・ジキタリスを絶唱
今日私は、土曜日にも関わらず学校へと来ていた。
週末の宿題を、あろうことか机の中に置きっぱなしにしてしまったせいだ。私としたことが。本当に最近の私はどこか抜けてしまっている。こんな失態、誰にも見せられない。
しかしよくよく考えたら、こうして学校に来たことでこの場で宿題を終わらせることもできる。そうしたらそのまま机の中に置いていけばいいわけだから、宿題を忘れるという事態が発生する可能性は万に一つも無くなる。最近の自分のステータス異常を考えたら、至極賢明なリスク回避の手段じゃないだろうか。そう無理矢理自分を納得させながら私は席に着き、宿題を始めた。
「#NAME2##NAME1#?」
「!?」
そんな矢先、およそ普通の現役高校生であれば絶対に持て余すであろう見事なバリトンボイスが教室内に響いた。それが耳に届くや否や、私の身体は大袈裟なくらいに跳ねたのだった。そしてそれを合図とするかのように、心臓が一気にその鼓動をアピールし始める。
ちょっと待て。なんであなたが学校にいるんだ。今日は土曜日だぞ。全然他人のこと言えた立場じゃないけれども。あ、そうか。この子の場合は部活か。
とりあえずは一瞬で状況を理解したものの、それで自分の中の何かが解決するわけでも無かった。相変わらず心臓はうるさいし、額には汗も滲んできた。どうしよう、こんなの想定していなかった。現れるなら現れるで頼むから遅くとも1時間前には宣言してくれよ。いや、そんなの理不尽な言い分だとは分かっている。けれども、とにかく、全く心の準備ができていない。
いや、落ち着け落ち着け。そう言ってもなんだかんだでいつもなんとかなってるじゃないか。だからいつも通りでいいんだ。むしろ本来であれば会えるはずも無い日に会えるだなんて、物凄くラッキーなことじゃないか。
とは言え、普段はある程度覚悟をした上で彼と相対するように心掛けている。だとするとこんなテンションである今、いつも通りというよりかは敢えて「落ち着いてますよアピール」を極端に意識したほうが丁度良いんじゃないだろうか。
よし、じゃあまずは挨拶だ。挨拶。それ即ち、コミュニケーションの基本!
「…あら、牛島若利。ごきげんよう」
…………。
うん、私は一体何キャラだ。ごきげんようってリアルで使う人間初めて見たのだけれども。
でもだからと言ってここで狼狽するわけにもいかない。牛島若利に挙動不審だと思われたくはないから。だから私は必死に渾身のアルカイックスマイルを取り繕い続けた。その人は今日も今日とて素敵に無表情だった。
「ああ、ご苦労」
…………。
うん。キミもキミでなんなのその口調。現役男子高校生が「ご苦労」てあなた。殿?殿なの?若様だけに?
反射的に心の中でそんなツッコミを入れつつも、その発言はなかなかどうして私が今回誤って発した「ごきげんよう」と世界観が近しくも感じた。
牛島若利と、同じ世界観。それだけでなんだかもう、今日は満足だった。だから私はこれ以上ボロを出さないように、机の上の宿題に即座に向きなおった。
「生徒会の仕事か?」
しかしその直後、俄かに信じ難いことが起きたのだった。
話し掛けられた。他でも無い、牛島若利から。こんなことって、あるのだろうか。内心狂喜乱舞しながらも、ここで私は新たな問題に直面する。別に今日は、生徒会の仕事があるわけでもない。だがしかし、私がここにいる本来の目的を正直に暴露するわけにもいかない。だって、牛島若利にだけは、だらしない奴だと思われたくはない。
「まぁ、そんなとこ」
だから私は嘘を吐いた。苦肉の策だった。
物凄く、胃と心臓のあたりが痛んだ。まさかまさか、牛島若利に対して嘘を吐いてしまうだなんて。
いや、待て。言ってしまった発言を取り消すことはできないけれども、今から行動を起こすことはできる。つまるところ、今から本当に生徒会の仕事をすればいいのだ。仕事。何か無かったか、仕事。私は宿題のテキストを机の中へとさりげなく隠しつつ、手帳を開いた。
なんでいつもいつも馬車馬のように働かされているはずなのに、こういうときに限ってパッと浮かんでこないのだろうか。だからとりあえずは手帳を眺めながら、それっぽい表情を作ることしか私にはできなかったのだった。
「…………。」
「…………。」
そしてまた、想定外の事態が起こる。牛島若利が、なかなか教室を出て行ってくれないのだ。
私の隣りである彼の席に座ったきり、立ち上がる気配すら無い。え、あなた練習はどうしたの練習は。主将でしょ?世界ユースなんでしょ?そんなことを思えど、それをこの私がまさか口に出せるわけなんて無い。
でも、ここで気が付いてしまった。これはもしかしたら、牛島若利にナチュラルに話し掛けるチャンスという奴なのではないだろうか。夢にまでみた牛島若利との、何の生産性も無い「雑談」ができる絶好のタイミングなのではないだろうか。私は一気に高鳴りはじめた心臓を抑えつつ、静かに深呼吸をした。
