「お邪魔しまあす!頑張ってるー?」
差し入れだよーとアイスの箱を冷凍庫にしまいつつ、ちらりとルイさんの手元を覗き見るあかり。息を飲むような緊張の空気に触れ、その表情が固まる。
自分はといえば、一通り器具の説明やら下準備の手伝いを終えて「あとはレシピ通りですね、先生!」と奮起したルイさんをカウンター越しの椅子にかけて見守っている。
「るいちゃん…それ何してるの…?」
「…大さじすりきり一杯をスプーンに付着して残る分も加味して測ってて」
「な、なるほど」
料理好きなあかりは、いつだってキッチンに立つ時は鼻歌がセット!といういうくらい楽しそうにクルクルと動いている。
そう、今日このキッチンに漂う空気とはまるで対極だ。ただならぬ空気に飲まれて神妙な表情になるアカリがまた新鮮。ルイさんにキッチンを貸してと言われた時は正直どんな土曜日になるのかと不安だったけれど、なんだかんだほのぼのとして、たまにはこういうのも悪くないと思う。
「何か手伝う?」
「適量っていうのがわからなくて」
「うんうん」
「適量ってどれで計るの?」
「るいちゃん…お料理の事になると本当にポンコツだね…」
「こさじ1より少ないくらい?」
「うーん、適量」
「そんな曖昧なことある!?」
「お料理ってそういうもんだよ〜」
「あと1つまみってなに?どの指?何本指?」
「るいちゃん…」
適量はこのくらい、ひとつまみはこんなもん!あかりがパパッと調味料をボウルに放り込んだ。早くて見えなかった!とかなんとかやってる。果たしてどんな精密な料理が出来上がるのか。
「食べやすい大きさって何ミリ?」
「うーん一口サイズ!」
「人によって口の大きさ違うじゃん」
「じゃあこれくらい!」
「あっまって、いま吸盤何個分で切ったの??」
「えータコの吸盤の数気にしたことなかった!」
気づけば張り詰めていた空気はケラケラとした笑い声に包み込まれていて。改めてあかりが作りだす空気の優しさみたいなものを目の当たりにした。ほんと、空気清浄機のよう。
「ハンバーグは仕込み終わったの?」
「うん!丸めて、いま寝てる」
「あはは、寝てるの?」
「1時間以上寝かせてって書いてあった!今9分たったよ」
「そっか〜」
「寝ると元気になるのはお肉も人間も一緒だね、やっぱり元は同じタンパク質だもんね」
「うんそうだね〜」
まるで真剣な園児と、あやしている保育士さんの様なやり取りについ顔が緩んだ。あかりが母親になったらこうして娘とキッチンに立つんだろうなあなんて考える自分の脳みそは、我ながら随分浮かれている。
「これで完成!あとは焼くだけ!」
「よし!じゃあ洗い物とかしちゃお」
「はーい」
あかりの登場によりすっかり塗り替えられたキッチンの空気。洗い物のカチャカチャという音と機嫌のいい歌声が聞こえてくる。カエルの合唱…いや輪唱か。やっぱ保育園かな。
何となしに付けたテレビからはワァーっとした歓声が響く。そうか、サッカーこの時間だった。ヨーロッパの試合は面白い。さすがサッカー先進国。いつのまにか食い入るように画面を見ていたら、ペトリと頬に冷たいものが押し当てられた。冷えた缶ビールを片手に、どこが勝ってるの?とあかりが笑う。ミケちゃん帰ってくるまで飲んでよ、おつまみにとテーブルに置かれたイブリガッコがまた渋くていい。
「るいちゃんこの事ミケちゃんに言ってあるの?サプライズ?」
「サプラーイズ!」
「そっかあ。喜ぶねーきっと!」
「うんーへへへ」
「るいちゃん顔緩みすぎ〜」
「え!そろそろ引き締めないと!」
パリパリとイブリガッコを摘みながら缶ビール飲んで、彼女と友人のとりとめのない女子トークを右から左へ流し聞き、サッカー観戦をする。網戸から時折そよぐ夜風が心地よい。週休2日の土曜夜。なんていうか、理想のサラリーマンて感じ。
「るいちゃんもビール飲むー?」
「うん、あ!ミケくんから連絡きた」
「今どこって?」
「新幹線おりたって…あー」
「んー?」
「ルイちゃんち行っていい?だって」
「んふふ、会いたいんだね」
「嬉しいけどサプライズだから困る」
「そだね、なんて言えばいいかなぁ」
「紺野くんちに帰ってね、と」
「えっ」
「んっ」
「え、送った?」
「うん」
「それはあまりに塩だよるいちゃん」
「え、うーん…そうかな」
「そうだよ」
もうちょっと思いやりもって!と叱られているルイさん。たしかに今のメッセージじゃ男としては凹むわな、自分に置き換えて想像してみたら葵が心底気の毒になった。直後、スマホが震えてディスプレイに奴からのメッセージが表示された。あと30分でつきます。テンションゼロの通知から伝わる悲壮感がすごい。
「あと30分で帰ってくるそうですよ」
「あ!はーい!」
このめちゃくちゃ嬉しそうな顔。出張帰りで彼女に塩対応されどん底気分であろう葵に見せてやりたいけれど、まあ30分後にはどうせ天にも登るみたいな幸せタイムが待ってるんだ。寄り道しないでまっすぐ帰ってこい、と返信をうった。
サッカーは激しい攻防を繰り広げ、なかなか進展をみせず。
そろそろ焼こうかとキッチンに戻ったあかりとルイさんが、冷蔵庫から出したハンバーグに「おはようございまーす」とか言ってて和む。
ジュワーといい音がしたと思った瞬間、ピンポンの連打で美味しい音が遮られた。こんな迷惑な訪問者は一人しかいない、連打はやめろと言っているのに。
「ミケくんかなーハンバーグ火つけちゃったどうしよう一回とめても大丈夫?腐る?」
「私見てるからそのままで大丈夫!るいちゃん迎え行ってあげて」
「わかった!ありがとあかりん!」
パタパタと玄関に向かう足音が遠くなる。ただいまあーと久しぶりにきく関西特有のイントネーションが、おかえり!と我が家では聞きなれない声に飲み込まれていた。驚いて固まった葵の顔が想像できる。
パタリと静かになった玄関の様子を想い、ミケちゃん嬉しくて声も出ないのかなーとあかりが笑う。それとほぼ同時。我が家には2種類の歓声が響いた。
ついに一点入ったサッカーの歓声。今のはすごい、あつい。そしてサプライズに感動しているらしき三池葵の歓声。いや奇声。そっちは無駄にうるさかった。
4人で囲む狭いテーブルには、大きさがきっちり揃えられたマリネに綺麗な丸型のハンバーグ。レシピ通りに調合されたそれは、さすが社が誇る研究員さまの作品と言ったところ。
こうして出来上がった本日の夕飯は、あの不安に満ちた調理過程からは考えられないほど、普通に美味しかった。