馬鹿なひと

 レイノとサクラとサクラに抱えられたモコナが飛び出したそこでは、いきなり攻撃を仕掛けて来た鬼児の伸縮する腕が地面にめり込んでいた。小狼と龍王はそれを避けるため、左右へと分かれる。しかし、それは小狼の右足首へと巻き付き、それによって自由を奪われた小狼は滑らかな鬼児の動きによって、地面と激突する事となったのだ。


「小狼君!!!」
「近寄っちゃだめ!! 危ないわ!!」
「でも!!」
「護刃ちゃん、サクラちゃんの事お願いして良いかな?」
「『リボンにゃんこ』さん?」
「ごめんね!」
「っ、レイノちゃん!」

 必死に小狼を呼ぶサクラは思わず飛び出そうとするが、レイノと護刃の言葉によって止められる事となった。サクラが行っても小狼が喜ぶ事はきっと無い。彼が望むのは、サクラがずっと笑顔で居る事なのだから。表情筋を強張らせたレイノはサクラを護刃に任せ、手の平から出した刀に魔力を込めた。前にあるのは木にぶつけられそうになる小狼の姿、後ろから迫るのはサクラの悲痛な叫び声である。それに気付いたレイノは、鬼児に向かって斬撃を放ったのだ。


「海王陣!!!」
「小狼くん! 大丈夫ですか!?」
「お前、武器は!?」
「武器!?」
「『ロ』より上の鬼児は素手じゃ倒せないだろ! 武器はどうした!?」
「鬼児が強すぎます!」
「手ぇ出すぞ! 龍王!」
「仕方ねぇ!!」

 先程のレイノと攻撃と共に龍王が放ってくれた技のお陰で大怪我は免れた。小狼は並以上の実力はあるのだがいかんせん子どもである。そのため、体力的な問題で圧されてしまうのだ。自由を取り戻した小狼は足を地面へと着くが、鬼児はすぐに攻撃を再開し、休む暇などを与えてくれない。一向に弱まる気配がない鬼児を前に意地を張っている場合ではない、と考えた龍王は草薙らの力を借りる事になったのだ。そうして穴だらけになった鬼児は弾け、耳に悪い奇声を発しながら崩れ去ったのである。


「三人とも、怪我は!?」
「平気だよ」
「大丈夫ですよ」
「くっそー! くっそー!! 結局、一人で倒せなかったー!!」
「よかった。傷は深くないようですね」
「龍王の実力とは関係ないよ。あの鬼児、ヘンだったもん」
「咄嗟にこれを使って鬼児の攻撃を受け止めてしまって……すみません」
「市役所で再発行してもらえば大丈夫ですよ。それより、龍王を助けて下さって有り難う御座いました。『リボンにゃんこ』さんも」
「あ、いえ…役に立たなかったと思いますし」
「やっぱりここの所妙だぞ。この国は…」

 鬼児が消えた途端、サクラとモコナと犬はレイノと小狼と龍王に駆け寄り、レイノは刀を体内に取り込んだ。龍王は大剣を突き刺して、愚痴を吐いている。その横で蘇摩は小狼へと近付き、傷を見て思わず溜め息を吐いた。そんな蘇摩に、小狼はぼろぼろになってしまった桜の札を申し訳なさそうに返したのである。その後に何気なく呟かれた草薙の一言と「右からの攻撃に弱い」と言う、意味深なそれは、夜の街に吸い込まれて行ったのだった。――そんなところに響く、軽快な声はレイノらの瞳を丸くさせた。


「「「ファイさん!?」」」
「ちょっと、鬼児に遭遇して、ドジっちゃってー。――あり? お客さん?」
「だ、大丈夫なんですか?」
「大丈夫大丈夫ー。そう言えばレイノちゃん、魔力使ったでしょー」
「…分かるんですか?」
「何かあったのー?」
「鬼児がまた出たんですよ」
「戦ったの?」
「少しだけですよ。怪我もないですし」
「え、――」
「…心配、するでしょう。わたしが怪我すると」
「…理解は早いんだけどねぇ」