「ねぇ、牛島若利」
「……なんだ」
「今日、練習?」
言えた。私、言えた。視線は相変わらず手帳から外せていないし、若干声は震えてしまったものの、おおよそ及第点だと思う。
そして牛島若利がちゃんと返事をしてくれて良かった。本当に、良かった。
「ああ、そうだ。13:00からだが」
「え?」
反射的に時計を見ると、時刻はまだ午前9:00だった。
「自主練習をするつもりで早めに来たんだが…今日の午前中は他の部の練習試合のために体育館を貸していたことを、すっかり忘れていた」
「あ、そう…」
なんというかもう、母性本能が爆発しそうになった。なにそれ。そんな超いい声で「すっかり忘れていた」って、どういうことなのもう。バレーボール片手に、体育館でぽかんとする牛島若利の姿が鮮明に想像できてしまったものだから、本当にどうしようもない。
これは、一旦形勢を立て直す必要があるかもしれない。
しかしここで、またある疑問が生じたのだった。では牛島若利は何故、わざわざ教室に来たのだろうか。別にそれを知ったところで何がどうなるという話でも無いけれども、もしもなんの気無しに来たというのであったら、私はこの運命を喜ぶべきだと思う。
「じゃあ今は、時間潰してるところ?」
「?ああ。まぁ、そうだ。丁度用事もあったからな」
「用事?」
なんだ、用事があったのか。運命説が無くなってしまったことが、少し残念だった。
「昨日宿題をここに置いて帰ってしまったから、この時間にやってしまおうと思う。丁度良かった」
「は!?」
「?」
私は思わず大きな声を発しつつ、牛島若利のほうを振り向いてしまった。彼も私の突然の大声に驚いたのか、きょとんとした表情で私を見ていた。
相変わらず、高校生とは思えない程完成した顔してるなぁとか、そんなことを思わなかったわけでもない。でもそれ以上に、牛島若利の今の発言は私にとって衝撃的すぎた。
「牛島、若利…!!」
「?なんだ」
思わず身体が震えた。
こんなことって、あるのだろうか。まさか、まさか、
「そういうことは、お願いだから早く言ってよ…!!」
まさか、私と牛島若利のこの場にいる理由が、全く同じものだったなんて。
もしもそのことを予め把握できていたら、私は余計な嘘なんて吐かなかった。むしろ「うわぁ、一緒だねぇ」なんて言っちゃったりなんかするキャッキャウフフな展開だって望めたかもしれないのに。
牛島若利はと言うと、相変わらずきょとんとした顔をしながら小首を傾げていた。本当そのナリでそういうことするの切実にやめて欲しいんだけれども。母性本能が保たないんだけれども。
でもこんな私だって、自分の発言の理不尽さに気が付いていないわけでは決してない。だから牛島若利のそんな反応は妥当だ、ということだってちゃんと頭では理解している。あくまで、頭では。
「もう私、帰る!」
…しかし、感情は抑えることはできそうになかった。だから私は逃亡を決め込んだ。このままこの場にいたら、またわけの分からない言葉を牛島若利にぶつけてしまいかねない。
だから私は鞄を抱え、即座に席を立った。
「じゃあね!!」
そしてそんな雑にも程がある別れの挨拶を叫びながら、ドアに向かって走った。なんだかもう、1秒でも早くこの場から逃げ出したかった。
「#NAME2##NAME1#」
「!?」
しかし、ここでまた予想外の出来事が起こった。なんと、このタイミングで牛島若利から名前を呼ばれたのだ。思わず足を止め、固まってしまった。
「以降、気を付ける」
そして恐る恐る彼のほうを振り返ると、相変わらずの無表情といい声でそんなことを言われたのだった。
気を付ける?何を?
いや、恐らく話の流れを考えると、私の「そういうことは早く言って」という理不尽発言に対しての回答なのだとは思うけれども。
うん。もう本当になんなの、その謎の律儀さ。そしてあなたは実際何をどう気を付けると言うの?
もう、好きだ。そんな牛島若利が、本当に大好きだ。
……それなのに、
「はっ!せいぜい怪我と体調不良にだけは気を付けつつ部活頑張りやがってね!ごきげんよう!」
ああ、なんで私はいつもいつも牛島若利の前では素直な言葉の一つも発することができないのだろう。日本語もおかしくなってしまったし。何故か例の挨拶普通に使っちゃったし。
今日もダメだった。全然ダメだった。
私はそんなことを嘆きながら涙をいたずらに流しつつ、昇降口を抜け、校門をくぐり、寮までの道のりをただひたすらに走った。
こんな状態で、牛島若利に想いを伝えることができる日なんて、果たしてくるのだろうか。
あと残された時間は、半年程度しかないというのに。
そして、なにより
宿題、教室に忘れた
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