【 高校二年生 冬 】

 音駒高校が春高バレー出場を決めた。
 「うちも出るよ」と、なんてことない顔で報告してくるものだから軽い気持ちで観に行ったら、もの凄く大きな大会でびっくりしてしまう。
 人の波でごった返す入場口や通路をかき分けて辿り着いたアリーナは、咽せ返るような熱気に包まれていた。観客の歓声や怒号が鳴り響き、まるでお祭り騒ぎの会場に圧倒された。
 赤いユニフォームを見つけた。孤爪くんの姿。いつも背中を丸めている彼が、コートの隅々に視線を張り巡らせ、しなやかな背筋を反らしている。
 音駒高校応援席の隅っこで、わたしは強く胸を打たれた。いつも隣にいる彼が、あんなに遠くに。それは、胸騒ぎのような興奮だった。

 三日目の三回戦で音駒高校は敗れてしまった。
 対戦相手は切磋琢磨した仲なのか、コートは練習試合の様相を呈して穏やかに白熱した。負けたけど、いい試合だった、と第三者ながらに思う。
 孤爪くんの目の色が変わったのがわかる。きっと彼にとって一生忘れられない試合になったのだろう。

 春高バレーが終わってしばらく、孤爪くんはよくクラスメイトに声をかけられるようになった。
 「孤爪、お疲れさまー!」「ってか試合出てたんだ、すごいね」「すっげーうまくてびっくりした!」など、わたしまで鼻が高くなるような思いで聞き耳を立てた。
 時々、三年生から声をかけられることもあった。
 放課後、二人で歩いていたら、「孤爪くーん!」と呼び止められ、振り返ると「あっ、こっち見た!」「かわいい〜」と内輪で盛り上がる女の先輩たちがいてびっくりする。
 「知り合い?」見なかったふりをして歩き出した孤爪くんに訊ねると「知らない」と言う。
 彼を取り巻く環境の変化に、わたしは小さなわだかまりを抱いていたように思う。

 迎えるバレンタインデー、今度こそ孤爪くんにアップルパイを渡したくて、近所のスーパーで適当にりんごを買った。
 バイト先のパティシエにこっそりコツを教わって、タイムカードを切ってから端っこのオーブンで練習する。

「うちはりんごの品種にこだわって季節限定でやってるし、生地に練り込むバターも特別なものを使ってるから、そっくりそのまま同じようにはいかないかもしれないけど」

 きっと上手くいくよ、と背中を押されて何度も作り直して、出来上がった当日のアップルパイはちょっと焦げた。でも、今までで一番納得のいく仕上がりになった。

 なるべくなんてことないふうに渡したかったので、ピンクやハート柄を避けてシンプルにラッピングした。
 内心ドキドキしているのを悟られないように過ごしていたら、朝、孤爪くんの下駄箱にピンクの箱が入っていた。教室ではクラスメイトの女の子にチロルチョコをもらっていて、放課後の下駄箱にはハートの箱が入っていた。
 わたしはショックを受けて、つまり、渡すタイミングも勇気も完全に失ってしまった。
 なんだ、って肩の力が抜ける。なにやってるんだろう、わたし。空回りしてる。

 夜、孤爪くんと電話を繋いでモンハンをやった。
 最初からお互いにぎくしゃくして、いくつかクエストを達成したところで妙な沈黙が続いた。
 「……今日」 先に口を開いたのは孤爪くんだった。

「チョコ、くれなかった」
 ぽつりと呟いて、黙り込む。
 チョコはないけど、とわたしは言う。

「アップルパイなら、あるよ」

 わたしたちはゲームを放り出して、こっそり家を抜け出した。寝ている家族を起こさないようにそっと鍵を閉めて、夜を駆け抜ける。
 二人の街をつなぐ橋を渡ると、土手の上で手を振っている孤爪くんを見つけた。
 駆け寄って、肩を上下させながら唖然と見つめ合う。言葉をなくした互いの息が夜空に白く昇っていく。
 だんだん笑いがこみあげてきて、くすくす笑い合った。土手を下りて、橋の下に隠れる。

「これ、手作り?」

 抱えてきた包みを開くと、孤爪くんは目を見開いた。壊れないようにそっと持ち上げて、齧る。

「うっま……」

 孤爪くんの表情がぱあっと明るくなる。きらきら輝くピュアな瞳。
 緊張の糸がほどけて、同時にわたしは二つのことを確信した。わたし、パティシエになりたい。わたし、孤爪くんが好き。
 冷たいアップルパイをほくほくと頬張る姿を見ていると、すべてが報われるような気がした。

「ちょっと、意地悪なこと訊いていい?」

 ぺろりと一ピース食べてしまった孤爪くんが、静かな眼差しを向けてくる。

「これって本命?」

 わたしはゆっくりと視線を合わせて、答え合わせしようとする瞳を見つめ返した。
 小さく頷く。瞬きしたら見逃してしまうくらいに。
 ほうっと息を吐いた孤爪くんが、「そっか」と呟く。鼻の頭を赤くさせて、「うれしい」と。

「うれしい……って、意味わかる、よね?」

 それからわたしは孤爪くんのことを「研磨」と呼ぶようになって、孤爪くんはわたしのことを「名前」と呼んだ。
 決定的な言葉は交わさなかった。でも、互いの気持ちは透き通るように伝わった。


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