本の国
「レイノちゃん、着替え終わったー?」
「も、もうちょ…っ終わりました!」
「お前、相変わらず着替えおせーな」
「雑な黒鋼さんとは違うんです!」
ピッフル国から移動を済ませた一行は、意識が戻らない小狼と付き添いのサクラを置いて衣服を調達する為に街へと繰り出した。この国では売っていない服を着ているからか、歩いている間にも人々の視線が身体に突き刺さる。この感じにも、もう慣れた。しかし、最初から堂々と道のど真ん中を歩くファイと黒鋼のメンタルはどうなっているのだろうか。鋼か。
とある服屋で各々好きな服を決め、試着する事となった。レイノが選んだ服は白を基調としたアンクル丈の後方にボリュームのあるワンピースである。袖にはしっかりとフリルが付けられており、女性らしい仕上がりになっている。店員に用意された革製のショートブーツを履くと、目の前には何時もの笑顔を浮かべるファイが居た。
「裾とか引きずってない? 大丈夫ー?」
「大丈夫です。有り難う御座います」
「あと…腕、とか」
「んん…何か、この国に来てから痛みがほとんどないんですよね。この国の魔力のお陰ですかね」
「関係あんのか、それ」
レイノは身体を数回転させ、そうした姿を等身大の鏡に映した。こう言う服は異次元の旅をしていなければ着ないだろうから貴重な体験だが、やはり恥ずかしい。ふと布越しの腕に感じる体温はファイの手で、ピッフル国で負ってしまった怪我を心配してくれているらしい。心配してくれているところ悪いが、不思議な事に痛みは殆ど残っていないのだ。――骨折れてるはずなんだけどなあ。黒鋼の突っ込みはごもっともである。
「痛くないなら良かったよー。じゃあ、そろそろ戻るー?」
『小狼、もう起きてるかな』
「起きてるだろ。つか、あいつは何で眠りこけてんだ」
「…レイノちゃん、行こっか」
「は、――」
ファイは今まで手に持っていたハットで頭を覆い、荷物を脇で抱えた。彼を筆頭に始まった筈の会話は何時の間にか黒鋼とモコナをメインに繰り広げられており、それを始めた当の本人であるファイはレイノに行動を促した。そして、先程さり気なく買っておいた大きめの黒のハットをレイノに被せたのだ。それは元々下の方で二つにくくっていたレイノの髪型にぴったりで。思わずファイを見上げると、耳元で似合っている、と言う言葉を囁かれ、極め付けに向けられる微笑みにもうだめだ。
――ああもう、どれだけ惹かれてるか知らないで。
『ラブラブだー!』
サクラと小狼が居るであろうベンチに戻って見たものは、二人がお互いの額と掌を合わせているところだった。それを一番に見たレイノとモコナの顔からはにやけが消えなくて、幸せな気持ちが収まらない。微笑ましい、ってこう言う事を言うんだろうね。子どもの微笑ましい姿を見ているようだ。
「いや、あの!」
「小狼君が怖い夢見たって、あの、あの、だから!」
「おまじないしてたの?」
焦りや羞恥のあまり文になってないサクラと小狼にファイが助け舟を出すが、そのからかいにレイノが混じってしまっては無駄と言うものだ。モコナの言葉の真似をして「ラブかったねえ」と言えば、二人は赤く火照ってしまう顔を抑える事が出来ないのである。こう言った展開になってしまうのはもう諦めた方が良いだろう。
「ど、どうでしたか? この国は」
「今まで行ったことのある国とはまた違ってたー。服はね、こんな感じー」
レイノとモコナのタッグから逃れる為に、小狼は今居る国について問い掛けた。それに答えるファイは自身らの服を指差したのだ。ファイはベージュのトレンチコートとスラックスを合わせており、紺色のスーツベストが防寒具となっているようだ。黒鋼は黒のロングのPコートを着ており、胸ポケットから姿を覗かせているナプキンはエチケットを意味している様に見える。ジェイド国で来ていた服と比べると布地は薄く、服の丈も短い。
「ジェイド国と少し似てますね」
『でも、女のひと、ドレスじゃなかったよ』
「とりあえず、小狼くんとサクラちゃんの分も調達してみたんだけど…」
「羽根の気配は?」
『まだ分からないの』
「というか、この国、不思議パワーいっぱいなんですよねぇ」
「「不思議パワー?」」
「モコナが歩いててもまったく問題のない国。でもってー、小狼君にとっては凄く良い国かもー」
「おれですか?」
「ねー、黒様」
「ふん」
