言葉の真意
「取り敢えず観光がてらこの町を回って見ましょうか」
「…逆だろうが」
「はいうるさい」
「てめぇ…」
「まーまー。三組で分かれる、って事で良いでしょー?」
先程の殺人現場から離れた一行は広場へと集まり、これからの行動を相談する事になった。そんなところで、わざとらしく笑みを浮かべたレイノは言葉を放つ。何時もの様子に戻った今のレイノにとって、黒鋼の突っ込みなど屁ではないのだ。そんな黒鋼を軽く流してファイが選んだのは、レイノとファイ、黒鋼とモコナ、サクラと小狼、と言ったペアである。その結論に苦々しい表情を浮かべた黒鋼だったが、サクラと小狼の笑顔とモコナの襲来により了承せざるを得なくなったのである。そんな良く分からない苛立ちを、黒鋼はファイに向けたのだ。
「魔術師、てめぇ…小娘となりたかっただけだろうが」
「そんなことないよぉー。――だって、心配でしょー?」
「ああ?」
「この国に来てからあの子、ちょっと変だし」
「…あいつ、何か隠してやがる」
「隠してる、って…」
「どうやら、何かの理由をつけねー限りここには戻りたくなかったらしいな」
「理由…」
しかし、ファイはそれさえも笑顔で流したのである。けれど、彼も彼なりの考えがあったようだ。それは黒鋼も思っていた事である。ちらり、と向こうを見ればサクラと小狼と談笑しているレイノの姿が見えた。普段と変わりないと思うが、そんな中でも一瞬、痛々しい程に顔を歪めるのだ。――それに惹かれるオレはきっと、あの子の事を何も知らない。前に進みたい理由も、ふとした時に顔を歪める理由も、時折身体を震えさせる理由も、何も知らないんだ。
「何か色んな物があるねぇ。夜魔ノ国の城下町みたい」
「分かります。あの時ファイさん、かんざしくれましたよ、ね……」
レイノとファイは、ある商店街へと足を運んでいた。グラーツでは地元ブレンドのワインやパンプキンオイルなどが有名で、「カイザーヨーゼフマルクト」と言う青空市場で売られている。その他にも採れたての果物や花などの匂いが混じり合い、鼻が幸せだと教えてくれていた。そんなところをゆっくりと歩きながら、二人は会話を続けている。そんな中、ふと目に入ってしまったダイヤモンドチャームに、彼女は思わず仄かに頬を赤らめたのだ。
「……ああ、これ? レイノちゃんからの初めてのプレゼントだからねー」
「そ、その言い方ずるいと思います……」
「えへへー、お揃いみたいだよねぇ」
「だ、だからそう言う言い方が恥ずかしいんですって!」
レイノの視線に気付いたファイは数瞬ぱちくり、と瞬きを繰り返したが、すぐに笑みを浮かべて首元にあるネックレスを軽く指で持ち上げた。そして、嬉しそうに彼女が付けているバチ型簪をそっと指でなぞったのである。その間に紡がれた言葉は彼女の羞恥心を煽るには充分だったようで、目の前の彼女は焦った様に簪に触れた。なかなか見れないこんな彼女に、彼は思わずくすくす、と笑みを溢したのである。
「あ、レイノちゃん、お金ってまだあったっけー?」
「まだありますけど…何か欲しいんですか?」
「お腹空いちゃった」
「子どもですか」
「だってお昼時でしょー? 果物美味しそうなんだもん」
「グラーツの果物はいつも採れたてだからみずみずしくて新鮮だよ! どうだい?」
「ほら。お店の人もこう言ってるしー、ね?」
しばらくしてから笑みを止めたファイは、とある店の前でしゃがみ込んでレイノを見上げた。そして浮かべた笑顔に、彼女は思わず呆れた様にぱちくり、と瞬きを繰り返したのである。しかし、店員の勧めと首を傾げる、と言うファイのあざとい仕草に彼女は溜め息を吐いて、桃とラ・フランスを一つずつ購入する事になったのである。
「美味しいねぇ」
先ほど購入した果物に歯を立てて、その力を少し強めると口元からはシャク、と言った軽快な咀嚼音が響く。そしてそれを口内に放り込めば、僅かな水分を体内に取り込む事が出来るのだ。甘さと酸味が程好くあるそれらは小腹を満たすのにちょうど良い食品である。ファイの言葉に笑顔で頷いたレイノもそう思っている筈だ。
「…レイノちゃん、どうしたの」
「え、――」
「この国、って言うか、この町に来てから変だよ?」
「あ…いや、その…」
「何か思う事でもあるの?」
