・牛島さんちのお兄ちゃん2

「ただいまー…えっ」

片道1時間強の通学路。部活をしているとどうしても帰宅は19:00をまわってしまう。仮にこれが中学時代であったら、ひどく怒られたことだろう。とは言え今やそれはある意味で不可抗力的なものだから、母は何も言わない。いや、そもそも中学時代も「母は」そこまで門限に対して厳しいような人では無かった。


「遅かったな、#NAME1#」

「ヒッ…!!」


ひたすらに厳しかったのは、他でもない、兄だった。
そしてその兄は現在、白鳥沢の寮に入っている。だから週末やら連休やらであればともかく、彼がこんな平日ど真ん中に玄関先で胡坐をかきながらどんと構えている状況なんて起こり得るはずもない。だから私は完全に油断をしていた。いや、仮に油断なんてしていなかったとしても、やはりこの帰宅時間は前述のように不可抗力だ。それでもやはり、身体に染みついた癖のようなものなのか、全身に冷や汗が浮かんだ。


「いつもこの時間なのか?」

「た、たまたまだよたまたま!今日はちょっと遅くなっちゃって!!」

「…そうか」

「そうだよ!」


いや、いつもこのくらいの時間なのだけれども。でもここで本当のことを言ったところでどうしようも無い。けれどどうも昔から、私は兄に対して嘘を言うのが苦手だったりする。別に兄は目敏いわけでもなんでもないけれども、思考が明後日方向に向いている人だから、なんだかどんどん些細な嘘が取り返しのつかない方向に向かいがちなのだ。


「次に遅くなるときには俺に連絡をしろ」

「えっ」

「烏野まで迎えに行き、家まで送る」

「兄ちゃんが!?」

「当然だろう」


うん。何を言っているのだろうこの人は。


「それ兄ちゃん寮に入ってる意味、ある!?」

「?その日のうちにロードワークがてら戻ればいいだろう」

「……!!!」


眩暈がした。とりあえず彼は、電車で小一時間かかるような距離を走る気満々らしい。そして恐ろしいことに、それは決して冗談では無いのだろう。
私は可及的速やかに、帰宅時間について母と口裏を合わせておくことを決意した。そしてひとまずここは、話を逸らすに越したことは無い。私はとりあえず一度深呼吸をした。


「でも兄ちゃん、珍しいねぇ。平日に家に帰ってくるとか」

「ああ。お前に用があった」

「えっ」


そして平静を装いつつ靴を脱ぎ、家の中へと上がると兄は立ち上がりながらそんなことを言ってきたのだった。
私と兄は、結構な頻度で連絡を取り合っていると思う。いや、取り合っているというよりかは兄から毎晩8時に電話がかかってくるだけなのだけれども。
でも今回はわざわざ、電話ではなく直接現れたわけで。なんというか、悪い予感しかしなかった。


「単刀直入に聞く」

「う、うん」


一先ず自室に入り、兄と向き合った。何故か正座で。どういうわけかその眉間には皺が寄っていた。我が兄ながら物凄い迫力だ。以前母にそんなことをぼやいたら「アンタも同じような顔でしょ」なんて言われたけれども。ちなみにそんな母も同じような顔をしている。


「何故ヒナタショウヨウなんだ」

「!!?」


ちょっと、単刀直入にも程があるんじゃないだろうか。
そうは思えど、一瞬でぴんときてしまった。思わず逃げ出したい衝動に駆られた。


「前回の帰省時からずっと気になっていた。お前はヒナタショウヨウの何が良いんだ」


うん。本当に何を言ってるんだこの人は。
何が悲しくて、女子高生という立場で実の兄と所謂恋バナをしけこまないといけないのだろう。いくら仲が悪くは無いとは言え、これは少々恥ずかしすぎるんじゃないだろうか。
しかして兄の表情はいつになく険しく、真剣だった。こうなってしまったら話をはぐらかすことはもとより、下手な言い訳も通用しない。だから差支えの無い程度に正直に話すべきなのだろうけれども、そもそもこの話題における差支え無い程度ってどんな塩梅なのだろうか。


「…か、かわいいのにかっこいいところ」


とりあえずは、至極端的にそう伝えてみた。なんだか一気に顔に熱が集まった。こんなこと友人にも母にも話したことないのに、何故私はいきなりラスボス相手にカミングアウトをしているのだろう。ひたすらに疑問の尽きない状況だった。
そんなことを思いながら兄の顔色を窺うと、その眉間の皺は更に深まっていた。