 先程の声の正体はファイだったらしく、そんな彼は掠り傷を負っているため、黒鋼の手によって肩に担がれていた。ボロボロな状態のファイの顔を見上げたレイノは眉を下げて、掠り傷を負っているファイの手を優しく撫でた。手当て、と呼ばれる行為らしい。労わる様な彼女の表情に思わずドキリ、と胸を高鳴らせたファイは、話題を変える様に先程の感覚を言葉にした。それに返って来た彼女の言葉は、自身の予想を上回るそれだった。――分かってるくせに何で身体を張るのかなぁ。まあ、それがレイノちゃんらしさなんだけど。――そう苦笑したファイは、彼女の頭を乱雑に撫でたのである。
 そんな時、ファイの腰を固定する力が唐突に失われた。それが回復する事は無く、黒鋼の「蘇摩」と言った呟きを遠くで聞きながらファイは地面に落ちてしまったのである。ちょうど黒鋼の背後に居たレイノは巻き込まれる事になったのだ。


「っ、たた…」
「もー、黒さま急に落とさないでよー……」
(っ…ちか…)
「……何か、襲う一歩手前みたいな体勢だねぇ」
「な、にを言い出すんですか。脳内ピンクに染まってますよ」

 密かに発生した接触事故に巻き込まれたレイノは、背中を地面に思いきり強打してしまったのだ。ズキズキ、と響く鈍い痛みに顔を歪め、うっすらと瞳を開けると、目の前には同じくらいに顔を歪めるファイの姿があった。ふと絡まった二人の視線は何故か逸らされる事は無く、その時だけは時間が止まった気がしたと、二人は思う。しかし彼の言葉によってものの見事に崩されたその空気は、彼女の真顔によって一蹴されてしまったのである。




「店番、お疲れさまー」
「蘇摩さん、本当に黒鋼さんの国にいらっしゃる蘇摩さんとそっくりなんですね」
『びっくりしてファイ、落っことしたー』
「うるせぇ!!」
「でも、本当に色んな世界にいるんだね。次元の魔女が言ってたように「同じだけど違う人」が。だったら、これからも会うかもしれないねぇ。前いた世界で、会った人と」

 一行は一旦店を閉め、護刃らと別れる事になった。家に入ったレイノはファイの左足の手当てを始めている。先程の一件は黒鋼がファイを落としたせいで、レイノは酷い目に遭ったのだ。その事にファイとモコナは爆笑しているが、レイノとサクラと小狼は冷や汗を掻いている。特にレイノにとっては他人事ではないからだ。


「できましたよ」
「有り難う。上手だねぇ」
「酒場の方はどうでしたか?」
「そうだ! おみやげがあるんだよー。酒場で買って来たんだー。カルディナちゃんのおススメ。これ飲みながら話そうよー」
「「「え?」」」

 暗い空気になってしまったこの場は、レイノの一言で明るく持ち直された。治療は終わったファイの左足首付近には包帯が巻かれている。そんな彼に問いを投げ掛けた小狼は新種の鬼児について聞きたかった筈なのだが、何故かお酒を飲む事になってしまったのである。後(のち)に彼女と黒鋼は、この宴会を酷く後悔する事になるのだ。




「えへへ」
『うふふ』
「あはは」
「弱いなら進んで酒なんて買って来るなっ。よっぱらいが」
「何で猫?」

 カオスである。上からサクラ、モコナ、ファイの順番で口から出される言葉はもはやそう呼んで良いのかも不明である。何時もは白い肌も、アルコールを摂取してしまえば、赤く色付いてしまうのだ。どうやら酔っ払ってしまったらしい。そんな三人を見て、レイノは苦笑を浮かべ、黒鋼は呆れ返っている。


「でねー、酒場には美人の歌姫と可愛いバーテンダーさんがいたのにゃーん♪」
「にゃーん♪」
「色々、お話聞いたにゃーん♪ ちょっとヘンだと思ったこともあったんだけどにゃー」
「にゃ?」
「んでねー、オレも喫茶店やってるって言ったら、お店の名前教えてって言われたんだけどにゃー」
「まだ決めてないにゃー」
『あのねー! 侑子がお店の名前は『キャッツ・アイ』にしにゃさいってー♪』
「いいねぇ、猫の目だ。にゃーん♪」
「にゃーん♪」