小さめの公園に設置されているベンチに腰掛けたレイノとファイの間に、会話は無かった。しかし、そんな沈黙を破ったのは彼の確信めいた問い掛けである。――いつかは聞かれるだろうと、分かっていたはずなんだけど、いざ聞かれるとやっぱり身体は反応しちゃうみたい。どう言えば良いのか分からない。けれど、もう逃げられないと分かってる。――そう決心した彼女は、唇をそっと開いた。
しかし、それを止めたのは懐かしい感覚だった。間違う筈がない闇の属性の魔力のそれは自然と自身に入り込んで来る。けれど、有り得ないのだ。あの時、この町に居た者達は全て消えた筈なのだ。ふわり、と鼻腔を擽る桜の花の香りは懐かしく、そして、酷く惨めな気持ちにさせた。
「…レイノちゃん?」
「…やっぱり、おかしい……」
「え?」
良く分からない疑問達がレイノの脳内を巡る中、そんな彼女の様子がおかしい事に気付いたファイは不安げに彼女の名を呼んだ。その後に呟かれた彼女の言葉に、真意が全て込められていたように思う。――けれど、それを理解できるほど、オレはこの子の事を知らなさすぎた。――すると、彼女の後ろから子供特有の高い声が響き渡ったのだ。その子を見た一瞬、彼女の顔が歪んだのは何故だろうか。
「…元気だね。コケちゃうよ?」
「大丈夫! この町の果物美味しいでしょ? 僕も大好きなの!」
「…知り合いなのー?」
「いいえ。けれど、多分この町の子でしょう。服が豪華ですし、王族でしょうか」
「…このお兄ちゃん、なぁに?」
「一緒に旅をしている…仲間、かな」
『……お前は、独りだろう』
「え、――」
近付いて来た子供と目線を合わせる為にしゃがみ込んだレイノは柔らかな笑みを浮かべ、それを目の前の彼に向けた。装飾品が多い彼は、どうやら城から下って来たようだ。王族の親戚、とでも言えば良いのだろうか。その事を理解したファイも彼女に倣ってしゃがみ込むが、その瞬間、目の前の子供の雰囲気が変わったかと思えば唐突に巨大化したのだ。そこに突如として現れたのは魔物だった。
「レイノちゃん!」
「魔物が、何で…」
ファイは反射的にレイノを庇い、近くにあった木棒を手に取ってはそれを構えた。その間にこの町の人々には避難してもらっている。蹴りや打撃などで攻撃を繰り返すが、ダメージを受けている気配は無い。その事から分かった事は、目の前の魔物は異様に防御力が高い、と言う事だ。碌な武器がない今、二人は追い詰められている状態になっていた。そんな時に受けた攻撃によって、彼女の白い頬には赤い傷が生まれてしまったのだ。そして、それはどんどん広がって行く。
「…あれ、どう言うことー?」
「分かりません。取り敢えず目の前のこいつをぶっ倒すのが先、ですかね」
「だねぇ」
レイノとファイは持ち前の身体能力を使い、屋根を次々と渡って行く。しかしそれは常人には出来ない事だ。そんな行動を繰り返した後(のち)に辿り着いたのは、大きな噴水が中央に設置されている広場である。周りに人は居ない。障害物もない。人間がどうして魔物に変わったのか、と言う疑問はこの際後回しだ。異様な気を放つ目の前の魔物を倒すため、二人はそれを視界に入れたのである。
「観光っつってもよ、この国の地理分かんねーのにどこをどう見ろってんだよ」
『大丈夫! モコナがいればきっと戻れるよ!』
「白まんじゅうは当てになんねー」
『何でよー!』
黒鋼とモコナは、住宅街へと足を踏み入れていた。旧市街とは違い、眩さがあるそこでは彼の様な服装の人間は目立つのである。広場や商店街と比較すれば静けさがあるが、そうなってしまう程度にはやはり人が居るのだ。住宅街を抜けた先には森林に囲まれたエッゲンベルク城があり、黒鋼とモコナはそこを目指す事になったのだ。
「…で、羽根の気配は感じてんのか?」
『…うん。ある、けど…何かに守られてるみたい。弱いの』
「はぁ? 意味分かんねーぞ」
『けどお城にあると思うよ! 変な気配はそこからしかしないもん!』
モコナが指らしき物で差したのは、目の前に聳え立つ巨大な城である。それは、それだけ違う次元にある、と錯覚しそうなほど真っ白で神聖な物だ。迂闊に近付いてはいけない様な、そんな感覚に陥る。ここにもう一人魔力を感じ取れる人間が居れば何か分かったかも知れないが、叶いもしない事を願っても仕方がないのである。
「…取り敢えず飯だ飯。酒は…だめだな」
『良いじゃん! 飲もうよ』
「死んでも飲むか、クソまんじゅう」
『あー! モコナのこと貶した!! 侑子に言おーっと!』
「んだと!?」
