ある空の下、鈴の音
一般に開放されている、とある庭園。その片隅、綺麗に整えられた芝の上に腰を下ろして書物をめくっていた八代の手元に、不意に影が落とされた。
顔を上げれば、興味深そうに書物を覗き込む青年の姿が目に映る。青みがかった灰色の髪に、空を切り取ったかのような青い瞳。その腕に抱えられるのは、一目で異国のものだとわかる蒼い目をした白い猫。
嫌でも人目を引く風貌を持つその青年は、八代と目が合うと屈託のない笑顔を浮かべてみせる。
「こんにちは、八代。いい天気だ、暖かすぎて思わず眠いな」
「……そうですか。しかし、今の季節、こんなところで寝ては風邪を引きます。やめた方が宜しいかと」
「そうか。それは残念だ」
青年は大して残念そうには見えない表情で頷いて、腕の中で身を捩った白猫を足元へと下ろす。そのままの動作で、自分のズボンの裾に爪を立てていた黒猫を流れるように抱き上げた。
その動作を追うように白猫から黒猫へと視線を滑らせていた八代は、最後に青年へと視線を移して口を開く。
「ところで、青蓮寺の御子息様」
「堅苦しいな、澄でいいのに」
青年──澄に入れられた訂正は聞き流して、言葉を続ける。
「貴方は何故、事ある毎に私の前に現れるのですか」
風貌が異国人だからといって毛嫌いするほどの固い考えを、八代は持っていない。人間性は人種ではなく個人の問題だろう。
しかし、相手が自分の家と真逆の考え方を持つ青蓮寺家の人間ならば話は別。家のことを考えれば、会話すらも避けたいところだ。それでもこうして言葉を返しているのは、相手が誰であろうと礼儀は疎かにすべきではないと思うからに過ぎない。失礼にならない程度の返答しか口にしない自分と話したところで面白くもないだろうに、何故、こうして声をかけてくるのか。
眉をひそめて問うた八代に、対する澄は不思議そうに首を傾げる。
「理由? スイレンとオーカが八代を好きだから?」
黒猫を片腕で抱え直して、足元にまとわりつく複数の子猫の内の二匹を指し示す澄。
要領を得ない表現で返ってきた答えに、八代は呆れたように息を吐いて立ち上がる。立ち去る気配のない澄に自分が場所を変えようと、歩き出そうして動きを止めた。
──否、止められた。
小さな鳴き声につられて足元に視線を下げれば、頭を擦り寄せてくる二匹の子猫が目に入る。首に結ばれた紐が動きに合わせて可愛らしく揺れ、鈴が鳴る。
元来、動物好きである八代は、甘える子猫を振り払えるだけの非情さなど持ち合わせていない。更に上目遣いで見つめられ、抱っこをねだるように前足をかけられてしまえば、再び腰を下ろす以外に選択肢がなかった。
「……猫に罪はありません、猫には」
膝にとび乗ってきた猫を抱き上げて、憮然としたように呟く八代。少し離れたところに腰を下ろして、澄は笑う。
子猫に付けられた鈴の音だけが涼やかに響いた、そんなある日の話。
〈了〉
2012/05/05