 入り口近くのソファを見てみると、ファイとサクラとモコナが仲良く手を繋いで騒いでいた。幻覚だろうか。ファイらの頭に花が咲いている気がする。ファイとモコナだけならともかく、そこに彼女も入っているから驚きだ。ファイらの周りには可愛らしい花の幻覚が見えて来て、レイノはいよいよ呆れ返り、頭を抱え始めたのだ。そして思わず現実逃避がしたくなったレイノは水を飲む為にキッチンに足を運んだのだ。――この後、戻って来なきゃ良かった、と言った気持ちを持つ事は、もちろん知らないのである。




「な、何これ……」

 僅かに流され始めていた自身の興奮を抑えてリビングに戻って来たレイノの視界に入った光景は、地獄絵図と言っても良い程のそれだった。黒鋼と真面目な話をしていたと思っていた小狼はどうやら酔っていたらしく、ファイとサクラ、モコナの猫化は歯止めを効くレベルではない。それらを必死に捕まえようとする黒鋼が不憫で堪らない。


「あっ、てめーどこ行ってやがった!」
「え、お水飲んでて…」
「こいつらとっ捕まえるの手伝いやがれ!」
「え、は、ええ?」

 ――この数分間に一体何があった。――そう問い質したいレイノの瞳は驚く程に見開かれていた。そんな彼女に必死に懇願する黒鋼の両手にはサクラと小狼が抱えられている。その二人の顔に何時もの大人しげな表情は無く、見事に真っ赤に染まっていた。思わずうわぁ、と声を漏らしてしまったレイノは状況を上手く呑み込めないでいる。そんなレイノの身体は唐突に壁と強打してしまう事になったのだ。


「いったぁ! なに!?」
「んへへ、レイノちゃーん」
「ファイさん!?」
「ほらほら、ぎゅうう!」
「いや、ぎゅうじゃないんですよ! 今からお休みするんです! て言うかミシミシ言ってる! 案外力強いですね!」

 どうやら酔っ払ったファイに体当たりされてしまったらしいレイノは、再び彼によって床に押し倒される形になる。頬を真っ赤に染め上げている彼は何時もよりも興奮しているようで、人懐っこく彼女の首に腕を絡めた。微かに香るアルコールの匂いに自身も酔ってしまいそうだ。しかしこの状況からどうにかして抜け出したい彼女は、彼の身体を押し返す事に全力を注いだ。――何かミシミシ言ってるんだけど。て言うか離れないんだけど。このほっそい体のどこからこんな力出てるの。


「んん……じゃあレイノちゃんも一緒にお休みー、ね?」
「いや、一緒はちょっと…」
「寝ないのー?」
「いや、寝ますけど! ファイさんを寝かしつけたらです、ね?」
「んむむ……」

 ファイは腕を首に絡めるだけでは飽き足らず、顔を近付けて互いの鼻先を密着させたのだ。彼の吐息が掛かるくらいに近付いたその距離に、レイノの心臓はどんどん心拍数を上げて行く。腰を引いてみるが、何時の間にかそこに添えられていた彼の腕によってその行為は出来ないものとなった。それをやってのけた彼はにこにこ、と笑顔を浮かべていたかと思えば唐突にふくれっ面になる。――情緒不安定かよ。――心の中でそう毒付いていれば、そんな彼の頭は彼女の肩に降りて来たのだ。


「ふ、ファイさん…?」
「言うこと聞いてくれないから、お仕置きー」
「は、――」

 レイノの肩と首筋を行ったり来たりするファイの動きは酷くくすぐったくて、たまに掛かるふわふわ、とした金色の髪もそうなる要因の一つである。その動きに飽きた彼はそこから僅かに蒼色の瞳を覗かせてふふ、と笑みを深めてみせた。その後に続く行為を問う前に、彼女の首筋にはピリ、とした鋭い痛みが一瞬刺さる。短く漏れてしまう声に思わず口元を覆う。そんな彼女の反応を見て満足したのか、彼は一瞬笑みを浮かべて意識を落としたのである。


「な、何だったの……」




「ファイさん、ファイさーん…」
「んん……」
「どうしますか……? 服そのままで…、――」

 長身のファイを数分ほど引きずって、レイノはやっとの事で彼の部屋に辿り着いた。その扉を乱暴に足で蹴破ると、そこに広がるのは意外にも散らかっている光景である。風呂上がり後のタオルや元の国の服などは床に散らばっている。――うわ、意外にも結構汚い。――ゆっくりと室内に入って行ったレイノはひそり、とファイの名を呼んだ。しかし返って来る答えらしき言葉は無く、思わず溜め息を吐けば、ぐい、と唐突に腕を引っ張られたのである。