黒鋼は目の前の城の神聖さに気付いた様だが、モコナには敢えて言わない事にした。言ってどうにかなる話ではないからだ。それに、自分達の独断で行く訳にはいかないのである。視界の端に映る城は、思わず彼に悪寒を走らせた。自身に魔力と言った力は無い筈なのに、何故か、嫌な気配が止まらないのである。
「ここ、どこでしょう……」
「…迷ったみたい、ですね」
「どうしよう……」
「何かご用で?」
サクラと小狼はグラーツの郊外へと足を踏み入れていた。魔術師や自警団、金工師などが生業としているところだ。大体の人は城で勤務しているため、今居るのは自警団くらいだろう。そんなところに迷い込んでは周りを見渡す二人に、声を掛ける人物が居る。その人物はこの町に入って来てレイノに声を掛けていた男性を叱っていたそれだった。
「貴方は…」
「自警団の者です。何かありました?」
「えっと、あの」
「ヨル? そんなところで何やって、――」
迷子になったらしいサクラと小狼のは自警団である、とある人物に声を掛けられていた。その人物の名はヨル、と言う。ヨルの上司であるフェンリーがそう呼んでいたから間違いないだろう。二人が立ち止まっていた場所は、どうやら自警団本部の前だったらしい。そんなところで加わったもう一つの声は、先ほど聞いたそれだった。
「貴方は…」
「あ、レイノの友達だよな! 俺のこと聞いてる?」
「い、いいえ。全く」
「えー…あいつ何も言ってくれてねーの? まぁ良いけど。オレはフェンリー、レイノの幼馴染だよ」
「レイノちゃんの?」
フェンリーはサクラと小狼の姿を視界に入れた途端、唐突に人懐っこい笑顔を浮かべた。それを見た二人は安心した様に息を吐き、ここで初めてレイノとフェンリーの関係性を知ったのである。何も教えてくれないレイノの事を少しでも知れた喜びにサクラは頬を緩ませるが、小狼は言い様のない違和感を感じていた。
「ま、よろしく頼むわ。えっと…」
「…小狼です。こっちはサクラ姫」
「そ。よろしくな、サクラちゃん。小狼くんも」
今のフェンリーの言葉が話を逸らしたものなのか、ただの思い過ごしなのかは分からない。しかし何にせよ、小狼は再び軽い違和感を感じた。そんな小狼を置いて、フェンリーは先程の笑みを浮かべたままサクラに手を差し伸べる。その後に彼女も礼儀と思い、握手を交わしたのだ。その時、一瞬目を見開かせた彼女の存在を、この場に居た者達は誰も知らないのである。
――氷のように冷たい手に、私は思わず逃げたくなった。
「ただ今帰りました」
「あ、お帰りー」
「ファイさん達、先に帰っ、――」
木製の古びた扉を開けて宿の中へ入って来たのはサクラと小狼だった。中から間延びした声が聞こえて来た事から、どうやらレイノとファイは先に帰っていた様だ。だが、そこにあったのは手足から血を流すレイノの姿である。それを見てしまったサクラは目を見開き、悲鳴に似た声を発していた。
「どうしたの、その傷…」
「ん、あー…ちょっとしくっちゃって、えへ」
「レイノさん、大丈夫なんですか?」
「ん、平気です。本当にかすり傷ですから」
『たっだいまー! ってきゃー!! レイノどうしたのー!?』
「…ファイさん、そろそろ腹立って来たんですけど」
「はいはい我慢してねー」
小狼はすぐ様しゃがみ込み、レイノの傷を見つめた。鋭利な物で切られているようだ。直撃は避けているが、僅かに毒が塗り込まれている。頬の切り傷にもそれと同じ成分がある様に見えた。モコナの悲鳴に口角を引き攣らせた彼女だが、ファイの乱暴な手当てに短い悲鳴を上げたのだった。
「戦闘中に余所見してただぁ? 死にてぇのかてめー」
「黒ぽん、それオレ言った」
「黒ぽん言うな、黒魔術師」
(この二人ほんっと怖い……)
ところ変わって、一行は借りた部屋に集まっていた。これから始まるのは、黒鋼の長ったらしいお説教である。その間に挟まれるファイと黒鋼の言い合いがリズミカルすぎて説教をされているとは思えないだろうが。取り敢えず今はすぐに逃げたいのが本音だ。けれど、目の前の二人の視線を受ければそれは出来ないのである。
「つーか、何で急に戦う事になったんだよ。こっちにはなかったぞ」
「こっちも何もありませんでした」
「子どもが急に魔物になったんですよ。何でかは知らないんですけど」
「そーそー。びっくりしたよねー」
「倒したのか?」
「…一応、は」
