思考を止めたら
師匠曰く、『本能に忠実な子は、理性的な子より扱いやすい』らしい。その定義に当て嵌めるなら、時計屋随一の問題児である目の前の少女は『扱いやすい良い子』に分類されることになる。
となると、世の理は複雑怪奇である。
いや、師匠は『良い子』とまでは断言しなかったか。
そこまで考えたところで、指で膝を叩いた回数が三百に達する。感覚的だが、約五分。
「はい、おしまいー」
テンが腰かけていた木箱から飛び下りて終了を告げれば、少女──チェリアは露骨に不満を表す。
「えー、まだ半殺しにもしてないのにー」
そう物騒な発言をしたチェリアの足元には、それなりに体格のいい男が、彼女によってぼろぼろにされた状態で転がっている。呻き声すらあがらないところを見ると、恐らく気絶中だろう。
ここはスラム街、最下層。
男は歩いていただけの自分たちに絡んできた、言わば破落戸。同情してやる義理はない。こうして止めに入っているのも男のためではなく、チェリアの──広く考えれば国家のためだ。
元・死刑囚という経歴を持つチェリアが大きな問題を起こせば、政府の圧力で間違いなく監獄に逆戻り。ただでさえ人手が足りないのだから、申し分のない戦力を失う事態は避けたい。
正直なところ、自分が早く本部に帰りたいだけだったりするのだが、結果が良ければ同じだろう。
「チェリア。時間が圧してなければ半殺しまでは許すけど、今はダメだよ」
「えー……」
「5分だけって約束したよね?」
言葉をかける度に目に見えて不満を募らせていくチェリアに、テンは困ったように息を吐く。
即座にチェリアの興味を男から引き剥がす手がないこともない。が、総合的に考えるとあまり使いたくはないのだが……致し方ないか。いくら此処がスラムだとは言え、不満を爆発させられては困るのだ。
「……チェリア、ほら」
半ば諦め気味にテンが帽子の中──頭の上から取り出したものを見て、チェリアが目を輝かせる。
それは、小さくて茶色いふさふさの。
「リスさんだ!」
かわいー!と、抱き付かんばかりに小動物へと迫るチェリアの勢いを片手で制しながら、自分のペットを手渡す。
「オーロラ貸してあげるから、早く行こうね」
睡眠を妨げられた挙句に、重い愛に包容されて驚くオーロラに内心で謝りながら、テンはチェリアの腕を引いた。完全に意識が手元の小動物へ向かっているチェリアは抵抗することなく、テンに引かれるままに歩き始める。
「リスさん、欲しー」
「その子はダメかなー」
却下されて露骨に残念そうな顔をしたチェリアに、テンは思わず苦笑する。
「ま、チェリアがいい子にしてたら、テンお兄さんが好きなの買ってあげるよ」
そんなテンの言葉にチェリアは喜びを露にし、次に疑問符を飛ばす。
「あれ? テンは女の子だよねぇ」
「そうだねー。でも細かいことは気にしないの」
「ふーん」
興味がないからだろう、直ぐに納得し、かわいーを連呼してオーロラを撫でるチェリア。
そんな自分より背の高い少女を見上げて、テンは思考する。
本能に忠実な子は、理性的な子より扱いやすいと師匠は言った。なるほど。接し方さえ間違わなければ、チェリアは素直だ。
好きなものは、好き。嫌いなものは、嫌い。白黒はっきりしていて、裏表がない。
……となると、自分は師匠にとってさぞかし扱い難い子供だったのだろう。
「……死んでまで嫌味を伝えるような人間には、なりたくないねー」
もう手遅れかも知れない、なんてことは十分に有り得ることだから、深くは考えないことにする。
頭を左右に軽く振り、努めて空にしてみれば、湧き上がるのは食欲と睡眠欲。
「考え事するとお腹空くっていうのは正しいかもね……。チェリア、B地区に着いたら何か食べて帰る?」
「んー? クレープ?」
「はいはい、了解ー」
もう前すら見ていないチェリアの手を引いて、とりあえず、目指すはクレープ屋。本部に帰ったら惰眠でも貪ろうと決意して、また一歩、前へ進んだ。
fin.
2012/01/19 公開
2018/10/18 修正
thanks!!
⇒ チェリア(木陰さま/撤退済)