「っちょ、ファイさん!」
「…く……?」
「え?」
「また、泣くの……?」

 先程の体勢とは真逆である。――攻めているのはわたしの方なのに攻められている気持ちになるのはなぜだろう。その蒼い瞳を見てしまうと、どうしてか。そんな気持ちになっているとは知らずに、目の前のファイさんは瞳を潤ませながら問いを投げ掛けた。思わず見開いた瞳は、きっと図星だからではない。


「泣く、って…」
「…たまにね、すごい寂しそうにするからー。だからねー」
「へ、――」
「今日はオレが一緒に寝てあげようと思ってー、えへへ」
「…馬鹿ですね」
「ふふ、そうー?」

 ああ、やっぱりバレていたのか。笑顔で隠していたのが馬鹿みたいじゃないか。この人はどれだけ見てるんだろう。――そんな事を思うレイノはぎゅう、と再び首に腕を絡めて来るファイの行為を止める事はしなかった。彼の肩に顔を埋めて自嘲的な笑みを浮かべると、彼は嬉しそうに笑みを溢して頬ずりをして来た。その温かさが妙に安心感を孕んでいて、わたしは彼の身体に覆い被さったまま眠ってしまったらしい。


「貴方は本当、馬鹿ですよ」

 ――意識がなくなる前、寂しそうに言ったきみの声が聞こえた気がした。




「これ、どうしよう……」

 翌朝、自室に戻って制服に着替えたレイノは鏡の前で悶々と頭を悩ませていた。それの原因は首筋にある鬱血痕である。恐らく昨夜の酔っ払ったファイにやられたのだろう。日が変わっても消える事がないそれは、デコルテが見える彼女の服装では隠す事が出来ないのである。と言って何時出るかも分からない場所で化粧品を買う訳ではないからファンデーションはある訳がない。となると、やはりこれしかないのである。




「レイノちゃん、おはよう!」
『おっはよーレイノ!』
「お、おはよう。元気だね」
「うん! 今日はすっごく気持ち良く起きれたの!」
「良かったねぇ……。あ、顔洗って来るね」

 一階に降りると、既に身なりを整えたサクラとモコナがそこには居た。その元気な姿は、昨夜浴びるほどアルコールを摂取した者とは思えない程である。思わずどもってしまった言葉は仕方ないだろう。朝から元気な様子のサクラに断りの言葉を送って洗面所へと歩を進めるレイノだったが、サクラの「あれ?」と言った声に思わず肩を跳ねさせたのだ。


「な、何……?」
「首、どうかしたの?」
「えっ、いや、えと…っ蚊、に刺されちゃって」
「そうなの……痛くない?」
「だ、大丈夫! 全然大丈夫だから! か、顔洗って来ます!」

 恐る恐る後ろを振り向けば、きょとん、とした表情を浮かべるサクラがそこには居た。そんな何時も通りの彼女を見ると、余計に自身の態度がおかしく見えて来るのだ(実際おかしい)。心配げにレイノを見上げるサクラに、レイノは慌てて言葉を紡いで洗面所へと急いだのである。


「……どうしたんだろう」
『さあ……』




「あ〜、う〜」
「おはようございます。お客様がいらっしゃったんで、お店、開けたんですけど……足大丈夫ですか?」
「おはようございます」
『おはよー、ファイ』
「わ〜」
「だ、大丈夫ですか?」
「なんか、頭の中で鳴ってるー」
『ファイ、宿酔いだー』
「サクラちゃんは平気ー?」
「はい! 今日は寝坊せずに起きられました!」

 ファイが一階に降りて来た頃には既に客でいっぱいで、そこにはざわめきがあった。既に開店準備は出来ていたようだ。その事にほっとしたファイの頭にモコナが乗った途端、ファイはカウンターテーブルへと寝そべってしまったのだ。そして、歪んだ笑みを浮かべてサクラに問いを投げ掛ける。それに返って来たのは、元気な返事と爽やかな笑顔だった。そんな眩しいサクラの笑顔を見て苦笑を浮かべたレイノは、ファイに水を差し出した。