本当に何もなかったのだ。平和な国そのものなこの町には差別などもなく、ちゃんと仕事も出来ている。しかし、それは清らかすぎる城や冷たすぎる人物を除いては、と言う前提である。どうやらこの国の魔物は、普通ならば特定の場所でしか生きられないらしい。それらは自警団の手によって厳重に保護されていて、迂闊に手が出せないのだ。その事を思い出して苦々しい表情を浮かべるレイノの隣では、ファイが何かを思い出した様に短く声をあげた。
「小狼くん、これー」
「これは…」
そして、ファイが小狼に渡したのは僅かに光る小さな物である。それは、サクラの羽根の欠片だった。ファイ曰く、子供に化けた魔物を倒したら出て来た、のだそうだ。この町に来てすぐに見た変死体の近くに落ちていたそれと酷似している。こうも次々と簡単に出て来れば、何やら不信感を抱いてしまうのも仕方がないだろう。
「その魔物になっちゃった子、一体何者なんでしょうか」
「王族っぽい格好はしてたよねー?」
「キラキラしてましたもんね」
「この町に城はあの森のところにしかねーのか」
「はい。けど、簡単には入れませんよ」
『手続きとかがいるの?』
「そんな感じかなぁ」
開いたサクラの口からは魔物についての言葉が吐き出された。それに答えを出せるのはレイノとファイだけで、しかし憶測なため、確証は持てないのである。苛立ちと罪悪感を隠す様に、レイノはモコナを手の平に乗せて頬を擦り寄せた。すべすべの肌はレイノにとっては癒しである。
「小狼くん…どうしよう?」
「姫…」
「まぁ、小狼くんの気持ちは決まってるみたいだけどねー?」
戸惑った様な表情を向けるサクラに、小狼は思わずぱちくり、と瞬きを繰り返した。自分だけの願いの筈だったのに、何時の間にか「羽根を集める事」が旅の目的になって来ている気がした。しかし、その事に罪悪感などは何故か起きない。湖の国でレイノが言っていた言葉が蘇り、少しでも頼れているのだと、ここで初めて気付いた。そんな小狼は僅かに笑んで、力強い言葉を放ったのである。
「忍び込みます」
昼間、レイノとファイが城下町で遭遇した魔物はなかなか倒れてはくれなかった。防御力が異様に強く、巨体なのだ。出来れば関わりたくないし近寄りたくない。そんな気持ち達が渦巻いているものの、今戦える人はこの二人しか居ない為、逃げる訳にもいかないのである。
『ファイさん、怪我は?』
『ないよー。て言うか本当化け物だねぇ。刺しても裂いても戻っちゃうんだもん』
『ここまでやって倒れない魔物も気持ち悪いですけど、貴方の言ってる事も大概ですよ』
『最近のレイノちゃん口悪いー』
『他人のこと言えますか!』
噴水の縁にバランス良く着地したレイノは、隣で笑みを浮かべながら長い息を吐くファイを見ずに問いを投げ掛けた。それに返って来た言葉は、限りなく真実なのである。しかし、その後に交わされる二人の会話は戦闘中とは思えない程のそれで、けれど唐突に訪れた敵の攻撃によってそれは中断される事になったのだ。
『…ッ、危な』
『もうちょっとコンパクトだったら色々と殺りやすいんだけどなぁ』
『だからファイさん今の発言色々と物騒!』
『黒さまがいたら一発なんだけどねぇ』
魔物の腕は小振りの鎌に変化しており、攻撃範囲に入れば即刻首を取られてしまうだろう。一秒足りとも気は抜けないこの状況で、レイノの突っ込みさえ流してファイは物騒な言葉達をつらつらと並べて行ったのだ。確かに同じ気持ちを持ってはいるが、「おっしゃる通り」と言ってしまいたいがおそらく叶う事は無いだろう。――レイノとファイが居た場所に向かって腕が突き出されれば、二人は飛躍を繰り返してそれを避けて行く。その間にアイコンタクトを交わせば、彼女は周りの障害物を利用して魔物の背後を取り、彼は魔物の前方で木棒を構えた。どうやら挟み撃ちにして同時に攻撃を繰り出すつもりらしい。彼女の右腕にはらせん状に魔力が込められ、それが魔物のうなじへと埋め込められて行く。――その瞬間に囁かれた言葉を、わたしは一生忘れる事は出来ないのだろう。
『…罪を忘れるな』
その瞬間に弾け飛んだ魔物の衝撃波によって手足を血でまみれさせてしまったレイノは、宿屋でのファイによる治療が施されるまで痛みに耐える事しか出来ない。心配げに彼女の名を呼ぶ彼の声は何時もと変わらなくて、変わってしまったのは自分なのだと改めて感じた。ただ、何時もの様に間抜けな笑顔を向ける事しか出来なかったのだ。
「……サクラ」
――一生守り抜くつもりだった人物の名を呟いて、わたしはまた眠れない夜を過ごすのだ。