サクラちゃんと小狼くんの服は完璧にこちらの趣味で選んでしまったから気にいるかどうかは分からないけれど、想像の中での彼女はとても可愛かったからきっと大丈夫だと信じてます。――そんな内心の気持ちを表には決して出さないレイノは苦笑を浮かべて紙に包まれたサクラの服を取り出してみせた。そして、話題はやはりサクラの羽根の事となる。
レイノとモコナのとあるフレーズに、サクラと小狼は目を丸くした。その答えは、ファイが持っているらしく、黒鋼に同意を求めている。大体予想はしていたが素直に返事をしない黒鋼にレイノが思わず吹き出すと、何時も通りの言い合いが始まるのだ。この光景にも、もう慣れた気がする。
今回一行はレコルト国と言うそれに来ており、ここには魔術があり、それを習得する為の学校で勉強をするらしい。数学や国語などと同じ様に授業が用意されているのだ。街並みは19世紀のヨーロッパの様なもので、空には普通なら有り得ないものが浮いていたりしている。
「ああいうのもいるから、モコナもちゃんとお外に出られるねー」
『うん。ジェイド国の時は黒鋼の服の中で、窮屈だったよー』
「って言いながら潜んな!」
「小狼君にとって良い国っていうのは…」
「こっちだよ」
「ああいうの」と言うのは、蝶の羽が生えた馬車の事である。きちんと浮かべる所を見ると、こう言った動物にも魔術は効いているようだ。そんな光景に目を丸くする一方で、黒鋼とモコナは楽しそうにじゃれ合っていた(多分)。ジェイド国に居た頃を思い出すが、ふと考えると彼は何時も誰かに突っ込んでいる気がする。そんな微笑ましい光景に苦笑を浮かべ、サクラと小狼を呼び付けたレイノは、一際大きい建物に一足先に足を踏み入れた。
ゆっくりと扉を開けるとそこは多くの人間で賑わっており、壁は本で埋め尽くされていた。図書館と言う場所である。レコルト国は魔術を色んな側面から研究しているらしく、魔術に関する本がたくさんあるのだそうだ。小狼の好きな歴史に関しての本も豊富である。
「でも、読めるでしょうか」
「確かめてみればー?」
「はい!」
全角度を本で埋め尽くされる感覚に、本好きの小狼が高揚感を覚えない筈がなかった。稀に見ないご機嫌な様子の彼に、サクラはその事が酷く嬉しく感じた。何時も彼女の為に、彼女が無事で居られる様に、彼女の幸せの為に行動して来た彼は、おそらく長い間本当の意味での心休まる時間と言うものがなかったと思われる。――いつからだったからかは忘れてしまったけれど、わたしのこと関係なしに喜ぶ小狼くんが見たいな、って思ってたの。その願いが静かに叶って、嬉しい。
「読めます!」
「良かった」
「全部は分からないんですけど、父さんと一緒に行った国の古語に似てます」
『小狼、夢中ー』
「出来れば買ってあげたいねぇ、お父さん」
「買ってあげれたら小狼くん絶対喜びますもんねえ、パパ」
「いい加減そのネタから離れろ!」
「でも、お金ないもんねぇ。これ、売っちゃだめだしねー」
隣に居るサクラには目もくれずに目の前の本に視線を集める今の小狼には、おそらく他の情報は何も入っていないのだろう。それとは一方にレイノとファイはピッフル国にてお馴染みとなった「お父さんネタ」を再びぶり返していた。やっぱりこの国でも黒鋼は反応するから茶化されると言う事に気付かないらしい。レイノは適当な本棚から本を取り出してパラパラ、とページを捲って行く。何とか読めそうだ。ファイとサクラは文字が分からないらしく、レイノが教える事となった。とある本を読んでからぴたりと動きを止めてしまった小狼に気付かず、レイノはファイを連れて腰を落ち着かせる場所を探すのである。
「どうしたの? 小狼君」
一時間程度経った頃だった。小狼は本を持ったまま最初の場所から一歩も動いていなかった。そんな彼を不思議に思ったサクラは、彼の顔を覗き見る。彼は、泣いていた。表情は何も無い筈なのに、ただただ涙だけが頬を伝っていた。彼女の驚きの声に集まり出した一行は、様子の可笑しい小狼を怪訝な顔で見つめている。
「どうかしたー?」
「小狼君!! 小狼君!!」
『小狼、泣いてる!』
ファイがふと小狼が持っている本に何やら不思議な力が宿っている事を感じ取ったのだ。触れても何ともない。結界が張られている訳でもない。それに弾かれる事もない。力が強まるかの様に輝くだけで、それは小狼の手から離れてはくれないのだ。ファイに続いてレイノ、サクラとモコナが本を引っ張るが、全く効果は無かった。もしかして、とある考えが浮かんだレイノは行動に移しかねている黒鋼に小さく声を掛けた。
「…黒鋼さん、触ってみてくれます?」
「ああ?」
