに勉強をしてきてくれていたら、こんな謎の状況にも陥らなかったというのに。
「よろしくお願いします。」
「?」
そしてその人は、どういうわけか俺に向かって深々と頭を下げたのだった。
そしてその後、二人はいつも通りに勉強会を始めたのだった。どこか興味津々な様子でテキスト広げ始める木兎さんの姿に、やっぱり彼女は木兎さんの扱いが天才的だと思った。
木兎さんが勉強に対してやる気を見せているだなんてこんな状況、3年生の先輩方が見たらフリーズ必至だ。
「魚見」
「なに?」
「俺、シグマ(Σ)と仲良くなれる気がしない」
「そんなことないよ」
「だってこいつ、名前がかっけーだけでわけ分からねーもん」
しばらく時間が経つと、集中力が切れたらしい木兎さんがそんなよく分からない発言をし始めたのだった。正直知ったこっちゃないし、そもそもなんでこの人は数学記号と仲良くなろうとしているんだ。ツッコもうにも、なんだか次元が飛びすぎてて気が遠くなったのだった。この人はいつもそうだ。
「でも木兎くんとシグマって似てるよね」
「どこがだよこんな奴!」
「右に90度倒してみ」
「……あっ」
あっ、じゃないですよ。なんでちょっと嬉しそうなんスか木兎さん。
「ね?」
「これ、ほぼほぼ俺だな!」
いや違いますけど。何自惚れてんですか木兎さん。
いい加減そんな声の一つも発したくなったけれども、みずくさんがそんな木兎さんに対して終始ニコニコとしているのを見て、必死にツッコミを飲み込んだ。
彼女の凄いところは、木兎さんの着地点不明な謎の発言の数々を全て一旦受け止めた後に木兎さんを納得させるような解答を即座に返してくるところだと思う。きっと頭の回転が早いのだろう。
そう言えば、ひと月以上も続いているこの勉強会において、俺は一度も木兎さんがしょぼくれモードに入ったところを見ていない。きっとある意味で、木兎さんにとっては勉強はバレーよりも壁が高いだろうに。
俺は素直に彼女を尊敬した。
「なぁなぁ魚見」
「なに?」
そしてそれからまたしばらく経った頃、木兎さんはチラリと俺に視線を向けた後にニヤリと笑いながらその人を呼んだ。
なんだか物凄く嫌な予感がした。
「魚見って、好きな奴いんの?」
「え」
「!?」
思わず立ち上がってしまった。何いきなり核心ついてくれてるんだこの人。背中に冷や汗が伝った。
「なぁなぁ、いんの!?」
木兎さんは依然チラッチラッとこちらを見ながら彼女に詰め寄る。
木兎さん。あんた本当に隠密機動とか苦手そうですね。
あまりにも分かり易すぎるそんな態度に、頭を抱えてしまいそうになった。
「私は基本的に、みんな好きだよ」
しかしてそこはやっぱり救世主。なんともまぁ無難な答えを返してくれたのだった。
いやいっそ、これを機に“好きな人はいない”と言ってくれたほうが俺も変な罪悪感無しにこの作戦に臨めるところではあったのだけれども。
まぁでも、とりあえずは木兎さんが盛大に踏んでくれた地雷は不発に終わったのだった。
「そうか!聞いたか赤葦!良かっ「すみませんみずくさん。ちょっと、木兎さん借ります」
あ、駄目だ。この人地雷踏みまくる気満々だ。
「…木兎さん。ああいうの止めて下さい」
一旦木兎さんを廊下に引っ張り出して、ひとまずは釘を刺す。
すると木兎さんはきょとんとした顔を作ったのだった。
「遠慮すんな!お前聞き辛そうなこと俺ならなんでも聞けるぞ!」
無駄に先輩風吹かせたがりなこの人を、ここまで鬱陶しいと思ったことがかつてあっただろうか。
「…心臓に、悪いんです」
いろんな意味で。
万が一こんな中途半端な形で俺の想いだけを気付かれて、あの人が気まずくなって部室に来てくれなくなったらどうしてくれるというのだ。本末転倒じゃないか。
「そ、そっか!分かった!」
しかして木兎さんのいいところは、素直で単純なところだ。とりあえずこうして打ち合わせさえしっかりとしておけば、きっと頑なに約束は守ってくれるのだろう。恐らく、きっと。
―――――――
木兎くんは、赤葦くんに腕を引かれて外へと出て行った。
あれ、まさか私、また何かやらかしてしまったのだろうか。赤葦くんの表情が、なんだかいつにも増して強張っているような気がした。
今頃、私が原因で木兎くんが怒られてたらどうしよう。
「…悪い!待たせたな魚見!」
「ううん、全然」
しばらくして、木兎くんと赤葦くんは部室に戻ってきたのだった。いそいそと椅子に座った木兎くんは、どういうわけか少しソワソワとしているように見えた。
「アレだ、うん、ちょっと赤葦と打ち合わせしてたんだよ!」
私は怪訝そうな表情でもしてしまっていたのだろうか。木兎くんは聞いてもいないのにそんなアピールをしてきたのだった。
「本当だからな!?」
「う、うん」
別に疑っているわけでは無いのだけれども。いよいよ首を傾げると、横から深い溜め息が聞こえた。
恐る恐るそちらを見ると、赤葦くんはまたじとりと私を睨んでいた。今日も今日とて、彼からは終始冷たい視線を感じる。
しかしそんなことにいちいちびびって、PTAの顔色を窺っていたら先生なんてできないだろう。
ひとまず気を取り直し、なるべく早く終わらせられるよう改めて脳内指導案を練り直したのだった。
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