トイレ掃除の続き




時間も忘れてひたすら掃除をしていれば、ふと自分の手元が見づらくなっていることに気付いてその手を止めた。こんなにも暗くなっていたなんて。その思考に流されるように、当たり前のように電気のスイッチに伸ばし掛けた手を引っ込めた。(いやいや、もうゴミ袋を出せば終わるし、点ける必要はないか)まだまだ掃除をやる気になっていた自分自身に少し驚き、ちょっぴり笑った。男子トイレから出ると、すっかり冷えた空気にぶるりと一度身震いをした。それから女子トイレのゴミ袋と男子トイレのゴミ袋を一つにまとめて歩き出す、

「ひっ…!」

薄暗くて反応が鈍ったが、私の目の前に人が立っていた。学校という場所と夜という事実がどうしてもそれを霊的な何かと結びつけてしまい、私はぎゅっと目を瞑った。

「すまない。驚かすつもりはなかったんだ」

少し前に聞いた赤司くんの声がする。ゆっくり瞼を持ち上げれば、やっぱり赤司くんがそこに立っていた。私がびっくりして声を上げたことに赤司くんもびっくりしたようで、胸に手を当ててふぅっと息を吐いていた。

「ど、どうしたの赤司くん、」

「いや、部活が終わったからね。もしかしてと思って来てみたんだ」

やっぱり、いたね。と笑って見せた赤司くん。先ほどとは違い、制服に着替えていていつもクラスでよく見る赤司くんだった。だけれどやっぱり若干汗が髪の毛を湿らせていて、再び胸がきゅんと鳴った。

「こんな遅くまで部活やってるんだね…大変だね」

「君こそ。こんな時間まで掃除をしているなんて」

くすくすと綺麗に笑った赤司くんに見惚れて、つい赤くなった頬を隠すために俯いた。赤司くんは少し強引に私の手に持たれているゴミ袋を取った。

「さあ、早く捨てて帰ろうか」

「えっ、あ、悪いよ!」

「これくらい、なんてことないさ」

慌てて奪い返そうとゴミ袋に掴みかかれば、それを面白そうにひょいと躱されてしまう。すたすたと先に歩いていく彼に漸く大人しく付いていけば、素直でよろしい、なんて。赤司くん、戯けた台詞も様になっちゃってるよ。





「さ、帰ろうか」

結局赤司くんはゴミ捨てを手伝ってくれた。部活終わりで疲れているはずなのに、嫌な顔一つせずに、だなんて彼は本当に優しすぎる。

「赤司くん、本当にありがとう。じゃあ、また明日、学校でね」

小さく手を振り歩き出せば、がしっと腕を掴まれた。ぐん、と元の位置に戻された私の目を信じられないものを見るような目で貫いてくる。

「苗字さん、まさか一人で帰ろうとした?」

「え、な、なに」

「こんな時間に女の子一人で歩いては駄目だよ。それに俺は元々君を送っていくつもりだった」

「えっ、お、おくっ?!」

ムッとした顔で私を見つめてくる赤司くんから目を反らせずに、ぱちぱちと瞬きを繰り返す。送るって…つまり一緒に帰るっていうこと?そういうこと?

「苗字さんの家はどっち?」

「あ、赤司くん…!本当にそれは申し訳なさすぎて…!」

「嫌かい?」

途端に叱られた子犬のような瞳で見てくるものだから、ぐぬっと声をあげてしまうくらいに胸がぎゅっと掴まれた。か、かわいい。

「い、嫌ではないけど…だって赤司くん部活終わって疲れてるだろうし、私少し家遠いから赤司くんの時間も勿体ないし…」

「気にする必要はない。俺がそうしたいんだから」

そうして優しく微笑んで、私に道案内を促す。ころっと表情を変えて容易に説得させてしまうものだから、赤司くんには敵わないなと改めて感じた。罪悪感は消えないけれども、赤司くんが家まで送ってくれることになった。







「掃除お疲れ様。大変だっただろう」

「全然!…あ、でもこんなに遅くなるとは思わなかった、かな」

「サボってしまってもわからないのに、そうしないところが苗字さんのいいところだよね」

「そ、そうかな…」

あまりにも真っ直ぐに褒めてくるものだから、照れ隠しに前髪を数回撫でれば、こちらを見つめていた赤司くんと目が合う。ぱっと逸らして嘘っぽい咳払いをして心臓を落ち着かせる。
私の歩幅に合わせてゆっくりと歩いてくれる赤司くんの優しさがくすぐったい。少しの沈黙にも緊張感が生まれる。すぐ側に感じる体温に、胸がきゅんと鳴る。


ぐー、


「!!」

「…?」

お腹まで鳴ってしまった。うわあ、死にたいくらいに恥ずかしい!鳴ってしまった後に意味もなくお腹を押さえて、えへへと笑って誤魔化して見せる。赤司くんは「ちょっと待ってて」とだけ言って、丁度近くにあったコンビニに小走りして行った。(え、なに、)


待っててと言われてどうすることも出来ずに素直に従ってその場で立ち尽くす。その間に今更これは夢なんじゃないかと思い始める。私が、あの赤司くんと帰ってるなんて…。この私が、あの赤司くんと。信じられない、と赤司くんのことを考えていれば、タイミングよく赤司くんがコンビニから出てくる。また小走りで私の元へやって来る。そんな、走らなくてもいいのに。

「肉まんとあんまん、どっちが好き?」

「え、に、肉まん…」

「はい、肉まん」

ビニール袋からほかほかの丸いそれを取り出して私に差し出してくる。動揺して肉まんと赤司くんを交互に見ていれば、赤司くんは私の手を取り、肉まんをしっかり持たせる。私は漸く彼の行動と意味がわかり、途端にまた申し訳なくなった。

「ご、ごめんね赤司くん…気を使わせてしまって」

「全然構わないよ。丁度俺も何か食べたかったしね」

柔らかく笑った赤司くんがあんまんをはむっと食べる。ねぇ赤司くん。優しすぎて戸惑ってしまうよ。私、こんなの、絶対。ぽーっとする意識の中でハッとする。ガサゴソと鞄を漁り始めた私を、赤司くんが怪訝な顔つきで見てきた。

「これ、お金!」

「え?」

「肉まんの、お金」

「ああ、いいよ。そんなもの気にしないで」

「駄目なの、私、こういうのどうしても気になってしまって…」

100円と消費税まできっちりずいっと突き出す私に観念したのか、赤司くんは「わかった、いただいておくよ」と言い、お金を受け取るとクスリと笑った。

「苗字さんって、本当に真面目だね」

「そ、そうみたいだね…面倒かな、ごめんね」

「そんなことはない。純粋でかわいらしいよ」

(え?!)
ぼうっと顔から火を出すほど一気に熱くなり、ここにこのままいたら、私は死んでしまうと思ったので、歩き出した赤司くんの前に先回りして、思い切り頭を下げた。

「あ、赤司くん本当に今日はありがとう!私の家はもうすぐそこなので、ここまでで大丈夫だよ!また、明日ね!」

早口言葉のように突然ペラペラ喋り出し、そして突然走り去っていった私に、赤司くんは目を丸くさせていた。驚かせちゃってごめんね、赤司くん。でも私、これ以上赤司くんといたら、何か、何か、知らない感情に飲み込まれてしまいそうだったの!あっと言う間に家に着き、バタンッと玄関のドアを閉める。勢い余って肉まんを強く握りしめてしまっていて、慌ててその手を緩める。ふぅっと息を整え、それから肉まんを優しく手渡してくれた赤司くんのことを思い出しながら、彼と同じように、それを思い切りはむっと口に含んだ。


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