『愛される女』
「……少し可哀想じゃない?」
至るところから生徒たちの声が聞こえる、賑やかな放課後。少し先を歩く背に向けて、咎めるようにリーシェンは問いかける。振り返ったイェンニーは、いつも通りの笑顔で首を傾げた。
「なぁに、リーシェン。なんの話?」
「さっきの女子生徒のこと」
「あら、リーシェンは彼女が可哀想だと思うの? 突き飛ばされて痛い思いをしたのは、私よ?」
驚いたように目を瞬かせて、拗ねるように口を尖らせたイェンニーの手のひらと膝には、うっすらと血が滲んでいる。つい先ほど、とある女子生徒と揉めた際に作った傷だ。
イェンニーが言うように、手を出したのは相手だった。言い掛かりのような理由で詰め寄ってきて、イェンニーの肩を突き飛ばした。
しかし、それほど強い力ではなかったはずだ。
「わざと転んだだろう?」
そう指摘すれば、悪びれることなくイェンニーは笑う。あっさりと首を縦に振った。
「そうね。でも、それは彼女が私を突き飛ばしたりしなければ良かった話じゃない? それに、私は彼女を責めたりしていないわ」
確かに、イェンニーは自分を突き飛ばした相手を責めはしなかった。擦り傷を負わされながら相手を気遣うイェンニーの姿は、周囲の目にはさぞ健気に映ったことだろう。
同時に、突き飛ばした相手に庇われた女子生徒の心証は間違いなく下がったはずだ。彼女がイェンニーを突き飛ばすところを少なくない生徒が目撃していたのだから、無抵抗の相手を突き飛ばした、と噂になるのは間違いない。
「やり返した方が丸く収まっただろうに、同情するよ」
「そうかしら? なら、悪いことをしてしまったわね。……あ、ツカサ先生!」
廊下の先にお気に入りの男性教師の姿を見つけて駆けていくイェンニーの姿を見送って、リーシェンはその場で足を止める。
悪いことをした、などと言ってはいたが、本心ではないだろう。どこまでを計算した行動だったかは知らないが、イェンニーに限って純粋な意味で相手を庇ったとは思えない。自発的に嫌がらせをするような性格ではないが、やられたことに対しては反撃する女だ。
過去のイェンニーの言動を思い返せば嫌な記憶までが甦ってきそうで、リーシェンは深く考えることをやめる。息を吐いて顔を上げれば、教師との会話が終わったのか、イェンニーが戻ってくるところだった。
「思っていたより、早かったね」
「そう? 放課後でも先生はお仕事中だもの。あまり引き留めたら悪いでしょ?」
「それはそうだろうけど」
お気に入りの教師と短い時間しか言葉を交わせなかったにしては上機嫌だ。怪訝そうなリーシェンの疑問を察したのか、イェンニーは満面の笑みを浮かべる。
「あのね、ツカサ先生がね、傷の心配をしてくれたの!医務室まで送ろうかって言ってくれたわ」
嬉しそうに語られた内容に、リーシェンは少しばかり驚く。いま自分の目の前にイェンニーがいるということは、その教師からの申し出を断ったということだ。男性からの気遣いや親切を無下にするなど、普段の彼女からは想像ができない。まさか自分を待たせていたから、などという殊勝な理由ではないだろうに。
「……送ってもらわなくてよかったの?」
少しだけ理由が気になって、窺うように訊ねてみれば、イェンニーはきょとんとしたように動きを止めた。
そして、内緒話でもするかのように、人差し指を唇に当てる。
「あのね、リーシェン。男の人には、甘えればいいってものじゃないのよ?」
大人びた表情で目を細めたイェンニーに、リーシェンは不本意ながら理解する。
此処にいるのは《客》ではない。
客相手ならば、与えられるものが何であれ、素直に受け取っていれば良かった。大事なことは、受け取ったあとに如何に喜んでみせるか、如何に相手の望む反応を返せるかどうかだ。相手の行為に対して、相手が満足するような結果を与えることができれば、それでよかった。
しかし、此処には対価を払って女から満足感を得たい、扱い慣れた《客》はいない。
そんな今までとは全く違う環境に、イェンニーはきちんと順応している。相手に応じて接し方を変えて『愛される女』を演じることが──自分自身に、価値を与えることが出来るのだ。
「……男心なんて、僕には関係のない話だよ」
「そうかしら?」
口元に当てていた指を自然な所作で頬にずらし、首を傾げるイェンニー。同性から反感を買うその所作が、異性の目には可愛らしく映ることを、彼女は知っている。
きっとこれからも、自分という存在を武器に、男という道具を利用して、したたかに──健気に『愛される女』として生きていくのだろう。
「……僕は、そんな生き方は御免だ」
眉をひそめて、吐き出すように否定するリーシェンに、イェンニーは何も言わない。
そう、とだけ口にして、いつも通りに、ただ笑った。
fin.
2020/02/20
name thanks!!
⇒ツカサ(翡奈月あみ さま)
