とある事務員のマル秘業務日誌 5
「あっむろさん!お疲れ様です!!」
閉店する為に店の看板を下げていると聞き覚えのある声が聞こえた。
「水瀬さんじゃないですか。今お帰りですか?」
聞き覚えのある声に振り向けば随分ご機嫌の様子の彼女がいた。最後に企画課で会ったのは一週間前だったか。
「はい」
やめろ、こんな所で敬礼をするな。
にこにこと笑う彼女の右手をやんわりと降ろしため息をついた。
「?どうしたんですかため息なんかついて。幸せが逃げちゃいますよ」
「…何故裸足で歩いているのかを僕は知りたいですね」
俺の言葉にきょとんとすると彼女は鞄からパンプスを取り出した。
「さっき階段で転んでヒールがとれちゃったんですよ。だから見てくださいこれー」
「!」
擦りむいちゃいましたと笑ったかと思えば、躊躇いもせずワンピースを太腿までたくし上げた。この酔っぱらいめ。
「何をしてるんですか!」
たまたま通りがかったサラリーマンが彼女を凝視するのが見えたから慌ててスカートを下ろす。それから視線で殺せばひ、と短い悲鳴を上げて走り去って行く。
「…中に入ってください。手当てしますから」
「わざわざすみませんねぇ…お邪魔します」
「わぁ夜のポアロもなかなかオツな物ですね」
「ほら足を見せてください」
興味深げに店内を物色する彼女の手を引いてソファに座らせる。ブラインドを下げているから店の中の様子は外からは見えない。
「……全く。一体どれだけ飲んだんだ」
「カクテルを少々」
「少々で足元が覚束なくなるのか。子供じゃないんだから加減くらい出来るだろう」
「すみません…でもね降谷さん」
本名で呼ばれて条件反射で顔を上げれば彼女が満面の笑みで笑っていた。
「なんと!合コンに風見さんが参加してたんですよ」
「は?合コン?」
彼女はそういった類いの物には興味が無いと思っていたがそうではないらしい。
そういえば眼鏡からコンタクトにしろと言ったのは俺だったか。あの日はまだ3徹目だったのだがいつもより疲労が溜まっていた。そのせいもあり彼女に変な事を言ったのだが律儀に俺の業務命令に応えてくれている。
あんな見境もなく口説くような真似は自分でも反省しなければならないと思っている。どうやらあの時の俺はバーボンを出していたようだ。
「見たことある人だなぁと思ってたら風見さんで。でも緊張してたみたいでかっちかっちだったんですよ」
「ほう…風見がな」
「あ、言っておきますけど今日はお休みだと仰ってましたよ」
風見が合コンか。
アイツは俺よりも年上だし、仕事柄出会いもないし出会いを求めて参加していたとしても何ら不思議はない。
「風見さんって可愛い所があるんですね」
見て下さい、とスマホの画面を見せられる。メッセージアプリの画面には警官の格好をしたネコが敬礼をしているスタンプが表示されている。しかもご丁寧にお疲れ様でしたという吹き出し付きだ。
いや、それ以上に注目すべき点は差出人の名前だ。
かざみん。
ほう。これは後日風見に色々聞かなければならないな上司として。
「…で?お前は何か収穫はあったのか?」
「収穫…ですか?」
「好みの男はいなかったのか?」
「そうですね…特にぱっとした人はいらっしゃいませんでした」
「そうか」
「なのでずっと風見にさんとお話してました。アドレスも交換しましたし、先日の珈琲豆事件もお互い水に長そうと言うことになりましたし」
「………」
「…降谷さん?」
「何でもない」
「そうですか」
普段彼女は必要最低限しか話をしないタイプだが、酒が入ると多弁になるらしい。
「私だって焦ってるんですよ」
「何に」
「三十路なのに相手はいないし、同級生は皆結婚するし、親にはプレッシャーかけられるし……」
彼女にも年相応の悩みはあるらしい。相手がいないという点は共通しているか。
ふと会話が途切れたのが気になって彼女を見れば背もたれに持たれて目を瞑っていた。
「こら起きろ」
「ん、なんですか〜?」
顔を上げた彼女の顔はとろんとしていて放っておけばこのまま眠ってしまいそうだ。
このまま一人で帰すわけにはいかないだろう。
裸足の酔っぱらいがフラフラ歩いていれば確実に職質ものだ。事務員とはいえ警察庁勤務の公務員が醜態をさらす事になる。それだけは避けたい。
「…家まで送る。女性の一人歩きは危ないだろう」
仕方がない。
車に乗った直後から彼女は無言になった。
寝ているのか、そう思った瞬間口を押さえて顔を上げた。
「………降谷さん窓を開けてください気持ち悪いです」
「おいおい勘弁してくれ…そこに袋が」
おう吐するなら外にしろ(もしくは袋)と運転席から様子を伺えば、外の空気で気分がマシになったのか彼女は平気そうな顔をしていた。
「色んな香水の香りがして少し気分が悪くなってなりまして」
「そうか…悪かった」
香水…高確率でベルモットだろう。彼女は数種類の香水を使い分けていたはずだ。その都度香りが残らないように手入れをしていたつもりだが香りが残っていたのか。
「ダメですよ降谷さん」
「何の話だ」
「モテるからって取っ替え引っ替えしちゃ…後ろから刺されても知りませんからね」
「…そんな風に見えるか?」
「イメージですけど」
「憶測で物を言うな」
しばらくすると彼女からのレスポンスが全く無くなってしまった。軽く肩を揺すっても反応がない。ナビで検索するまでもないと言っていたが案内係りが夢の中ではどうしようもない。
仕方がない予定変更だ。
彼女が眠っているのをもう一度確認してアクセルを踏み込んだ。
「あれ?もう着いたんですか」
背中でもぞりと動く気配にこそばゆさを感じる。タイミングが悪すぎやしないか。靴を脱がせて玄関に座らせれば不思議そうに俺を見上げてくる。
「もしや降谷さんのご自宅ですか?」
「途中で寝るお前が悪い」
「ははー。恐悦至極に御座います」
玄関で正座をした彼女の腕を引いてリビングで待機させる。
生憎と女性物の着替えは準備がない。俺のシャツを手渡し浴室へ案内する。
ドアを閉めようとすると彼女が興奮したように俺の名を呼んだ。
「どうした」
「これが噂に聞く“彼シャツ”なるものだと実感しておりまして……」
「ジャージもあるが?」
「いえ…貴重ですので是非体験したく!!」
だから何故武士口調になる。いちいち突っ込むのにも疲れて来た。
「降谷さん一緒に…」
「黙って入れ」
「ふぉふぇんははい」
余計な事を言う前に頬をつねってやる。
今度こそ本当に浴室のドアを閉める。シャワーの水音がする事を確かめてリビングへ戻る。
「酒の力は恐ろしいな」
たちの悪い酔い方ではないし扱いやすくはあるが。だがあの酔い方では合コンだの飲み会だのですぐに喰われてしまうだろう。
恐らく今日は風見がいたから事なきを得たのだろうが、少し注意をしておいた方がいいか。
「…ふ」
途切れ途切れに聞こえてくる鼻唄に思わず笑みが漏れた。