「お前の言っていることが、よく分からない」

「えっ?」

「まず、ヒナタショウヨウが『かわいい』というところが理解できない」

「え、そこは簡単じゃない!?小さいし、目もキラキラしてるし、元気で無邪気だし!」


とりあえずはそんなことを伝えてみるも、兄は相変わらず不満げな表情を浮かべていた。やっぱり兄にしてみたら、男の子に対する「かわいい」という感覚が理解できないのだろうか。


「あいつは瞳孔かっぴらいているじゃないか」


えっ


「別にかっぴらいてないよ!!?」

「いや、かっぴらいていた」

「兄ちゃんどんな状況下で日向くんと会ったの!?」


とりあえず、前回の兄による「倒す」発言の後から私の中でくすぶっていた、兄と日向くんの関係性不穏疑惑が確信へと変わりつつあった。


「#NAME1#」

「な、なに」

「白布はどうだ」

「何が!?」


唐突に兄の口から飛び出した名前には、心当たりがあった。
一度白鳥沢のバレー部の人たち数名が、うちに来たことがあった。特に用事があったわけでもなく、部員さんの一人が家に遊びにきたい、と言ったことがきっかけだったらしいのだけれども。そのときにその「白布さん」にも挨拶をしていた。非常にしっかりとしていて、且つ品の良いイケメンさんだった印象がある。


「あいつはよく女子から『かわいい』と言われている。それに真面目で、頭も良い」

「ねぇなんの話してるの兄ちゃん!?」

「相手が白布なら、俺からも掛け合ってみよう」

「何を!?」


どうしよう。我が兄ながら何を言っているのか全く以て理解ができない。


「なんだ。白布では駄目か。俺には白布の何がヒナタショウヨウに劣っているのかが、皆目見当がつかないが」

「そもそもなんで白布さん唐突に日向くんと比較されてるの!?白布さんだっていい迷惑だよ!」

「ああそうか。白布では落ち着きすぎているか。」

「その『ああそうか』は何に対する納得!?」

「じゃあ、天…ではなくて瀬見はどうだ」

「兄ちゃん今、誰かを思い浮かべて却下したよね!?」

「…いや、あいつもいい奴だとは思っているが…義弟にしたいかと言われると…」

「未来永劫絶対兄ちゃんにそんなこと言う人いないから!安心して!」

「なんだ#NAME1#。お前、天童がいいのか…!?」


兄は眉間に皺を寄せつつ、驚愕の表情を浮かべていた。「天童さん」と言えばたしか、髪がやたらとファンキーで且つ兄と一番仲の良いっぽい人だったと思う。なんだかもう、もはやツッコミどころしかないけれども。


「…いや、本当にあいつはいい奴なんだ。でもなんというか、妖怪っぽいというか…でもいい奴なんだが」

「フォローになってないよ兄ちゃん!」

「…いい妖怪だって、世の中にはいるだろう」

「妖怪扱いは前提なの!?」


仲の良い人に対して、その言い草はなんなのだろう。とりあえず、兄の対人スキルについて物凄く不安になった。それもまた、今更過ぎることではあるのだけれども。


「ただ、お前がどうしてもと言うのであれば、俺は何も言わない。むしろ俺からも頼んでやろう」

「…い、いい加減にしてよ兄ちゃん!!」


なんだかもう、埒が明かない。そもそも兄は、根本的なところでいろいろと勘違いをしている。このご時世、果たしてどこに妹の仲人役を買って出る男子高校生がいると言うのだろうか。


「あのね、私の兄ちゃんは、兄ちゃんしかいないでしょ!?」

「ああ、そうだ」

「代わりなんていないでしょ!?」

「そうだな」

「『好きな人』も、そういうことなんだよ!私はもう日向くんが好きだから、いくら素敵な人が現れたところで、好きにはならないの!」


言ってやった。私、はっきりと言ってやった。物凄く恥ずかしい内容だったような気がする。
でもそれだけあって、兄はついに黙ったのだった。なんだか呆然としているような気がした。


「ヒナタ…ショウヨウ…」


そしてその後、静かに日向くんの名前を呟いたのだった。
その表情からも声色からも、特に怒気は感じられなかった。でもなんだろう、どういうわけか、言葉では言い表せない変な迫力があった。なんだか背筋に悪寒が走るような、そんな感覚に苛まれる。


「絶対に、倒す…!」


そして兄はどん、と畳を拳で叩きながらそう続けたのだった。兄の拳を受けた部分が、綺麗に凹んだような気がした。


「だからその『倒す』って何!?」


結局この人、今日何しに帰ってきたのだろう。
そんなことを思う一方で、なんとなく私は今回焼石にガソリンをぶっかけるような所業を働いてしまったような気がして仕方が無くもあったのだった。


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