渋々と言った様子で雑に本を掴むとそれは一瞬輝かしく光を放ち、いとも簡単に小狼の手から離れたのだ。どうやらレイノの予想は当たっていたようである。先程の本に何が書いてあったのかは分からない。魔力によるものなのかも分からない。それはこれから調べて行く事になりそうだ。
「小狼君!」
『小狼!』
レイノはバランスを崩した小狼に手を伸ばすが、小狼の手首を掴んだのは小狼の近くに居た黒鋼だった。それを掴んだ黒鋼の手の甲には、何かが貫通した様な傷痕が見える。涙でぐちゃぐちゃになった瞳をうっすらと開き、小狼はごめんなさいと、一言、掠れた声で呟いた。――さっきまでの笑顔は一体どこに行っちゃったの。ねえ、神さま。どうして、この人ばかり傷つけるんですか。
『小狼、目開けたよー!』
「大丈夫? 気分悪い?」
そんなに時間が経っていない頃合いだったと思う。小狼はふと、琥珀色の瞳をゆっくりと開かせた。ぼやけた視界の中に見えるのは近くで彼の様子を見やるレイノ、サクラとモコナ、そして遠くで壁に凭れ掛かるファイと黒鋼である。何となく自分の状況を理解した小狼は、不安げなサクラの言葉に答える為に緩く首を横に振ったのだ。
「ここ、図書館の中の医務室だよー。係のひとに教えてもらって黒様が運んだんだ」
「意識とかははっきりしてますか?」
「はい。あの」
出来るだけゆっくり、覚醒したての小狼の脳内に刺激を与えない様にレイノとファイは言葉を紡いだ。しかし、当の本人である小狼はそれらに軽く反応するのみで視線を黒鋼に向けている。弱々しく発された小狼の声は、酷く情けないものだった。「話がある」として名を呼ばれた黒鋼は今まで閉じていた瞳をゆっくりと開け、深紅のそれを覗かせている。事の先を理解したのか、彼女はちらり、と黒鋼の表情を見てはゆっくりと立ち上がった。
「オレら、ちょっと出てよっかー」
「サクラちゃん、行こう」
「…はい」
ファイは帽子を被り直し、サクラとモコナを出口へと案内した。レイノは医務室の扉を開けてくれている。何時もと違う小狼の弱々しい様子に後ろ髪を引かれる思いを持ちながらも、サクラは医務室の外に足を踏み出した。そんなサクラの手を、レイノはゆっくりと包み込んだ。――安心させたかったのだけれど、多分わたしも上手く笑えてはいないのだろうね。
「小狼君には黒ぴーが付いてるし、オレ達は二人がお話ししてる間に色々聞いて回ろうよー」
『サクラの羽根、探さないといけないしね』
「はい」
「――ファイさん、あの」
「ん?」
レイノのやった事は余り意味がなかったらしく、サクラはちら、と医務室の扉を視界に入れている。その様子に気付いたファイは何時もの笑みを浮かべて先導を切った。何時もよりも硬いが笑顔が戻って来たサクラに、レイノはほっと一息を吐く事が出来た。すると、もう一つ気になる事が出来てしまったのだ。一旦気付いてしまうと脳内から消す事は出来なくなっていた。――ああもう、こう言う質だから困るんだよなあ。
医務室の扉を叩く音が室内に響き渡る。職員だと思っていたその音の正体は、レイノだった。彼女の顔に浮かんでいる苦笑が来る筈ではなかった事を物語っている。しかし、この期を逃してしまってはきっと一生言えないのだろう。この人たちを騙したままと言うのは、些か心に来るものがあるのだ。
「レイノさん!? 姫たちと行ったんじゃ…」
「言っておかないといけないなって思って」
「…何の事だ」
「――蝙蝠のマーク」
レイノが放ったたった一言は、黒鋼と小狼の表情を固めるには充分なものだった。
「…何だと?」
「わたしの過去、覚えてますか?」
「ミッドガルド国で見た映像、ですよね」
「はい。そこで、わたしの国を…『グラーツ』を襲った者の服や手剣のマークは」
黒鋼の疑惑の視線が痛い。けれど、こんなもので引き下がるのはわたしじゃないの。伊達に毎日の様に貴方をからかってる訳じゃないんでね。まるで公開処刑の様に一行に見せ付けられたレイノの過去の映像は、今思い出せば随分昔の事の様に感じる。決してそんな事は無いのだけれど。彼女を除く一行には昔の事の様に感じるだろうが、レイノにとっては目を瞑れば簡単に思い出す事の出来るとても鮮明な出来事なのだ。普通に暮らしていればまず体験する事ではない一連の出来事は容易く思い出す事ができ、そして容易く思い出したくないそれなのだ。――けれど、それから目を逸らしてばかりではわたしは一生このままなのだろう。最初は一緒に居るだけだったのにね。信じてもらいたい、なんて。次元の魔女さんの言う通りになっちゃったね。
「――蝙蝠、だったんですよ」