「ありがとー。そいえばー、『ワンココンビ』はー?」
「刀を買いに行きましたよ」

 レイノからもらったコップを片手に、ファイは姿が見えない二人について問い掛ける。それに答えた彼女は客からの「すいません」と言う声に元気に答えてみせたのだ。そんな姿を瞳に映すファイの表情は酷く憂いを帯びていて、サクラとモコナは頭上に疑問符を浮かべたのである。

 ――昨日の事を全部覚えてるなんて、言えないよね。




『ファイ、平気ー? 今日、お客さんいっぱいだったもんねー』
「うんー。随分、ましになったよー。頭も痛くなくなってきたしー」
「今日一日顔死んでましたもんねぇ」
「それは秘密だからー」

 喫茶店閉店後、レイノらは店内の後片付けをしていた。ファイの宿酔いも随分とマシになって来たらしく、その事に彼女は笑みを溢しながらも楽しげに声を掛ける。それに反応した彼の表情は珍しく焦った様なそれだった。そんなところに鈴の音が鳴り、それに気付いたサクラは玄関に笑顔を向ける。しかし、次の瞬間には悲痛な叫び声が響き渡っていたのだ。そこに現れたのは全身が水浸しの、傷だらけの小狼だった。


『小狼、いっぱい怪我してる!』
「小狼くん、大丈夫ですか!?」
「また鬼児に出会したー?」
「いえ。あ、着替えてきますね」

 サクラとモコナはすぐさま小狼に駆け寄り、レイノとファイは驚きの表情を浮かべていた。ファイの問い掛けに微笑むだけに終わった小狼によって閉められた扉をサクラは虚しく見つめてるだけだった。そんなサクラの想いに気付いたレイノは、そっとサクラに傷薬を渡したのだ。


「あれは、剣の訓練のせいー?」
「酔ってたんじゃなかったのかよ」
「あの時はまだちょっと意識あったんだー。その後は目が覚めたらベッドの上だったけどー」
「え、意識あったんですか?」
「え…う、うん」
(うっそぉ……)
「え、…レイノちゃん、オレ、何かしちゃった?」

 急いで小狼を追い掛けたサクラとモコナを見送ったレイノらはカウンターテーブルに集まっていた。そこで広がる話題は昨夜のとある騒動の事である。その事をファイは誤魔化す様に笑い、そんなファイに対して黒鋼は静かな怒りを浮かべていた。しかし、その隣に居たレイノは酷く驚いている様子である。驚いていると言うかは、焦っている様なそれだが。そんなレイノに不安げに問い掛けたファイを見て、レイノは数瞬後に顔を真っ赤に火照らせたのである。


「え、ちょ、何その反応」
「っ…ね、寝ます! お休みなさい!」
「え、ま、レイノちゃん!?」

 初めて見るその反応に、黒鋼までもが目を見開かせている。しばらく、静寂が空間を包み込む。それに耐え切れなくなったのか、レイノは早口で言葉を紡いで颯爽と自室に帰ってしまったのだ。もちろんファイの声は聞こえていない。まるで風の様に居なくなった彼女を、二人はただただ茫然と見送るしか出来なかったのである。


「……え、何今の」
「…お前ヤったのか」
「ヤってないよ!」
「…気持ちは伝えてからの方が良いと思うぞ」
「だから違うんだってば!」




 夜の桜都国、現在の時刻は9時半である。大きな時計が取り付けてある路地を、恋人同士であろう男女が仲良く歩いていた。その二人の横には雰囲気がある電灯が設置されている。しかし、それは溶けて行き、全く別のものに変化したのだ。それは、そんな甘い空気を壊す様な鬼児だった。


「鬼児!?」
「大丈夫。鬼児は鬼児狩りしか襲わない…」

 本来ならば、男の言い分が正しいのだが、今は違う。鬼児は彼に視線を向け、音を立ててそれを喰らい付いたのだ。鬼児の右手には血だらけの彼が掴まれている。そうして夜の街に響いた女の叫び声と鬼児の雄叫びは現実を突き付ける様な、そう言った意味を孕んでいた。時計の長針に居るフードを被った美しい男は、その様子をじっと見つめていたのである。